第8話 4月10日

 俺は大学時代、史学科に所属しコツコツと単位を取っていた。いたって普通の……まじめな学生だったと思う。そのせいか、単位はいわゆるフル単(全単位を落とさず取ること)で、もう少し単位取ると教員免許もとれるという状況になった。そして、「教育実習はめんどいけど、まぁ、貰っておけるものはもらっとこう」という実に打算的な理由で中学校の社会科の教員免許状を習得した。

 教師になるつもりもなかったが、就活でなかなか内定が出ず、とりあえず受けた地元の教員採用試験に受かってしまった。人生は分からないものである。

 つまるところ、俺は大きな情熱を抱いて教師になったわけではない。

 しかし、やってみると生徒にああなって欲しい、こうなって欲しい、などという欲が出てくる。教師に理想を押し付けられることほど生徒にとってウザいものはないだろうが、ついついしてしまう。反省である。

 そして、現在、大平ナルにも俺はこうなって欲しいという願いを持ってしまっている。


「もう少し勉強をして欲しい。」

「ん?」


 ナルは昨年度末、体調不良のため期末テストを受けていなかった。そこで、一番最初の授業で実力を見るために小テストを実施したのだが……。

「消費税より低い点数を見たのは久々だぞ。」

「照れるね。」

「恥じろよ。」

 まぁ、仕方のない部分ではある。ナルは体の痛みに加え、歩行などのリハビリもあるため、学習時間は多くとることはできない。むしろ、得意教科では入院のハンディを感じさせない点数を取っている。

「社会って苦手なんだよね。こう、理屈っぽくないところ?なんで、工業地帯と工業地域をわけるの?なんで桂小五郎が木戸孝允になるの?そもそも何?『卍』って。神社とか病院みたいに見たら「なるほど」って思う地図記号にしてほしいな。クラムボンくらい意味が分からないよ。」

「やかましい。」

 クラムボンは俺だって知らん。

「教師の役目は生徒の純粋な疑問には誠意をもって答えて、勉強をもっと好きになってもらうことだ。俺も教師として泣いたり笑ったりできなくなるくらい社会科の楽しさを生徒に伝える義務がある。」

「絶対楽しさを伝える気ないよね?」

 ナルの抗議は聞かなかったことにする。

「社会科が嫌いな理由の中に、実生活ではあまり使わないというのがある。確かに英会話のように覚えれば外国の人と話せるといった分かりやすいメリットはない。桂小五郎が木戸孝允になったところでナルの人生には大きく影響はないかもしれない。」

 社会科を何のために学ぶか、それは教師でも答えることが難しい。

「しかし、社会科は将来に必要な『一般常識』が多く詰め込まれている。ナル、お前は『一般常識』のレベルの知識が不足している。

「そうかな?」

「例えば……ナルが結婚できるのは何歳だ?」

「20代前半でしたいな。ほら、子供早く生みたいし。」

「将来の夢を語れとは言っていない。法律上の日本人女性の結婚可能年齢を聞いてるんだ。」

「なに?私の結婚に興味があるの?先生があと10年若ければ考えてあげる。」

「俺が興味あるのはナルの成績だけだ。」

 だいたい、10年若ければ俺も結婚できねぇじゃねーか。

「答えは16歳。ちなみに男が18だな。」

「そうそう。こうゆーのが訳分かんないんだよ。選挙権だ、酒だタバコだ、何だかんだ、いろいろと年齢が違いすぎるし。同じ年齢にしてよ。覚えにくい。そもそも、男と女で結婚できる歳が違うっていうのは男女ビョードーに反するんじゃない?」

「せめて、男女平等の意味を正しく理解して言ってんのか?」

「ん?よく分からないけど?」

 それが何か?という顔で挑発してくる。

「よし。今日は基本的人権についてみっちり指導してやろう。」

「ギャー!!漢字5文字以上の用語は脳みそが受け付けないの~。」

 それは脳みその容量が小さすぎだろ。

 そう思いながらナルの手元にある教科書をとり人権に関する該当部分を開く。

「はら。ここを音読だ。」

「え~。」

 ボヤキながら彼女は教科書を受け取る。

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