閑話 リュクドの森侵攻Ⅱ



「な、何だ……何なのだ、あの怪物どもは……」

 木々の陰に潜みながら、その男──第二皇子配下の密偵──は誰に告げるでもなく呟いた。

 彼の視線の先では、カーバン伯爵の部下である騎士が、見るも無惨な姿になり果てていた。

 一体の巨大なトロルが、騎士を脳天から真っ二つにしたのだ。

 それはまさに真っ二つ。身体を縦に割られた騎士は、脳漿やら骨片やら内臓やらを周囲に飛び散らせて、物言わぬ骸となって大地に転がっている。

「…………」

 それを見届けた男は、木の葉一枚揺らすことなくその場を立ち去る。

 彼の役割は、この森に潜む魔物を倒すことではない。この森に君臨する《白き鬼神》──《魔物の王》ではないかとも噂されている白いゴブリンとその配下の実力を探ることこそ、彼の主である第二皇子より下された命令であった。

 だから、彼はその場を立ち去る。今見た光景を、主に伝えるために。

 いや、その前に、他の密偵なかまたちと合流する必要があるだろう。

 彼の仲間たちはこの森の各所に散って、彼と同じように《白き鬼神》配下の魔物たちの実力を探っているはずだ。

 まずは、仲間と合流し、それぞれが得た情報を共有する。

 そして、情報を共有した後は、第二皇子の下へと戻って報告しなければならない。

 情報を共有するのは、万が一密偵の誰かが討たれたとしても、他の密偵が第二皇子の下へと戻り全ての情報を主に報告できるようにするためだ。

 予め取り決めておいた合流地点は、森の中の比較的浅い場所にある。男は足音一つ立てることもなく、そして、落ち葉を舞い上げることもなく、その場所を目指して森の中を疾走した。

 だが、男は気づいていない。

 彼のすぐ後を、秘かに追っている者がいることに。

 熟練の密偵でさえ気づくことなく、「それ」は正に影のように男の後を追いかけていった。




 男が合流地点へ到達した時、他の密偵たちは既に集まっていた。

 男が姿を見せると、密偵の中の頭領格の男が小さく頷く。

「揃ったようだな。では、それぞれが見聞したことを聞こう」

 密偵たちは、自分が見聞きしたことを仔細に報告する。自分の感情や感想などは一切交えず、ただ、目にしたまま、耳にしたままを口にしていく。

 巨大な魔獣を駆るオーガーの上位種と、それに率いられたオーガーの軍団。

 組織だって影から襲い来る、極めて練度の高いダークエルフの戦士。

 重装備の騎士よりも防御力が高い、強靭なトロルたち。

 突如、頭上から襲いかかってくるハーピー。

 筋骨隆々な体躯のゴブリンらしき巨体の妖魔。ただし、どうやらその妖魔は雌らしい。

 他にも、マンティコアらしき魔獣を見かけた者もいたようだ。

 そして、中でも一番理不尽というか、信じられないというか、最もでたらめな存在が達人級の槍捌きを見せ、瞬く間に騎士や冒険者を屠ったホブゴブリンだった。

 そのホブゴブリンは、正に目にも留まらぬ速度で槍を繰り出し、あっと言う間に冒険者の一団を壊滅させていた。

 などなど、部下たちからの報告を聞いた密偵の頭領は、ふるふると数回頭を振った。

「……何なのだ、ここは……? 一体、どれだけ恐ろしい魔物どもが集まっているというのだ……」

 元よりリュクドの森は、様々な妖魔や魔獣がひしめく魔境であると言われていた。

 だが、密偵たちの報告は、事前の予想を遥かに上回っている。頭領が思わず眩暈を覚えたのも無理はないかもしれない。

 数こそ多くはないが、それでも数百以上の魔物が組織だって動いているようだ。しかも、その魔物たちは、強力な上位種に率いられているらしい。

 そして、それら恐るべき魔物たちの全てを、噂の《白き鬼神》が統べているとなれば。

「ガルバルディ殿下やミルモランス殿下が憂慮されるわけだ。この森の魔物たちが……いや、《白き鬼神》がその気になれば、我らがゴルゴーク帝国といえども無事では済むまい……」

 もちろん、頭領も帝国が《白き鬼神》に敗けるとは思わない。だが、勝利に辿り着くまでに、どれだけの将兵が失われるのか。どれだけの町や村が灰塵に帰すのか、そして、どれだけの帝国民が命を失うのか……想像するだけでも恐ろしくなる。

「よし、直ちに帝都に帰還する。途中、仲間の誰かが倒れようが、真っ直ぐに帝都を目指せ。よいな?」

 頭領の言葉に、密偵たちが頷いた──その時。

「それは無理というものなり。なぜなら、おまえたちはここで死ぬからなり」

 突然、聞いたこともない声が聞こえてきた。




 反射的に腰から剣を引き抜き、円陣を組むように集まる密偵たち。背中を円陣の中心に向け、どの方角にも対処できる態勢である。

 密偵たちは素早く左右に視線を振る。先程聞こえた声の主の居場所を求めて。

 だが、気配の探知に優れた密偵たちでさえ、声の主の居場所を突き止めることはできなかった。

 それどころか。

「どこを見ているなりか?」

 再び聞こえた声。

 しかも、その声は彼らの背後……つまり、組んでいる円陣の内側から聞こえたのだ。

 慌てて飛び退き、背後を振り返る密偵たち。その彼らの視線の先には、小さな人影があった。

 普通種のゴブリンより僅かに高いであろう程度の身長。身体つきは細く、まるで子供のような体格だ。

 だが、「それ」がただの子供であるわけがない。

 何故か覆面で顔を覆っている「それ」の、顔の側面から長く飛び出た褐色の耳を見た密偵たちが、ごくりと唾を飲み込んだ。

「だ、ダークエルフ……」

「いかにも」

 途端、周囲にいくつもの気配が湧き出した。密偵たちが周囲を見回せば、自分たちを取り囲むように、十数人のダークエルフたちが姿を見せていた。

「我が王……《白き鬼神》様の命により、おまえたちを討つなり」

 その言葉を合図にして、ダークエルフたちが一斉に動き出した。

 そして、密偵たちもそれに対応する。

 第二皇子配下の密偵たちは、隠形術に優れるだけではなく、武術にも秀でている。それもただ剣が扱えるだけではなく、気術を始めとした各種の魔法まで使いこなすことができるのだ。

 密偵たちは、一斉に気術で身体に強化を施す。その流れるような魔力の練り上げは、相当な修練を積み上げてきたことが容易に知れる。

 それを表すかのように、密偵たちには自信が溢れていた。これまでの厳しい修練を思い返せば、今の逆境を覆すことは難しくはないと、密偵の誰もがそう信じていた。

 だが。

 だが、その自信はすぐに崩れさることになる。

 地を這うかのように、低い姿勢で密偵へと迫るダークエルフたち。その速度は、厳しい修練を積み上げてきた密偵たちの目でも追えないほど。

 瞬く間に懐に入り込んだダークエルフたちに、密偵は驚愕で目を見開いた。

「遅いなり」

 彼らの背後にいる、小柄なダークエルフの声が聞こえたが、密偵たちにそれを気にする余裕はない。

 ダークエルフたちが使うのは、太い針のような刺突専用の短剣。その針短剣を、的確に急所へと繰り出してくる。

「こ、こいつら……速い……っ!!」

 元より、ダークエルフが敏捷性に優れる種族であることは有名だ。そして密偵たちも、かつての第一皇子と第三皇子がリュクドの森に遠征した際、実際にダークエルフと刃を交えていた。

 だが、今目の前にいるダークエルフたちは、以前に戦ったダークエルフよりも明らかに速く、そして手強かった。

 急所を抉るように、針短剣が突き出される。それを密偵たちは自らの得物で弾いて防ぐ。

 その際、針短剣がぬらぬらと照り輝いていることに、密偵たちは気づいていた。

 もちろん、それは毒だ。どのような効果のある毒かまでは分からないが、致命的な毒物が使われていることは間違いないだろう。

 繰り出される毒の刃を掻い潜り、密偵たちも必死に応戦する。

 だが、密偵たちの攻撃はことごとく空を切るばかり。

 ひらりひらりと、まるで木の葉のようにダークエルフは密偵たちの刃を躱していく。

 自分の攻撃が当たらない焦りと、毒を受けたら終わりという恐怖。この二つの見えない刃が、じわりじわりと密偵たちの心を切り刻んでいく。

 そして、遂に限界が訪れる。

 肉体的疲労と精神的圧迫。それらが密偵たちの限界を超えたのである。

 ずぶり、という鈍い音と共に、一本の針短剣が密偵の一人に突き立てられた。

 針短剣は正確に心臓を貫き、毒の効果を受けるまでもなく、密偵は屍となって地に倒れ込む。

 同僚の死を前にして、密偵たちの動きが僅かに止まる。もちろん、彼らも覚悟はしていた。このような仕事をしている以上、いつか目の前で仲間が倒されることは充分考えられるのだから。

 だが、実際に仲間の死を目の当たりにして、密偵たちの動きは止まってしまった。

 止まっていた時間は、本当に僅かなもの。常人であれば、動きが止まっていることに気づかないほどの短い時間。

 いや、動きが止まったというよりも、一瞬だけ注意が倒れた仲間に向けられた、と言った方が正しいか。

 しかし、その僅かな隙をダークエルフは見逃さない。見逃すわけがない。

 それまでよりも更に密偵に肉薄し、手にした毒剣を密偵の身体に突き立てる。

 ずぶり、ぐさり、といった鈍い音が、密偵の頭領の鼓膜を何度も打った。

「……これで終わりなり」

 そして、背後から聞こえてきた声。

 頭領の脳がそれが敵の声だと理解した時、彼の部下は全て地に伏していた。

「き、貴様は……貴様たちは……」

 震える声が頭領の唇から漏れ出る。

「我らは、《白き鬼神》配下のダークエルフ、メセラ氏族なり」

 その声と同時に、頭領の身体に奇妙な物が出現した。

 頭領の身体──その両目、喉、心臓、鳩尾、股間の合計六箇所に、まるで突然生えてきたかのように短剣が現れたのだ。

 もちろん、身体から短剣が生えるわけがない。これらの短剣は覆面を被った小柄なダークエルフ……メセラ氏族のナリ族長が投擲したものである。

 六本もの短剣を同時に投擲し、狙い違わず標的の急所に命中させるその技量。正に恐るべしの一言であろう。

 人間の密偵が息絶えたことを確認したメセラ氏族のダークエルフたちは、即座にその場を離れる。

 次なる標的を、同じように闇へと葬るために。




 リュクドの森を影のように駆けるナリ族長。

 その覆面を被った頭が、やや傾げられた。

「そう言えば最近、ジョーカー殿が我らメセラ氏族を『カゲノグンダン』と呼ぶが……あれはどういう意味なり?」

 ナリ族長のその呟きは、リュクドの森の木々の中に紛れて消えていった。











~~ 作者より ~~


 親戚で不幸があり、先週は執筆が進みませんでした。

 申し訳ありませんが、一週休みを挟んで次回は7月1日に更新します。


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