準備が整う



 黒いキメラの鋭い鉤爪が、空から急降下しつつ襲いかかってくる。

 そのキメラと俺の間の空間に、魔力で編まれた炎の花が咲く。当然、キメラはその炎の花に自ら突っ込む形になった。

 だが、この程度で倒れるほど、黒いキメラはヤワじゃない。全身に負った火傷を見る間に回復させながら、キメラは俺へと接近する。

 だが、炎の花はキメラを倒すことはできなかったものの、その勢いを半減させていた。

 俺は気術で身体強化を施しつつキメラの突進を回避、風を刀身に纏わせた剣を鋭く振るう。

 ざん、という切断音と重々しい手応えを感じる。その直後、キメラの下半身──鷲の頭部を持つ獅子の姿をしている──の鷲頭が勢いよく刎ね飛んだ。

 勢いを半減させていたとはいえ、急降下の速度はかなりのものだ。当然、そのキメラは勢い余って地面に激突した。

 異様なまでの回復力を誇る黒いキメラも、頭部を落とされては生きてはいられないだろう……と思ったら、もぞもぞと地面の上で蠢いている。こいつら、どれだけ生命力が高いんだ?

 震えながらも何とか立ち上がった黒いキメラ。そいつに止めを刺そうと剣を握り直した時、キメラの横手から何者かが突風のように接近し、獅子の背中から生えている人間の上半身、その首を手にした槍で貫いた。

「詰めが甘いのではありませんか、リピィ?」

「おまえに止めを譲ってやったんだよ、ミーモス」

「ふふふ、まあ、そういうことにしておきましょうか」

「おう、そういうことにしておけ」

 俺とミーモスは互いに苦笑を浮かべると、そのまま二人で竜巻の如く周囲に群がるキメラどもを殲滅していく。

 これまでに何度も命をかけて戦って来た俺たちだ。互いの実力も戦い方も、そしてちょっとした癖なども熟知し合っている。

 その俺たちが一緒に戦えば、息の合った戦いをするのは自明の理だった。

 もっとも、それは俺たちにとっての話。ミーモスの部下である近衛騎士たちにしてみれば、理解できないことであろう。

 実際、俺たちの傍でキメラと刃を交えている近衛騎士たちが、不思議そうな顔をしているし。

「なぜ、ミルモランス殿下はあの白いゴブリンとああも息の合った戦い方をなされるのだ?」

「いくら殿下が手練れとはいえ、妖魔とあそこまで息の合う戦い方ができるものなのか……?」

 おい、ミーモス。後で部下にしっかり説明しておけよ?

 その点、俺の配下たちはそういう難しいことは考えない。俺たちのことなど放っておいて、目の前の敵を倒すことだけに集中している。

 今も、ユクポゥとパルゥが瞬く間に数体のキメラを絶命させた。その向こうでは、ムゥたちオーガーが騎獣に跨りながら、戦場を縦横無尽に駆け回っていた。

 もちろん、人間たちも必死だ。冒険者が、兵士が、騎士が、守るべきものを守るために戦っている。

 そうやって人間と妖魔が入り乱れて戦い、今日もまたキメラどもを撃退することに成功するのだった。




 ジョーカーの奴が、アーバレン第一皇子と共に帝都に向かってから数日が経過した。

 なぜか、それにリーリラ氏族のグルス族長が同行したことに、俺は首を傾げたが。

 俺たちは相変わらずレダーンの町の郊外で野営を続け、断続的に襲い来る黒キメラどもと戦いを繰り広げている。

 ゲルーグルとドゥムの〈歌〉、そしてサイラァの命術による支援を受けて、レダーン軍──今後、レダーンの戦力を総称してこう呼ぼう──も最小限の被害でキメラどもを撃退してきた。

 ミーモスの所に入ってくる情報によれば、帝国中がレダーンと同じような状況らしい。本当に、ジョーカーの仲間だったクリフって奴は、一体どれだけの数の塒を作っていやがったのやら。

 それでも、ジョーカーから情報提供を受けた帝国は、持久戦に徹することでキメラどもを何とか撃退できているらしい。もっとも、サイラァほどの命術の使い手がそうそういるわけがないので、それなりの被害はどうしても受けてしまっているようだが。

 実は、地味にガララ氏族が作る薬も、レダーン軍の継戦能力の底上げに一役買っていた。さすが薬の専門家であるガララ氏族が作る薬は、すでに魔法薬の域にまで達している。

 その薬を俺は、ミーモスを通じてレダーン軍に提供しているわけだ。ミーモスも元は《魔物の王》であっただけに、ガララ氏族の薬のことは知っていたようだ。

 さすがに、ダークエルフから仕入れた薬だとは公表していないようだけどな。だが、目ざとい商人たちの中には、ガララ氏族の薬に早速目をつけ、何とか入手できないかと画策しているらしい。その辺りはミーモスに任せているが、いずれ嗅ぎつけられるかもしれない。

 まあ、その前に行商人を通じて、少量ずつレダーンの町で売りに出す予定だ。どうせいつか嗅ぎつけられるのであれば、馴染みの商人を優先するさ。

 その行商人と言えば、最近は小さいながらもレダーンで店を構えたようだ。主に商っているのは、ダークエルフのマートラ氏族が作る携行食や未調理の食材、そしてバガラ氏族が作り出した武具の類だ。

 人間の社会ではまず手に入れられないこれらの商品は、今のレダーンでは飛ぶように売れているらしい。

 マートラ氏族の携行食にしろ、バガラ氏族の武具にしろ、人間が作る物より優れているからな。激しい戦いが続く今のレダーンで、それらの商品が売れないわけがない。

 当然、それらを独占的に販売している行商人は、大儲けしているらしい。もう、彼のことは「行商人」とは呼べないかもしれない。

 当の本人は、「今後もこれまで通りお呼びください」とにこやかに言っていたが。

 そして、彼が稼いだ金の内のいくらかは、俺たちへも流れている。行商人が商う商品は俺たちが提供しているのだから、そこは当然だろう。

 とまあ、レダーンの町は俺たちと手を組んだことで、何とかキメラどもの襲撃に耐えている。だが、帝国の他の地域ではかなり苦戦しているみたいだ。

 かと言って、俺の配下たちを帝国各地に派遣するわけにもいかない。事情を知らない人間の町や村に突然妖魔の集団が押しかければ、人間たちから誤解されるだけだからな。

 そもそも、俺の配下の数は決して多くはない。帝国中に回せるだけの戦力はないのだ。

 これがミーモス……俺以上の配下を抱えていた以前の《魔物の王》であれば、また別の戦略を用いることができたかもしれないが。

 まあ、ない物ねだりをしても仕方ない。今ある戦力だけで、何とかするとしよう。

 それに、いくら何でも帝国中を救うなんてことは俺にはできない。それはミーモスも含めた帝国の上層部が考えることだ。その辺りは連中にお任せしよう。




 これだけ何度も人間たちと共闘すれば、レダーンの町の住民たちも俺たちに対する態度が変わってくるというものだろう。

 最近のレダーンの町中では、妖魔の姿を時々見かけるまでになった。

 もちろん、人間に迷惑をかけない連中限定でレダーンの中に入ることを許しているため、町中で見かける妖魔は決まった顔ぶれである。

 それに加え、ゲルーグルの人気は日増しに上昇し、サイラァの信者もどんどん増えていた。

 最近では、クースにまで特定の信奉者がつき始めているらしい。

 クースは時折、サイラァの手伝いで負傷者の治療も行っている。もちろん、彼女にできることは精々雑用程度だろうが、それでも甲斐甲斐しく怪我の手当てをしてくれる可愛い少女が身近にいれば、手当てを受ける者にしては嬉しい限りだろう。

 それに、負傷者に振る舞うため、何度か料理を披露もしたらしい。当然、その料理はすこぶる好評で、本気で彼女に求婚した者までいたとかいないとか。

 まあ、その求婚話が本当かどうかは俺も知らないが、クースは引き続き俺たちと共にいる。当分はまだ俺たちの《料理将軍》でいてくれるつもりのようだ。

 でも、クース自身は本当にそれでいいのだろうか? 今クースがいなくなると配下の連中が反乱を起こしそうだし、俺としては助かるのだが。俺としては、クース自身の幸せも考えて欲しいのだ。

 と、そんなわけで、今日も彼女たちはレダーンの町でそれぞれ活動している。そして、両手一杯の贈り物を抱えて、俺たちの下へと帰って来るのだ。




 そのような理由から、最近では俺もレダーンの町中を歩くことが多くなった。

 主な用件は、ミーモスとの軍議だ。ジョーカーがいるなら奴に全て任せるところだが、生憎と今はいないからな。俺が軍議に出るしかないわけだ。

 町中を歩く俺に向けられる視線は、以前とは大きく変わった。前は恐怖混じりの視線を向けられたものだが、最近では親しみの籠った目を向けられることもある。

 だが、一番多いのはやっぱり嫉妬ややっかみの視線だ。特に若い男どものほとんどが、俺に嫉妬の視線を向けてくる。

 まあ、その理由は分かっているので、彼らをどうこうするつもりはない。万が一、直接的な敵対行動を取った場合は、それなりに対応することになるだろうが。

 とはいえ、俺に対して敵対的な行動を取ったとしても、暴力に暴力で応じるつもりはない。もしも彼らが俺に何かしでかそうものなら、その時は彼らの「女神」に告げ口してやろうと思っている。

 そうすれば、きっとそいつらは「女神」から冷たい目で見られることになるだろうから、直接暴力で対応されるよりも堪えるに違いない。

 それが分かっているのかどうかは不明だが、俺に直接危害を加えようとする者は、今のところ現れてはいない。




 と、レダーン軍と協力して黒いキメラどもを撃退しつつ、更に数日が経過した頃。

 帝都に行っていたジョーカーがレダーンの町に帰って来た。

「お待たせ、ジョルっちにミーモス殿下。帝国との同盟も何とか上手くいったし、いよいよこちらから彼らの本拠地に殴り込む時が来たよ」

 俺とミーモスに向かって、ぐいっと親指をおっ立てるジョーカー。

 そうか、いよいよか。

 俺とミーモスは顔を見合わせると、互いに力強く頷いた。

 アーバレンじゃないが、こうも防戦一方だとさすがに焦れて来ていたからな。一体ジョーカーがどのような条件で帝国と同盟を結んだのかは知らないが、ジョーカーのことだからこちらが不利になるような条件ではないだろう。

 そして、遂にこちらから打って出る時が来たってわけだ。

 だが、結果から言うと、俺たちが敵の本拠地である銀月に向かうのは、もう少しだけ遅れることになる。

 なぜなら、予想もしていなかった敵が……いや、予想するべきだった敵が俺たちの前に立ち塞がったのだから。




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