ワンダバ
その後、戦局は一方的だった。
地上から来る過去の《勇者》はハライソが、空のキメラは『アラクネ』たちが、見る間にその数を減らしていく。
特に、『アラクネ』たちは実に効果的だった。ジョーカーがキメラ専用に特化して創り出しただけのことはある。
「しかしよくもまあ、こんな短時間にこの白い蜘蛛どもを創り出したものだな、ジョーカー?」
「最初に黒いキメラを見た時……グフールくんの群れを襲ったキメラがクリフの作品だと分かった時から、自分も何か創ってみたく……じゃなくて、いつかこんなことがあるんじゃないかと思っていてね。それでその対策をしておいたのさ」
何か今、とても気になることを言いかけた気がするが、まあ、ジョーカーのやることだからな。
気にしたら負けだ。
それはともかく、戦闘の趨勢は既に決したと言っていいだろう。
いや、今まさに不思議な窓の向こうで、戦いが決着したところだった。
ゲルーグルとその配下のゴブリンたちが、あまりにも一方的なその展開に思わず棒立ちになっているほどだ。実際、ゲルーグルの〈歌〉の支援さえ必要なかったしな。
「さあ、我が美少年よ! 後顧の憂いはこの妾が払ってやったぞよ? 心おきなくその使命を果たすがよい」
ハライソが、窓の向こうで俺たちに向かってそう言った。まるで、俺たちが見ていることにきづいているかのようだ。
いや、あいつのことだから、俺たちのことに実際に気づいているのだろう。俺たちに向かって、そのダブついた頬をにやりと吊り上げ、親指を突き立てているしな。
「よし、これでシャトルの発射に専念できるね! 発射シークエンス、スタートだ!」
嬉々とした表情で、ジョーカーが机の上にある突起の一つを、たん、と軽やかに叩いた。
《Attention, please! Attention, please! 当シャトルはただ今より、発射態勢に入ります。関係各員は直ちに所定の位置にて、発射シークエンスを開始してください。また、シャトル外のスタッフは────》
どこからともなく、女の声がした。
思わず周囲を見回してみるが、もちろんここには俺たち以外には誰もいない。
「お、おい、ジョーカー。今の声は……?」
「ああ、ただの録音された機内アナウンスだよ。このシャトル、元々は地上と〈キリマンジャロ〉を繋ぐ定期便だったみたいなんだ。だから気にしなくても大丈夫」
当時の宙港としての地上施設はもう残っておらず、併設されていた教会部分の残骸だけが辛うじて残って遺跡になっているみたいだ、とジョーカーは更に続けた。
そして、ジョーカーがそこまで言った時、がたん、と俺たちが乗っているこの大きな船が揺れる。
一体何ごとだ? と腰を浮かしかけるが、がっちりと椅子に拘束されているために、それもできない。
「大丈夫、大丈夫! 今からこのシャトルは本格的に発射態勢に入るからね! 実はここ、シャトルのメンテナンススペース……つまり、格納庫なんだよね。これから、打ち上げ用のカタパルトに移動するのさ」
奴がそう言うと同時に、俺たちが乗っている巨大な船が動き出した。
がたんごとんと小刻みに揺れつつ、船は横へ移動しているようだ。そして、しばらくその揺れが続いていたが、再び大きくがたんと揺れて移動が止まった。
「さあ、いよいよだ! シャトル発射シークエンス……いや、ワンダバシーンの開始だよ!」
またもや不思議な窓が開き、外の景色を映し出す。
映っているのは、ゲルーグルの群れが塒にしている遺跡の周囲の森のようだ。
遺跡から少し離れた場所に生えている樹々が、突然倒れ始める。
樹々が倒れた後には、当然大地が剥き出しになった広い空間が生じる。そして、その剥き出しになった土地が、ゆっくりと二つに分かれ始めた。
「はははは!
なぜか、妙に嬉しそうなジョーカー。まあ、こいつは放っておいてもいいだろう。
窓の向こうでは、割れた大地の中から、鉄で組み上げられた巨大な橋が、するすると空に向かって伸びていた。
気づけば俺たちが乗っている船の、本物の窓の向こうが明るくなっており、そこには空に向かって鉄の橋が伸びているのが見える。
どうやら窓に映っている鉄の橋は、俺たちの船の下から伸びているもののようだ。
「さあ、いよいよ打ち上げだ! このシャトル、できる範囲で何とかメンテナンスしたけど、それでもどうしたって限界があってね。特に発射時のG緩衝システムがイマイチ調子悪くて、それなりのGがかかると思うけど……そこはがんばって耐えてね!」
な、何? それってどういう意味だ? 何か穏やかならぬことを言わなかったか?
それをジョーカーに問い質そうとした時、ぐんと俺の体に大きな衝撃がのしかかった。
まるで俺を押し潰そうとするかのような、大きな衝撃。座っている椅子にぎゅうぎゅうと押し付けられ、思わず口から苦悶の声が漏れ出る。
こ、これ、本当に大丈夫なのか……?
必死に首を捻って周囲の様子……兄弟たちやミーモスの様子を確かめてみるが、着こんでいるヘンテコな服のせいでそれも叶わない。なんせ、鎧の兜のような帽子のせいで、皆の顔がよく見えないからだ。
だが、皆がこの衝撃に必死に耐えているのは何となく分かる。
あ、いや、訂正だ。
なぜか、兄弟たちは平気そうだ。兜で遮られて表情は窺えないが、それでも雰囲気で何となく分かる。絶対、兄弟たちは楽しんでいるに違いない。
ホント、どこまで怪物なんだよ、俺の兄弟たちは。
そんなことを考えながらも、俺は体にのしかかる重圧に必死に耐えるのだった。
しばらく重圧に耐えていると、不意に体が楽になった。
「さあ、もうシートベルトを外しても大丈夫だよ」
と、ジョーカーが自らの拘束を外しながらそう言う。
だが、この複雑な拘束、どうやって外すんだ? それは俺だけの思いではないようで、兄弟たちもミーモスも、椅子の拘束を解くことができないようだ。
そんな俺たちを見かねて、ジョーカーが拘束を外してくれる。って、おい、どうしてそんな簡単に拘束が外せるんだ? 何か簡単な操作をしただけで、この複雑な拘束が外れたぞ?
拘束を外してもらった俺は、椅子から立ち上がった。いや、立ち上がろうとした。
すると、なぜか体が宙に浮いてしまった! おいおい、誰が《浮遊》の魔法を使ったんだよ? ミーモスか?
そう思って奴を見れば、ミーモスもまた、体を宙に浮かせてあたふたしていた。ん? ミーモスが《浮遊》を使ったわけじゃないのか?
その他の面々……兄弟たちは、体が宙に浮いていることが楽しいらしい。最初こそじたばたとしていたが、すぐに要領を得たのか、船の床や天井、そして壁を蹴って今の状況を楽しんでいる。
ミーモスも落ち着きを取り戻し、何とか現状を把握しようとしているようだ。
そしてサイラァは……こいつ、立ち上がった拍子に天井に頭をぶつけたのだが、それが気に入ったらしく、何度も浮かび上がっては天井にごつんごつんと頭をぶつけている。
まあ、今被っているこの変な兜のお陰で、それほど打撃はないだろうが……ホント、こいつはいつでもどこでもブレないよな。
その後、ジョーカーに兜も脱いでいいと言われた俺たちは、何とか兜を外した。
そして、この時になって俺はようやく気付いた。
俺たちが乗っている船の窓から、星空が見えていることに。
これは一体どういうことだ? 確かに、先ほどまで昼だったはずだぞ? それが、どうして一瞬で夜になったんだ?
「もう大気圏を抜けたからね。外は完全な宇宙……つまり、いつも夜の世界、
い、いつも夜の世界だと? そんな場所があるわけが……って、実際に目の前に広がっているわけだが。
これから俺たちが向かうのは、邪悪なる神々が座すと言われる銀月だ。ジョーカーが言うにはそこに神はいないそうだが、それでも俺たちの常識外の場所なのは間違いない。このいつも夜という「常夜の世界」を見れば、そのことは嫌でも理解できる。
しかし、いつも夜では作物や植物は育たないだろうに。一体、この世界で生き物はどうやって暮らしているのだろうか? それともこの「常夜の世界」とやらには、生き物は全くいないのか? ああ、あり得るかもしれないな。
ジョーカーにそのことを問えば、やはりこの「常夜の世界」には生物はいないらしい。それどころか、ここには水も空気も大地さえないとのこと。
いや、ここってどんな魔境なんだよ。そんな場所にいて、俺たちは大丈夫なのか?
そんな俺の不安をよそに、俺たちが乗る船は刻々と銀月へと近づいていった。
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