第6話 4月2日
「へぇ~。転勤初日からそんなことがあったんですね。」
弁当をかき込む雪乃先生に俺は昨日の顛末を話した。
現在、昼休み。小中学校の類にもれずこの学校にも給食がある。しかし、当然だが長期休業中……春休み、夏休み、冬休みに出勤しても給食はない。そこで、教師の昼飯事情は大きく3つに分かれる。外食組、弁当組、コンビニなどへの買い出し組である。俺は出勤前に買ってきたため、弁当組の雪乃先生を誘い、中庭でランチタイムを過ごしている。
最初は他愛もない世間話だったが、ふと昨日の出来事の話になった。
「ええ。ナースステーションに行ったら、慌てて医師が走っていきました。自分も追おうとしたのですが、看護師に『よくあること』と止められたのです。」
俺もコンビニで買ったおにぎりにかぶり付く。
「あ~……大平さんですね。また、一人でガマンしていたんですね。」
「……知っている生徒なのですか。」
「この学校、クラスのわりに生徒の人数は少ないです。あまり関わりがなくても顔と名前くらい知っているって子どもは多いですよ。でも、大平さんは特別ですね。なにせ私は彼女の去年の担任ですから。」
「ぶっ……えぇ!?」
俺はシャケおにぎりを噴き出しそうになる。
「後で引継ぎをする予定でしたよ?でも、昭和先生は行動が早いですね。もう、顔見せに行ったなんて。」
「いやいや、顔を合わせるつもりはありませんでしたよ。校内を散策するついでにちょっと様子を伺えれば……とは思いましたが。と、言うか、妹さんは会ってくればいい、と言っていましたよ。」
やはり、
「生徒も教師も昨年度からの顔見知りなら、『今年はよろしく!』とクラス発表前に言いに行く人はいますが、新任では聞きませんね。」
……そうなのか。
「でも、幸は教師観が独特ですからね。」
……教師観?教師としての考え方とか信念だろうか。
「と、言うと?」
「幸はA組やB組……いわるゆる重度重複障害のクラスになることが多かったんですよ。そうしたクラスの子は医療の発達した現在とはいえ長命でない場合も多いです。幸のロッカーにはいつでも使えるよう喪服が入っていましたし、事実、年に数回は使用していました。そうした経験から少しでも生徒と長くいたいという思いがあるのかもしれません。」
自分の担任した子供が死ぬ……考えただけでも鬱になる経験だ。
「でも、大平さんは生死がどうこう、という病気ではないのでしょう?だったら自分はゆっくり関係を作ります。」
のぞき見をしようとした分際で何を言っているのかと自分でも思うが、本音だ。
「……ええ。個人的には正解のあるものではないと思っていますが、昭和先生の思うようになさればいいと思いますよ。」
「プロフィールを読んでいますが、大平さんは病気そのものというより、術後の痛みに苦しんでいるようですね。」
俺は何度目か分からないが、手元の紙に目を落とす。
病気自体は完治……とまではいかないものの命の危険がある状態ではないようだ。しかし、命をつなぐために切断した足が問題になっている。彼女はひざ上5センチから先の足を切断した。術後痛みを伴うのは多くの患者が経験するものだが、病気の完治していない部分が悪影響を及ぼし、長期にわたる激痛になっている。
俺は痛みに苦しむ彼女の姿を見ている。それは幼い子供にとってどれだけ負担なものだろうか想像に難くない。
この痛みは日々一定の間隔で起こっているようだ。耐えがたい痛みが毎日、毎日……彼女は精神的にも衰弱していると書かれている。
「大平さんの病状に関してはプロフィール表に書かれていることと、私の知っていることに大差はないです。なにせそれは私が作ったものですからね。」
俺は少し驚き、用紙に目を通す。すると隅に小さく『作成者:真田雪乃』と書かれていた。
……なんで気づかなかったんだろう。
「私が口頭で伝えることができるのは彼女の人となりについてです。」
いつの間にか弁当を完食した雪乃先生は、弁当箱を片付けながら話を続ける。
「病気が発症したのが今から3年前、足の手術に踏み切ったのはそれから半年後のことだったらしいです。そのころから痛みに悩まされ、小学校の卒業式にも出ることができなかった彼女はかなり不安定でした。感情の起伏が激しく、ちょっとしたことで鬱になって沈んでしまいます。特に人と関わるのが苦手で、あまり長時間一緒にいると不安定になるため、大平さんに接する人は極力、刺激しないようにしているように心がけているようです。本来は第2校舎に登校できる生徒なのですが頑なに病室から出ようとしません。」
「なるほど……。病気というよりも心のコントロールが難かしいと。」
「……はい。私も1年間を通して少しは心を開いてくれたとは思うのですか、まだまだ厚い壁のようなものを感じます。足の痛みについては特に触れてほしくないようで、一人で耐えて、助けを求めることはありませんでした。」
う~む。どうやら指導云々より彼女とは人間関係を作れるかが問題になってくるようだ。
「大平さんの好きなものとかあります?」
「手芸が好きで、私はそれで少し打ち解けました。」
手芸かぁ……。それはよくわからんなぁ。
「そもそも自分はこれまで女子生徒とあまり打ち解けたことがないんですよね。」
「あら?意外ですね。」
雪乃先生は目を大きくして驚く。
「中学生だとある程度距離感のある人間関係が必要かな、と思っていまして。教師にあれこれ言われるのってウザいでしょ?」
「え~と……そうかもしれませんね。」
「特に女子は自分には理解不能な部分が多くて」
「中学教師とは思えないセリフですね。」
少し呆れられてしまったかな、と彼女の顔色をうかがうが、不快そうな様子はないため、話を続ける。
「思春期って難しいです。特に集団になると。」
その点男子は分かりやすくていい。同性ということもあるのだろうか、単純で読みやすい。
「とは言え、マンツーマンの授業になりそうですし、少しは距離を近づけておきたいところです。ほかに趣味とか何かあったりします?」
「う~ん。それに書いてあること以上のものは……」
プロフィール表に目を落とすが、興味の欄には「手芸、裁縫、少女漫画」など俺とは縁遠いものが並んでいる。
「おや?」
じっくり見ているとあることに気づく。
「写真が私服ですね。こういった書類の写真って制服じゃないんですか?」
「大平さん、制服が嫌いなんですよ。買ってはあるんですがほとんど着ません。」
「う~む。」
俺は頭を抱える。
「でも、昭和先生には私、期待しているんですよ。」
「本当ですか?」
こんな新人に?
「ええ。ここにきてから担任はずっと女性だったんです。異性の先生との関わりが変化をもたらすかもしれません。」
「……異性だと余計壁を作りそうですけど。」
「それは昭和先生の手腕次第です。」
そう言って雪乃先生は席を立つ。
「頑張ってくださいね。」
そう微笑みかけて職員室に戻っていった。
「……どうしようかなぁ」
俺はコンビニ袋を片手にしばらくその場に座り込んでいた。
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