第3話 4月1日
数か月後。
俺は新天地へと足を向けていた。県の中心部より約20分、閑散とした田園地帯にポツンと建つ大きな建物が目に入る。カーナビを確認するとこの建物が目的地のようだ。
「本当にここでいいんだよな?」
車のウィンドウを開け、看板を確認する。
幅7メートルほどある横長の看板には『県立あおい病院』と書かれていた。その上、赤を基調としたモダンな建物は少なくとも学校のようには見えない。
4月なのにまだ寒さ残る風が吹き込んできたため、俺は急いでパワーウィンドウのスイッチに手をのばした。
「……ん生……昭和先生~!」
ウィンドウが閉め切る直前、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。声のする方を向くとブンブント手を振る人影があった。ハンドルを1周し、車の方向を変える。
「昭和先生ですよね?」
そう尋ねた声の主は30代くらいの化粧っ気のない女性であった。
「ええ。交流できました。今年度はよろしくお願いします。」
俺は車中から軽く会釈する。
「ようこそ。あおい特別支援学校へ。こちらこそお願いします。」
女性もつられて頭を下げる。
「ここは救急車搬入口の近くなんです。ちょっと移動しましょう。」
車を先導するため、手を振りながら移動する。
「なんで学校に救急車用の入口があるんだ……」
俺は誰にも聞こえないように呟いた。
ひび割れたコンクリートに擦れた白線が引かれた駐車場に着くとエンジンを止め、車を降りた。
「改めまして、こんにちは。私は
長い髪を揺らしながら話しかけてくる。女性教師の多くはおしゃれに気を使わないが、雪乃という教師も類にもれずサイズの合わないジャージに身を包んでいた。
「初めての特別支援学校で分からないことが多いと思います。色々教えていただければありがたいです。」
「はい。こちらこそよろしくお願いします。」
彼女は長い髪をかき上げ、微笑む。
そして、反転して歩き出す。
「まずは職員室に案内しますね。道すがらこの学校の説明をいたします。」
俺は校舎に向かう雪乃先生の後ろを追う。
「昭和先生が入ってきた入口が学校の正門になります。ですが、救急車や病院の来院者も使うので明日からは裏門から車を入れて下さい。実は裏門を通った方が校舎は近いんですよ。」
そんなところ正門にするなよ……と内心で思う。
「校舎って……あ、プールもあるんですね。」
まったく建物に校舎の要素がないと考えたがよく見るとプールらしき施設がある。まだ春先なので苔で水面が緑色に濁っている。
「身体に障害のある人でも入りやすいように設計されています。小さいですが体育館や運動場もありますよ。」
校舎の入口に着くと彼女は靴を脱いで下駄箱を指す。
「ここが教員用の靴箱です。昭和先生は下から2段目になります。」
指定された場所に靴を入れ、持参した運動靴に履き替える。
「この駐車場に一番近い校舎が職員室や図書室、特別教室がある第4校舎です。第1校舎からこの第4校舎も造りほとんど同じです。迷わないようにしてくださいね。全部の校舎は渡り廊下でつながっています。」
「第4校舎まであるんですか……。」
「小学部から高等部までありますからね。第1校舎は小学部、第2が中学部、第3が高等部になっていて、それぞれの教室があります。」
「じゃあ、私の受け持つクラスの教室は第2校舎にあるんですね。」
「えぇ~と……それがそうじゃなくて……」
彼女は言いにくそうに視線をそらす。
「もちろん、第2校舎に来ていただくことも多いと思いますが、先生の担当の生徒は通称、第5校舎にいるんです。」
「第5……まで校舎があるんですか?」
さっきと話が違う。
「まず最初に中学部のクラスについて説明しますね。中学部には学年がなくA組からF組までクラスがあります。となみに私はC組を担任しています。」
「1年生から3年生までが一緒に勉強しているんですか。複式学級ですね。」
田舎の学校みたいだ。
「A組は障害が一番重い子たちのクラスです。アルファベットが降順になるほど障害が軽くなっていきます。E組とF組に所属する生徒は病院に3か月から1年の短期で入院している子が多く、すぐに退院して通常の中学校に転校していくこともあります。昭和先生はそのF組の担任です。」
「生徒の入れ替わりが激しいクラスなんですね。」
短期間でどれだけ生徒と信頼関係が築けるかが勝負だな、と思う。
「そのF組が第5校舎にあるんですか?」
「いいえ。第5校舎というのはあおい病院の病室のことです。」
「病院?」
俺は眉をひそめて聞き返す。
「病状の問題で病室からほとんど出ることのできない生徒もいます。そうした生徒には訪問教育を行っています。訪問教育とは教師が病室に行って授業をするスタイルのことです。大抵は障害の重い1組や2組の生徒ですね。しかし、軽度障害であっても体調や諸事情で学校に出てこれない子どももいます。F組には3名そうした生徒が在籍しています。昭和先生にはその3名を担当してもらうことになります。」
「3人……だけ?」
いままで40人近くの生徒の担任だった自分は衝撃を受ける。
「ええ。さらに詳しいことは校長と学部の主任に聞いて下さい。」
雪乃先生が話し終わると同時に校長室の前に到着する。
「では、また後で……」
彼女は一礼をして校長室の隣にある職員室へ姿を消した。
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