バイオテロ
〈キリマンジャロ〉は、巨大な宇宙移民船である。
船内に数十万人規模の市民が暮らす都市を持ち、それ以外にも政治、軍事、生産などの重要区画を擁する。
だが、〈キリマンジャロ〉の内部がどれだけ広大な空間であろうとも、宇宙船内という閉鎖空間であることには変わりない。
昼夜の移行も天候の変化も、全ては人工的に作り出されているのだ。
そして、人工的に作り出されいるものの中に、風──すなわち空気の循環も含まれる。
人間が生きていく上で、絶対に必要となる酸素。広大な〈キリマンジャロ〉の中の空気は、船内にいくつも設置されている高性能空気清浄システムによって、常に十分な量の酸素を与えられて循環している。
その循環システムは、現在リピィたちがいる会堂にも当然ながら及んでいる。
循環システムの末端の一つ──会堂に設置されたエアダクトから、何かが勢いよく噴き出した。
もちろん、通常の循環システムではありえない現象であり、噴き出した「何か」は目には見えない。
だが、クリフォードが自身の体にインストールしている各種のセンサーが、その「何か」に反応して警鐘を鳴らす。
クリフォードの網膜に直接投射表示される各種の情報に、彼の顔色がはっきりと変わった。
「ジョージっ!! き、君は……君はなんてことを……っ!!」
怒気を孕んだ視線を、クリフォードはジョーカーへと向ける。
当のジョーカーはと言えば、視線だけで人を殺せそうなほどの怒りを漲らせるクリフォードを、冷笑を浮かべて見つめていた。
「ここ……〈キリマンジャロ〉に魔力がないことは分かっていたからね。当然、手を打つに決まっているだろう?」
そう。
ジョーカーが循環システムに細工を施し、そこから勢いよく噴き出しているのは、地上よりここまで乗って来たシャトルにこっそりと搭載されていた、高濃度に圧縮されていた魔力だ。
かつて、地上より持ち込まれた魔力によって、〈キリマンジャロ〉の住民たちは壊滅的なダメージを受けた。それほどまでに、魔力はここでは猛毒なのである。
その猛毒が、かつて〈キリマンジャロ〉の住民であったジョーカーによって、再びこの地に解き放たれた。それはまさしく、バイオテロと呼ぶに相応しい暴挙である。
「こ、この魔力除去システムは、君たちが……君とジャッキーがまさに命をかけて作り上げたものだろうっ!? それを……魔力除去システムに細工をして魔力を循環させるなんて……っ!!」
「今の僕にとって、魔力は毒でもなんでもないからね。そう言えば、そのジャッキーの姿が見えないようだけど、彼女はどうしたんだい?」
だが、クリフォードはジョーカーの質問に答えることもなく、ただただジョーカーを睨みつけるのみ。そして、そんなクリフォードにジョーカーは落胆の表情を示したのだが、それに気づいた者は一人もいなかった。
リピィたちゴブリン組は原因不明の不調で床に倒れ、ミーモスは怪我のせいで注意力が低下しているし、サイラァは意識不明。
クリフォードはあまりの怒りのためか、正面からジョーカーを見ているにもかかわらず、彼のその小さな変化に気づかなかったのだ。
「そうか……もしかすると、彼女はもう……」
「何を小声でぶつぶつ言っているのだ、ジョージっ!! 君は再びこの〈キリマンジャロ〉を、汚らわしいウィルスで汚染するつもりかっ!?」
「どうせもう、僕たち以外には誰もいない場所なんだ。汚染するもしないもないだろう?」
「たとえ現実はそうだとしても、ここは君の……いや、私たちの故郷だ! そこを自分の意思で汚染させるなんて……」
「故意的にここの住民に魔力を感染させた者の言葉とは思えないね?」
ジョーカーは推測する。おそらく、彼の旧友は既に限界なのだと。その限界は、単に体だけではなく心にまで及んでいる。
変わり映えのない閉じた世界の中での刺激の少ない生活は、心をゆっくりと壊していくのだろう。
クリフォードの言葉と行動は、既に統一性がなくなっている。それは即ち、彼の心が壊れている証左なのだろう。
今、会堂の中はジョーカーの手によって、一時的にとはいえ魔力が充満した。
だが、それがクリフォードに致命的なダメージを与えるというわけではない。
既に魔力に対する防衛手段は確立しているのだ。他ならぬジョーカーの手によって。
〈キリマンジャロ〉の多くの住民を救うには、その防衛手段が確立されたのは遅かった。だが、クリフォード一人を魔力という猛毒から守ることは可能なのである。
更には、彼が率いる機械兵たちは、元々毒など効かないロボット兵だ。彼らもまた、魔力は脅威とはならない。
それなのに、ジョーカーが魔力を充満させた理由。それはもちろん──。
銀色の閃光が迸る。
ジョーカーに気を取られていたクリフォードは、それでもその銀の閃光──剣の一閃を間一髪で回避した。
驚いた表情を隠しもせずにクリフォードが凝視する先には、完全に怪我が癒えたミーモスの姿があった。
更に彼が視線を巡らせれば、膝立ちになったダークエルフの姿が。
この場に魔力が満ちたことで、自己を癒す魔法が自動発動し、意識を取り戻したサイラァが、魔法でミーモスを回復させたのだ。
もっとも、そのサイラァの目はどこか虚ろだ。それは自身が負った怪我の回復が完全ではないからだが、もしもリピィの意識があれば、彼女があえて自分の怪我を完全に回復させていないことに気づいて溜め息を吐いただろう。
サイラァが目をどこか虚ろにさせているのは、自身の体を走る痛み──彼女にとっての快楽──を味わっているからに他ならない。
「…………地上の魔法という技術は、本当に厄介だな。今度こそ、まずはその鬱陶しい原住民の女を殺してやろう!」
地を蹴り、猛然とした速度でサイラァに迫るクリフォード。その両手には光輝く剣が握られ、その光剣はサイラァの細い体を両断するに十分な凶器だった。
だが、そのクリフォードの進路に立ち塞がった者たちがいた。
「なに────っ!?」
クリフォードの進路上に立ち塞がり、レーザーガンを構えたのは機械兵だった。
この会堂内には全部で14体の機械兵がいた。その内の5体が、なぜかクリフォードの邪魔をしたのだ。
咄嗟に足を止め、横っ飛びに移動するクリフォード。数瞬前まで彼がいた空間を、五条の光が射貫く。
「ジョージ! 先ほどからあまり行動していないと思ったら……」
「そういうことさ。君が率いる機械兵の内、5体のコントロールを僕の支配下に置いた。いやあ、さすがの僕も、網膜に直接投影された仮想コンソールを視線入力だけで操作し、機械兵の支配権を奪うのは難しかったよ。僕対策であろう、かなり硬いプロテクトが組んであったしね」
欲を言えば半分のコントロールを奪いたかったけど無理だった、と続けたジョーカー。
「ミーモス殿下! 機械兵たちは僕が引き受ける! 殿下はクリフォードに集中してくれ! そろそろクリフォードが持っているレーザー兵器も使用限界がくるはずだ!」
「承知しました!」
「サイラァくんは殿下の援護を頼む」
「ミーモス様よりも、リピィ様たちを回復させた方がいいのでは?」
吐く息に色がついていそうなほど恍惚とした顔をしながら、サイラァがジョーカーに問う。
「ああ、きっと今のジョルっちたちに君の回復は無駄だよ。なぜなら──」
言葉を途中で途絶えさせ、ジョーカーはサイラァの体を押し倒すように床へと伏せる。その頭上を、数条の光が音もなく通過した。
「詳しいことを説明している暇はない。今は僕の指示に従ってくれ!」
「は、心得ました」
サイラァが答えると同時に、ジョーカーが支配した機械兵たちが再び発砲する。撃ち出されたレーザーはかつての同僚たる機械兵の2体を見事に射貫き、活動停止に追い込んだ。
もっとも、ジョーカーが支配した機体も1体が同様に破壊されてしまったが。
数的にはクリフォード側が倍となった機械兵。だが、ジョーカーという高位の魔術師が加わることで、数上の不利はあまり問題とならない。
敵の機械兵が寝返った元同僚たちに向かってレーザーを撃つ。だが、そのレーザーはジョーカーが魔法で作り出した障壁によって全て遮られてしまった。
「地上の魔法の中には光と熱を操った、まさにレーザーと同じような攻撃魔法もあるからね。その魔法に効果のある防御魔法なら、レーザーにだって有効というものさ」
高火力兵器が飛び交う戦場において、ものを言うのは攻撃力ではなく防御力である、とジョーカーは考える。
この〈キリマンジャロ〉に搭載されている対地ミサイルや艦砲を用いれば、地上の城や要塞を一撃で吹き飛ばすことは難しくはない。だが、それに抗う方法もまた、ないわけではないのだ。
それこそが、〈キリマンジャロ〉の科学技術とは全く別系統の技術と呼ぶべき魔法である。
確かに、地上の文明と技術は〈キリマンジャロ〉のそれに劣る。だが、決して無力というわけではない。
先ほど例に挙げたミサイルや砲撃にだって、対抗可能な防御魔法は存在する。もちろん、そのような大規模な防御魔法は、何人もの魔術師が儀式を行うことでようやく発動させることができる高難度なものではあるのだが。
だが、この場でそのような大規模魔法は必要ない。
文字通り光速で撃ち出されるほぼ回避不能なレーザーだって、その銃口から軌道を予測し、障壁でレーザーの軌道を逸らすことはできるのだ。今まさに、ジョーカーがそうしたように。
もちろん、クリフォード側にもレーザーを防ぐ技術はある。だが、コストパフォーマンスの面から言えば、ジョーカー側の魔法の方が優れていると言えるだろう。
実際、クリフォードが率いている機械兵たちは、対レーザー用の防具を所持していない。
敵である《勇者》や《魔物の王》に、レーザーもしくはそれに類似した魔法はないと判断したクリフォードが対レーザー防具を持たせなかったからだが、今はそれが裏目に出てしまった。
もちろん、クリフォードだって機械兵のコントロールが奪われる可能性は考えていた。そのため、極めて高度なプロテクトを施しておいたのだが、ジョーカーはそれを上回ってしまったのだ。
一撃必殺の高火力が飛び交う戦場で、ものを言うのは防御力。
ジョーカーのその持論通りに、この場の機械兵同士の戦闘はジョーカー側がほぼ一方的に戦場を支配したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます