エピローグ ~勇者がゴブリン~1



 ゴルゴーク帝国、帝都。

 その中心に聳え立つ帝城の地下深くに、その人物はいた。

 もう何年、何十年、何百年と、その人物は帝城の地下に潜んで生きながらえていたのだ。

 誰も足を踏み入れないような、帝城の地下深くに。

 だが、誰もいないはずの地下に、その日は足音が響いていた。

 かつかつかつ、と響く足音。その人物は暗闇に包まれた地下の空間を恐れもせず迷いもせず、規則正しく足音を響かせる。

「おや、珍しい。よくここが分かったね、ガルバルディ殿下。さすがは帝国の密偵たちを束ねる者だ」

 暗闇の中に声が響き、白い光がゆっくりと暗闇を駆逐していく。

 光に照らされた中、その人物に近づいてくるのは、ゴルゴーク帝国第二王子であるガルバルディ・ゾラン・ゴルゴークであった。

「まさか、帝城の地下にこのような場所があったとは……最近まで全く知りませんでしたよ、賢者殿。ここを探し出すのには、随分と苦労させられました」

 足を止めたガルバルディの視線の先、そこには液体の満たされた巨大な筒が存在した。

 そしてその筒の中を揺蕩う人物……いや、「人物」と呼んでいいのか悩むところだろう。なぜなら、筒の中には人間の頭部しかなかったからだ。

 首から下の胴体はなく、首の部分から数本のチューブが伸びており、そのチューブの先は筒の下部へと繋がれていた。

「おや? 僕の姿を見ても驚かないのか? さすがは帝国の王子殿下だね」

「いやいや、十分驚いておりますよ、賢者殿……賢者ジョーカー殿」

 筒の中に揺蕩う生首……賢者ジョーカーと呼ばれたその生首がにやりと笑った。




 生首の浮く筒の前で足を止めたガルバルディは、今更ながら周囲を見回した。

「見たこともない設備ばかり……一体、あなたは何者なのです?」

「僕は……まあ、亡霊と言ったところかな? ゴルゴーク帝国が誕生する前からここにいる亡霊。そう思ってくれればいい」

「では、先日会ったあなたは一体何者ですか?」

「あれもまた僕さ。僕の遺伝子から作り出したコピーを、遠隔リンクで操作していた……と言っても、理解できないかな?」

 宇宙の彼方からやって来た移民たちにとっては、「猛毒」である魔力。地上に落とされたジョーカーもまた、魔力の影響から逃れることはできなかった。

 当時の移民たちが廃棄した地下施設を見つけ出した彼は、そこに篭って研究を始めた。猛毒である魔力を、逆に己の力として利用できるように。

「まあ、魔力を利用……つまり、魔法が使えるようになるまで、結構後ろ暗い真似もしたものさ。もう、大昔のことだけどね」

 筒の中に浮かぶジョーカーの生首が苦笑する。自分自身が生き残るためとはいえ、数えきれないほどの人体実験を繰り返したのは事実である。

 この惑星で暮らしていた当時の住民たちを研究し、その体内に魔力を操作する器官を有することを突き止めたジョーカーは、その器官を自身の体に移植した。

 もちろん簡単に移植に成功することはなく、ようやく魔法が使える体を用意できた時、彼本来の体は魔力の影響で八割が朽ちてしまっていた。

 以来、「本来の彼」は首だけとなり、こうして生命維持装置に繋がれて筒の中を揺蕩ってきたのだ。

「いつの間にか、この上に村ができ、町へと発展し……やがて、君のご先祖様がゴルゴーク帝国を建国したってわけさ」

「そんな話を信じろと?」

「いや、無理に信じてもらわなくてもいいよ。信じる信じないは君次第さ」

 筒の中と外、二人の男たちがにやりと笑みを浮かべ合う。

「そして、最近はあの巨大なゴーレムを帝都の地下で作っていたわけですか?」

「あははは、あれは単なる僕の趣味さ。でも、用意しておいた体の保存に失敗して骨だけになっちゃってねー。おかげで、魔像を作るための資材を集めるのに、盗賊ギルドに協力してもらったのさ。その時に、ちょっとばかり連中を脅し過ぎたかな?」

「盗賊ギルド……『』ですか。あの組織は昔からこの帝都の裏に根付いた厄介な組織でしたが、五、六十年ぐらい前から急に大人しくなったそうです。あなたのせいでしたか」

「まあ、いろいろと調子に乗ってやらかしちゃったんだよね、僕も。おかげで、連中から必要以上に恐れられちゃってさ」

 あははーと筒の中で能天気に笑うジョーカー。そんな彼に対し、ガルバルディは肩を竦めるだけだ。

「連中が大人しくしてくれるのなら、私としては大歓迎ですよ。それで、『火鼠』はこれからも大人しくしそうですか、賢者殿?」

「うん、僕の……というか、当代の《魔物の王》の配下が今の『火鼠』を取り仕切っているから、これからもしばらくは大人しくしているだろうさ。まあ、彼……《辺境の勇者》がいる限りはね」

「ほう、以前から噂になっている《辺境の勇者》が、今の『火鼠』を抑えていると? ふむ、ならば安心できるか? いや、一度その《辺境の勇者》と直接接触してみた方がいいだろうな」

 何やらあれこれと考え始めるガルバルディを、筒の中に浮かんだジョーカーが呆れたように見つめる。

「まあ、僕もこれ以上は生きながらえる必要もなくなったしね。後数年でこのまま朽ち果てるつもりさ」

「ということは……ミーモスたちが?」

「そういうこと」

 筒の中に浮かぶジョーカーが、晴れ晴れとした笑みを浮かべた。



□   □   □   □   □



 俺たちが敵の本拠地である銀月……キリなんとかって巨大な船で戦ってから一年以上が経過した。

 今の俺は、レダーンの町に拠点を置きつつ、時折リュクドの森にも行ったりしながら暮らしている。

 リュクドの森では、ダークエルフのリーリラ氏族を中心に、俺の勢力がほぼ固めていると言っていい。もちろん、リュクドの森は広大で、俺がまだ足を踏み入れていない場所もたくさんある。おいおい、その辺りも調べていくつもりだ。

 一方、レダーンも町は大きく変わった。

 銀月から戻ったミーモスが、正式に大公位を授かってレダーン周辺を領地としたのだ。

 以前、この辺りを治めていた貴族……えっと、何て名前だったか忘れちまったが、そいつが俺たちに喧嘩を売って死んだ後、この辺りは領主が不在だったからな。

 ここの領主と一緒に死んだ他の貴族の領地も統合し、今のミーモスはジョルノー家という新しい大公家を立ち上げてミルモランス・ジョルノーと名乗り、広大な領地を運営している。

 しかし、ジョルノー家って何だよ? どうして以前の俺の名前を使うんだ?

先代勇者の名前を使わせていただいたのですよ。今代の《勇者》として、先代に敬意を払っただけです」

 へん、抜かしやがって。

「それよりもいいのですか? 先程から賢者殿がリピィに話をしたそうにしていますよ?」

 ミーモスに言われて、俺は視線をとある人物へと向ける。

 俺が今いるのは、レダーンにあるミーモスの執務室だ。ゴブリンである俺だが、ここへは自由に立ち入ることができる。

 ミーモスがそのように取り計らってくれたことと、俺が先の大戦……通称「銀月大戦」に決着を着けた英雄の一人であることから、レダーンの町での非公式ながらも俺の立場はミーモスに次ぐ地位として扱われているわけだ。もっとも、ゴブリンである俺に実質的な権力などは全くないがな。

 もちろん、俺の配下たちも町への立ち入りは自由。とはいえ、配下の中には人間を単なる食料としか考えていない奴らもいるので、そういう連中はレダーンまでは絶対に連れて来ないようにしている。

 で、ミーモスの言う賢者殿とやらだが。

「ジョルノー……いえ、リピィ様! リピィ様と師匠が銀月へ赴いた時の話を聞かせてくだされ! そして、リピィ様とユクポゥ殿、そしてパルゥ殿のことも詳細に調べさせていただきたい!」

 額をテーブルに触ればかりに下げながらそう懇願するのは、ジョーカーの弟子であるリーエンだ。

 隣国であるグーダン公国──一応、グーダン公国はゴルゴーク帝国の属国であるが──にいたはずのリーエンだが、俺たちが銀月から帰還したという話をどこかから聞きつけ、それを直接俺たちから聞くため、こうしてレダーンの町までやって来ているのである。

 こいつももういい歳のはずだが、実に元気だな。

 今じゃリーエンはレダーンに留まり、ミーモスの相談役のようなこともしているらしい。リーエンの件に関してはグーダン公国がうだうだ言っているようだが、「銀月大戦」の勝利者であり、今代の《勇者》でもあるミーモスには何も言えないでいるそうだ。

「銀月は神域ではなく巨大な船であったと聞きましたが、その船はどれくらい大きかったのですかな? 更にはその中に街もあったと言われたが、その街の規模は? 統治体制は? 人口は?」

 いやだから、その辺りのことはジョーカーに聞けよ、リーエン。そもそも、おまえは奴の弟子だろう。

 まあ、そのジョーカーの奴が行方不明なものだから、俺に話を聞きに来たのだろうが。

 そうなんだ。ジョーカーの奴、地上に戻った後に突然姿を消しやがったんだ。

 あいつのことだから、今もどこかで元気にしているだろうが……その内、またふらっと戻ってくるだろう。あいつはそういう奴だからな。

「では、リピィ様たちのことを調べさせてくだされ! いまだ誰も見たことのない未知のゴブリン! 是非、儂の手で調べてみたいのです。確か、師匠はリピィ様たちのことを『ラグナロク・ゴブリン』と呼んでいたとか聞きましたぞ?」

 そう。

 銀月で進化した俺と兄弟たちは、これまで誰も見たことのないゴブリンだったのだ。

「どうせ今後、君たちと同じような進化を辿るゴブリンはもう現れないだろうし、神にも等しい連中を倒したのも事実だし、もう神殺しのゴブリン……『ラグナロク・ゴブリン』と呼べばいいんじゃない?」

 とは、ジョーカーの談で、それ以後、俺たちはラグナロク・ゴブリンと呼ばれているわけだ。

「ラグナロク・ゴブリンにはどのような種族の特性が? 特殊な能力などは有しているのですかな? その辺りを是非調べさせていただきたく!」

 あー、うるせえ。

 こいつは無視だ、無視。

「で、帝都の方はどうなんだ? 聞けば、おまえの兄貴とリーリラの族長が、巨大魔像で黒いキメラどもを殲滅したそうだが?」

「ええ、そのようですね。リーリラの族長殿は、今も帝都でバレン兄上の賓客として遇されているそうですよ」

 ダークエルフの族長が皇太子の賓客か。普通じゃ考えられない状況だな。

 何でも、ジョーカーが二人に渡した巨大魔像は、皇太子とグルス族長の二人が揃っていないと動かないらしい。なので、グルス族長は今も帝都にいるわけだ。

 問題の二人は魔像の主導権を巡って喧嘩しつつ、それでも夜は仲良く酒を酌み交わしているとか。何だかんだ言いながら、上手くやっているようだ。

 そんな族長が留守にしているリーリラ氏族の集落は、グルス族長の息子であるゴーガ戦士長が族長の代理を務めている。

 それでいいのか、リーリラ氏族?

 空席となった戦士長の位には、ギーンが代理として就いているので、まあ、今後も何とかやっていけるだろう。ちょっと早目の世代交代だと思えばいいだけだ。

「ガルディ兄上からの報告によると、帝都の裏側を統べる盗賊ギルド『火鼠』を《辺境の勇者》殿が取り纏めているおかげで、以前よりも帝都の犯罪率は下がっているそうです」

 ほう、あの隊長がね。

 元は冒険者崩れの野盗の一人に過ぎなかったのが、今では盗賊ギルドの元締めか。まあ、ジョーカーの影響もあるのだろうが、大した出世と言ってもいいだろう。

 そういや先日、ジョーカーの残した無線機とやらを通して、「第二皇子が突然、非公式ながらも面会を求めて来たんだが、どうしたらいいんだよ旦那っ!?」とか泣き言を言っていたけど、どうなったことやら。

「キメラの襲撃で被害を受けたレダーンも、あなたの配下たちのお蔭で復興はかなり進みましたからね」

 俺の配下たち、特にオーガーやらトロルやらといった巨躯を誇る妖魔たちが、レダーンの復興に尽力している。

 もちろん、連中の目的は人間たちの役に立ちたいからなどではなく、人間が作る料理だ。

「クースが作る料理に比べるとちと落ちるが、それでも人間が作り出す料理は美味いからな!」

「兄者の言う通りよ! 人間たちの料理を食べられるのであれば、奴らの巣を直すのに協力してやるぞ!」

「我らオーガーの膂力、人間どもに見せつけてやろうではないか!」

 と、ムゥ、ノゥ、クゥの三兄弟が、いつものように筋肉を誇張させながら言っていた。

「人間って、芋以外にも美味いものを作れるんだな。俺様、人間を見直したぜ」

 とはザックゥの談だ。こいつ、やっぱり変なトロルだよな。

 そんなわけで、ムゥやザックゥに率いられたオーガーたちやトロルたちが、レダーンの復興に大いに役立ったってわけだ。

 連中は人間を遥かに凌駕する怪力を誇るからな。町の復興にはどうしたって力仕事が多くなるから、最初こそ怯えられたものの、すぐにレダーンの住民たちから頼りにされるようになったらしい。




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