過去の亡霊



 それは、いつものようにミーモス率いるレダーン軍と共に、襲撃してきた黒いキメラどもを撃退していた時のことだった。

 その日襲撃してきたキメラの数は、なぜか妙に少なかった。具体的には、いつも襲い来る数の半分にも及ばないほどだろうか。

 レダーンの町を取り囲む城壁の上に立ち、空の向こうからレダーンへと近づくキメラの群れを見て、俺は首を傾げながら隣に立つミーモスに問いかける。

「随分と数が少ないな。もしかして、いよいよあいつらも数が尽きてきたのか?」

「いくら連中でも、無尽蔵にキメラを造りだせるわけではないでしょうから……その可能性はありますね」

 俺と同じように、訝しげに空を見上げるミーモス。

 この場にジョーカーがいれば、俺たちよりも詳しくこの状況を分析してくれたのかもしれないが、生憎とあいつは今、リーリラ氏族の集落であれこれと準備にかかりきりになっている。もちろん、敵の本拠地である銀月へと乗り込むための最後の準備だ。

 そういや、リーリラ氏族のグルス族長は、いまだに帝都から戻っていない。ジョーカーと一緒に帝都に向かい、そのまま帰って来ていないのだ。

「嬉しすぎて舞い上がっていることもあるけど、アレを持ち帰るための方法をあれこれと模索しているのさ」

 と、帝都から戻ったジョーカーは言っていた。相変わらず、あいつの言うことは分かりにくい。

 まあ、今この場にいない奴のことよりも、目の前のキメラのことを考えようか。

「敵が何か策を講じている可能性もある。数が少ないからと言って油断するな」

「ええ、分かっていますとも」

 俺たちは互いに頷き合うと、それぞれ配下に指示を与えるために一度別れる。

 城壁から立ち去るミーモスの背中を見送った俺は、そのまま城壁から飛び降りた。もちろん、風術を使って落下速度を調整しながらだ。

 俺が地面に降り立つと、すぐにユクポゥとパルゥ、そして黒馬鹿たちが近づいて来る。

「アニキ、いつでも俺たちの筋肉の威力を見せることができるぜ!」

 と、いつものように暑苦しい格好をしながら、ムゥが告げた。もちろん、ノゥやクゥ、そして他のオーガーたちも同様だ。

 その一方で、兄弟たちはなぜかどこか腑に落ちないといった表情で、しきりに首を捻っている。

「リピィ、何か変だゾ!」

「変な気分……ううん、嫌な気分がする!」

 む? 兄弟たちは本能的な部分で何か危険を察知しているらしいな。どうやら、敵の数が少ないのは数が尽きたからってわけじゃなさそうだな。

 その時だ。不意に俺の背後に気配が湧いたのは。

「我が王」

 そう言って跪き、頭を下げたのはメセラ氏族のナリ族長だった。

「空から迫る敵の下……地上からも近づく敵があるなり」

 ほう、どうやら敵はキメラだけではなく、地上戦力を投入してきたってわけか。そして、その地上戦力の分、キメラの数が少なかったってことのようだ。

「で、地上の敵の数は?」

「三人なり」

 はい?

 今、ナリ族長はなんて言った? 三人……と俺には聞こえたが?

 眉を寄せつつ、もう一度ナリ族長を見る。

 相変わらず覆面を被ったナリ族長の、その表情は窺い知れない。だが、俺は彼──もしかしたら彼女かもしれないが──が嘘を言っているとは思えない。嘘を言う理由がない。

 ということは、本当に地上の敵は三人だけということだ。

 しかも、ナリ族長は「三人」と言った。「三体」ではなく「三人」だ。それはつまり、地上の敵は黒いキメラのような魔獣ではないということなのだろう。

「ま、まさか……」

 何とも嫌な予感がする。もしもこの予感が正しければ、地上の三人は空のキメラ以上の脅威となるだろう。

「ナリ族長。至急、地上の敵のことをミーモスに知らせろ。そして、地上の敵はキメラ以上の脅威だと告げてくれ」

「御意なり」

 短く答えたナリ族長の姿が消える。相変わらず、凄まじいばかりの隠形術だ。

 だが、今はナリ族長に感心している時じゃない。

 俺は背中に冷たい汗が流れ落ちるのを感じながら、配下たちに指示を与えていった。




 俺はユクポゥとパルゥだけを従え、地上の敵を迎え撃つことにした。

 空から迫るキメラたちの迎撃は、ムゥに任せた。あいつはあれで意外と指揮官に向いている。率いている配下もオーガーが主体なので、あいつの指揮も行き届きやすいだろう。

 背後から激しい戦いの喧騒が響いてくる。だが、今はそれを気にしている時じゃない。

 俺たちの目の前には、フードを目深に被った三人の人間……らしき敵がいる。

 俺の予想が正しければ、あのフードの奥にはよく見知った顔が隠されているはずだ。

「ユクポゥ、パルゥ……油断するなよ?」

「がってん!」

「がってん!」

 いつもであれば、ここで変な格好をする兄弟たちだが、今日は慎重に武器を構えるだけ。どうやら、兄弟たちも目の前の敵の脅威を理解しているようだ。

 目の前にいるフードを被った敵は、三人。見た感じ、人間のように見える。

 体格は三人とも様々。一人だけ異様に上背のある奴がいるが、それでも人間の体格の範囲だ。

 黙々と近づいて来ていた奴らが、俺たちに気づいたのか不意に足を止めた。そして、腰に佩いていた剣をすらりと引き抜く。

 そいつらが剣を構えた姿は、三人とも同じだった。全く同じ構えで、俺たちと対峙する。

 その構えを見て、俺は予想が正しかったことを悟る。

「コイツら……リピィと同じ構えだゾ?」

「うん、リピィと全く一緒!」

 俺の両横に並んだ兄弟たちが、そんなことを呟く。彼らも敵の正体に大体気づいたのだろう。

 だん、と敵が同じ速度で力強く一歩踏み込む。そして次の瞬間、奴らは俺たちの目の前に迫っていた。

 は! 速いじゃねえか! さすがだ!

 そう。

 この敵はだ。より正確に言えば、過去の俺だ。こいつらは、以前にも現れた過去の俺の亡霊だ。

 ジョーカーが言うには、俺の「くろぉん」とやららしい。その「くろぉん」を、俺たちの知らない技術で強化してあるとも言っていたな。

 その「くろぉん」たちは、凄まじい速度で動いたことで被っていたフードが剥がれて素顔が露わになる。

 そこにあった顔は、どれも俺の記憶にある通りのもの。かつて、俺が「自分の顔」だと認識していたものばかりだ。

 一番右端──パルゥと対峙しているのは先代の俺……《勇者》ジョルノー。そして、左でユクポゥと激しく得物を打ち合せているのは、三代前の俺である、《勇者》アーヤス。

 中央で一際体格のいい、俺と鍔迫り合いの真っ最中なのが……えっと、何代前だったか? よく覚えていないけど、確かこの時は《勇者》スズトと名乗っていたはずだ。

 三人の「俺」の得物は、共に剣。まあ、俺の「くろぉん」とやらなのだから、得物は俺と一緒ってわけだ。

 上背の違いからか、鍔迫り合いだと俺が不利だ。上から力任せに、どんどんと押し込まれていく。

 だが、何も敵に有利な状況で戦う必要はない。

 俺は牙で唇の端を噛み切り、そこから流れ出た血を吐息に乗せてスズトに吹きかけた。

 そして。

「爆!」

 噴き出した血は極少量、そして、そこに込めた魔力もまた微量。これでかつて《勇者》と呼ばれた者を倒せるとは考えていない。

 だが、目の前で小規模な爆発を浴びせかけられ、スズトの体が僅かにのけ反った。

 その僅かな隙を突いて、俺は鍔迫り合いから抜け出し、大きく後退する。

 そして、魔力を編んで数本の炎の矢を生み出すと、それを一斉にスズト目掛けて撃ち放つ。

 猛然と自身に迫る炎の矢たちを、スズトは表情のない顔で見つめる。

 そういや、俺の「くろぉん」どもは、どいつもこいつも無表情だよな。もしかすると、「くろぉん」には感情がないのかもしれない。

 感情がないということは、戦闘中に限っては有利となる場合が多い。恐れず、慌てず、驕らず、驚きもしないということは、隙がほとんどないということでもあるからだ。

 現に今も、スズトは迫る数本の炎の矢を、実に冷静に剣で切り捨てた。

 どうやら、この程度の魔法では牽制にもならないらしい。

 目の前のスズトから注意を逸らすことなく、横目でちらりと兄弟たちの様子を確かめれば、彼らもまた、過去の俺を相手に奮闘していた。

 状況は互角……いや、僅かに兄弟たちが有利か? 今のところ、二人の「俺」は兄弟たちに任せておいて大丈夫だろう。

 ならば。

 俺は目の前の相手を倒すことに集中するのみ。

 俺は剣を握り直すと、じりじりとスズトとの距離を詰めていった。




 俺とスズトの間合いは、体格の関係上スズトの方が広い。

 つまり、俺の攻撃が届く前に、敵の攻撃が俺へと届くわけだ。

 そうなると、どうしても敵に先手を譲ることになる。

 俺の剣の間合いに入る直前、スズトが素早く俺へと踏み込む。自身の剣の間合いに俺が入ったと判断し先手を打ってきた。

 まあ、その判断は正しい。誰だって先手が取れればそう行動するだろう。だが、俺としては黙って先手を譲るわけにはいかないぜ?

 鋭く踏み込んだスズトの足が、地面に触れた瞬間ずぼりと埋没する。

「──────!」

 突然足元が崩れたことで、スズトの表情に僅かな驚きが浮かぶ。

 完全に体勢が崩れたスズト。その懐に俺は一気に飛び込む。

 ネタを明かせば簡単なことだ。奴が踏み込む場所に当たりをつけ、そこを地術で僅かな窪みに変えただけだ。

 だが、戦闘中にそれは命取りだ。下半身の僅かな乱れは、上半身に大きな隙として現れる。

 その隙を突きスズトの懐に飛び込んだ俺は、そのまま剣を奴の腹へと埋め込む。剣先が肉を貫く感触を、俺は確かに感じ取った。

 そして、その剣をぐりっと捩じる。普通の人間であれば、これで致命傷を与えただろう。

 だが、相手は「俺」だ。しかも、よく分からない技術で強化された「俺」だ。これぐらいでくたばるとは思えない。

 実際、腹に深々と剣を埋め込まれたというのに、スズトの動きに変化は見られなかった。

 懐に飛び込んだ俺を迎え撃つかのように、スズトは膝蹴りを繰り出してきた。

 自ら後方へ跳んで膝蹴りの衝撃を軽減させるも、それでも人間離れした蹴りの衝撃が俺の体を貫く。

 こみ上げてくる吐き気を強引に飲み込み、俺は更に後方へと跳躍、スズトとの距離を稼ぐ。

 だが、体格の差もあり、俺が後退するよりもスズトが迫る方が速い。僅かに稼いだ距離も、瞬く間に詰められてしまった。

 しかも今、俺の手の中に剣はない。いまだにスズトの腹に埋まったままだからだ。

 剣を引き抜く間もなく、後方へ飛ばされたからな。

 無手の俺に迫ったスズトが、両手で構えた剣を上段に振りかぶる。

 そしてそのまま、奴の剣は俺の脳天へと怒涛の勢いで振り下ろされた。



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