第7話 臨時・社内会議
「みなさん、おそろいでしょうか。そろそろ、お時間になりましたので、
ただいまから、臨時・社内会議を始めたいと思います。
本日の会議の進行を務めますのは、ヘッド・クオーター(本部)主任の、
市川真帆(まほ)と申します。よろしくお願いいたします」
ライトベージュのフェイスパウダーをまぶたにうすくぬっている、
市川真帆が、出席者を見渡しながら、微笑む。
今年の4月で25歳になる。
幅2メートルほどの、大型ディスプレイには、会社の目標や
企業理念が、映し出された。
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◇ 目標 ◇ 総店舗数1000店
◇ モリカワの経営理念 ◇
モリカワは、社員、一人ひとりの人間性や個性を尊重します。
やる気、自主性、創造性が発揮される企業を目指します。
常に、顧客の満足と感動、社員の働く歓びを、
大切に考える、挑戦と発展の会社でありつづけます。
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会議の出席者は、社長の森川誠、その弟の副社長の森川学(まなぶ)、
社長の長男で、ヘッド・クオーター・課長の森川良(りょう)、
その弟のヘッド・クオーター・課長の森川純(じゅん)、
森川純の大学時代からの友人、ロックバンド・クラッシュ・ビートの
メンバーで、ヘッド・クオーター・課長の、川口信也(しんや)、岡村明(あきら)、高田翔太(しょうた)たち、
そして、統括・シェフ(料理長)の宮田俊介(しゅんすけ)、
副統括・シェフの北沢奏人(かなと)、
コンサルティング・ファーム・部長の岩崎健太、
ヘッド・クオーター・部長の村上隼人(はやと)、
そして、ヘッド・クオーター(本部)・主任の市川真帆の、12人であった。
「それでは、社長、ご挨拶をお願いいたします」そういうと、市川真帆(まほ)は着席した。
「2013年も始まったばかりです。思えば、私が、この下北沢で、
祖母のやっていた、ちっちゃな喫茶店を改装して、
洋菓子と喫茶の店を開店したのが、私が、25歳のときでした。
もうそれから、34年がたってしまいました。
私にだって、若さがあったから、ここまでのことができたのです。
みなさんのおかげ、
みなさんの力がなければ、ひとりでは何もできないのですけどね」
そういうと、社長は、大声でわらった。集まった、みんなもわらった。
「まあ、いまもよく、社長は、なんで、大学出たばかりの若者に、課長なんていう
要職を簡単にあげちゃうんだいって、いまもよくいわれるんですよ」
また、社長は、腹から声を出して、わらった。
「つまり、私のいいたいことは、若さがあれば、怖いものはない。
なんだってできる、そんな、植物でいえば、若い芽の可能性を、
大切に、力にして、会社を盛り立ててほしいということなんですよ。
だから、私は、この人はと、気に入った人には、年齢や経験に関係なく、
大事な仕事を任せますし、がんばってやったもらいたいのです」
ディスプレイの画面には、よく見ることのある、坂本龍馬(りょうま)の写真と、
龍馬の年譜が、映し出された。
「みなさん、ご存じの、龍馬さんは、33歳で亡くなっていますよね。
その生き方は、現代人のように感受性ゆたかですよね。
しかし、なかなか、まねできないのが、その行動力というか、
わが道をゆくという強い意志なのだと思うんですけど、
なんといっても、私は、あの若さを、若いエネルギーを最大限に生かしきった、
という点において、非常に、学ぶところがあるんだと思うんです。
私なんかも、心のどこかで、そんな龍馬をお手本にしていたのかもしれません。
すくなくとも、『若さ』には、特別な敬意を常に感じています。
現代は、明るい見通しが立たない、混迷の時代ですから、
龍馬の生きていた、幕末にとても似ていると、私は思っています。
こんな時代だからこそ、龍馬のような『若さ』がとても重要だと思うんですよ」
今年の8月で59歳を迎える、森川誠は、
新年を迎えてから、髭をはやした。
年相応に白いものが混じっているが
「社長の髭は、なかなか芸術家ふうで、
似合っている」というのが、社内の評判であった。
「まあ、龍馬さんのような『若さ』が、
いまの時代にも大切とか、漠然というか、
抽象的なことをいっても、
よく理解してもらえないかとも思うのですが・・・」
と森川誠は、話を続けた。
「龍馬さんのやりとげた仕事で、やっぱりすごいのは、
薩長同盟を、取り持って、
結ばせたことだといわれています。
なにしろ、薩摩と長州は、
犬猿の仲で、
戦の敵同士だったんですからね。
その双方の心を、いわば和解させて、
団結させてしまったのだから、すごいと思います」
「まあ、そんなことは『若さ』だけでは達成できっこないわけです」
といって、森川誠は、また声を出しわらった。
森川の笑い声が、気どったところのない、子どものように
あどけないものだから、
聞き入っている、みんなからも、笑い声がもれた。
「じゃあ、何が、龍馬さんの偉業の達成の原動力だったのかと、
考えてみるのですが、それは、龍馬さんの『優しさや公正さ』
じゃないかというんですね。これは、わたくしの発見や
考えではなくて、脚本家の
浅野妙子さんの言葉なんですが、
わたくしも同感したというか、感心したわけなんです」
「現代社会は、まさに、この『優しさや公正さ』に欠けているから、
格差も貧困も、さまざまな問題も、発生していると思えるわけです。
そして、社会に求められているものも、集約するというか、単純化していえば、
『優しさや公正さ』なのだと思うのです。
わたくしどもの、仕事の、お客様の求めている、ニーズ、需要も、
『優しさや公正さ』のなかにあるとも、いえるかもしれません」
「すくなくとも、わたくしたちの仕事の達成のためには、
優しさと公正さは、欠かせない、必要なものだと、わたくしは考えています。
社内規定に、
『業務上の連絡など、すべては、
命令はしてはいけない。説得すること。すなわち、
よく話して、相手に納得させること』
とありますが、この規定なども、
優しさや公正さからくる考え方が根本にあるわけです」
「会社の中においては、権力欲や上下関係の意識などは、
本来、不要なもので、仕事の邪魔あり、害悪ですらあると、
わたくしは考えています。
なぜなら、正常な、健全な、コミュニケーションを妨げるからです。
みなさんの個性や人間性など、
個人個人がもつ力を十分に発揮できなくなるからです」
森川誠は、大型ディスプレイを見ながら、話をつづける。
「2012年の12月をもちまして、
わたくしどものモリカワは100店舗を達成しました。
目標を1000店にしてありますのも、
これからは、加速度をつけて、仕事を展開してゆきたいからです」
「この話は、広報にも載せますが、
ここに集まっていただいた、モリカワの、
いわば、司令塔のみなさんには、
特に、龍馬のような若い行動力や、
『優しさと公平さ』を大切にしていただいて、
仕事をしていただきたいと考えています。
わたくしの話は、以上といたします」
「社長、貴重なお話をありがとうございました」と
司会役の市川真帆がほほえんだ。
「それでは、村上部長、よろしくお願いします」
ヘッド・クオーター(本部)・主任で、会議の司会役の
市川真帆が、
微笑みながら、そういった。
市川真帆の、どこか、知性的な美貌は、
社内でも、独身男性の注目であった。
ディスプレイには、『ヘッドクオーター(本部)』と、
いくつもの『事業部』の関係図が映った。
「ごらんのように、現在、事業部は、洋菓子店、ベーカリー、
レストラン、複合カフェ、喫茶店、居酒屋、ライブハウス、カラオケ店など、
12事業部あります。
なぜ、このように、多種の業態を、事業展開しているのかといえば、
外食産業のお客様のニーズ・需要が、多種多様であるからです。
わたくしども、ヘッドクオーター(本部)の仕事も、日々変化していく、
お客さまのニーズ・需要のリサーチ、顧客分析が重要であります。
ただいま、社長からありました『優しさと公平さ』や『若さ』を忘れることなく、
仕事に邁進するならば、目標の1000店舗も、5年間くらいで、
達成できるのではないかと考えています。わたくしからの話は以上です」
今年で、31歳という若さの、いつも礼儀正しく、
優雅な物腰の、部長の村上隼人(はやと)が、
短めに挨拶を終えた。
「それでは、みなさまからの、忌憚(きたん)のない、ご意見など、
よろしくお願いいたします」と市川真帆(まほ)がいう。
「おれは、あらためて、社長の、芸術的なお考えに、感銘を受けました」
と、挙手して、川口信也が、話を始めた。
「おれも岡村も高田も、3人は、はじめは、
ライブハウスの経営ができるということで、
入社を決めたようなものなんです。
そのライブハウスも、現在都内に5店舗あって、
全国に100店舗を展開していくという計画ですが、
おれには、どうも、外食産業とライブハウスとの
関係といいますか、事業展開の真意といいますか、
意味するところが、よくわからないのです。
ご説明いただければと思います」
と川口は、緊張しているらしい、たどたどしい口調でそういった。
「はいはい、わたくしが、お答えします」と、ゆっくり、挙手をして、
社長の弟で、副社長の森川学が、人懐こそうな笑顔で、
向かい側にいる川口信也を見ながら、語りはじめた。
森川学は、今年で43歳だったが、独身であった。
「モリカワでは、外食産業もライブハウスも、広い意味で、
芸術活動と考えてるのです。
モリカワの経営理念にある、常に、顧客の満足と感動、です。
社長も、わたくしも、洋菓子店とかの、スイーツやベーカリーの経営を、
そういう気持ちでやってきたから、ここまで大きくやってこれたんです。
企業経営も事業も、芸術活動と思ってやっていれば、
大きな間違いもないだろうし、顧客のニーズや需要を、
見失うこともないだろうし、成長や発展を続けていけるのだと思います。
広い意味では、わたくしたちは、みんな芸術家、アーチストなんじゃ
ないでしょうか。坂本龍馬も、アーチストっぽいですよね」
モリカワの会議室は、10坪33平方メートルほどの
広で、畳では、20畳ほどであった。
会議用のテーブルが、コの字がたに配置されてある。
正面の南の窓の付近に、
横幅が約2メートルの大型ディスプレイが置いてある。
副社長の森川学が、ディスプレイを眺めながら、
話をつづけた。
「2013年の3月から、モリカワの経営理念に、新たな理念を
追加します」
森川学がそういうと、ディスプレイには次の文章があらわれた。
≪ モリカワは、世のため人のため、芸術、文化の事業を起し、
利益を社会に還元するとともに、社会的責任を果たしてゆきます。 ≫
「まぁ、わが社の経営理念は、顧客、消費者、
社員、従業員など、すべての人間への、尊重と貢献を
基本と原則にしているわけですが・・・」
「そこへ、新に、発展的にというか、革新的といいますか、
戦略的にといいますか、芸術や文化の創造に関わる事業を、
積極的に展開していこうという、事業計画でやってゆきたいわけです」
「これまで、モリカワでは、多種多様に、外食産業を展開してきましたが・・・。
さらなる成長戦略ということで・・・、今後は、ライブハウスなどの全国展開をおこなって、
そんな、芸術・文化事業によって、10代、20代から高齢者までの、
ひろい年齢層の顧客を、さらに開拓していこうという事業計画なわけです。
もちろん、この計画には、モリカワのイメージアップがあります」
「幸い、芸術・文化事業は、雑誌やテレビなどのマスコミにも注目
されてますし、モリカワの宣伝や新規の顧客の獲得や増加、固定化にも
役立つという、相乗効果が生じています」
「・・・というわけで、総じて、事業の進展は、順調な現在の状況です」
ここまで、落ち着きはらった口調で、
副社長の森川学が話しているあいだ、
ディスプレイには、モリカワの代表的な店舗の動画や、
最近、雑誌で取り上げられた記事などが映し出された。
森川学の隣の席の、社長の森川誠が、
「わが社の事業計画は、これまで、ほとんどない、
ユニークなビジネス・モデルかもしれません」と、語り始めた。
「基本的に、ライブハウスなどの芸術・文化事業は、わが社の利益の
社会への還元という位置づけなわけです。
芸術・文化活動をしている人たちを、経済的にも支援していこうという
特徴があります。また、募金やチャリティーといった、貧富の
格差是正のための社会活動もしていくという特徴もあります」
「ライブハウスでの価格設定は、若い人たちが利用しやすいようにと、
極力、低く抑えて、市場価格の50%程度に設定してあります。
モリカワの全店で利用可能なポイントカードを使えば、さらに価格は、
安くなるシステムになっています。
みなさんには、経済的な負担を極力少なくしていただいて、
芸術や文化に親しんでいただいたり、芸術活動をしていただきたいからです」
会議の進行役の、ヘッド・クオーター(本部)主任の、
市川真帆が、微笑みながら、
森川誠のお茶を差し替えた。
女性らしさの盛りの市川真帆には、ソフトな風合いの、
ネイビー・ストライプの社服が、よく似合う。
「ありがとう。まほちゃん」と市川真帆と目を合わせて、森川誠は小声でいう。
「世間じゃ、よく、失敗は成功の元といいますが、
まさに、そのとおりで、モリカワの新たな。、
芸術・文化事業というものは、わたしの息子たちが始めた、
ライブハウス経営がヒントだったのです」と森川誠はつづけた。
「一昨年前の2011年の6月に、長男の、良が、
ライブハウスを始めたのでしたが、その店の経営が、不景気ということもあったためか、
なかなか順調にはいかなく、不振だったのです。
店の資金を出していたこともあって、わたしも考えこんじゃったわけなんです」
そこまで話すと、森川誠は、声を出してわらった。
森川誠の向かい側のテーブルにいる、長男の森川良と、その弟の森川純のふたりが、
一瞬、顔を見合わせて、良が、「おやじ・・・」と小さく、つぶやいたり、
苦笑いして、ふたりとも、うつむいた。
「・・・考えこむのも、たまにはいいものなんです。突然、ひらめきがあったんです。
アイデアがわいたんです。・・・わたしは息子たちにいったんです。
モリカワで、ライブハウスを、東京をはじめとして、全国展開するから、
モリカワに入社して、仕事してみないかってね。
息子たちは、親の七光りとか、嫌いだとかいって、親の会社に入社することには、
ずーっと、抵抗していたんです。
ジェームス・ディーンの『理由なき反抗』って感じかって、私は思ってました」
といって社長は、わらった。会場も、静かな、わらいに、どよめいた。
「まあ、わたしには、そのとき、すでに、ライブハウスなどの、
芸術・文化の事業の全国展開というアイデアが、浮かんでいました。
それが、現在のように、ここまで、的中して、うまくいくとは思っていませんでした。
最近じゃあ、このまま、この事業展開がうまくいけば、株式上場して、
世界への事業展開もいいのかな、くらいに考えているんです。ですから・・・、
みなさんも、夢をもって、仕事に励んでいただきたいものです。以上です」
そういって、森川誠は、また、腹から声を出してわらった。
「社長、副社長、お話をありがとうございました。
それでは、みなさまからの、ご意見など、
ほかにありますでしょうか」
市川真帆が魅惑的な笑みで、みんなを見わたしていった。
「あのぅ、ちょっと、意見があります」と、統括・シェフ(料理長)の
宮田俊介が、ちょっと挙手した。
今年で、35歳になる宮田俊介は、腕のいい、若手シェフだった。
今年、25歳になる、副統括・シェフの北沢奏人の、よき師匠であった。
「立川のパン工房の店長や、そのほかの店舗からも、
『どうしたら、製造作業の、ミス(あやまり)やロス(損失)を無くせるでしょうか?』
と、相談を受けています。
わたくしの経験からいえば、料理をつくるとき、ミスやロスを防止するため、
必ず『OK』と無言で、自分に確認するようにしているんです。
奏人にも、それは実践してもらっているんですけど、
確実に、その方法には、ミスやロスを防ぐ効果があるんです。
そこで、その『OK』とか『よし』でもいいんですが、
無言の確認を、全社的に、実施しては、どうかと思うんですけど。
いかがなものでしょうか・・・」
そういうと、宮田俊介(しゅんすけ)は、向かいのテーブルの、社長や副社長を、
ひかえめに見ると、しずかにちょっと微笑んだ。
「それは、いいアイデアですね。ミスやロスを防止する
方法として、なにも対策もしないで、ただ、『注意してする』
だけより、『OK』と無言でもいいから、
確認したほうがいいでしょう。
さすが、名シェフの俊介さんだ。ありがとう。
さっそく、このアイデアは、全社的に、実践しましょう」
そういって、社長の森川誠は、満面の笑みで、
上機嫌で、大きな声でわらった。
「そうそう、岩崎さん、農業・事業部の、IT化計画は、順調かね。
農作物のデータを数値化や、パソコンでの管理で、効率のいい農業の
実現ができるからね。わが社の利益・創出の生命線ですからね」
森川誠が、向かいのテーブルの、コンサルティング・ファーム・部長の
岩崎健太に、そういった。
今年で37歳になる岩崎健太は、IT技術者でもあり、
モリカワのウェブ・アプリケーションをつくったりする、IT部門のリーダーだった。
「ええ、順調です。できるだけ、パソコンで管理できるシステムを、
導入してゆきます。そうすれば、おいしい野菜や果物を、量産して、
コストダウン(原価低減)もできます」と岩崎はいった。
「岩崎さんも、アイデアの天才っぽい人ですからね。モリカワは優れた
人たちに、本当に恵まれています。みんなで、がんばりましょう」
森川誠が、そんな言葉をのべて、会議は終了した。
≪つづく≫
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