第8話 美樹の恋

松下陽斗の部屋は、陽斗の父親が経営するジャズ喫茶・

GROOVEの3階にあった。


GROOVEは、世田谷区代田6丁目の通りの、

下北沢駅の北口から歩いて、3分くらいの場所にあった。


清楚で、おしゃれな、茶褐色のレンガ造りの、

表口で、全国的に知られている、老舗のジャズ喫茶だった。


清原美樹は、都立の芸術・高等学校の3年間、

美樹と同じ音楽科の、鍵盤楽器で学ぶ、

松下陽斗と、よく待ち合わせをして、一緒に下校した。


駒場東大前駅から、電車に乗り、下北沢駅で下車する。


その帰り道、美樹は、陽斗の部屋に寄って、よく時間を過ごした。


それほど、ふたりは、おしゃべりするたび、信頼も深まってゆくような、

まるで恋人同士か、無二の親友のような仲であった。


それなのに、高校の卒業間際のころ、

陽斗は、美樹に、美樹の姉の美咲に、

好意を持っていることを、打ち明けた。


その陽斗の告白は、美樹にとって、陽斗がどのような存在であったのか、

あらためて考えさせられる、ショックな出来事だった。


およそ1年間くらい、失恋に似たような、大切にしていた何かを、

どこかに置き忘れてしまったような・・・、

魂が、どこかへ行ってしまったような、喪失感が、

美樹にはつづいた。


それが、やっと、妹思いの、姉の美咲の努力や協力もあって、

陽斗の気持ちも、美咲のことから、自然と離れて、

美樹と陽斗の親密な信頼関係も、高校のころと同じ状態に、

もどったのであった。


2012年の10月13日の、美樹の二十歳の誕生日には、

松下陽斗が、「特別な誕生日だし・・・」といって、

数人の仲間と一緒に、祝ってくれた。


2013年の2月1日の陽斗の二十歳の誕生日には、こんどは、美樹が、

仲間を集めて、ささやかな誕生会を催してあげた。


何人もの、男友だちのいる美樹ではあったが、

いつのまにか、知らず知らずのうちに、美樹の心の中には、

ふたりの男性が・・・、

同じ歳の松下陽斗と、

3つ年上の大学の先輩だった、川口信也が、

特別な存在になっているような感じだった。



陽斗から、

≪みーちゃん、映画でも見に行こうよ≫と、

美樹のケイタイにメールが来た。


≪いいよ。はるくん。いい映画やってるかな?≫


≪いまは、話題作とか、なさそうだけど、

なにか、いいのあるよ、きっと・・・≫


≪わかったわ。行こうよ。楽しみ!≫


と、ふたりは映画に行く約束をした。


2013年、4月、

松下陽斗は、東京・芸術・大学の、

音楽学部、ピアノ専攻の3年の20歳。

美樹は、早瀬田大学の、教育学部の3年の20歳だった。


ふたりは、10時に、下北沢駅で待ち合わせをした。


高校のころからの、さわやかで、

いつもどこか照れくさそうな、陽斗の笑顔が、

美樹には、高校のときと同じように、

ちょっと眩しくて、うれしかった。


ふたりが向かった映画館は、渋谷駅から、青山学院大学方向に、

500メートルほど歩いたところの、シアター・イメージ・フォーラムであった。


3月30日から始まったばかりの、

『グッバイ・ファースト・ラブ』という映画の、

午前11時30分からの上映を、

美樹と陽斗は、観にいった。


この映画の監督と脚本は、

1981年生まれの、女優や批評活動をしてきた、

ミア・ハンセン=ラブという名の女性であった。


2007年に、1作目を発表して、2作目の作品で、

カンヌ国際映画祭で、審査員特別賞を受賞していた。


『グッバイ・ファースト・ラブ』は、自伝的な三部作の、

3作目の作品であった。


監督自身の、10代のころの初恋を、モチーフにした物語で、

繊細な、心と体が、揺れ動いてゆく、

そんな感受性ゆたかな、少女が、おとなへと成長してゆく過程、

その瞬間を、南フランスの、季節の移ろいのなかを、

美しくとらえてゆく、そんな映画であった。


舞台は、1999年パリ。高校生のカミーユと、シュリヴァンは、

おたがいに愛しあっていた。シュリヴァンは、17歳、

ほとんど学校に行かず、9月に退学して南アメリカに行こうと考えていた。

カミーユは15歳、彼に夢中で、勉強もなかなか身が入らなかった。

夏になって、ふたりは、のんびりゆったり過ごせる、

南フランスに、ヴァカンスにゆき、情熱的に愛しあう。


しかし、夏が終わると、スリヴァンは、カミーユのもとから去る。


数ヵ月後には、スリヴァンからの手紙も途絶えてしまう。悲しみに打ちひしがれた

カミーユは、次の春を迎える頃、自殺未遂を起こす。

その4年後、建築学に打ち込むようになったカミーユは、

著名な建築家、ロレンツと恋に落ちる。


ふたりは恋人同士となり、強い絆で結ばれる。

しかし、カミーユの前には、かつて愛したスリヴァンが現れる。


「この映画は、人間の持つ矛盾を積極的に容認しています。

そしてそうした矛盾こそが、人生の重要な構成要素だと思います。

ヒロインのカミーユは、同時に、ふたりの男を愛し、

そのアンバランスな関係に、バランスを見いだすのです」


ポップコーンやソフトドリンクといっしょに買ったパンフレットの

ミア・ハンセン監督のそんな言葉が、・・・オトナの世界って、

やっぱりそんなものなのかなあ・・・と、心にしみる、美樹だった。


ふたりの男性を、同時に愛してしまうなんて、特別なことでも

ないのよね、きっと。


わたしの場合は、はるくんと、しんちゃん・・・。


映画を観ながら、ヒロインのカミーユと、

いまの自分の境遇が、

偶然の一致にしても、不思議なくらい、

よく似ていると、感じる、美樹であった。



渋谷駅近くの映画館で、『グッバイ・ファースト・ラブ』を観たあと、

美樹と陽斗は、そこからちょっと北にある、

高山ランドビルの1階にある『ナポリズ』で、食事をした。


「マルゲリータ、焼きたてで、おいしいね」と、笑顔の美樹。


「うん」といって、ピザをほおばり、コーヒーを飲む陽斗。


「ひとを好きになることって、人生の大仕事っていう感じかな」と美樹は

ピザを食べながらいった。


「そうだね、大仕事だね。うまくいったり、いかなかったり・・・」


そういいながら、陽斗は美樹に、やさしくほほえんだ。


なんか、陽斗も、ずいぶん、男として成長した感じがする。


美樹は、四角いテーブルをあいだにする、

陽斗を、あらためて、まじまじと見つめた。


「美樹ちゃん、そんなに、キラキラした目で、

おれを見つめて、急に、どうしたの?」


「ううん、なんでもないよ。ただ・・・」


「ただ?」


「はるくんも、美咲ちゃんと、仲よくしていてたあいだに、

ずいぶん、オトナっぽくなったような気がしてさあ」


「美咲ちゃんには、いろいろ、教わったのかもしれないし」


そういうと、陽斗の瞳が、ふっと翳った。


「まあまあ、男女のあいだって、とても、デリケートで、

神秘的なものなのよね、きっと」


「うん」といって、陽斗はほほえんだが、そのあと、

ちょっとさびしそうに、うつむいた。


美樹は、陽斗の、そんな素直さや、

正直さが、好きだった。


陽斗が、美樹の姉と、急接近して、

仲良くなったり、恋愛感情を抱いてしまったことは、

いまになっては、美樹にも、理解できることであった。


弁護士をめざしていた、姉の美咲の、

生真面目さや、正義感に、

かなり近い価値観をもっている

陽斗が、共感とか、共鳴とか、したのであったから。


陽斗が、美樹の家に遊びに行ったある日のこと、

そのとき、家にいた美咲の持っていた本の、

『これから正義の話をしよう

・いまを生き延びるための哲学』を見つけて、

「これって、ハーバードが大学の、

マイケル・サンデルの本ですよね」と

陽斗が興味を示したこと・・・、

それが、陽斗と美咲の結ばれない恋物語の始まりだった。


「陽斗くんも、こんな哲学のような、

むずかしい本が好きなの?」と美咲が聞くと、

「ええ、哲学大好きです」と陽斗は、

目を輝かせて、答えたのだった。


「正義というのかしら、正しいことというのかしら、

立場によって、いろいろあることが、

よくわかるような、サンデルさんの講義の本だわ。

正義って、そんなふうに、あやういっていうのかしら、

正義も哲学も、むずかしいことだわよね。

終わりのない問答をしていくようなものかもしれなくて。

ウィトゲンシュタインも、いっているでしょう。

すべては、言語ゲームになったのだって。

わたしも、そんなふうに思うの。

そんな、真摯な、ゲームの感覚で、すべてを

楽しむことが、大切なんだろうなって」


そういって、美咲は、陽斗に、やさしくほほえんだ。

そのときの美咲の姿が、陽斗の心の中に、

いつも、思い出されるのであった。


「ウィトゲンシュタイン、おれも好きなんです。

文章が、コピーライターのように簡潔で、

かっこいいですよね。

『論理哲学論考』のラストの

『語りえぬものについは、沈黙せねばならない』なんてね」


そんな会話で、陽斗と美咲は、たちまちのうちに、

心が、うちとけあったのだった。


「わたしも、姉貴には、かなわないけど、

哲学とか、人生について考えるのは、好きなほうよ」


といって、美樹は、陽斗を見つめて、やさしくほほえんだ。


「おれと美樹ちゃんには、哲学とかよりも、アニメや音楽や小説とかの

芸術っぽい話題のほうが、話が合うよ」


「そうよね。わたし、はるくんとなら、楽しい話が、

いつもありそうな気がする・・・」


ふたりは、ピザハウス『ナポリズ』の店内で、

まわりが振り向くような声で、わらいあった。


食事のあと、ふたりは、渋谷駅から小田急線に乗って、

下北沢駅に降りたった。


美樹は、ネイビーのポンチョ風ニットカーディガン、

ペールピンクのブラウスと、

セピアローズのレーススカートといった、

さわやかな春に合ったファッションだった。


陽斗は、ネイビーのデニム・ジャケットに、白のTシャツ、

ベージュのデニムパンツといったファッションだった。



下北沢駅のホームは、

1週間前の、2013年3月23日の土曜日から、

地下に移ったばかりだった。


下北沢駅の、直近の駅、

世田谷代田駅、

東北沢駅のホームも、地下に移った。


下北沢駅では、23日の始発から、地下鉄のように、

地下3階にある新ホームへ、電車が到着した。


改札は、地上に2カ所ある。旧南口の階段を、下りた近くに、

新しい南口。


北口は、これまでの北口から、

井の頭線寄りに、新しくできた。


23日の早朝からは、ラッシュ・アワーの渋滞の原因だった、

開かずの踏切がなくなった。

おかげで、人や車の通行が、スムーズになった。


地上の使用しない線路は、半年ほどかけて、撤去される。


いまも、廃止になる地上の駅のホームや踏切に、

惜しむように、カメラを向けるひとたちがいる。


「下北も、変わっちゃうね。これでいいのかな。

おれは、前のままの駅も、好きなんだけど・・・」


北口の改札を出ると、立ち止まって、ふり返って、陽斗がいった。


「きれいになって、便利になるんでしょうけどね。

新しい駅のデザインとかにも

反発している人も、多いらしいわ。

『おでんくん』の、リリー・フランキーさんとか、

坂本龍一さんやピーター・バラカンも、

再開発には反対らしいし・・・」


美樹も、廃止となってしまった駅を、眺めながら、そういった。


「ぶらぶら、のんきに歩ける街並みが、

無くなっちゃうのは、どうもね。

自動車とかを優先させて、

街を、効率よく、整理整頓

させたいんだろうけど」と陽斗。


「わたしも、いままでのままが、好きかな・・・。

はるくん、はるくん、

この近くの神社の、

いま、ちょうど、満開のころの、

桜でも見に行こうよ」


ふたりは、陽斗の家でもある、

ジャズ喫茶・GROOVEから、

3分くらいのところの、神社へ向かった。


神社の庭には、樹齢20年ほどの、

高さ10メートルくらいの染井吉野が、

1本、植わっていた。

4月7日で、散り始めだったけど、

まだ半分くらいの桜の花が残っていた。


桜は、天気も良く、青空のなかに、

華やかに咲きほこっている。


「同じ生きものでも、桜とか、植物って、

平和だよね、美樹ちゃん。

それにくらべて、人間の世界は、いつだって、

戦争はあるし、貧困や格差があったりして、

次から次へと、問題ばかりで、

なかなか、こんなに、きれいに、生きられないつーか」


「そうよね、桜とかも、生きていて、

幸せって、感じることが、あるのかしら」


美樹は、陽斗を見ると、明るくほほえんだ。

陽斗も笑顔になった。


陽くんは、きっと、だんだん、有名になって、

すてきなピアニストになっていくんだろうなあ・・・。


美樹は、男っぽい凛々(りり)しさと、

純粋で、こわれてしまいそうな、ナイーブさのまじった、

陽斗の笑顔を見つめながら、そう思った。


陽斗は、世の中のこと、人生のこと、

哲学的なことなどを、ひとの何倍も考える、

ちょっと風変わりな、タイプの男子であった。


自分のことよりも、友だちのこと、世の中のこと、

そんなことで、考えこんだり、悩んだりするので、

高校時代をいっしょに過ごした美樹は、

よく、陽斗には、ひやひや、心配もさせられた。


けれど、そんな、陽斗のやさしさが、

女心をくすぐる、美樹の好きなところだった。


最近の陽斗は、そんな自分の、やさしすぎる癖を、

客観的に見つめられるようになっていて、

そんな自分自身を、笑いとばしてしまったりと、

ユーモアのあるオトナとして、少しずつ、成長していた。


陽斗の父親は、知名度のある、ジャズ評論家であり、

ジャズ喫茶のオーナーであったり、

母親は、私立の音楽大学の、

ピアノの准教授。


そんな家庭環境も多分にあるが、

陽斗は、20歳という若さで、

すでに、新鋭の才能のあるピアニストという評価を

世間から得つつあった。


ふたりが、高校のころから、立ち寄ってきた、

神社の境内には、

白や黄色の山吹や、

大紫ツツジとかも咲いて、美しかった。



清原美樹と松下陽斗は、

さわやかにそよぐ春の風に、舞い散る、神社の桜を、

ベンチに座って眺めた。


「きれいな桜が見れて、ラッキーよね、陽くん」


「散っていく桜も、胸にしみるもんあるね、美樹ちゃん」


「せっかく、きれいに咲いたばっかりの、

花なのに、すぐにまた、

舞い散ってしまうなんて、

ほんとに儚いよね、はるくん」


「ひとの命もね。

桜と同じくらいに、おれは、

儚い気がする。

おれたちも、いつのまにか、

20歳になっちゃったもんね」


「この染井吉野も、

わたしたちと同じ、20歳なのよ。

なんとなく、うれしいわよね。

同じ歳の桜なんて。

毎年、いっしょに、

見に来れたらいいね。」


美樹はわらって、まぶしそうに、陽斗を見た。


「美樹ちゃんの瞳、奥が深いね、

おれなんか、吸い込まれそうだよ」


美樹のきらきらとした瞳を見つめて、

ちょっと、頬を紅らめると、

陽斗は声を出してわらった。


「この桜も、樹齢20年かぁ。

このソメイヨシノじゃ、100年は生きられるかな?」


「そうね・・・、わたしたちよりは、ながく生きられそう・・・」


「おれたちの人生って、何年くらいになるんだろうね」


「わたしには、想像もできないよ。

いつまで、生きているかなんて。

・・・でも、陽くんとは、

いつまでも、仲よくしていたいよ・・・」


「おれも・・・、もう、美樹ちゃんがいない、

人生なんて、考えられない・・・」


ふたりに、見つめあう時間が、一瞬、流れた。

それから、どちらかともなく、ふたりは、

キスをかわした。

高校一年のとき知り合ってからの、

はじめての、愛を確かめ合うような、

熱いキスだった。


ふたりだけしかいない、神社の境内には、

午後の3時過ぎの、穏やかな陽の光が、

舞い散る桜や、近くの、ハナミズキの白い花、

新緑の植木などに、静かに、

降り注いでいた。



「わたし、おみくじ、引きたい」


「じゃあ、おれも、おみくじ引こうかな」


つないだ手はそのままに、

ふいに、くちびるがはなれると、

美樹と陽斗は、そんな話をして、わらった。


それから、ふたりは、

紅らんだ、おたがいの顔に、

おかしさが、こみあげてきて、

いっしょになって、声を出してわらった。


神社の桜の木のそばのベンチで、

はじめてかわしたキスは、

ふたりには、まるで夢の中の、

物語でも見ているような、

現実感の希薄な感覚であった。


ベンチの上には、ときおり、

春の陽に照らされながら、

淡いピンクの花びらが舞い落ちる。


ふたりには、時間が止まったような、

神社の境内の風景だった。


祈祷済みの、お札やお守りや絵馬、

おみくじなどを頒布している授与所へ向かって

ふたりは、ぶらぶらと歩き始めた。


神社の入り口の、神域の

シンボルの鳥居や、

本殿や拝殿、

参拝者が、

手や口を清める場所の、

手水舎などの建築は、

朱色で統一されている。


赤い色は、魔除けの色であり、

命や生命力の象徴の色であった。


その赤は、朱と呼ばれて、

まさに神聖な趣があった。


鳥居のすぐそばに、

庇の大きな、黒塗りの屋根の、

手水舎がある。


小さな男の子と女の子をつれた、

5人の家族らしい参拝者が、

柄杓で、水をすくって、

手を清めたり、うがいをしていた。


ここ、下北沢・神社は、

交通安全や災難などの厄除けや、

福をもたらす神様、

商売繁盛の神様、

縁結びの神様などで、

地もとには有名であった。


「わたしんちも、陽くんちも、家の宗教が、

神道だなんて、

やっぱり、なにかの、ご縁ね、きっと・・・」


「そうだね。きっと。神道って、

教祖も創立者もいないし、

守るべき戒律も、

明文化してある教義もないじゃない。

めんどうくさくなくって、いいよね」


「そうそう。むずかしくないところが、わたしも好き」


そういいながら、ふたりは、5人の家族連れのいる

手水舎の横道を歩いて、

石垣に囲まれた高台の上のある

本殿や授与所へ向かった。


ときおり、かすかにそよぐ風が、ふたりには、

やさしい感触で、心地よかった。


「神道って、日本では、古来からあって、

大昔からあったじゃん。

自然が神さまっていう、自然崇拝の思想だよね。

ちかごろじゃ、人間は、自然を壊して、

自分の欲望のままに生きいるけど。


おれ、大昔の人間のほうが、優秀つーか、偉かった気がする。

自然を貴び、崇拝するっていう点では。


自然の中の生命の営みや、動物や植物とか、

山や森や海や岩とかにも、神の力を感じて、

畏れ、慄いたっていうからね。


現代人は、自然を征服したつもりでいるけど、

どちらの考え方が正しいのだろうね。美樹ちゃん。

おれは、古代人のほうが正しいと思うよ」


「わたしも、古代人かな。陽ちゃん、すごいよ。

哲学ばかりじゃなくて、宗教も詳しいんだね」


「宗教も、思想だからね。興味があるんだよ」


「ふーん」



陽斗は、美樹と手をつないで、歩きながら、話をつづける。


「神道って、とてもスケールが大きいんだよね。


自然の中の生命の営み自体、

そのものに、神が宿るっていうのが、

神道の考え方で、思想なんだって。


なんでも、取りこんでしまえるので、仏教やキリスト教の

神さまだって、畏れ多い、

外国の神さまってことで、受け入れちゃうからね。


神道には、具体的な中身とういうか、教義がないから、

ほかの宗教と、争うなんてことも起きないんだよね。


宗教戦争で、人類は滅びるかもしれないんだから、

神道の思想って、人類を救済できるかもしれない、

いつまでも、奇跡的で、革新的な、思想のような気がするよ・・・」


「なるほど、そうよね。陽ちゃん、すごい、勉強家だわ」


「神道には、八百万の神とかいって、

すげえ数の神さまがいることは、

美樹ちゃんも知ってるよね。


八百万の神って、『千と千尋の神隠し』

に出てくる神さまと同じだよね。


あれって、千尋たち家族が、神たちの世界に、

迷い込んったっていうストーリーかなあ。


千と仲良くなる、少年のハクなんて、川の神さまだったもんね」


「カオナシも、神さまだったのかな?」


「カオナシって、愚かな人間の欲望の化身

って気がするけど」


「そうね、すぐに、金とか出して

いやらしいとこなんか、人間とそっくりだわ」


美樹がそういって、ふたりは声を出してわらった。


「神社って、鳥居とか、しめ縄とか、

玉垣とかいわれる石垣とかって、

なんのためにあるのかって、美樹ちゃん知っているかな。


神社は、鳥居や、しめ縄とかの、

聖なる領域と俗なる領域をわける、結界で、

守られているんだってさ。


神さまは、世俗の穢れから、隔絶して、

いつまでも、清浄な状態に

保っておくことが大切なんだろうね。


そんな神さまたちは、人間の対極にあって、

どこまでも、清浄な存在だからね。


清浄が、大切とされるのが、神道なんだよね。

おれって、単純に、清浄を重視するという考え方が、

共感するし、大好きだよね」


「わたしも、陽ちゃんと同じに、共感するわ。

でも、そんな神聖な、清浄な境内で、

さっきみたいなキスなんてして、いいのかしら」


「あ、それって、だいじょうぶだよ」


陽斗は、そういって、美樹と目を合わせてわらった。


「神道では、新しい命を生み出す、

男女の交合は、自然なことだし、すべての根源として、

はっきりと肯定しているんだよ。


交合なんていうと、堅苦しいけど、

セックスやキスとかの男女の営みは、大昔から、

五穀豊穣や、進歩や発展を生み出す、

清浄な行為で、 すばらしいものと、

ほめたたえているんだから。


仏教の真言密教の教えの、

理趣教というのが、

神道の考え方に、とても似ていて、おもしろいんだ。


そもそも、人間というものは、生まれつき、

汚れた存在ではないとして、

理趣経は、人間の営みは、

本来は、清浄なものであるといっているんだ。


理趣経では、セックスや性欲は、清浄であるとか、

男女のセックスのよろこびは、清浄であるとか、

自分も他人も、大自然も、

一体化して、本来はひとつであるとか、いってるんだ。


神道と理趣経って、セックスについて、

まったく同じ感じで、賛美しているよね」


「そうなんだ。わたしたちって、清浄なことを、

しているってことね。自然な行為だもんね。

じゃあ、もっと、いっぱいキスしてもいいのよね」


ふたりは、わらった。



神社の拝殿の右側に、朱色や白壁が

美しい授与所はあった。あたりには数人の参拝者がいた。

おみくじ箱が、授与所の正面におかれた、ほそ長い紅い台の上にあった。


白衣に、紅い袴の、

若いかわいい巫女さんが、授与所の中にいた。


「こんにちは」と、美樹がいったら、

巫女さんも、「こんにちは」と笑顔でこたえた。


美樹は、コンパクトなバッグから、シープレザーのミントグリーンの

長サイフを出して、やや長方形の紅い木箱の、

左上にあいている細長い穴に、100円を入れた。

そして、その木箱の右側に、いっぱい入っている、おみくじから、

1枚を、つまみ取った。


「やった。大吉よ」


美樹は大喜びであった。


「陽くんも、いいの出るといいね」


「おれ、今回はやめとくよ。美樹ちゃんに大吉じゃ、

おれのは、小吉とか、よくない気がするよ」


「そんなもんかも。わたし、1年間は、この運勢かしら」


「きっと、そうだよ、美樹ちゃん。この1年は最高だよ」


ふたりは、わらった。


美樹は、大吉のおみくじを陽斗に見せた。


「なになに、恋愛運にある相手は、おれのことかな?

おれのことだよね、ね、美樹ちゃん」


「そうよ。はるちゃんのことよ。わたしにとって、

はるちゃんは、すばらしい人だって」


美樹は、陽斗に、やさしく、ちょっと、

いたずらっぽく、微笑んで、

大切そうに、おみくじを、サイフにしまった。


美樹の大吉のおみくじは、こんな内容であった。


《 大吉 》


今日のあなたは最高です。

することがすべて幸いの種となります。

心配ごともなく、嬉しい一日です。

こんな日は、わき目をふらず、

自分の仕事や勉強など、

すべきことに専念すると、

その運気はいよいよ盛んになります。

しかし、わがままになったり、

酒や色に溺れると、

せっかくの運気を、

追い出してしまうことになるので、

注意が必要です


【願い事】

かなう。他人のことばに、

迷わされては、いけません。

【待ち人】

連絡もせずに、急に訪れる人に、

幸運のチャンスがあります

【失し物】

出てきます。しかし、ちょっと手間取ります。

その意味をよく考えて。

【旅行】

いいでしょう。ただし連れがいる人は、その人との関係に注意。

【ビジネス】

進んでいいでしょう。ちょっと強気くらいがいい。

【学問】

あなたの勉強方法でいいでしょう。

そのまま努力を続けてください。

【争い事】

ちょっと勝ったら、すぐ退くのがいい。

【恋愛】

その人こそが、あなたにとってすばらしい人

【縁談】

どの人にしようと困ることがあります。

もう一度、よく心を静めて見定めましょう。

【転居】

とてもいいでしょう。

【病気】

快方に向かっています。


≪つづく≫ 








  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る