第13話 愛を信じて生きてゆく(I believe love and live)

6月29日の土曜日、午後の4時30分ころ。


学生会館、西棟、地下1階、

音楽用練習室(B102)のドアを、

そーっと、恐る恐る、開けて、

ゆっくりと、覗きこむように、部屋の入ってきたのは、

早瀬田大学の商学部1年の、

19歳の岡昇だった。


「きゃあー!痴漢が来た!だれか助けてー!」

と、室内にいる女の子の誰かが、数人が、同じように叫んだ。


音楽用練習室(B102)の中は、大爆笑となった。


室内では、ザ・グレイス・ガールズ (the grace girls)が、

バンドの練習を始めていた。


「まったく。岡くんは、わらわせてくれるわね!

お腹が痛いわ」

と、ドラムのスティックを両手に、

2年生で20歳の、菊山香織がいって、またわらう。


「岡くんって、お笑い芸人の世界でもやっていけるよね!」


そういうのは、ベース・ギターを、赤い皮のストラップで、

肩から掛けている、1年生、19歳の

平沢奈美だった。


アップル・レッドという、紅いリンゴのような色の、

フェンダー・ジャパンのジャズ・ベース・ギターで、

重量は、3.8kg、軽い、女の子向けだった。


音楽用練習室(B102)の中は、

気心の知れた仲間だけの、

ゆったりした気分、楽しい雰囲気であった。


岡昇が来るまでの、わずかな時間、

サザンオールスターズ・祭りのための、

サザンのカバー、『私はピアノ』を始めていた。


「みなさ~ん、本日から、イケメンの岡昇くんが、

パーカッションと、コーラスで、参加してくれま~す。

盛大な拍手でもって、歓迎のご挨拶といたしましょう!」


声を大きくして、清原美樹がそういった。


みんなは、「よろしくお願いします」といって、拍手をした。


「こちらこそ、よろしくお願いします!あの、もしよろしかったら、

アコースティック・ギターも、やらせていただければと思います」


岡はそういって、ギターの入った、青いギグバッグを、肩からおろした。

ギブソンのアコースティック・ギター (Jー160E)だった。


「サザンオールスターズでは、愛称・毛ガニさんの、

野沢秀行さんが、パーカッションと、コーラスですものね。

岡くんみたいな、センスのいい人がいたらなあって思ってたのよ。

いいわよ、岡くんが、ギターをやりたいのなら、それもいいわよ!」


と、やさしく、微笑みながら話す、

3年生の清原美樹は、

バンドのリーダ的な立場に、自然となっている。


「やったー!だから、おれ、みなさんが好きなんですよ!」


岡はそういって、無邪気な子どものような、

笑顔になった。


「それじゃあ、始めましょう。この『私はピアノ』は、

シンコペーションといいまして・・・、

リズムの変化のことなんですけど・・・。

基本的に、8ビートですけど、

強拍と弱拍の位置、拍のオモテやウラが、

入れ替わって、変化するから、

そのリズムの変化に注意しましょうね。

南米の、

ブラジルなどが発祥の、

サンバから、発展した、ボサノヴァみたいな、

日本人ばなれしている名曲ですから、

シンコペーションが独特なんでしょうね。

みなさんの、センスの良さがあれば、だいじょうぶですけど」


キーボード・担当の清原美樹が、

みんなに、そういって、わらった。


みんなも、「はーい」とか、いって、わらった。


「あと、コーラスは全員でやりましょう。

中間の、おいらを嫌いに、なったとちゃう?!

の、かけあいのセリフなんですけど、

二組に分かれるんだけど、

それは、あとで決めましょう。

もちろん、岡くんは、

桑田佳祐さんのパートね!

岡くん、がんばってね、パーカッションで、

楽しい音とか、たくさん入れてね!」

といって、美樹はわらった。


「はーい」と岡。


「はーい」 「はーい」と

みんなも、わらいながら、美樹に返事した。


美樹は、『私はピアノ』のイントロを、

原曲に忠実に、アップライト・ピアノで、演奏をする。


美樹は、伴奏だけになりがちな、左手でも、

メロディを弾けた。

右手と左手で、音色も豊かで、

重厚、軽快、流れるような、ピアノ・ソロを、奏でた。


大沢詩織の、ヴォーカルは、

原曲の、高田みづえ、原由子のように、

女性らしい、優しい情感のあふれる、

高音に伸びのある、透明感のある、歌声だった。


平沢奈美のベース・ギターは、

ピックを使う奏法だったが、男でも難しい、

スラップが得意だ。


スラップとは、slap=ひっぱたく、という英語からきていた。

親指と人差し指などで、弦を引っぱたり、

ハジいたりするベース奏法で、ベースのソロでは、

大活躍となる。平沢奈美の得意な奏法だった。

以前、スラップは、チョッパーともいわれていた。


そんなスラップやミュート(消音)のテクニックが、

優れている、平沢奈美は、

ドラム、ギター、キーボード、ヴォーカルと、

しっかしとした、コンビネーション(調和)を保てた。


16ビートが、特に好きな、平沢奈美のそんなベースプレイには、

リズムや音色に、深い、グルーヴ感があった。


ドラムス・担当の菊山香織の演奏は、

リズムをキープするという点で、メンバーの信頼も厚かった。


無駄な力を、極限まで省いた、フォーム(姿勢)や

テクニック(技術)から生み出される、

女性らしい、華麗な、ドラミングだった。

日常から、菊山は、モデルのように、姿勢が、抜群によかった。


体の疲労回復と柔軟性を保つための、

細心のストレッチ体操を、欠かしたことはない。


バンドに、新しく加入したばかりの、水島麻衣は、

まだ慣れないはずの、楽曲でも、

ギターソロとかを、8ビートでも16ビートでも、

リズムの狂いもなく、ゆたかな音色で、

流麗に、弾きこなした。


水島の愛用のギターは、真紅の、

フェンダー・ジャパン・ムスタング(MG69)で、

重量が、3.34 kgで、比較的軽く、女の子向けであった。


そんな水島麻衣の確実な演奏に、

バンドのメンバーは「スゴすぎ!」とかいって、

わらいながら、歓声を上げた。


パーカッションの経験の豊富な、岡昇は、

西アフリカが発祥の太鼓の、

ジャンベを、バチを使わずに、素手で、

叩いたり、

小さな玉の入った、マラカス(maracas)で、

シャッ、シャッ、シャッ、と音を出したり、

ラテン音楽で、

よく使われる打楽器の、

ギロで、その外側の刻みを、

棒でこすって、

ジッパーを開けるときの音に似た、

その何百倍のような、音を出したり、

タンバリンまで、

ジャラ、ジャラと、

鳴らして、大活躍である。


その岡の、名演奏、熱演に、

みんなの笑顔や、小さなわらい声も、たえなかった。


そんな、楽しい、息((いき)も合った、

サザンのカバー、『私はピアノ』の練習を終えたあと、

メンバーたちは、雑談に、花が咲いた。


「この前、岡くんに誘われて、森隼人くんの

家に遊びに行ったんですよ。

ねえ、岡くん」


ベース・ギター・担当の、1年生の、平沢奈美は、

ソフト・ドリンクを飲みながら、そういって、岡を見た。


「うん、森くんが、奈美ちゃん、連れて、

遊びに来いっていうから・・・」

といって、岡は白い歯を見せてわらった


「岡くんから聞いていたんですけど、すごい大きな家で、

隼人くんの部屋も、広いし、

パソコンや音楽関係の機器とかが、たくさんあって、

まるで、ミュージシャンのスタジオみたいな装備だったんです

ねえ、岡くん」


「うん」


「森隼人くんって、理工学部の1年生なんでしょう。

3年生で、幹事長の、矢野拓海さんが、

理工学部だから、拓海さんの後輩なのよね。

頭がいいらしいわよね。音楽の編集とか、アレンジ(編曲)も、

自分の部屋のデジタル機器で、簡単にできるらしいし」


清原美樹が、平沢奈美のその話に、そう、つけたした。


「でもね、奈美ちゃんも、注意したほうがいいわよ!

その森隼人くんって、あっち、こっちの、

女の子と、つきあっているって、評判じゃない!」


ドラムの菊山香織が、そういった。


「森くんは、プレイボーイ・タイプって、ことかしら。

最近の学生にしたら、珍しいほうよね。

女の子には、奥手な、恋愛にも

積極的になれない男の子も多いとわれてるもんね」


そんなことをいったのは、メイン・ヴォーカルの大沢詩織だった。


「でもさ、悪いことをして、女の子をだますとかじゃないなら、

森くんの、武勇伝ってことで、

たくさんの女の子を、楽しませていますって、

ことだけなら、特に問題ないんじゃないのかな?

そいうのって、まわりの、妬みや、

羨み、僻みとかから、

うわさするってこともあるしね、よく考えれば・・・」


ギターの担当の、水島麻衣が、

そういって、森隼人を、ちょっとだけ、かばった。


「そうよね。それって、嫉妬っていう感情かしら。

ジェラシーよね。そんな気持ちなんか、

歌の世界だけで、たくさんよね。

湿っぽくって、いやよね!」


そういって、菊山香織は、声を出してわらった。


「おれも、嫉妬やジェラシーって、

男らしくないから、森くんのことは、

なにも、気にしてないです」と、岡。


「岡ちゃん、すてきよ!男らしいわ」と、平沢奈美


ほかのメンバーも、みんな、

「ジェラシーなんて、いやだわ、わたしも!」

「ジェラシーも、ちょっとじゃ、かわいい気もするけど!」

とかいって、わらった。


そんな雑談で、休憩したあと、7月26日に、

ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の、

前期・定例ライブで演奏する歌、

『愛を信じて生きてゆく』(I believe love and live)

の練習を始める、みんなだった。


その歌は、ヴォーカル・担当の、1年生、大沢詩織が、

作詞・作曲をした。


その歌は、タイトルの深刻さとは、

相反するかのように、16ビートの、

乗りのいい、軽快な、アップテンポな曲だった。


16ビートとは、「いち」と数えるときの、1拍の中に、

音が4つあるということになる。

1小節内に、16分音符が16個、連続するというわけだ。


ギターの場合でいえば、1小節内に、ダウンとアップで、

1セットとして、8セット、そのストロークが、連続することになる。


つまり、そんなギターを弾きながら、歌うというのは、

ちょっと、きついものがあった。


そんなギターと、ヴォーカルの、2つを、

大沢詩織は、やってきた。

しかし、これからは、水島麻衣に、

ギターを任せられるので、大沢はヴォーカルに専念できる。


「詩織ちゃん、才能あるじゃん!

詩も、曲も、いいと思うよ」と岡。


「いつも本当のことしかいえない、

岡くんに認められるなんて、自信わいちゃうな!

とても光栄だわ」

と、大沢詩織。


みんなは、わらった。


歌詞はこんな内容であった。

---

愛を信じて生きてゆく (I believe love and live)


作詞・作曲 大沢詩織


叶わない 恋の 切なさに

人目を 引くような おしゃれして

にぎやかな街 彷徨い 歩いたの


空は 青く 晴れわたっていたわ 憎いほど

でも わたしの 心の中は 灰色の雲でいっぱいだったの

どこか 捨てられた 迷子の子犬みたいだった わたし


やさしく 声をかけてくれる 人たちも たくさんいたわ

でも 探しているものは 何か 違うんだよ

何かを 壊してしまったようで 怖かったの


街の遠くの 河原の風が 気持ちがよかった

吹きわたる風は わたしには とても やさしかったの

やさしい風は わたしを いつまでも やさしく 守ってくれていた 


いつも 何かに 怯えていた わたし

愛の 不思議な力を 教えてくれた あなた

恋する 乙女のように 胸は 震えていたの


この世界に 信じられるものがあるとしたら 何かしら?

きっと 大切なのは 信じられるのは 愛 なのね! 

だから わたし 愛を 信じて 生きてゆくわ いつまでも


I believe love and live

(愛を 信じて 生きてゆく)

I believe love and live

(愛を 信じて 生きてゆく)


≪つづく≫ 

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