第3話 分神


 室内は廊下の明るさに比べると随分暗いが、互いの姿が見えるくらいには明るかった。

 部屋の端には青い光を灯したいくつかの灯篭が等間隔で置かれ、光源の一つとなっている。

 正面には大きな祭壇があり、そこには丸い鏡と、手前に紫の小さな座布団があった。恐らく、その座布団の上に、月神の器であった水晶玉が置かれていたのだろう。


「う、わ……すごい。地下にこんな場所が……」

「都季。ちょっと横に」


 静かな広い空間に唖然としていると、扉を閉めた魁が都季の肩を軽く掴んで少し横に移動させた。

 祭壇の後ろに見えたのは四つの灯篭と、その灯篭を麻紐で繋いで囲いを作った中にある一本の若い木だ。


「前に見たことあるだろうけど、あれが人間界にある『神降りの木』だ」

「あれが……?」


 以前、管狐に幻妖界へ連れて行かれた際に見た木よりもかなり細く、背も都季よりはずっと低い。

 今にも折れそうな太さの幹に、本当に幻妖界で見た物と同じかと思った瞬間、枝についた葉が淡く光を放った。

 それと同時に、魁達は都季から数歩下がる。


「え?」

「お前はそこで大丈夫だ」


 魁達に倣って動こうとした都季だったが、制されたことでぴたりと止まった。

 何事かと困惑する都季に反して、表情を引き締めた魁の声音は慣れた様子だ。

 木から放たれる光は粒子へと変わり、ゆったりとした動きで手前に流れ出す。何かを形作ろうとしているのか、意思を持ったように宙で動いている。

 都季の肩にいた月神も落ちついた様子のまま、幼い子供サイズにまで大きくなった光に向かって話しかけた。


「留守中、変わりはなかったか?」

「はい。問題ありません」

「わっ!?」


 都季が声を上げたのも一般人であれば普通の反応だ。光の塊から、一回りほど小さな少年が二人も出てきたのだから。

 どちらも白い着物に紺の袴姿の、よく似た顔立ちをしている。ただ、髪や目の色は反対色だが。

 少年達は都季の前で片膝をついて頭を下げる。

 月神の問いに答えたのは、黒のショートヘアーに濃紺の目を持つ少年だ。表情に感情の色が見えず、幼い容姿ながら落ち着いた印象を与える。

 もう一人の、白のショートヘアーに深紅の目をした少年は、黒髪の少年が答えるなり早々に月神を見上げた。都季を観察しているのか、はたまた月神が小さいことに驚いているのか、きょとんとしている。


「都季よ。こやつらが我が分神の――」

「わぁ! 気配はやっぱり結奈と同じだ!」

「え?」


 きょとんとしていた白髪の少年は、突然、顔色を輝かせると感動にも似た声を上げて都季に駆け寄った。

 珍しい物を観察するように周りを回る少年に困惑する都季を見て、黒髪の少年がそれを窘めた。


「こら、朝陽あさひ。失礼だぞ」

「でもさ、夜陰やかげもそう思わない? この霊力は結奈とそっくりだし、雰囲気は和樹にそっくり! いいなー。僕も都季と一緒がいいなー」

「無茶を言うな」


 どうやら、先ほど悠の言っていた「月神の無邪気さを二割増しにした感じ」というのは、「朝陽」と呼ばれた白髪の少年のことのようだ。

 彼が「夜陰」と呼ぶ黒髪の少年は大人しく、都季にくっついた朝陽に反して距離を保ったままだった。


「どうしよう、つっきー」

「これこれ。お前ら、少しは落ち着かんか」

「はーい」

「申し訳ありません」


 右腕にしがみつく朝陽を引き剥がすことも良心が許さず、都季は助けを求めるように肩の月神を見る。

 彼の一言ですぐに離れた辺り、朝陽は聞き分けはいいようだ。夜陰に至っては朝陽の代わりに謝っている。


「本神に似てますね」

「おい」


 少し距離を離して待機する魁達が助けてくれる様子はない。月神の力を分けられた幻妖とはいえ、今まで月神に対してもここまで距離を置くようなことはなかったはず。

 悠の吐いた言葉は相変わらずだったものの、何故、控えたのか。

 その疑問に答えてくれたのは、近くにいる朝陽だ。

 彼は三人を見ながら言った。


「顕現したばかりは僕達も霊力が満ち溢れてるし、今は『全員』いるからね。力に当てられて、自然と怯んだんじゃないかな? 僕達だけなら普通だし」

「暫くすれば僕らも慣れますが、都季先輩には月神がいるので、最初からそんなに感じないんだと思いますよ」

「確かに、実感はないなぁ……」


 そもそも、霊力をまだうまく感じ取れないのだ。

 昨夜、月神の力を具現化した際に何かが抜けていく感覚はしたが、あれが霊力というものなのだろうか。

 月神は「訓練せねばならんのぅ」と呟いて都季の肩から飛ぶと、夜陰の隣で空中に浮いたまま停止した。


「改めて紹介しよう。我が分神の夜陰と、その白いのが朝陽だ。先も言っていたように、二人とも我の力から生まれた幻妖でな。彼らに届けられた言葉はすべて我に届き、助言はすべて我が意思と同等だ」

「ご紹介に預かりました、夜陰と申します。『父』が局、もしくは人間界に不在の際は我々が代行をしておりますので、以後、お見知りおきを」


 月神の後ろで、夜陰は恭しく頭を下げた。

 姿はそっくりな二人だが性格は正反対だ。朝陽を見る限りでは悠の「本神に似てますね」発言も全否定はできない。

 ただ、夜陰の言動は一体、月神のどこを受け継いでいるのかと都季は内心で首を傾げる。真面目な話をすることもあるが、その部分だけを切り取ればこうなるのだろうか。

 何にせよ、月神が安心して局から離れられるのはこの二人がいるからだ。性格はともかく、仕事面で問題はないのだろう。

 それでも、都季は払拭できない違和感から、思わず月神をまじまじと見てしまった。


「父……」

「外見だけを見れば親子のようだと、調律師が言うたのを二人が気に入ったのだ」


 元は一つの存在を『親子』と称するのは難しい。外見だけを見れば、とはいえ、今の月神のサイズからしてそれも微妙なところだ。

 納得しかねていると、隣から正面に来た朝陽が笑顔で都季の両手を握った。


「都季のことは父様を通じて知ってるよ! よろしくね!」

「よ、よろしく」


 掴んだ手を上下に大きく振る朝陽に、違和感を覚えるどころかどう反応すればいいのか分からず、曖昧に返事をしてしまう。

 しかし、朝陽は満足したようにはしゃいでいるので、この返しは正解だったとみていい。

 満足した朝陽が都季の手を離すのと、部屋の扉が開かれたのはほぼ同時だった。


「おっ。もうこっちに来てたか」

「虎兄! ……えっ。大丈夫、か?」

「迷惑かけて悪かったな! このとおり、すっかり治ったぜ!」


 入って来た人物に真っ先に気づいた魁が声を上げれば、青年、紫苑は笑顔で片手を挙げて返した。ただ、その腕やら顔にはガーゼや絆創膏が貼られており、とても大丈夫そうには見えないが。

 無邪気な笑みを浮かべる紫苑だったが、その頭は背後から誰かの手に掴まれた。


「いでっ!?」

「なーにが、『治ったぜ!』だ! さっきまで訓練所の畳の上でわーわー喚いてた奴が!」

「痛い痛い! 茜、痛いって!」


 紫苑の頭を後ろから掴んだのは、彼を迎えに行っていた茜だった。

 茜は身長こそ都季と変わらず、女性としては長身の域に入る。

 だが、紫苑はそんな茜でも少し見上げる必要があるほどだ。

 そんな紫苑が茜と並ぶとどこか小さく見えてしまうのは、その力関係にあるのだろう。

 掴んだ手に力が加えられて悲鳴を上げる紫苑を見て、悠は呆れたように息を吐いてから言った。


「イノ姐がまた無茶させたんじゃないんですか?」

「させてねーよ。大体な、月守っていう自覚が貴様には足りてないんだ。なに簡単に突破されて月神持って行かれてんだよ貴様はぁぁぁ! ケガしてたんだから、相応の対策は事前にしろ!!」

「ぎゃああぁぁぁぁ!」

「これ、茜。よさんか」

「うるさーい」


 さらに大きな悲鳴を上げる紫苑を見て、月神が耳を手で押さえながら茜を窘めた。

 都季の隣で、朝陽も月神と同じように耳を手で押さえている。

 広い空間での声は反響する。それが大声ともなれば倍増するのだ。

 理由が自己の耳のためとはいえ、紫苑も助かることになるので誰も止めはしなかった。

 茜の手から解放された紫苑の痛みが引くのを待ってから、改めて自己紹介をした。


「この間は助けてくれてありがとうございました。更科都季と言います。一応、つっきーの保有者らしいです」

「一応とはなんだ、一応とは」

「ははっ! すごいな。あだ名だし、月神と仲良いのか!」

「はっ! そうだ! お主、あまり人前で呼ぶなと言うておっただろう!?」

「だって、さっきも何も言わなかっただろ」

「うっ、ぐぅ……。仕方ないのぅ……」


 紫苑に指摘されて、やっと月神はあだ名で呼ばれることに馴染んでいたと気づいた。慌てて抗議の声を上げるも、今まで訂正していなかった分、強くは出られない。

 その光景を紫苑はまた笑った後、自身も名乗った。


「俺は十二生肖、“寅”の虎皇ここう紫苑しおん。普段は警邏部の奴らの鍛錬に付き合ったり、実家の道場手伝ったりしてるんだ」

「こう見えて、体術に関しては超一流なんですよ」


 武闘派というのは体格からもよく分かる。その道の人からすればまだ細身ではあるが、この中の誰よりもしっかりとした体つきだ。

 悠の「こう見えて」とは、恐らく性格や茜に負かされていることを指している。

 紫苑から戦闘時の護身術を習うのもいいかもしれない、と思っていると、彼は何故か顔色を曇らせた。


「今年の月神の守り手……俺達が月守って呼ぶものなんだが、それを今年は俺が担当してるんだ。だから、月神を持ち出された責任は俺にある。巻き込んですまない」

「そ、そんな……! あ、あの、俺はもう気にしてないので、頭上げてください!」


 頭を下げた紫苑に都季は慌てるも、月神や茜は顔色ひとつ変えずに黙って見ていた。

 すると、小さく溜め息を吐いた悠が言葉にやや呆れを交えながら言った。


「前にも言いましたが、今回の件は虎兄だけのせいじゃないですよ」

「そうそう。俺らだって油断してたんだし」

「皆に、責任あると思います……」

「お前ら……」


 悠、魁、琴音の言葉に、紫苑は胸に込み上げてきたものをぐっと押さえた。

 だが、それも優しく肩を叩いた茜によって崩壊することになったのだが。


「ちゃんと責任を感じてるならいい。……さっきはキツく言ったが、神木や分神が無事なのは、ハンデ背負った状態で一人でよくやった証拠だ」

「茜まで……っ!」

「泣くなバカ」

(どんな状況だったんだろう……?)


 右腕を目元に当てる紫苑を茜が軽く笑いながら頭を乱雑に撫でる。

 襲撃時、茜達は局にいなかったとは聞いた。

 分神も「力が安定していなかった」と悠が言っていた辺り、戦闘で普段どおりに動けたとは考えにくい。

 都季はその場面に遭遇したわけではないが、廃工場で襲ってきた数十人の破綻組や幻妖が脳裏を過り、思わず身震いをしてしまった。

 いくら戦う力を持っていたとしても、大人数相手では限度がある。

 そう考えたところで、都季はあることに気がついた。


「つっきーを盗んだのって、一人じゃなかったのか?」

「ああ。ここへの侵入は、虎兄や分神曰く十五人くらいだったらしい。陽動でこっちの数が減らされてたとはいえ、さすがに考えなさすぎだったな」

「で、逃げ延びた一人に、まんまと持ってかれたってわけだよ」


 現在、襲撃してきた破綻者は全員が捕まっている。持ち出した破綻者は見つかっていないが、彼が生きていた痕跡はすべて消えているため、恐らく既に消滅したと見ていいだろう。

 だが、捕まったほとんどが会話の成立が難しいレベルに達しており、果たしてどういう経路で侵入したのかはまだ分かっていない。

 地下への入口はエレベーターの一箇所のみ。大人数でエレベーターに乗り込むのは困難であり、スムーズに侵入できた彼らにはまるで他の経路があるかのようだった。


「そういや、侵入経路は割り出せたのか?」

「いえ、まだです。ただ、エレベーターから、なんて正面突破はありえませんし、可能性としては、こっちにもいますけど、『空間移動』の能力を持つ依人がいるのかもしれません」


 能力を弾く結界はあるものの、それすらも弱まっていたならば、僅かな隙間から侵入された可能性は十分にある。

 取り調べには悠や琴音も参加しているが、そもそも自我のない破綻者の記憶など曖昧なものが多く、心も周囲への恨みばかりでまともな情報が得られていないのだ。そうこうしている内に消滅してしまった者もいる。

 悠の出した可能性に、琴音は不安げにぽつりと呟く。


「更科君、一瞬で連れてかれそう」

「我がおるではないか」

「あ、そうでしたね」

「忘れるな!」


 わざとなのか本当に忘れていたのか、悠の反応は際どいところだ。

 襲撃者が全員捕まったとはいえ、また次があるかもしれないと思うとそう簡単に安心はできない。そもそも、都季が月神を持つ以上、狙われる危険性は局にあるときよりもずっと高くなるのだ。

 だからこそ、魁達が護衛につくと言ってくれたのだが。

 すると、気持ちを落ちつかせた紫苑が都季を見ながら、顎に片手を当てて首を傾げた。


「でも、月神の器が移ったなら、月守の仕事は減った感じか?」

「アホか。力の安定のために神降りの木へ力を送ることも仕事だ。都季の警護はこいつらが同じクラスだからやらせるが、お前もいざとなったら動かなきゃいけねーんだよ」

「なるほど」

「だからって無茶するんじゃねーぞ」

「茜、優しー」

「調子に乗んな」


 茜の心配する言葉にへらりと笑みを浮かべるも、すぐに軽くあしらわれた。

 それを苦笑しながら見ていた都季は、朝陽に袖を引っ張られて彼の目線に合わせるように腰を曲げる。

 近づいた耳に、朝陽が内緒話をするように手を当てて言った。


「紫苑ね、茜が大好きなんだって」

「へ?」

「前にね、“酉”の子がそう教えてくれたんだ。それに、ちょっと前は『姐さん』って呼んでたのにね、最近は名前で呼んでるもん」

「…………」


 悪戯をした子供のような笑みを浮かべて離れた朝陽を、思わず固まって見つめてしまう。

 この少年は今、何を言ったのか。

 意味を反芻したところで、色恋にはあまり興味を持たない都季でもさすがに驚いた。


「え!? あ、あの茜さんを……?」

「紫苑はね、『茜を守れるくらい強い男になるんだ』って、よく言ってるよ」


 ちら、と茜と紫苑を見れば、確かに、茜に何を言われても紫苑は笑顔で受け答えしている。そして、心配されたときの表情は何よりも嬉しそうだ。

 その理由を思い知った瞬間、顔が熱くなって目を逸らした。


「う、わ……!」

「なぜお主が照れる」

「ねえねえ、夜陰。これが『うぶ』ってやつ?」

「恐らくな」


 子供にからかわれるのは納得いかないが、慣れていないのだから仕方がない。

 呆れ顔の月神、ニヤニヤする朝陽と真顔の夜陰を前に、都季は敗北を感じた。


「“猫”と前任の“午”も良い仲だったよね」

「「「「「!!」」」」」

「……朝陽。その名前は今は慎め」


 朝陽の出した単語に周囲の空気が凍りつく。

 思い出したように口を手で押さえた朝陽に、夜陰が溜め息混じりに注意をした。

 しかし、凍りついた空気がそう簡単に溶けるはずもなく、全員が視線をさ迷わせたり床に落としたりしている。

 唯一、意味の分からない都季だけがそれぞれを順に見て首を傾げた。


(なにか、あったのか……?)


 疑問を確信に変えるには十分な空気だが、訊けるような空気感でもない。

 誰もが口を閉ざした静寂な空間に、茜の溜め息がやけに響いた。

 そちらを見れば、彼女は全員に背中を向けて出入り口に向かいながら言った。


「用が済んだならさっさと行くぞ」

「行くってどこにですか?」

「どうせ学校は休みにしたんだし、ここの東館は訓練所なんだ。せっかくだから鍛えてやるよ」

「え」

「嫌とは言わせねーからな」

「えええ……」


 空気を変えるためとはいえ、唐突なその提案に気持ちはまったく乗らなかった。まだ昨夜の疲労も抜けきっていないのだ。

 それでも拒否権を与える気がない茜によって、引き摺られるようにして部屋を後にした。

 扉が閉まり、二人だけになった空間で朝陽は夜陰に向き直って言う。


「結奈達がいなくなって寂しくなったけど、また楽しくなりそうだね」

「そうだな」

「“猫”も帰って来てくれるかなぁ?」

「……それは分からないな」


 寂しそうに呟いた朝陽の頭を撫でてやる夜陰も、どこか辛そうな顔をしている。

 二つの世界を繋ぐ神降りの木が、朝陽と夜陰を慰めるかのように柔らかい光を発していた。



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