閑話 金と銀の御伽噺
「ねえ、おかあさん。きょうもかみさまのおはなし、してほしいの」
寝台に入り、娘のクースがいつものように寝物語を強請る。我が娘は幼いながら──今年で三歳になる──も、神話がお気に入りのようだ。
毎晩毎晩、クースは神様の話を聞きたがる。
「もちろん、いいわよ。昨日はどこまで話したかしら?」
「えっとね……うーんと……さいしょからがいい!」
「そうなの? じゃあ、最初からまたお話ししましょうか」
私が語るのは、世間一般で知られている善なる神々が暮らす金月と、邪悪なる神々が暮らす銀月のお話。
もちろん、月神教の神殿で語られる本格的な神話ではなく、どちらかというと子供向けの御伽噺のようなものだ。
かく言う私自身も、幼い頃は母からこの御伽噺を聞かされて育ったのである。
私たちが暮らす大地の頭の上には、広い広い空があります。
昼間は青空、夜は星空。青空には太陽と雲が、そして、星空には金と銀の二つの月が浮かんでいます。
ですが最初は、星空に銀の月はありませんでした。
金の月と無数の星々だけが、夜の空に浮かんで大地を照らしていたのです。
そして、その金の月には心の優しい神様たちが住んでいました。月は、神様たちのお家なのです。
神様たちは地上で暮らす私たちを、常に見守って下さいます。
そんな神様たちに見守られて、私たちは平和に暮らしていました。
ですが、そんな私たちに変化が訪れます。
ある日、銀色に輝く月が、どこからともなく現れたのです。
銀の月がどこから来たのか、それは金の月の神様たちにも分かりません。
遠く遠く、神様でも分からないような遥か彼方から、永い月日をかけて私達の頭の上まで辿り着いたと言われています。
そしてその銀の月には、金の月と同じように神様が住んでいました。
新たな神様たちを、金の月の神様たちは大歓迎しました。
遥か遥か遠い彼方から、新しいお友達がやって来たのです。金の月の神様たちはとても喜びました。
「遠方より来られた新たな友よ。共に力を合わせて世界を良くしていこう」
「もちろんだとも、新たな友よ。互いに協力し合おうじゃないか」
金の月の神様と銀の月の神様は、すぐに友達になり、一緒に大地を見守る約束をしました。
銀の月の神様たちは、金の月の神様たちでさえ知らない知識を、たくさん知っていました。
銀の月の神様はその知識を、金の月の神様や私たちに与えてくれたのです。
新たな知識を得た私たちは、それまでよりもずっとずっと豊かになりました。そして私たちは、金の月の神様だけではなく、銀の月の神様にもお祈りを捧げるようになったのです。
特に、銀の月の神様の中で最も偉いお二人……ジャクージャ神とグリフォルリーグル神に、私たちは熱心にお祈りしました。
ですが、銀の月の神様は嘘を吐いていました。銀の月の神様は、実は悪い神様だったのです。
銀の月の神様が教えてくれた知識の中には、役に立つものもありましたが、中にはとても危険なものもありました。
それまで他の人と争うことなどなく、他の人の物を奪うことも知らない私たちでしたが、銀の月の神様に知識を与えられてから、他の人を傷つけたり、他の人の物を奪うようになったりしたのです。
そして、その時が遂に訪れました。
銀の月の神様にお祈りを捧げていた人たちの中に、姿が変わる者が現れたのです。
肌の色が黒や緑になり、歯は牙となり、爪は鋭く伸び、目は大きくらんらんと光り……まるで、怪物のようになってしまいました。
今では妖魔と呼ばれている魔物たちが、この大地に現れたのです。
その他にも、銀の月の神様たちは様々な生き物たちを歪めていきました。
野山に暮らす動物たちが、次々に魔獣へと変わりました。
空を飛ぶ鳥たちが、恐ろしい竜へと変わりました。
海を泳ぐ魚たちが、巨大な魔物へと変わりました。
金の月の神様に導かれ、争いなど全くなかった大地に、危険な魔物たちが現れたのです。
更には、魔物たちは銀の月の神様の命令に従って、私たちに襲いかかってきました。
人々を襲い、村々を焼き、金の月の神様の神殿さえも破してしまう魔物たち。
当然、金の月の神様たちは怒って、銀の月の神様たちに文句を言いました。
「なぜ、このような酷いことをするのだ?」
「決まっている。この方が我々にとって暮らしやすいからだ」
金の月の神様の問いかけに、銀の月の神様は笑いながら答えました。
これに完全に怒ってしまった金の月の神様たちは、銀の月の神様たちと話し合うのを止めてしまい、とうとう喧嘩を始めてしまったのです。
この神様たちの喧嘩こそが、今で言う「金銀の神争」の始まりなのでした。
神様たちの喧嘩は長く長く続きました。
最初は神様たちだけで喧嘩していましたが、次第に人間や動物たちもこの喧嘩に巻き込まれていきます。
金の月の神様たちは、人間や動物たちを味方にしました。
銀の月の神様たちは、妖魔や魔獣たちを味方にしました。
喧嘩はいつまでも続きましたが、それでも決着はつきません。
結局、喧嘩に疲れ果てた神様たちは、金の月と銀の月に帰って休むことにしました。
後に残されたのは、人間や動物、妖魔や魔獣たちです。彼らは神様たちがいなくなっても、この大地の上で喧嘩を続けたのです。
そして、残された人間たちや妖魔たちもまた、喧嘩に疲れてしまいました。
人間や妖魔たちも喧嘩を止め、それぞれの家に帰ります。
人間は町や村に。妖魔は森や山に。動物や魔物たちも、それぞれ自分たちが暮らす場所を見つけて帰っていきました。
でも、喧嘩が終わったわけではありません。人間と妖魔や魔物は、ことあるごとに喧嘩をします。
そして、月に帰った神様たちもまた、喧嘩を止めたわけではありませんでした。
神様たちは家である月から、この地上をじっと見つめています。そして、時にその力を人間や妖魔に与えるのです。
金の月の神様たちから力を与えられた者は、《勇者》と呼ばれました。
銀の月の神様たちから力を与えられた者は、《魔物の王》と呼ばれました。
《勇者》と《魔物の王》は、神様の代わりに喧嘩をしました。それも、何度も何度も。
それでも、やっぱり喧嘩は終わらなかったのです。
「ねえ、おかあさん。ゆうしゃさまと、まもののおうさまは、いま、どうしているの? まだけんかしてる?」
「いいえ、今は喧嘩していないわ。でも、お母さんのお母さん……あなたのお婆ちゃんが若かった頃には、《勇者》様と《魔物の王》は喧嘩していたそうよ」
「それで、どっちがかったの?」
「言い伝えによると、その時も引き分けだったみたい」
「そうなの?」
「ええ、そう言われているわね。ところで、クースは《勇者》様と《魔物の王》、どちらに勝って欲しい? やっぱり、《勇者》様よね?」
「んー……わかんない。でも……」
「どうしたの?」
「わたし、まもののおうさまにあってみたいなぁ」
「どうして? 《勇者》様じゃなくて《魔物の王》に会いたいの? 《魔物の王》って怖くないかしら?」
「だって……なんとなくそんなきがするの。まもののおうさまは、ほんとうはやさしいひとなのかもって」
「うふふ。《魔物の王》が優しいなんて話、初めて聞いたわ。でも……クースがそう言うのなら、ひょっとするとそうなのかも知れないわね」
本当に、この子はちょっと変わっているわ。恐怖の象徴とも言うべき《魔物の王》が、本当は優しいかもだなんて。
そんなことを言うのはこの子だけだろう。だけど、家の外ではそんなことは絶対に言わないようにさせないと。
ただでさえ、私と娘のクースはこの村では立場が微妙だ。キーリ教徒ばかりのこの村の中で、私たちだけが月神教徒なのだから。
それでも、夫があれこれと私たちを庇ってくれるから、私たちもこの村で生活できるのだが。
「ねえ、クース。《魔物の王》が本当は優しい人かもしれない、という話は、クースとお母さんだけの秘密にしましょうね」
「え? どうして?」
「だって、《魔物の王》が本当は優しいなんてみんなに広まったら、きっと《魔物の王》は恥ずかしくなって自分のお家に閉じ篭っちゃうと思うの。そうしたら、クースとも会えなくなっちゃうわ」
「えー、まもののおうさまとあえないのはいやだよ」
「だから、《魔物の王》のことはクースとお母さんだけの秘密ね? お父さんにも秘密にしましょう。そうしたら、いつかきっとクースは《魔物の王》に会えるわ」
「ほんと、おかあさん? だったら、まもののおうさまのことはだれにもいわないよ!」
にっこりと笑う愛娘の頭を、私は何度も撫でてやる。さらさらとした娘の髪の感触が何とも心地いい。
果たしてこの子がどのような人生を歩むのか、母親である私にも分からない。でも、彼女のこれからの人生に幸多かれと、我が神クースイダーナ様に祈りを込めて願う。
気づけば、いつの間にかクースは寝息を立てていた。
その無垢な寝顔を眺めながら、私自身もいつしか夢の世界へと旅立っていた。
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