第12話 ザ・グレイス・ガールズ

6月29日、土曜日の午後の4時を過ぎたころ。


肩にかかるくらいの長さの、つややかな黒い髪が、

きれいな、2年生の水島麻衣は、

学生会館、西棟の、

地下1階の音楽用練習室(B102)のドアの前で、

ちょっと、深呼吸して、ふくよかな、胸の鼓動を、

落ちつかせて、ドアを開けた。


早瀬田大学、文学部のある、

戸山キャンパスの隣に位置する、

この学生会館の、地下1階(B1F)には、

音楽公演用の練習室などが、いくつもある。

何台もの、ピアノや、ドラムも、おいてあった。


「こんにちは。みなさん!」と、水島麻衣が、挨拶をした。


練習室の中では、グレイス・フォー(GRACE 4)のメンバーが、

ライブのための練習を始めていた。


早瀬田大学の音楽サークル、

ミュージック・ファン・クラブ(通称・MFC)の、

恒例の、前期・定例ライブが、7月26日にある。


OB(卒業生)の、森川純たち、クラッシュ・ビートとの

コラボ(共演)、下北沢のライブ・レストラン・ビートでの、

特別ライブの、サザンオールスターズ・祭り、

は、8月24日(土)だった。


キーボード・担当の清原美樹、

ヴォーカルとギター・担当の大沢詩織、

ベースギター・担当の平沢奈美、

ドラムス・担当の菊山香織の、

4人は、4時から、バンド練習を始めていた。

その手を止めて、ちょっと、照れている様子の、

水島麻衣を、温かな、

満面の笑みで、迎えた。


「麻衣ちゃん、よく来てくれました。とても、うれしいわ。

わたしたち、あなたを、大歓迎なんですから。

わたしたちと、これから、ずーっと、いつまでも、

バンドを、楽しく、やってゆきましょうね!」


といいながら、すぐに、3年生の美樹が、2年生の麻衣の、

そばに寄った。


「わたしも、うれしいです。バンドに参加できることが。

みなさんと、楽しく、バンド活動がしてゆけることが・・・」


水島麻衣は、比較的大きめの、魅力的な瞳を、

輝かせた。


グレイス・フォー(GRACE 4)は、女の子、4人の、

ポップロック(ポップス系のロック)・バンドだった。


早瀬田大学の音楽サークル、

ミュージック・ファン・クラブ(通称・MFC)には、

2013年の6月で、男子30人、女子38人が

部員として登録されている。


サークルは、気分がのれば、バンドを組んだり、

また新たな気分で、メンバーを集めてみたりという、

フリーバンド制で、常に、

10組くらいのバンドが、楽しく、音楽活動している。


なぜ、女子が、38人もいるのかとえば、

コーラスで歌うのが好きだという女の子、

ダンスが好きだという女の子、ひいきの応援が好きだからという女の子、

など、そんな女子の部員も多かったからであった。

なぜか、学内でも、きれいな女の子ばっかりが集まってきていた。

そのため、たまに、男子学生が、そんな女の子を、目当てに、

入部を希望してくるので、困ることも、度々(たびたび)であった。


そこで、サークルの幹部の、幹事長、大学3年の矢野拓海と、

1年生の岡昇と、

2年生の谷村将也との3人は、

学生会館、東棟の11階にある、

ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の、部室の、

E1107に、3時間ほど、籠って、その打開策を、

頭を絞って、考え出したのであった。


「まったく、最近の若い(やつ)奴は、女の子ばかりが、

目的なんだから、どうしようもないっていうか、

これじゃ、経済も、国政も、なにもかも、

堕落して当たり前だよな!」


そんなふうに、矢野拓海が、憤る。


「まったくっすよ。おれだって、女の子は好きですけど。

ギターくらいの楽器くらいは、できますよ。ヘタですけど。

ひとつも楽器ができないで、コーラスやりたいですよ。

あと、ダンスやりたいとか。女の子じゃ、

それも、許せますけどね。

女の子なら、かわいいだけで、アートや絵になりますから。

男じゃ、それじゃあ、ダメというか、腹立ってきますよね」


そういう、1年生の岡昇の話には、

3人で、大爆笑となった。


「まあ、おれたちも、女の子にもてたいから、音楽やっているって、

いってもいいんだけどね。楽器が何もできないじゃね!

しかし、なんとかしないと。風紀も乱れていけないな。」


そんなふうに、自省も忘れない矢野拓海ではあった。


「風紀も乱れるけど。いい年をした男が、女の子ばかりを追いかけるという、

なんというのかな、欲ボケの、慣習とでもいうのかな、

お前、もっと、真剣に、向き合うものが、あるはずだろうが!って、

つい、いいたくなるつーか、おれも、偉そうにはいえないけど、

人生への目的意識とでもいうのかな、大きなビジョンや夢とでもいうのかな、

そんな、何か、本当な大切なものが、忘れ去られているようで、

生きてゆくうえでの、倫理とでもいうのか、何かを感じる力や感覚のようなものが、

麻痺しているというか、欠如しているよね!

最近の男たちは。女の子にもいえるかな?

まあ、たぶん、男女をふくめて、大人たちは!

ろくに、なにも、考えていないものだから、結局、

自分だけの、目先の、ちっぽけな、欲望ばかりに、

追われっぱなしでいるような人ばかりな、気もする!

ちょっと、見てると、そんなオトナばかりな気がするよ・・・」


そういって、声の大きな、2年生の谷村将也が、机を、

思わず、どんと、ひとつ、たたいた。


「まったくだ。将ちゃん、岡ちゃんの、いうとおりだよ!

おれはね、芸術の、アートの、音楽の、ミュージックの、

最後の牙城くらいに考えているんだよ。

牙城って、わかるだろう。 城中で主将のいる所というか、本丸というか、

本拠地や本陣のことだよね。

これを守らないことには、国も、地球も、滅びると考えているんだよ!

そんな気持ちで、おれは、ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の、

幹事長も引き受けているのさ」


「さすが、拓海さんだ」と、谷村。


「おれ、矢野さんの言葉に、感動して、泣きたくなりますよ」と、岡。


そんな、雑談をしながら、最低限、パーカッションのシンバル、くらいはできないと、

入部でいないという規則を、そこで、決めた。

そのようにして、女の子だけが、目当ての男子学生は、

「はい、残念ですが、失格です」とかいって、

いまも、ふるい落とすことに、成功している。

女子学生で、シンバルのテストで、落とされた女の子は、1人もいない。


そんな幹部の活躍もあって、健全を保っている、

ミュージック・ファン・クラブ(MFC)の中でも、

女の子だけが、4人という、バンドは、現在はなかった。

ドラムができる女の子は、なかなか、いなかった。

そんなわけで、グレイス・フォー(GRACE 4)は、目立った。


ドラムスの菊山香織の場合は、

3つ年上の兄が、バンドで、ドラムをやっている。

その兄から、1から10まで、ほとんどを、習った。


サザンオールスターズ・祭り、のための、

サザンのカバー、『私はピアノ』の練習をしているとき、

「やっぱり、もうひとり、ギターが欲しいよね・・・」と、

メイン・ヴォーカルとギターやっている、

1年生の大沢詩織がいい出した。


ふたつのパートの掛け持ち(かけもち)は、きついよね、と、

メンバーのみんなも認めて、ギターを探すことになった。


グレイス・フォー(GRACE 4)に誘えそうな、

ギターが弾ける女の子は、MFCのなかに、3人ほどいた。

そのなかのひとり、水島麻衣を、メンバー全員が推したのだった。


「わたしたちのバンドに入ってくれて、うれしいわ、本当に、

麻衣ちゃん」


水島麻衣と、同じ2年生の、

ドラムの菊山香織が、

ドラムのスティックを、高く放り投げて、

空中で回転させながら、そういって、ほほえんだ。


「これから、ずーっと、よろしく、お願いします。

わたしたちのバンド、結成して、まだ半年ほどですけど、

社会人になっても、ずーっと続けたいねって、

みんなでいっているですよ」


ヴォーカルとギターをやってきた、1年生の

大沢詩織が、笑顔でそういった。

これからは、ヴォーカルをもっと、がんばれそう・・・と、詩織は思う。


「グレイス・フォー(GRACE 4)という、バンドの名前も、

麻衣さんの加入の、お祝いも兼ねて、

ザ・グレイス・ガールズ ( THE GRACE GIRLS )に

変えるんですよ。

GRACEという英語は、

上品で美しいこととか、優雅とか、

恩寵という意味がありますから、

優美な少女たちとか、

神の恵みの少女たちという意味なんですものね。

すてきなバンド名で、わたしも気に入っているんです!」


はずんだ声で、ベースギター・担当の、1年生の、

平沢奈美が、

2年生の水島麻衣に、そう話した。


「わたしも、すてきな名前だと思います。

わたしたちに、ピッタリじゃないでしょうか?!

ちょっと、いいすぎでしょうか。

でも、みなさん、バンド名にふさわしい、

すてきな人ばかりで・・・。

わたしも、ギターとか、はりきっちゃいます!」


「麻衣ちゃん、本当によろしく」といって、

清原美樹が、

水島麻衣の手をかたく握った。


「美樹さん、みなさん、こちらこそ、よろしくお願いします」


水島麻衣の瞳が、うっすらと、潤んだ。


≪つづく≫

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