第15話 忠告


 学園で最も大きい講堂内には、一番前で話をする年配の男性講師の声と、授業が終わってから何をするか話す学生の小さな話し声が響いていた。

 千早は腕時計を確認する。もうこの確認は何度目なのか、数えるのも面倒なほどだ。


(あと一分……)


 普段なら講義を集中して聞いているが、この時ばかりは早く帰りたいと気が逸っていた。席も出入り口から一番近い所にしているほどに。講師の話の内容から板書ももうないだろう、と筆記用具を片づける。

 そして、待ち望んでいたチャイムが講師の声を覆って講堂内に響き渡り、その日最後の講義が終了した。

 千早はチャイムが鳴り終わる前には鞄を取り、誰の目に止まることもなく静かに講堂を出る。後ろから「千早はー?」「さあ? 見てないけど」といった自身を探す会話が聞こえてくるが足は止めない。こういうときばかりは、自身の影の薄さが役に立つ。

 寡黙な千早は、普段から目立つことがない。そのせいか、よく影が薄いだのすぐに見失うだのと言われる。不可抗力の上、どうすることもできないため、千早はそれに関してどうこう言うつもりはない。

 ポケットに入れていた携帯電話を取り出し、局からきていた連絡を確認する。望むものはなく、すぐに仕舞った。


(さっさと帰って、あいつの情報集めないと……)


 二日前、月神の器の所有者である更科都季が一夜に狙われた。それも、最初は都季の住むアパート近くに歪みを発生させていたとのことだ。

 魁、琴音、悠が応戦していたものの、一夜に圧されて魁が足を負傷。都季も刺されそうになったが、様子を見ていた刻裏が間に入って阻止した。その後、駆けつけた千早が能力で一夜から引き離したのだ。


(悠が記憶を視ても、琴音が声を聴こうとしても、都季を襲った理由は分からなかった。けど、あいつがそんなことをするはずがない)


 あの一件以降、局では一夜の捜索が行われていた。戦闘になった三人や、一夜が部屋に来て話したという都季にも話を聞いて。

 月神は「一夜の記憶に異常がある」と言っていたが、記憶を視られる悠がその異常の原因を見つけられないのだから厄介な状況だ。

 もはや、直接本人を捕まえるしかない。誰よりも先に。そして、原因を見つけなければならない。


(姉さんのためにも……)


 きっと、姉である紗智が今の状況を見れば悲しむだろう。月神が言っていた「第三者の関与」も気になるところだ。

 人が増え始めた校舎を出て、正門まで続く桜の並木道を歩く。道の両サイドに植えられた桜は、異常気象が起こっていたせいで五月下旬の今が見頃を迎えていた。

 千早は歩調は緩めず、周囲の学生達の会話を耳に入れる。小さな異変は噂から分かることもあるからだ。

 すると、正門まであと少しという所で、周囲の不審がる声に気づいた。辺りを見れば、学生は大半が並木の間に置かれたベンチにちらちらと視線を送っている。

 道を外れたそこは舗装がされておらず、地面のままだ。普段なら焦げ茶色の地面と所々に雑草が生えた素朴な場所が、今は散った桜の花びらのおかげで、薄いピンク色の絨毯が敷かれているようだった。

 何かいるのかとそちらに目をやり、思わず足を止めてしまった。


「なっ……!?」

「……久しぶり」

「なんで、ここに……!」


 周囲の目が声を上げた千早にも向けられる。だが、それに構う余裕はない。

 ベンチに座り、疲れたように空を仰いでいたのは、捜索されている一夜本人だったからだ。

 疲労困憊しきった様子なのは、追っ手から逃げてきたからではない。警邏部隊や調律師達に見つかったのなら、十二生肖である千早にも連絡が入る。しかし、先ほど確認した携帯電話には何もなかった。つまり、疲労の原因は他にあるはずだ。

 一夜に歩み寄り、警戒はしたままその理由を訊こうとした千早だったが、耳に入ってきた「あれって梛午さんじゃない? 知り合いかな?」という言葉に口を閉ざした。今、下手に話をすれば、周囲に幻妖世界の存在を知られてしまう可能性がある。

 戸惑う千早の様子を見て、なぜか一夜は少しだけ安堵の表情を浮かべた。


「良かった。お前なら、誰かさん達みたく、出会ってすぐに殴りかかってこないだろうと思ってな」


 軽く言う一夜も、ここでの深い会話は望んでいなかった。

 お前なら、という言葉に、千早は一瞬だけ顔を顰めた。

 梛午姉弟は一夜とは幼馴染だ。また、紗智と彼はほんの数年前にやっと恋人同士になった。だが、まるでそれが許されていなかったかのように、結ばれてすぐに紗智は命を落とした。

 互いをよく知る親しい仲だからこそ、千早を信頼して目の前に現れたのだろう。

 脳裏を過った光景を振り払い、抵抗される前に一夜の右腕を掴む。ここで話ができないなら、場所を移すしかない。


「局に行こう。顔色が悪いのは、どこかケガをしているからか? 治療ついでに、いろいろと話したい」

「いや、その必要はない」

「お前にはなくても、俺にはある」


 右腕を掴む手に力が籠もる。ここで逃がしてはいけないと、受け継いだ宝月越しに亡き姉が訴えているような気がした。

 すると、一夜は腕を掴む千早の手首を掴み返し、真っ直ぐに目を見据えて言った。


「俺に構うな」

「一夜……?」


 相手を突き放す冷たい言葉のはずが、言っている本人の表情のほうが辛そうだ。誰も傷つけたくないと怯えているような目は、空き家で見たときとは様子の違う、千早のよく知る一夜のものだった。


「更科都季に伝えておけ。俺は、もう自分を制御できない。次、会ったときは他に任せて引っ込んでろってな」

「『制御できない』って……」

「もちろん、お前も。俺はお前だって傷つけたくないんだ」


 意味が分からず怪訝な顔をする千早だが、腕を掴む力が弱まった瞬間に手を振り払われて数歩下がる。

 一夜はベンチから立ち上がると、「悪い。今の俺は、少しおかしいんだよ」と自嘲じみた笑みを浮かべて木々の奥へと姿を消した。その足取りはどこか覚束なく、今にも倒れてしまいそうだ。

 だが、千早には後を追うことができなかった。


「……なんで、話してくれないんだよ」


 振り払われた手を、無意識の内に強く握りしめる。手首につけている赤い宝月は、先ほどのように意思を伝えてこない。

 会えば、話ができると思っていた。自分なら、一夜も話してくれるのではないかと淡い期待を抱いていた。

 だが、現実は違った。一夜は千早と話すために現れたのではなく、伝言を預けるために来ただけだ。「構うな」という言葉も、都季への意味では『懇願』だろうが、千早への意味としては『拒絶』だろう。


「俺じゃ、力不足なのか……?」


 胸の苦しさに目を閉じれば、思い浮かぶのは紗智と一夜の話す姿。十二生肖や裏支の中でも特別親しかった二人は、何かあれば互いに話し合っていた。間違っていれば指摘し、喧嘩をしてもいつの間にか元に戻っている。

 そんな二人の関係が羨ましくもあり、誇らしくもあった。だからこそ、紗智がいなくなったときの喪失感はとても大きく、どうすればいいのかと困惑した。

 連絡を受けた母は泣き崩れ、父も沈痛な面持ちでその肩を抱いていた。

 そして、父は壊れてしまいそうな心を必死に抑えながら、突然の姉の訃報を受け入れられずに茫然としたままの千早に言った。


 ――先代から、指名が入った。十二生肖、午の後任は……お前だそうだ、千早。


 十二生肖の任命は原則断れない。唯一、今代の十二生肖を選定する際に辞退した者はいたが、それは辞退したその者の身体を考慮されての特例だ。

 月神が何を思って特例を認めたかは分からないが、選び直された者は自分でいいのかと戸惑いつつも拝命していた。

 局に向かうとき、父は「どうして、お前なんだ」と涙声で言っていた。抑えていた感情が決壊し、母と共に崩れ落ちた光景は今も鮮明に思い出せる。

 父は、決して千早が力不足だと言っていたわけではない。どうして、大事な子供を再び命の危機に晒さなくてはいけないのだと嘆いていた。

 両親の想いをひしひしと肌で感じた千早は、生まれて初めて、自分の強い意志を二人に告げた。


 ――姉貴ができなかった分、俺が変わりにやる。だから……俺に、やらせてください。


 両親に告げた言葉は偽りではない。紗智は昔から千早の憧れであり、誇れる姉だ。彼女の後を継ぎたいと純粋に思ったからこそ、十二生肖の後任を引き受けた。

 口下手な千早に対し、彼女は人付き合いも上手く、周囲への気配りもできる人だった。

 千早は彼女の代わりを果たそうと、形からでも近づこうと髪を伸ばした。口下手はなかなか直らないが、姉の行動を思い出しながら自分なりに周囲のサポートをしてきたつもりだ。


(どう足掻いても、俺は姉貴にはなれない。それは、分かっていたはずなのに……)


 一夜は局を離れる前日、「局の現状って、他と比べたらどうなんだろうな」とぼやいていた。しかし、彼の異変に気づけなかった千早は「さあな」と軽く流してしまった。局を外から見るために離れたと聞いたときは、なぜ止めなかったのかと、なぜ話をもっと聞かなかったのかと自分を責めた。紗智だったなら、彼の異変に気づいていたのではないか、と。

 一夜を探そうとしても、月神と茜に「しばらく放っておいてやれ」と言われて従うしかなかった。

 後悔してももう遅い。それでも、上手く立ち回れない自分に腹が立った。

 再び込み上げてきた自身への憤りを押し込めるよう拳を握りしめたとき、ふと、一夜が言った言葉を思い出す。


「『制御できない』……?」


 その言い方に嫌な予感が過ぎった。彼は『血統者』ではなく、『転生者』だ。

 しばらく思案していた千早だったが、何かに気づくとすぐに炎で自身を覆い、その場から姿を消した。「ある人物」に会うために。

 千早の影が薄いこともあり、人一人が一瞬にして姿を消したにも関わらず、周囲の学生は何事もなかったかのように帰宅していた。

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