気術



 周囲に漂う、残り少ない魔力が一定方向に凄い勢いで流れていく。

 魔力が向かう先にいるのは、我が兄弟分であるユクポゥとパルゥ。

 状況からして何らかの魔法を使うつもりのようだが、大魔法を使うだけの魔力は既にない。いくら周囲の魔力を根こそぎかき集めようとも、初級の魔法を発動させるのが精々だろう。

 一体、兄弟たちは何をしようとしているのか?

「あの原住民たち……何をするつもりなの?」

 どうやらジャクリーンも兄弟たちが気になるらしい。ヤツはジョーカーの同胞であり、魔力を操作したり感知したりできない。だが、兄弟たちが何かをしようとしていることは理解しているようだ。

「何をするつもりか知らないけど……何となく嫌な予感がするから、先に潰してしまいましょうか」

 ジャクリーンは俺とミーモス、そしてジョーカーによる猛攻をあっさりと回避すると、俺たちから離脱して兄弟たちの方へと移動した。

 その速度はまさに稲妻。俺ではとても追いつけないほどの速さで兄弟たちへと迫る。

 だが。

 だが、迫るジャクリーンに対して、ユクポゥが槍を突き出した。

「それぐらいの動きで……え?」

 今までであれば、ユクポゥの攻撃など余裕で回避してきたジャクリーン。今回も同じかと思われたが、ヤツは大きく身を捩って兄弟の槍を避けたのだ。

「今のは……どういうこと?」

 驚きに目を見開くジャクリーン。そんなヤツに向かって、今度はパルゥが迫る。

 いや、正確にはパルゥが迫っただろう、ということしか分からない。先ほどのユクポゥの攻撃だって、実を言えば槍を構えたところまでしか見えなかったのだ。

 兄弟たちの速度が一気に上がった?

 先ほど集めた魔力で何らかの魔法を発動させたと考えるのが妥当だが……。

「あれは……気術かな?」

 俺の傍らでジョーカーが呟いた。

 気術? 確かに気術は身体強化系の魔法であり、消費魔力はそれほど大きくはない。そもそも気術とは本来、魔法が苦手な戦士などの前衛職が使うものであり、魔法の中では初級に属する魔法なのである。

 それでも、誰でも使えるというものではない。気術も魔法だけあって、それなりに資質が求められるからだ。

 しかも、気術で強化される能力の上昇幅も、実はそれほど高くはない。所詮は魔法が苦手な戦士たちが、補助として使う魔法なのだからそれも当然だろう。

 それでも魔力の操作に優れた者が使えば、結構厄介な魔法に化ける。

 例えば、ゴブリンに転生したばかりの頃の俺が、木の枝を気術で強化して1フット(約30センチ)の立木を両断したように。

「もしかして兄弟たちは……」

「おそらく、ジョルっちの考えている通りだと思うよ」

「どうことですか?」

 兄弟たちとは付き合いの短いミーモスには分からないだろう。

 だが、俺には分かる。まさに生まれた時から常に一緒だった俺は、兄弟たちが何をしでかしたのかを、今ならはっきりと理解できたのだ。




 まだ幼い子供……というか、普通種のゴブリンの幼生だった頃から、ユクポゥとパルゥはずっと気術を使い続けてきた。

 俺が気術を使うのを見て、自分たちも使ってみたいと騒ぎ、俺が教え始めたのが切っ掛けだったよな。

 そして、二人は瞬く間に気術をものにした。

 それからは、俺と共に様々な敵と戦ってきた。兄弟たちの驚異的な身体能力には、俺も何度も助けられてきたわけだ。

 つまり、あの二人は生まれてから今日まで、ずっと気術を使い続けてきた。

 それこそ、常にその体を強化しっぱなしにしていたのだ。だからこそ、あの驚異的な身体能力を発揮できていたのだろう。

 その兄弟たち……ユクポゥとパルゥが、だ。

 新たに進化したその体で、周囲の魔力を全て注ぎ込んで気術を使用したのだ。

 一体、どれだけ彼らの身体能力は強化されたのだろう。

 気術は所詮、初級の魔法。本来魔法の行使が苦手な者にでも使える、初歩中の初歩。

 だが、その初歩の魔法をこれまで毎日欠かさず使い続けてきたとしたら? まさに小さな塵が積もりに積もって巨大な岩塊になるかのごとく、彼らの気術はどこまで強烈な魔法へと化けたのだろう。

 その結果が、今、俺たちの目の前で展開しているわけだ。

 俺とミーモス、そしてジョーカーが三人がかりでも倒せなかったジャクリーン。

 そのジャクリーンを、パルゥが一人で圧倒する。

「ど、どうして急にこんなに強く……っ!?」

 先程まで余裕綽々だったジャクリーンが、驚愕を顔中に貼り付かせて防戦一方に追い込まれている。

「この体は新たに進化したばかりで、イマイチ思ったように動かせなかったけど、もう慣れた。ただそれだけ」

「付け加えるなら、進化したばかりで気術も思ったように使えなかったが、それももう慣れた──だな」

 腕を組み、完全に傍観体勢に入っているユクポゥがパルゥの言葉を補った。

「なるほど……ついさっきまで、彼らはアイドリング状態だったというわけか」

 兄弟たちの言葉を聞き、ジョーカーが納得している。

 こいつが言う「あいどりんぐ」とやらが何なのかは知らないが、要するに兄弟たちは今になってようやく、本調子になったということなのだろう。

 実際、今のパルゥの動きは先程とはまるで違う。それこそ、ジャクリーンを圧倒していても不思議じゃないほどに。

 だが。

 だが、確かに圧倒はしているものの、パルゥはジャクリーンに有効打を入れることができていない。

「今のジャクリーンの体は義体──作り物だ。疲労はするにしても、生身に比べればそのスタミナは圧倒的だ。つまり、このままだと……」

 体力切れでパルゥが負ける……ということか。

 だが、ジョーカーの言っていることは正しい。今のパルゥは確かにジャクリーンと互角以上に戦っているが、それも長くは続くまい。後先考えず全力で戦っているからそこ、パルゥはジャクリーンを圧倒できているのだから。

 そしてそのことは、当のパルゥも気付いているだろう。

 ということは──だ。

 俺は全力で戦い続けるパルゥから視線を外し、その背後で戦いを見守り続けているもう一人の兄弟分へと目を向けた。




「強いな、あの女」

 パルゥとジャクリーンの戦いを見つめながら、ユクポゥがぽつりと呟いた。

「何でも、あの女は俺やミーモスの経験と技術を受け継いでいるそうだからな」

「ほう。そりゃ強いわけだな」

 ユクポゥの隣に移動し、俺たちは戦いから視線を外すことなく言葉を交わす。

 ちらりと横目で兄弟の様子を見れば、ユクポゥは不敵な笑みを浮かべていた。つまり、こいつはジャクリーンに勝てる自信があるということか?

 俺がそのことを兄弟に問い質そうとした時。

 それまで激しく戦い続けていたパルゥが、突然大きく後ろに下がって構えていた剣と盾を下ろした。

「……何のつもり?」

 不審そうに眉を寄せるジャクリーン。そのジャクリーンにパルゥは微笑みかけた。

「私の役割はもう終わり。そうでしょ?」

 パルゥは俺とユクポゥへと振り向きつつ、笑みを絶やすことなくそう言った。

「あとはユクポゥの番だからね」

 パルゥはすたすたと俺たちの傍まで下がる。ジャクリーンに背中を向けているが、ヤツが攻撃してこないと信じているのだろう。それとも、攻撃されても何とかする自信があるからか。

 そして、パルゥが俺たちのところまで下がると同時に、ユクポゥが前に進み出る。

「真打登場……というわけか」

「どうやらそのようですね」

 穏やかに微笑みながら、そう言ったのはもちろんジョーカーとミーモスだ。

 いつの間にか俺たちの傍に来ていたジョーカーとミーモス。少し離れた背後には、サイラァの姿もある。

 仲間たちは皆、この戦いにそろそろ決着がつくことを予感しているのだろう。

「今度はあなたが相手なの?」

「そういうことだ。いい加減、この戦いを終わらせたいからな」

「あら? この私に勝てるつもりなの? 先程あっちの女が互角に戦えたから、勝てるとでも錯覚しているのかしら? だったら大間違いよ? 私の全力はこんなものじゃないわ」

 途端、ジャクリーンの体が消える。いや、消えたように見えた。先程までも驚異的に速かったが、今の速度はそれ以上だ。

「どうやら、リミッターを一つ外したようだね」

「どういうことですか?」

 ミーモスがジョーカーに問う。何でも、いくら最大限に強化した体とはいえ、全力で動けばどうしても無理がでる、ということらしい。

「出力が高ければ高いほど、体の各部に無理がかかる。人工的に強度を最大限にまで高めた体だって、どうしても限界は存在するからね」

 その無理を抑えるために、ヤツの体には細工がしてあるのだろう、とジョーカーは予測したらしい。で、その細工を操作して、もう少し無理が利くようにしたというわけだ。

 しかも。

 気付けば、いつの間にかジャクリーンは手に武器を持っていた。先程までクリフォードも使っていた何とかブレードとかいう光り輝く剣だ。

 その武器を、ジャクリーンが神速で振るう。

 同時に、何かがぽーんと勢いよく跳ね飛んだ……いや、刎ね飛んだというべきか。

 空中に舞い上がったのは、間違いなく腕だったのだから。




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