第9話 恋する季節

「今夜は、ライブ・レストラン・ビートに、

お越しいただきまして、誠に

ありがとうございます。

今夜のお相手は、ロック・バンドの

クラッシュ・ビート(Crash・Beat)でございます。

そして、フィーチャリング(客演)!特別ゲストは、

マスコミでも話題の若干

20歳のピアニスト・松下陽斗(はると)でございます」


マイクを片手の、30歳、長身の、店長・佐野幸夫(ゆきお)が、

舞台の左端から、会場に向かって、

言葉に強弱をつけて、挨拶をした。


日の暮れかかる前の6時から、

料理やスイーツや飲みものなどで、

寛いでいる、お客で、いっぱいの、

フロアには、盛大な拍手がわきおこった。


「みなさまには、『来てよかった』と思っていただけるように、

みんなで、ベストをつくします。


お手元の、パンフ(案内)にありますように、

今夜の曲目は、すべて、みなさま、よくご存じの、

厳選の20曲、カバー (cover)ばかりであります。


「それでは、メンバーを紹介させていただきましょう。

クラッシュ・ビートの、

リーダーでドラムの森川純(じゅん)!」


MC(進行)の店長の、佐野幸夫の横にいる、森川純が、

笑顔で、満席のフロアに向かって、

深々と一礼した。


「リズムギターの、川口信也(しんや)!

ベースギターの、高田翔太(しょうた)!

リードギターの、岡林明(あきら)!


そして、フィーチャリング(客演)の、

特別ゲスト、ピアノの、松下陽斗(はると)!


わたしも、ふくめて、イケメンばかりが、

よくも、揃ったものです。ワッハッハ!」


店長・佐野がそういって、大声でわらうと、場内も、

わらいにつつまれた。


ライブ・レストラン・ビートは、

下北沢駅南口から、徒歩で3分だった。


下北沢店は、キャパシティ(座席数)が、

1階と2階を合わせて、280席あった。

高さ8メートルの吹き抜けのホールになっていて、

グループで楽しめる1階のフロアの席、

ステージを見おろせる、二人のための2階の席、

1階フロアの後方には、

ひとりで楽しめるバー・カウンターがあった。


ステージのサイズは、間口が、約14メートル、

奥行きが、7メートル、天井高が、8メートル、

舞台床高が、0.8メートルだった。

舞台の左側には、グランド・ピアノがある。


「えーと、ヴォーカルは、全員ですよね。

松下陽斗さんは、ピアノを弾きながらの、

歌がとてもお上手なんですよね」

と、店長の佐野が、

松下陽斗に、いきなり、マイクを向けた。


「そうですかぁ、おれは、歌うのが好きなので、

歌わせてもらってます。

クラッシュ・ビートのみなさんのハーモニーが、

ビートルズみたいに、うつくしいので、

邪魔しないように、がんばってます」

と松下陽斗は、はにかみながら、

生真面目にいって、わらった。


「クラッシュ・ビートは、本当に、

最強のロックバンド、ビートルズみたいですよね。

ハーモニー(和声)も、ビートルズのように、

超うつくしいですよね。ねえ、会場のみなさん!」


といって、店長の佐野が、声を出してわらった。

会場からは「そうだ!そうだ!」とかの、声援や、

ざわめきや、わらい声がわきおこる。

店長・佐野の明るい性格は、いつも会場のムードを

盛り上げていた。


「ドラムの森川純さん、会場のみなさまに、

何かひとことを!」と店長・佐野。


「みなさん、今夜は、本当にありがとうございます。

最高の音楽を目指しますので、お楽しみください」

と森川純は笑顔でいった。


「ベースの高田翔太さん、ひとこと、どうぞ」


「こんなに、おおぜい、お集まりいただいて、感激しています。

楽しんでいただけるように、ベストで、いきます」と高田翔太。


「リードギターの岡村明さん、なにか、どうぞ」


「いやー、感激ですよね。こんなたくさんのみなさんの中で

ライブするの、はじめてじゃないかな。

いやー、緊張しちゃいます。ハハハ・・」と岡村明はわらった。


「リズムギターの川口信也さんも、どうぞ、ひとこと」


「この下北沢で、このメンバーで、大切なみなさまと、

楽しい、ひとときを、過ごせることに、感動しています。

ベストのパフォーマンスでゆきます!」


と、川口信也は笑顔で、力強く、いう。



先週の日曜日、下北沢駅の隣の、

池の上駅の、すぐ近くの、

『スリーコン・カフェ』で、川口信也は、清原美樹(みき)から、

突然、告げられた。


「ごめんなさい。わたし、松下陽斗くんと、

おつきあいを、していくことに、決めました。

ほんとうに、ごめんなさい。信也さん」


美樹は、頭を下げて、そう、信也に告白した。

美樹の瞳には、涙があふれて、

からだは、かすかに、ふるえた。


「・・・わかったよ、美樹ちゃん。・・・美樹ちゃんが、

陽斗くんと、おつきあいして、それで、

幸せになってくれるんなら・・・。

おれだって、うれしいはずさ・・・きっと。

・・・愛ってさ、愛っていうものは、

好きな人のことを、幸せにしたいっていう、

その気持ちが、1番大切なはずだよね。

・・・かっこつけちゃっているみたいだけど。

おれは、いつだって、美樹ちゃんの幸せを、

願っているよ。

・・・だから、美樹ちゃんも泣かないで・・・。

きょうは、ありがとう、美樹ちゃん。

美樹ちゃんが、メールとかじゃなくて、

おれと会って、いいにくいことを、

がんばって、話してくれたことが、

おれは、すごく、うれしいよ・・・。

これからも、ずーっと、よろしくね」


「・・・うん、わたしのほうこそ、よろしくお願いします。

でも、ほんとうに、ごめんなさい、信ちゃん・・・」


美樹の頬につたわる涙は、とまらない。

美樹はそれをハンカチでおさえる。


「しかし・・・、美樹ちゃんって、

きっと、永遠の、おれの天使なんだよね。

こんなふうに、涙で、顔がくしゃくしゃの、

泣きべそな、美樹ちゃんも、

すごっく、かわいいんだもん」


「信ちゃん、ったら」と、美樹に笑顔がもどった。


ベストのパフォーマンス・・・。そうだ、今夜は、

美樹のためにも、おれのためにも、

こうやって来てくれたお客さんのためにも、

最高の演奏をしなくちゃいけないんだ。

くだらない、悲しみなんて、吹き飛ばしてやるさ。

それが、おれらの、ロックンロールなんだから・・・。


川口信也は、そう思った。

最前列のテーブルの、美樹と姉の美咲の姿を、

しばらく、見つめながら。


「それでは、オープニンング、ビートルズのナンバー、

オール・マイ・ラヴィング (All My Loving)!」


川口信也が、リードボーカルを担当して、

アップ・テンポな、『オール・マイ・ラヴィング』を、

ポール・マッカートニーのような、太い高音で、歌う。

バッキング(伴奏)のコードを、

オルタネイト・ピッキングの、3連符で、刻みながら。


高田翔太は、美しいメロディーラインの、

ランニング・ベースに、気合を入れた。


森川純のドラムは、リンゴ・スターのようで、

ノリと、心地のよいリズムで、軽快だ。


岡林明は、切れがいいカッティングや、

ソロ・フレーズをジョージハリスンのように、

華麗に弾いた。


松下陽斗が奏でる、グランドピアノは、

ジャズふうな即興で、

ビートルズ・ナンバーに、

新らしい、楽しさ、すばらしさを

花添えているかのようだ。


メンバーの、息の合った、コーラス(合唱)の、

ハミングや、リフレインは、決まっていた。


そんな快調な演奏は、無事に続いた。

10曲までは、すべて、ビートルズナンバーの

演奏であった。『ガール』『ミッシェル』『イエスタディ』

『レット・イット・ビー』『エリナー・リグビー』

『ヘイ・ジュード』『涙の乗車券(Ticket To Ride)』など。


そして、後半の10曲は、ミスター・チルドレンの

『イノセント・ワールド』や、スピッツの『ロビンソン』や、

アジアン・カンフー・ジェネレーション、

宮崎あおいの『ソラニン』とかであった。


鳴り止まない拍手の中、21曲目のアンコールは、

ナオト・インティライミの『恋する季節』だった。


幾千の・・・愛の言葉も・・・

たりない・・・この思い・・・

あらゆるものから・・・君を奪いたくて・・・

さびしくないさ・・・君とめぐりあえたから・・・

奇跡・・・?

奇跡は・・・おれにはあるのだろうか・・・?


自分が、メインになって、

シャウトしながら、歌う、

『恋する季節』の歌詞が、まるで、

いまの自分の気持ちを表現しているようで、

やけに、胸にしみる、川口信也だった。



280席がある、ライブ・レストラン・ビートは、

ぎっしりと、人だらけであった。

チケット(入場券)は、

ソールドアウト(完売)だった。


ロック・バンドのクラッシュ・ビートと、

ピアニスト・松下陽斗の、

初コラボレーション(共演)は、

アンコール曲・『恋する季節 』で、

客席は、オールスタンディングとなった。

そして、10時には、鳴りやまない

拍手のなか、ライブは終了した。


閉店は12時であった。半分以上の、客の引けた、

フロア・後方の、バー・カウンターや、テーブルで、

ライブの打ち上げが始まった。


「陽斗さんのピアノがあると、ポップスでも、

ジャズでも、R&Bでも、いいよね。

アンサンブル(演奏)の幅が広がるし。

今夜なんか、満員のお客さんが、きっとみんな、

感動と満足だったんじゃないかな」


ビールを飲みながら、森川純が、テーブルの

隣にすわる、松下陽斗に、そう語りかけた。


「ありがとうございます」といって、二十歳の

陽斗もビールを飲む。


「今夜、ぼくが、がんばれたのも、クラッシュ・ビートの

演奏が、すばらしいからですよ。

純さんのドラムもすばらしかったです。

メトロノームのように、正確でありながら、

微妙な揺らぎがあったりして。

それが、また、いい・・・」


「アッハッハ。おれは機械みたいには、なれないしね。

感情が、微妙に、ドラミング(演奏)にあらわれちゃうんだ。

ビートルズのリンゴ・スターとか、スティーヴ・ガッドとか、

ジョン・ボナームとかの影響も受けてるけどね」


「揺らぎというか、ずれというか、それがあるから、

人間らしくて、うつくしい音楽が生まれるんだと思います」


「そうだね、そんなことだよね。

おれたちは、そんな音楽観が、一致しているから、

いっしょに、気分よく、楽しい演奏ができるんだよ。

これからも、よろしくお願いしますよ。陽斗さん」


「ええ、こちらこそ、よろしくお願いします」


打ち上げには、このライブハウスの経営をする、

株式会社・モリカワの社長・森川誠、

その弟の副社長の森川学、

社長の長男、森川純の兄の、森川良もいた。

また社長の親友で、清原美樹の両親の、

清原和幸、美穂子の姿もあった。

店長の佐野や店のスタッフも社長たちに挨拶をした。

盛りあがったライブに、誰もが、笑顔であった。


クラッシュ・ビートのメンバーの母校の

早瀬田大学の先輩・後輩、

松下陽斗の在籍する、

東京・芸術・大学の音楽学部の先輩・後輩も集まっていた。

1階と2階のフロアは、そんな若者たちで、華やかなであった。


早瀬田大学の3年生になる、清原美樹も、

姉の美咲や、親友で、同じ大学の3年の、

小川真央と、3人で、バー・カウンターで、

あまいカクテルのカンパリ・オレンジとかを飲みながら、

バーテンダーを相手に世間話をしていた。


「しん(信)ちゃんも、つらいとこだよな」


クラッシュ・ビートのリードギターの岡村明が、

ジョッキの生ビールで酔いながら、川口信也に話しかけた。


「でも、しんちゃんは、うろたえてないから、すげーよ」


クラッシュ・ビートのベースの高田翔太もそういった。


3人は、川口を真ん中にして、6人がけの長四角のテーブルで、

料理をつまみながら、生ビールを飲んでいる。


「まあ、まあ、飲もうぜ!岡ちゃん、翔ちゃん。

おれって、なぜか、三角関係に縁があるんだよ。

アッハッハ」といって、川口は、ジョッキのビールを、

ぐいっと飲んだ。


「三角関係って、あのサイン(sine)、コサイン(cosine)のかぁ」

と高田翔太がふざける。


「ちゃう、ちゃう。ひとりの女性を、ふたりの男で、

奪い合うっていう、必死の戦いだよ」と川口。


「しんちゃんも、修羅場を経験しとるんだね。

おれは、しんちゃんみたいな、きつい恋愛はしてこなかったなあ」

と高田が川口を見て、にやりとほほえむ。



「三角関係なんて、ヘタすれば、うつ病や自殺をまねくね。

それに遭遇しないだけでも、岡ちゃんも、

翔ちゃんも、幸運の星の下に、生まれたのかもよ」


といって、川口信也は、声を出してわらう。


「しんちゃん、それ、ちゃいまんねん。

おれと、岡ちゃんは、競争率の高い相手を、

避けているだけだと思うけど」と高田翔太。


「翔ちゃん、それも、ちゃいまんねん。おれは、

競争率の高い女性が好きだなあ。

身も心も、しびれるようなオンナじゃないと、

おれは、つきあう気持ちにならないし」と、岡村明。


「岡ちゃんも、翔ちゃんも、『恋は罪悪ですよ』っていう

有名な言葉を知っているかなぁ」


「へーえ、『恋は罪悪ですよ』かぁ。知らないなあ」と高田。


「おれも知らない」と岡村。


「おれが高校のとき、三角関係で悩んだんだけど、

そのときに、読んだ小説の中で、

先生と呼ばれて登場する彼が語った言葉が、

『恋は罪悪ですよ』なんだよ。


夏目漱石の『こころ』っていう小説だよ。

いまだって、若い人に読みつがれるくらい名作らしいけどね。

先生と呼ばれる、その彼は、学生だったころ、

ひそかに恋していた女性を、親友のKに、とられそうになったので、

Kよりさきに、その女性に、結婚の申し込みをしたんだ。


そしたら、うまくゆき、結婚してしまったんだよね。

そしたら、Kは、自殺してしまった。

そのことを後悔しつづけて、その先生も、せっかく、

恋に勝って、家庭もあるっていうのに、自殺してしまう、

という小説なんだよね。


おれは、その小説を読んで、三角関係は、

罪悪だと思ったね。それ以来、ややこしい恋愛関係は、

いち抜けたってことにいしているんだ。


所詮、人間のエゴイズムの問題だからね。

夏目漱石も、そんなエゴイズムを小説のテーマに

したってことね。おれは、恋愛については、

漱石に、人生を教わったって感じさ。


まあ、今回の三角関係の場合、

おれの美樹ちゃんへの気持ちに変わりはないけど、

おれは、おれのエゴイズムで、ばかみたいに、

苦しんだりはしないってことさ。

陽斗くんを、恨むような気持ちも、

さらさらないし」


ながながと、そう話すと、川口は声を出して、元気にわらった。


「エゴイズムかあ。長いあいだ、聞かなかった言葉だなあ。

エゴイズムというと、利己主義ということだろう」と高田翔太。


「エゴイズムって、自分の利益のことばかりを考えて、

他人の利益は考えないっていう、思考や行動のことだろう。

人間って、うっかりすると、そういう言動に、走りやすよね。

恋愛のときも、三角関係のときもそうなのかな。

なにも、死ぬことはないだろうけど。男が、2人もそろって。

そうか、三角関係をテーマにする夏目漱石って、

現代社会っていうか、資本主義っていうか、

われわれにある普遍的なエゴイズムの縮図というか、

構図をテーマにしているってことかもなあ。

夏目漱石て、やっぱり、抜群に頭がよかったりして」


といって、岡村明がわらった。川口も高田もわらった。


「おれは、夏目漱石って、すごい作家だと思ってるよ。

漱石を超えることができそうな作家は、

いまのところ、日本じゃ、村上春樹くらいかもね。

おれや、みんなに、小説の『こころ』で、

三角関係やエゴイズムのばかばかしさを、

教えてくれたんだからね。

それと、あのタイトル、なんで『こころ』なのかといえば、

エゴイズムを解消したときの、『こころ』が大切なんだと、

漱石はいいたかったのじゃあないかな。

心って、すなわち、魂ともいえるよね。

おれたちのロックだって、心や魂を大切にするために、

やっているようなもんじゃないかな。

おれは、そんなことに、高校のとき『こころ』を読んで、

そう思つづけてきたんだ。ロックでも芸術でもいいから、

漱石の遺志を、ついでいけたらなあってね。」


「そうだね、しんちゃん。おれたちは、

その心や魂のためにも、やっていこうぜ」

と岡村が、ジョッキの乾杯を川口に求めた。


「夏目漱石の弟子だね、まるで、川口は。その弟子の川口も、

こうやって、三角関係で、またまた、すごく、成長したってわけかあ。

うまくいかない恋愛に、つぶれそうになるのが普通なのに、

川口はすごいよ。最高な、ロックンロール野郎ってとこかな。

今夜のライブも大成功だったし。よし。おれたちの、

これからのロックンロール人生を祝って、

乾杯しようぜ!」と、高田翔太もジョッキを手にした。


「乾杯!」


3人が、ジョッキを差しあげて、触れ合わせると、まわりのみんなも、

祝福の気持ちをこめた、乾杯がつづいた。


夜も更けて、12時ちかくの閉店のころ、

かなりに酔った、川口信也は、

「また、ライブやろうぜ」と、松下陽斗と、

固い握手を交わした。

陽斗の隣にいた美樹にも、

川口は、「美樹ちゃん、酔っちゃったよ」と笑顔でいった。


「しんちゃん、今夜のライブ、最高だったよ。すごく感動しちゃったわ」


と美樹がいうと、川口は「ありがとう」といって、男らしく、ほほえんだ。


≪つづく≫ 

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