異変



 受け身を取ることもできず、俺は顔面から床へと倒れ伏す。

 幸い、足元に敷かれた分厚い敷物のおかげで、致命的な怪我を負うことはなかった。

 でも、顔が痛いのは間違いない。

 その痛みに必死に耐え、何とか顔を上げる。

 体は思ったように動かない。自分の体がまるで他人の体のようだ。

 もしかして、これって兄弟たちと同じ状況なのか? だとしたら、原因はやはりここが魔力のない場所だからか?

 それとも、空気中に何らかの毒が含まれてでもしていたのか?

「一体どうしたというのですかリピィっ!?」

「ジョルっち! まさか…………?」

 俺の近くでミーモスとジョーカーが何か叫んでいるようだが、俺にはよく聞き取れない。

 体だけではなく、感覚や意識も徐々に薄れてきているようだ。

 それでも、暗黒に飲み込まれそうな意識を必死に繋ぎ止め、俺は周囲の様子を確かめようと努力した。



□   □   □



「おやおや? どうやら《魔物の王》は限界のようだねぇ? 《勇者》はまだ大丈夫なのかな?」

 嫌な笑みを浮かべつつ、クリフォードが倒れた《魔物の王》を見下ろす。

 その背後にはレーザーライフルを構えた機械兵たち──人間を機械で強化した兵士ではなく、最初からロボットとして作られた存在──を従え、まさに王者のように振る舞う。

「さあ、ジョージ。私たちの決着をつけよう。今日まで続いた君と私の決着をね!」

 クリフォードが手にした光剣を構える。対してジョーカーは、なぜか無言で立ち尽くすのみ。そのジョーカーを庇うように、ミーモスが愛槍を構えて前に出た。

「無粋だよ、《勇者》。これは僕とジョージの戦いだ。関係のない者……いや、単なるユニットの分際で割り込むんじゃない」

「だからと言って、ここで退くわけにもいきませんね。そんなことをしたら、後でリピィに何を言われるか分かったものじゃありません」

「その《魔物の王》はもう二度と立ち上がることはできないよ」

「どういう意味です?」

「こういう意味さ」

 そうクリフォードが答えた瞬間、彼の姿がミーモスの前から掻き消えた。

 直後、嫌な予感がミーモスの全身を駆け抜けた。その予感に従い、彼は床へと自ら倒れ込み床の上で一回転して素早く立ち上がる。

「ほう、今のを躱すか。《勇者》の肩書は伊達ではないね」

 光剣を振り抜いた姿勢で、クリフォードがミーモスへと言葉をかけた。

「倒れている原住民……いや、地上では妖魔とか呼ばれていたかな? そいつらはここで死ぬのさ。もちろん、君とジョージも一緒にね」

 再びクリフォードの姿が消える。

「ミーモス殿下! クリフも機械兵同様、各種迷彩機能を自身の体にインストールしている!」

 クリフォードの体にも、先程まで姿を消していた機械兵たちと同じ機能が搭載されている。彼が姿を消して攻撃を仕掛けるのも、その迷彩機能を駆使しているからだ。

 ジョーカーの忠告を受け、ミーモスは全身の感覚を研ぎ澄ませる。その直後、ミーモスが大きく背後へと飛び下がった。

 一瞬後、それまでミーモスがいた空間を光の剣が薙いだ。同時に姿を現したクリフォードが、やや眉を寄せてミーモスを見た。

「これも躱すとは……少々、地上の原住民たちを舐めていたようだね」

 クリフはそれまで空いていた左手にも、右手と同じ光剣を手にする。

「では、もう少しギアを上げるとしよう」

 三度クリフォードの姿が消える。今度もミーモスは五感の全てを鋭くしてクリフォードの気配を捉えようとした。

 だが。

「────っ!!」

 ミーモスが行動を起こすよりも早く、彼が手にしていた槍が三つに断たれた。

 手の中に残った愛槍の残骸を、ミーモスは呆然と見下ろす。

「ふふふふ、今度は反応できなかったか。どうやらこれが君の限界のようだね、《勇者》殿?」

 両手に光の剣を携え、呆然とするミーモスをクリフォードは見くだした。

「殿下!」

 ミーモスの元へと駆け寄ろうとするジョーカーを、機械兵たちが銃口を向けて牽制する。いや、兵士たちが銃口を向けているのはジョーカーではなく、床に倒れているサイラァだった。

「少し待っていろ、ジョージ。下手に動くと、妖魔の雌の息が完全に止まることになるぞ? まずはこの下等な原住民を殺してから、改めて君の相手をしてあげるから」

 あくまでも余裕を崩さないクリフォードに、ジョーカーは冷ややかな視線を向ける。

 同時に、一瞬だけその視線をやや斜め上に向けたのだが、そのことにクリフォードもミーモスも気づかない。

「…………まだか? そろそろのはずだが……」

 小さな小さなジョーカーの呟き。それは誰の耳にも届かなかった。




 二振りの光剣が、ミーモスを襲う。

 愛槍を失い、予備の武器である剣を腰から引き抜いたミーモスだが、その剣でクリフォードの光剣を受け止めるようなことはしない。

 希少金属に魔法を用いて更に強力に鍛えられたミーモスの剣は、帝国の第三皇子にして今代の《勇者》が持つに相応しい業物である。

 だがその業物を以てしても、クリフォードが操る光の剣を受け止めることはできないだろう。もしもあの光剣を受け止めようと思えば、先ほどの愛槍のようにあっけなく斬り裂かれるに違いない。

 よって、ミーモスは回避に専念することを強いられた。

 クリフォードは先ほどのように姿を消していない。更に、攻撃を繰り出す速度もミーモスが見切れるぎりぎりのものであった。そのため、ミーモスも何とか回避できている。

 間違いなく、あえてクリフォードは姿を見せ、ミーモスが回避可能なぎりぎりの速度で攻撃を繰り返している。ミーモスを弄び、追い詰めるために。

「ほらほら、どうした、《勇者》殿? 遠慮なく反撃してきてもいいのだよ?」

 「く…………っ!!」

 クリフォードの挑発に乗ることもなく、ミーモスは冷静に回避を続ける。だが、防戦一方である現状は、彼の精神を少しずつ消耗させていく。

 地上やこの銀月で遭遇した過去の《勇者》や《魔物の王》の亡霊たち。ジョーカーが言うには、それら亡霊たちはミーモスたちの知らない技術で体が強化されているらしい。

 クリフォードの体もまた、その技術で強化されているのだろう。でなければ、曲がりなりにも《勇者》と呼ばれるミーモスが、ここまで一方的に追い込まれるはずがない。

 もちろん、ただ身体能力を上げただけで、ミーモスを圧倒できるわけがない。おそらくクリフォードは、これまでに蓄積してきた過去の《勇者》や《魔物の王》の戦闘技術や戦闘経験をデータ化し、自身にダウンロードしているのだろう。

 実際、リピィやミーモスはこれまでの何度もの「転生」において、記憶や経験を引き継いできたのだから。それと同じことがクリフォード自身にもできないわけがない。

「殿下、今は防戦に専念するんだ。一見無敵に見えるレーザー兵器だが、弱点がないわけじゃない。特にレーザー兵器は過熱を無視できないから、逃げ続けていればいずれ好機が────」

 突然耳元から聞こえきたジョーカーの小さな声。ちらりと視線を自分の肩へと向ければ、そこに一匹の鼠がいた。もちろん、この鼠はジョーカーの使い魔だ。これは地上でジョーカーとの連絡用に渡されていた使い魔であり、ずっとミーモスの上着のポケットに入っていたのだ。その使い魔が、いつの間にかミーモスの肩に来ていた。

 ジョーカーが使い魔を通して、ミーモスに助言を与えてくれたのである。

 だが、使い魔からの言葉が終わるより早く、彼の頬ぎりぎりを通過した光の剣の切っ先が使い魔を貫いた。貫かれた使い魔の鼠は、光剣が放つ熱によって瞬く間に蒸発してしまう。

 ミーモスの頬にもレーザーの熱による火傷が走るが、今はそれを気にしてはいられない。

「ふん、ジョージらしい姑息な手だね。私だって、地上の魔法技術は研究してはいるんだよ? 使い魔を使って、何を《勇者》に吹き込むつもりだったのやら」

 クリフォードは鼠が使い魔だと一瞬で見破り、即座に排除したのだ。

 だが、ジョーカーの助言はミーモスに届けられた。おそらく、クリフォードには鼠が囁いた声は小さすぎて届いていないだろう。

 ミーモスはジョーカーの助言に従い、持久戦を決意した。

 だが。

 だが、光剣を振るうクリフォードの速度が更に一段上がり、ミーモスの腹から左肩にかけてを光剣が掬い上げるように斬り裂いたのは次の瞬間だった。

「ぐ…………うぅっ!!」

 傷口から少量の血を撒き散らしながら──レーザーの刃が体を焼き斬ったため出血がある程度抑えられた──、ミーモスが数歩後ずさる。

 傷口は大きいものの、それほど深手ではない。もしもサイラァが万全の調子であれば、瞬く間に治癒することができる程度の傷だ。だが、決して軽傷でもない。

 回復役のサイラァは既に倒され、ミーモスを癒すことはできない。

「今のはそこそこ本気で斬り込んだんだけど、間一髪で避けられたか……だけど、持久戦には持ち込ませないよ? さて、原住民を相手にするのも飽きてきたし、そろそろ終わらせようか」

 クリフォードがそう最後通告を発した、その時だ。

 突然、彼らがいる会堂の通風口から、勢いよく「何か」が噴き出したのは。




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