できないんだ

「なぁ、おい」


 今日も下校時刻になる。すると、不意にクラスメイトが俺の背中をちょんと突く。何事かと振り返れば、彼は教室の出入り口を指さした。どうやら俺に客らしい。


「あ、先輩か…」


 そこに立っていたのはあの先輩だった。


「一緒に帰ろ」


 急ぎで教科書類を鞄に詰め込み、急ぎ足で彼女の下に向かう。


「…珍しいですね。先輩の方から誘ってくるなんて」


 教室に残っていたクラスメイト達が密かにこちらを見ている。先輩はそこそこにモテる人だったし…それが余計に視線を集めるのだろう。尤も、俺が先輩と釣り合う男ではないことなど…俺が1番わかっている。


「あら?そうかしら?…近くを通ったからついでよ」

「明日は雪ですかね」


 先輩は教室を一瞥すると、彼らにウインクを残して昇降口に向かう。俺らの教室は3階にあり、先輩の教室は2階、職員室も2階となると…先輩が3階に来たことはかなりの疑問だった。


「雪降ったら、2人で雪だるまでも作りましょうか?」

「結構な積雪量ですね。この地域でそんな雪が降ったら…異常気象も異常気象でしょう」

「それもそうね」


 教室にはやっさん達はいなかった。当然のようにデブちんも。


「あ、でも先輩…ちょっと待っててもらっていいですか?」


 俺は3階の階段を下りる手前で先輩に声をかける。


「わかった。忘れ物ね」

「はずれ。トイレです」

「惜しい」

「どこが…いやまぁ…すぐ戻ります」


 トイレは階段のすぐ近くにあるので、俺は先輩を階段に残してトイレに駆ける。最近やけにトイレが近い…歳のせいか?いや、冷えてきたのか。


 なんて思いつつ、トイレの前まで行くと…不意に中から何かが聞こえてきた。

 今の音はもしかして打撃音?


「デブちん。今日もゲーセンな」

「ちょ…やっさん、怒られたばっかりはマズいって」

「は?だからここでデブちんに金出せっつってんの」

「あ~、隣町まで行きゃ、先生も来ないってな」


 …入ろうとしたトイレから嫌な声が聞こえるのだけれど…


「デブちんが一緒にいると俺らがカツアゲしているみたいに言われるからさ、な?俺ら友達じゃんよ。寄付寄付」


 本当は近寄りたくないが、尿意に逆らうわけにはいかない。しかも…彼らのせいで我慢することになるのは…なんか癪だ。行くぞ。


「今日は1万円でいいわ」

「はい、財布没収~…って5000円しかないぞ?」

「おいおいマジかよ~、じゃあ全額だな。くっそつまんねぇ~ヤツ」


 しかし、俺がトイレに足を踏み入れた瞬間と彼らが出て行く瞬間がちょうど重なった。出入り口でまさかの鉢合わせとなる。


「やっさん達か。また明日」


 俺は慌てて笑顔を繕い、やっさん達に道を譲って見送った。


「おう」

「また明日~」

「じゃあな」


 普通に挨拶もできる彼らがなぜ…いじめなどするのだろうか?


「…っと、トイレにいっトイレってな」


 しかしまぁ…


「あっ…」


 床に落ちていた空っぽの財布を拾い上げたデブちんと偶然目が合ってしまう。合うだけならよかったのに、彼の方が声を漏らしてしまった以上、無視するのも忍びないというもの。


「よ…よぉ」


 こういう時、俺はデブちんと呼ぶべきか、大将と呼ぶべきか。


「…お前ってさ、テスト勉強してる?」

「え?」


 いろいろ悩んで小便の便器の前に立った時、俺はどちらも呼ばなかった。でも、話を続けることにした。正直、無視してもいいような状況だと思うが。


「俺は英語がからっきしでさ。また赤点のピンチ」

「大変だね」

「まったくだ」


 彼の言葉遣いがどこかよそよそしい。もう俺らは昔の俺らじゃないって改めて思い知らされた。だからなんだろう。彼と話をするとふわふわした気持ち悪い感覚に襲われる。


「なぁ…」


 お前はいじめられているんだよな?


「ん?どうした?」


 助けてほしいか?

 いや、そもそもお前はどうなりたいんだ?


「あ~……」


 喉元で言葉が渋滞する。本当に言いたいことが自分でもわかっていないのだ。


「何でもない。悪いな」


 小便を終え、チャックを閉め、ベルトをいじると…手洗い場に立っていた彼と目が合う。


「いや別に…」


 短いやり取りの後、俺は彼に場所を譲ってもらって手を洗う。その間、彼はずっと俺の背後に立っていた。まるで何かを求めているかのように。


「さてと…俺は帰るわ」


 しかしあれだ。言ってもらわないとわからない。俺は手を拭き、後ろにいた彼を横目で見るも…特に何もなさそうだったので、先輩の元に戻ることにした。


「それじゃあまた明日…………大将」


 最後の最後でその呼び名を口にしたのは単なる気まぐれだった。まぁ…彼は少し驚いた様子を見せただけで、薄っすらと笑顔を浮かべ、後からやってきた俺をトイレで見送る。大方、1人になりたいのだろう。


「すっきりした?」


 トイレを出ると、そこには先輩が立っていた。どうやら、トイレの前で待ってくれていたようだ。


「まぁ…それなりには?」


 俺の曖昧な返事に苦笑するも、彼女は颯爽と歩き出す。


「早く帰りましょ。英語、ちょっとだけ教えてあげるから」

「3年生と範囲違うんですけど…」


 俺は軽い足取りで進んでいく先輩の後ろを追いかけた。

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