閑話 旧友との再会



「やあ、久しぶりだね、クリフ……いや、銀月に座す神の一柱にして、怠惰と破壊を司るグリフォルリーグルと呼んだ方がいいかい?」

「き、君は……君はまさか……ジョーカーなのか……?」

 驚愕に目を見開く青年の視線の先には、一体のローブを纏った骸骨が、かたかたと顎の骨を鳴らしていた。




 レダーンの町の郊外で繰り広げられた、《魔物の王》率いる魔物の軍勢と、帝国軍が激しく激突してから数日。

 ようやく、レダーンの町は落ち着きを見せ始めていた。

 帝国軍が魔物軍に惨敗した時は、町の住民は大いなる恐怖に囚われていた。

 帝国軍が無惨に撃退されたのだ。住民たちは、魔物の大群がレダーンの町へと押し寄せてくるとばかり思っていた。

 普通であれば、その考えは当然であり正解だろう。過去、魔物の大群に襲われた町や村は、防衛する軍隊や兵士たちが敗退した後、魔物たちに怒涛のごとく蹂躙されたのだから。

 レダーンの町もまた、魔物たちに飲み込まれると、住民の誰もがそう考えていた。戦争になる前に《魔物の王》が何やら言っていたようだが、魔物の言葉を素直に信じる人間などまずいない。だから、住民たちは魔物に殺されるとばかり思い込んでいた。

 だが。

 だが、魔物たちはレダーンの町を襲うことはなかった。

 帝国軍を蹴散らした魔物たちは、そのままリュクドの森へと帰っていったのだ。

 これには、思わず呆気に取られてしまった住民たち。町のあちこちで安堵のために座り込み、神々に感謝の祈りを捧げる住民の姿が見かけられた。

 とはいえ、すぐに日常に戻れるわけでもない。

 町は無傷ではあったが、戦死した者は少なくはないのだ。

 戦死した者たちの遺骸を集め──かなりの数の遺骸が魔物に持ち去られていたが──、公式に戦死者たちを弔う。

 また、この町の支配者であったカーバン伯爵が戦死したことも問題だった。

 町の最高権力者がいなくなったのだ。あちこちで混乱が生じるのは当然である。だが、それを的確に、そして迅速に収めていった二人の人物がいた。

 一人はゴルゴーク帝国の第三皇子にして、今代の《勇者》でもあるミルモランス・ゾラン・ゴルコーク。

 先日の戦争の際、魔物たちがレダーンを襲わなかったのは《勇者》である皇子を恐れたからだ、などという噂も流れたほどの人物である。

 彼は実質的な配下と言ってもいい冒険者たちを巧みに使い、レダーンの町の問題点を解決していった。

 治安の維持や戦死者たちの回収に弔いなど、本来領主たるレダーン伯爵が行うべきことの一部を、彼が的確に取り纏めたことで混乱は最低限で収まったと言ってもいいだろう。

 《勇者》としての名声と皇子としての地位を最大限に活用し、彼はレダーンの町の秩序を回復維持したのである。

 そして、もう一人はヒルパス男爵。先日の戦争──最近では「レダーン郊外の戦い」、もしくは単純に「レダーンの戦い」と呼ばれ始めている──の原因となったリュクドの森遠征の一件で、首謀者たるカーバン伯爵に協力した貴族の一人である。

 彼は戦死したカーバン伯爵に代わって、戦争責任の殆どを引き受けた。

 これから、今回の戦争に関する一切の責任は彼が負うことになるだろう。帝国より正式な決定はまだ下されていないが、家名断絶の上で死罪は免れることができない。誰もがそう考えていた。

 レダーンの町を取り巻く諸問題。その表の問題をミルモランス皇子が、裏の問題をヒルパス男爵が引き受けたことで、レダーンの町は大した混乱もなく日々を送ることができた。

 だが。

 だが、大きな問題はそれ以後に発生したのだ。

 ヒルパス男爵領に存在する彼の屋敷にて、当主であるヒルパス伯爵その人の腐乱死体が発見されるという大問題が。




 ヒルパス男爵家とその所領は、広大な版図を誇るゴルゴーク帝国の片隅に存在する。

 男爵という爵位と領地はあるものの、その領地は広いとはとても言えず、領民の数も多くはないため、おのずと男爵家の生活も贅沢や華美とはかけ離れたものであった。

 それでも、ヒルパス男爵家は代々領民から慕われ、善政と呼べる方針で領地を治めてきた。

 男爵家の当主は、代々穏やかな人物であった。中央での出世に興味を示すこともなく、自らの地位を上げるつもりもない。ただ、領民たちと肩を寄せ合い、静かに、裕福ではないもののそれなりに楽しく平和に暮らしていたのだ。

 そんな辺境のヒルパス男爵領の、更に片隅で。

 二人の男たちは、何百年振りに顔を合わせることになる。

 それはとある日の深夜のことだ。

 ヒルパス男爵の屋敷から離れた森の中を、一人の男が歩いていた。

 明かりの類は一切持たず、月や星の光も届かない正真正銘真っ暗な森の中。だが、男の歩みに迷いはない。

 まるで、真っ暗な森の中が見えているかのような、確かな足取りで歩いていた。

 いや、男には確かに見えているのだ。

 たとえ光はなくとも、男の目には……暗視センサーをインストールしたその目は、充分な視界を彼にもたらしている。

 と、男の足が突然止まった。

 険しい視線を森の奥へと向ける男。そして、その耳には地面に積った枯れ葉を踏み締める音が確かに聞こえている。

 やがて、暗闇を見通す男の目に、ゆらりゆらりと近づいて来る人影が映る。

 男は警戒を強め、懐から何かを引き抜く。何らかの魔封具なのか、ゴルゴーク帝国では……いや、この「惑星せかい」ではあまり見かけられない物だ。

 懐から引き抜いた「それ」の先端を、男は近づいて来る人影へと向ける。

「おっと、いきなりそんな物騒な物……拳銃なんて向けないでくれるかな? 今日はちょっと君と話をしに来ただけだからさ」

 人影が声を発し、更に数歩ほど近づく。だが、男にとってそれはさほど問題ではなかった。

 今聞こえてきた声に比べれば、たとえその声の主の姿が骸骨であったとしても。

「い、今の声は……ま、まさか……」

「やあ、久しぶりだね、クリフ……いや、銀月に座す神の一柱にして、怠惰と破壊を司るグリフォルリーグル神と呼んだ方がいいかい?」

「き、君は……君は……ジョーカー……? ジョージ・カーティス……なのか……?」

「その通り。今はこんな姿だけどね? けど、間違いなく僕はジョージ・カーティスさ。そう言えば、『ジョーカー』という渾名は、子供の頃に君がつけてくれたんだっけね。いやー、懐かしい。一体何年前……いや、何百年前のことだろうね?」

 かたかたと顎の骨を鳴らす骸骨……いや、ジョーカー。

 そのジョーカーに向けて、クリフと呼ばれた男は手にした拳銃──小型光学兵器の引き金を引き絞った。

 途端、銃口から青白い光が放たれる。夜の闇を切り裂いて宙を奔る光は、ジョーカーの頭蓋骨……眉間部分を正確に貫いた。だが。

「ああ、無駄だよ。この頭蓋骨の中には何も入っていないからね。まさに伽藍洞ってわけさ」

「──そうか。その骸骨の体はただの見せかけ……本物の君はどこか別の場所にいて、マインドリンクによる遠隔操作で操っているのか」

「ご名答。いやー、さすがはクリフ。幼い頃から遺伝子工学の天才と呼ばれただけはあるね。あ、この状況、遺伝子工学は全く関係ないけどね」

 相変わらずかたかたと骨を鳴らし続けるジョーカーと、そのジョーカーを忌々しそうに見つめるクリフと呼ばれた男。

「まさか……君が生きていたとはね、ジョーカー。僕も彼女も、今まで思いもしなかったよ」

「生きている……ねぇ? 今の僕が、果たして生きていると言えるかどうか疑問だけどね? 作り物の媒体イレモノに、記憶と経験だけを移し込んだ僕が……さ?」

 ひょいと肩を竦めるジョーカー。そのジョーカーに、クリフは立て続けにハンド・レーザーガンを撃ち込む。

 放たれた光線は、ジョーカーの体に穴を穿つ。いや、ジョーカーが着ているローブこそ穴を開けるも、その中の体にはほとんど傷はつかない。

 なんせ、骨しかない体なのだ。放たれた光線のほとんどは骨と骨の隙間を擦り抜けていく。それでも光線の幾つかは、ジョーカーの骨だけで構成された体を確かに傷つけてはいたが、ジョーカーのその動きに乱れはなかった。

 ジョーカーの体はただの骨ではなく、バイオテクノロジーで強化培養された人工の骨なのである。とはいえ、さすがにレーザーの直撃を受ければ無事ではすまないが。

 その全身には骨だけの体を動かすための超極細バイオナーブが張り巡らされ、各関節には超小型無音高出力モーターが組み込まれている。

 そして、それらのパーツを動かす動力は、大気中に満ちている魔力である。

 魔力がする際に発せられるエネルギー。それが彼の体を動かすためのエネルギーなのだ。

 本来、はずの科学技術と魔力。その二つを完全に両立させたジョーカーこそ、本物の天才と呼ぶべきかもしれない。

 一方、銃撃が効果ないと改めて悟ったクリフは、レーザーガンを懐に収めるとじろりとした目をジョーカーへと向けた。

「相変わらず君は悪趣味だね。何だい、その姿は? どんな意図があってそんな骸骨の体を使っているのやら」

「ああ、これはあくまでも事故さ。本来なら本物の僕そっくりのイケメンにする予定だったんだけどね」

 培養処理に失敗し、用意しておいた体が骨だけになってしまったのは本当である。そのため、ジョーカーは骨だけとなった義体の各所にバイオサイバーパーツを埋め込んで動かせるようにしたのだ。

「ふん、やはり君は今でも自信家か。だから私は……そんな君が大嫌いだったのさ」

「それで、僕を地上へと落としたのかい? この、魔力という名前のに満ちた地上に」

「ああ、その通りさ!」

 言葉と同時に、クリフは素早くジョーカーへと肉薄する。その速度は、ユクポゥと戦った「もう一人の《勇者》」にも匹敵する。

「やはり、その身体も──本物のヒルパス男爵の遺伝子情報から作り出した義体も、既に強化済みか」

「当然だろう? こんな野蛮な地上に来るんだ。たとえマインドリンクで遠隔操作するだけの義体とはいえ、強化しないわけがないじゃないか!」

 言葉を交わす間に、更にジョーカーへと肉薄するクリフ。その手には光輝く刀身を持った、まさに「光の剣」と呼ぶに相応しい剣があった。

「銃が無効でも、レーザーブレードはどうかな?」

 下から掬い上げるように振られる光の剣。その神々しいばかりの刃は、回避するジョーカーの身体を捉えた。

 ひゅん、という音と共に、ジョーカーの左腕が宙を舞う。

 だが、ジョーカーは切り飛ばされた腕などまるで気にすることもなく、残された右手の中に炎を生み出した。

「やってくれたじゃないか。やはりここは、お返ししないとね」

「き、貴様……どうやって魔法を……っ!?」

「君に地上に落とされた以上、魔力とは仲良くするしかなかったからね。それに、魔法が使えるようになるまで、これでもかなり努力したんだよ?」

 ジョーカーが生み出した爆炎が、夜の森を照らし出す。生み出された炎は周囲の木々を巻き込み、篝火のように暗闇を駆逐する。

 ゆらゆらと揺れるオレンジ色の光の中、一人の男と一体の骸骨の対峙は続いた。




 水術を操り、ジョーカーは周囲で燃えている炎を消していく。

 その足元には、人の形をした炭のような物が横たわっている。

「……まったく、クリフの奴は好き放題してくれたものだよね」

 そう呟くジョーカーもまた、無傷ではなかった。両腕を失い、胸骨もほとんど残っていない。頭部は、右半分がなかった。

 足も辛うじて繋がっているという状態で、これで立っていられるのが不思議なほどである。

「この体ももう駄目だね。でも、前もって新しい体を準備しておいて良かったよ。そういう意味では、あのグリフォンもどきを作り出していた施設を、先に見つけておいたのは正解だったかな」

 ジョーカーは残された空ろな左の眼窩で、足元に転がる人間大の炭のようなものを見下ろした。

「彼もこの地上のあちこちに施設を隠し持っていると考えた方がいいだろうね。なんせ、これまで何度も《勇者》と《魔物の王》の記憶と経験を植え付けてきたんだ。そのための施設が、帝国のあちこちにあると考えるべきだろうし」

 次いで、ジョーカーは頭上を見上げた。黒々とした木々の向こうに、ぼんやりと輝く金と銀の月が見える。

「決着をつけるには、やはりあそこに行くしかないようだね」

 その言葉と同時に、彼の両足が砕けた。かさりと軽い音を立て、ジョーカーの体が落ち葉の上に倒れ込む。

「……いよいよ、ジョルっちと第三皇子殿下に、本当のことを話す時が来たようだ。これまでは……あくまでも互いに敵としてしか認識していないこれまでの二人では、僕の話を信じてはくれなかっただろう。だけど……だけど、今なら……」

 僅かとはいえ直接顔を合わせ、実際に言葉を交わした今なら……今のあの二人なら、きっと自分の話を信じてくれるだろう。

 そんな自信がジョーカーにはあった。

 直接の接触を果たしたことで、あの二人は互いに互いを認めているようだ。もっとも、そうなるようにジョーカーが陰から画策してきたのだが。

「いよいよ……いよいよ『遊戯ゲーム』も終わりだ。覚悟しておきな……よ、クリ……フ……クリフォ……ド……」

 言葉が終わると同時に、ジョーカーの骨の体が砕けた。

 後に残るのは、燃えカスのような炭と、砕けた骨、そして、天空に輝く二つの月と無数の星々だけだった。






~~作者より~~


 これにて、第6章も終了。

 二週間ほどお休みを挟みまして、7月29日より新章を開始します。

 引き続き、お付き合いいただけると幸いです。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る