第14話 6月21日

 仙谷中の運動会の翌日、俺は学校から離れた飲み屋街で遅めの夕食をしていた。一人暮らしの身の上だが、自炊はあまり行っていない。代わりに、週に何回かお気に入りの赤ちょうちんの店に入り、一人酒を楽しんでいる。この店は落ち着いて飲める雰囲気が好きになり、何度か足を運んでいる。今日は休日ということもあり、普段の落ち着いた雰囲気を残しながらも、店内は満員に近い状態でざわついている。勤め先から少し離れた街にある店のため、サラリーマン風の客が多い。


 教師は自分の勤める学校の学区ではあまり飲みに出ない。うっかり生徒や保護者の顔を合わせたくないからだ。生徒も生徒で自分たちとは学校以外では会いたくないだろうし、きちんと住み分けをする必要がある。

 だが、酒を飲める場所というのは限られている。すると、今度は教師同士が学区外の居酒屋でばったりで出くわすということがしばしばおこる。

 俺が2合目の日本酒を注文していると、入り口のドアががらりと開き、徳島校長が姿を現した。

 学校以外の職場にも言えることだろうが、上司との飲みほど気が重いものはない。もちろん、どんな上司かにもよるが、校長は会社でいうところの社長だ。平社員が社長と二人で飲む姿を想像するだけでどれだけ気を使わなければいけないか分かろうというものだ。

「おや?昭和さん。こんばんは」

 俺の姿を見つけ、少し驚いたように俺の名前を呼ぶ。

 学校外では「先生」と互いに呼びあわないようにしている教師は多い。公務員……とりわけ教師への風当たりが厳しい昨今、無用なトラブルを避けるため身分を明かさないように気を付けている。

「挨拶が遅れてすいませんでした。この店、何回か来ているんですよ。会長もよくいらっしゃるんですか?」

「ええ。月に1回程度ですが」

 以前から校長には外で会ったら会長と読んで欲しいといわれていた。確かに役職名のある人を外でいきなり「さん」づけで呼ぶことには少々抵抗があるため、ありがたい。

「自分は週に何回か来ています」

 周りを見渡すとカウンターは俺の隣以外は空いていない。

「隣、いいですか」

「どうぞ、どうぞ」

 俺は椅子をずらして校長が入るスペースを作る。

「ありがとうございます。……とりあえず、ビールを」

 ちょうど近くにいた店員に校長が注文をすると、数分と待たずに酒とお通しが運ばれてくる。

「では、乾杯」

「乾杯」

 カツンとグラスがぶつかり合う音が響く。俺は一気にお猪口を煽る。

「あはは。いい飲みっぷりですね。でも、飲みすぎないでくださいね」

 校長は徳利を取る。

「……失礼します」

 上司から手酌……。社会人マナーとしてどうなのだろうか?

 そんなやり取りをしていると、俺が注文した料理が運ばれてくる。

「こちら、季節のてんぷらです。左から若鮎、ソラマメ、蛤、海老、ベビーコーンです」

「お、おいしそうですね。少しいただいてもいいですか?」

「どうぞ、どうぞ」

 二人で熱々の蛤のてんぷらを口に入れる。

 サクサク軽快な触感と旨味が口の中に広がる。これは酒が止まらない。

 美味しいつまみを片手に酒を飲み進めていると互いにだいぶ酔いが回ってくる。

「ところで、昭和さん。最近のグラウンドの線はとても歪んでいると思うのですが、どうにかなりませんかね」

 校長は笑いながら言う。

「いや~、自分が不器用なのか中々上達しなくって」

「心に迷いがあると線が歪むんですよ。何か迷っていることがあるんじゃないんですか?」

 そんな精神論でライン引きはうまくならないだろうと思いつつ、最近、気になっていることを話す。

「……本当は子どもの話をこういう所でしてはいけないんですが……」

 個人情報を飲み屋でべらべら話すわけにはいかない。

「小さい声でね」

 上司の許可が出たため、続ける。

「ナルが友達とトラブルを抱えているようです」

 俺はこれまでの顛末を簡単に説明した。

「中学生にもなれば子ども同士のトラブルは基本的に自分たちで解決すべきだと思ってます。教師の介入は最終手段です」

 中学生にもなればそれなりに複雑なコミュニティーを作る。そこに教師が介入するときは細心の注意を払わなければいけない。

「しかし、今は具体的にどんなトラブルになっているか自分も把握していませんが、それほど大きなものではないようです」

 俺は言葉を続ける。

「このまま、静観をすべきか、ナルと話し合うべきか迷っています」

 校長は俺の話を頷きながら黙って聞いていた。

 ビールの入ったグラスを飲み干すと、口を開く。

「自分がこの業界に入って最初の失敗の話だが……。初めて担当した子どもはたちは視覚障害でね、校外に勉強に行くときは点字ブロックを頼りにしていたんだ。そのとき私はブロックの上に自転車などがあるときは律儀に退かしていた。通行の邪魔になるからね。しかし、僕の担任していた多くの子は白杖を使ってちょっとした障害物なら問題なく回避できたんだ。むしろ、普段から目の見えないことで人に気を使わせ過ぎてしまうことを悩んでいた生徒も行いたんだ。『障害者だから』と決めて接してしまっていたことで生徒の本当の悩みに気が付かなかったんだ」

「つまり、健常者と同じように接するべきところは接するべきだと」

「そのとおり。ただし、往々に障害のある人の悩みは障害に起因することが多い。健常者と同じようにしているだけでは悩みの原因までたどり着かないこともある」

「健常者の生徒では取らない対応も時にはすべきだと?」

「時にはね」

 う~む。難しい。

「余計悩ませてしまいましたか」

 校長は苦笑する。

「私はナルさんに直接、話を聞いてみるのがいいと思いますよ。どんなトラブルでも原因を把握することは必要ですし、担任が「友達とうまくやってるか?」と心配することも普通のことです」

「そですね。あまり気負わず話を聞いてみようと思います」

 俺はそう決心すると、残りの酒を勢いよく飲み干した。

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