直接対決



 大きな真円なる金の月と、小さな歪なる銀の月が静かに見下ろす中。

 他に誰もいない夜の草原で、俺と「あいつ」は刃を交えた。

 思い返してみれば、こいつと一対一で戦うのって、初めてじゃないだろうか。

 過去、何度もこいつとはこうして戦ってきたが、その際はどちらも仲間を引き連れていたからな。

「だが…………悪くないな」

 刃と穂先が短くも激しい抱擁を何度も交わす中、思わず俺の口からそんな言葉が零れ出る。

「ええ、僕も悪くないと思っていますよ。確かに、あなたの仲間であるあの骸骨が用意した、衆人環視の中での決着を着けるというのも、悪くはありませんでしたが……」

 互いにしばしの間手を休め、距離を取って言葉を交える。そんな中、奴はちらりと視線を上へと──頭上に輝く金と銀の二つの月へと向けた。

「……観客が二つの月に座す神々だけ、というのも悪くはありませんね」

「ああ、同感だ」

 言葉を終え、再び俺たちは地を蹴る。

 剣の刃が奔り、槍の穂先が迸る。

 鋼と鋼がぶつかり合って甲高い音を響かせたかと思えば、互いに肉薄して肘や膝で相手を殴打する。

 双方、何とか致命的な一撃だけは防いでいるものの、既に全身至る所に傷が刻まれていた。

 奴の槍が唸りを上げて迫るのを、俺は僅かに首を傾げることでやり過ごす。しかし、見切りが僅かに甘かったのか、それとも奴の技量が上だったのか、穂先が頬を浅く切り裂いた。俺は頬に血が流れるのを感じ取り、その血を掌でやや乱暴に拭う。

 そしてそのまま、掌の血を空中に振り撒くように腕を振り──

「爆!」

 空中に真紅ほのおの花が幾つも咲き乱れ、重々しい音が何度も響く。

「僕にこんな目眩ましは効きません!」

 爆発の炎と煙を突き破り──おそらく〈耐火〉の魔術を使っている──、奴が俺へと迫る。奴が手にする槍が稲妻のような速さで俺に襲いかかるが、俺は大きく後ろに跳ぶことでそれを回避する。

 ちっ、爆術で視界を封じている間に奴に接近しようと思ったが……逆に俺の爆術を利用されたか。

「これまで、あなたとは何度も戦ってきましたからね。手の内はほとんど読めています」

「それを言うなら、こちらも同じだけどな」

 そうだ。俺と奴は、もう何度もこうして戦ってきたのだ。互いに互いの手の内は読めていると言っていい。

 であれば、だ。

 これまでの……過去の戦いでは使ったことのない戦法や戦術なら、効果的ってことだよな?

 俺は牙を剥き出しながら、口角を吊り上げた。




「む?」

 何かに気づいたのか、奴が慌てて後ろへと跳ぶ。

 ふん、勘のいい野郎だ。金と銀の月明かりの中、先程まで奴がいた場所に、ぽっかりとした穴が空いていた。

 もちろん、俺が地術であの穴を空けたのだ。

 足場を失わせて体勢を崩し、その隙に攻め込もうと思ったのが、感づかれたみたいだな。

「なるほど……以前に会った時から、あなたはハイゴブリンの亜種だとばかり思っていましたが……あなたの今の種族はハイゴブリン・ウォーロックでしたか」

 地術を使ったことで、俺の今の種族を見抜いたか。さすがは過去に何度も《魔物の王》の座に就いただけはあるな。

 魔物の種類や種族に関しては、当然ながら奴の方が詳しいってわけだ。

 しかし、たった一度魔法を使っただけで俺の種族に気づくとは……相変わらず侮れん。

「過去のあなたはどちらかといえば魔法は苦手のようでしたが……少し認識を改めないといけませんね」

 一度魔法を使ったことで、警戒されてしまったか。だが、どれだけ警戒したとしても、どうしようもないことだってあるんだぜ?

 俺は再び魔力を練る。魔法に親しいハイゴブリン・ウォーロックのこの身体は、意識しただけで己の手足のように魔力を操れる。

 人間であれば長い月日をかけて修練しないとできないことを、種族の特性というだけでここまで容易にこなせるのだ。つくづく、魔物という奴がどれだけ恐ろしいか実感させられる。

 さて、魔力の準備はできた。

 俺は奴に向かって駆け出す。そして、奴の槍の間合いに飛び込む直前、準備しておいた魔力を魔法という形で解き放つ!

 俺が使った魔法は〈閃光〉だ。人間って奴は、突然強い光や音を浴びせられると一瞬とはいえ硬直してしまうものだ。

 しかも、今は月明かりしかない夜。そんな中で突然鋭い光を浴びせられれば、どれだけ鍛え抜いた武の達人でも動きを止めてしまうだろう。

 そして、それは奴も例外ではなかった。

 突如目の前に出現した鋭い光を、腕で目を覆うことで直視だけは避けたようだが、それでも身体の動きは停止している。

──もらった!

 動きが停止している間に、俺は奴の懐へと飛び込んだ。

 この距離は槍を使う奴にとっては完全な死角。しかも、〈閃光〉で一時的に視界を奪われた状態では、どのような達人でも躱すことはできまい。

 とはいえ、この距離は剣にとっても不利な距離だ。だから、俺は剣を持っていない左の拳に先程練り上げた魔力の残りを全て注ぎ込む。

 発動させるのは気術。俺にとっては魔法よりも遥かに親しみのある術式であり、大岩さえ砕くだけの魔力を拳に注ぎ込み、その拳を奴の腹へと叩き込む。

 その瞬間、まるで何かが弾けたような音と共に身体が宙を舞った。

 一瞬の浮遊感を感じつつ、俺は背中から地面へと叩きつけられる。

 そう。

 宙を舞ったのは、あいつではなく俺の方だったのだ。




「…………危ないところでした」

 地面に倒れた俺を見下ろしながら、奴は懐から何かを取り出した。

 それは護符のようで……あ、あれは『反射の護符』かっ!?

「どうやら気づいたようですね? 確かにこれは『反射の護符』……一度だけ、どのような攻撃も反射する、使い捨ての防御用の魔封具です。あなたもご存知のように極めて珍しく、しかも使い捨てなのに途轍もなく高価な代物ですが……今の僕は帝国の第三皇子という身分ですからね。護身用にこのような物を持っていても不思議じゃないでしょう?」

 奴の手の中でぼろぼろと崩れ去る『反射の護符』。

 俺が魔物となって魔物の特性を得たように、奴は人間として生まれたことで人間としての特性を得たってわけだ。

 人間の最大の特性は、その社会性だろう。

 自分ではなし得ないことでも、他の誰かならそれができる。そして、他の誰かがなし得た成果を、取り引きという形で手に入れることもできるのだ。

 これまで《魔物の王》であった奴は、魔封具を使うことはほとんどなかった。使ったとしても、それは武器や防具といった類の物であり、今回の『反射の護符』のような道具は使わなかった。

 なぜなら、基本的に魔物は魔封具を作り出さない……いや、作り出す必要がないからだ。

 魔物はその優れた身体能力や魔法能力のため、道具というものを軽視する傾向にある。妖魔の中にはより優れた武具を使う者もいるが、それでも優れた武具を生産する妖魔はまず存在しない。

 仮に魔物が何らかの魔封具を持っていたとしたら、おそらくそれは人間から奪った物だろう。

 そもそも、魔物が魔封具を手に入れたとしても、満足には使いこなせない。武器だって、普通種の妖魔たちではただ振り回すだけだ。

 ムゥやザックゥ、そしてユクポゥやパルゥなどのように、上位種に進化してようやく使いこなせるようになる。

 魔物の中でも例外的に社会性が高いダークエルフなどが、武具やその他の道具を作り出して利用するぐらいだ。

 ダークエルフという種族は、元々エルフから分岐したと言われている種族だからな。魔物の中でも本当に例外的な存在なのである。

 痛む身体を強引に動かして、何とか立ち上がる。野郎、俺が立ち上がるまで待っているなんて、俺を舐めていやがるのか?

「別に舐めているわけではありません。ただ、あなたのことですからね。弱ったと思って追撃しようとすれば、何か手痛い反撃をするでしょう? だから、あえて近づかなかったのです」

 ち、読まれていたか。

 奴の死角でこっそりと掌に剣で傷をつけ、爆術の準備をしていたってのに。

 だが、いくら奴が皇族とはいえ、『反射の護符』はもうないだろう。それぐらい、あの魔封具は稀少であり、文字通りの「切り札」に違いない。

 問題は、奴があとどれぐらい他の「切り札」を所持しているか、だな。




「さて、仕切り直しといきましょうか」

「そうだな」

 痛む身体は気術で少しでも癒す。サイラァのように重傷でさえも一瞬で治すとはいかないが、気術でも多少の回復効果は望める。

 その気術を使って回復を試みる。とはいえ、普段からサイラァの命術に慣れている身としては、ほとんど回復していないに等しいが。

 今更ながら、サイラァが如何に重要な存在か理解させられたな。まあ、中身はアレだとしても、彼女の命術が素晴らしいとしか言いようがないのは事実である。

 何とか最低限の回復をし、再び奴と対峙する。

 互いに得物を構え、同時に駆け出す。

 誰もいない夜の草原に、再び甲高い金属音が響き渡る。

 得物と得物がぶつかり合う金属音の他には何の音もしない草原に、金属音以外の音が混じり始める。

「くくくく」

「はははは」

 それは、俺と奴が零す笑い声だった。

 はっきり言おう。俺は別に奴が憎いわけでもなければ嫌っているわけでもない。それどころか、逆に尊敬していると言ってもいい。

 今回、俺はゴブリンに転生したことで《魔物の王》になることを目指した。当初は奴もまた《魔物の王》になるであろうと予想したため、俺は《魔物の王》を目指すだろう奴と戦うための戦力を集めたのだ。

 そして、多くの戦力を集めて思い知った。数多くの配下を従えることが、いかに大変であるのかを。

 《魔物の王》としての奴は、いつの時代も今の俺以上の戦力を集め、しっかりと纏め上げていた。その統率力は、はっきり言って俺以上だ。そして、俺は思い知ったのだ。《魔物の王》として君臨することが、どれだけ大変なのかを。

 本当に、大した奴だ。《魔物の王》になるという大偉業を、こいつは何度も成し遂げたのだから。

 だから、俺は奴を尊敬する。こいつは本当に凄い奴だと誰に対しても断言できる。

 そんな凄い奴とこうして戦うことが……邪魔する者のいない状況で思う存分力をぶつけ合うことが、楽しくてたまらない。

 そしてそれは、奴も同じなのだろう。だから俺たちは、得物を振るいながらも楽し気な笑い声を零すのだ。

 まあ、あいつが俺を尊敬してくれているかどうかは微妙だけどな。

 剣と槍が一際大きな音を立ててぶつかり合った。同時に、俺と奴は大きく後ろに飛び退いて一旦距離を取る。

 《勇者》だ《魔物の王》だと言っても、俺たちが生き物であるのは間違いない。生き物である以上、どうしたって疲労するのは避けられない。

 お互いぎりぎりの状況で戦っているのだ。肉体的な疲労だけではなく、精神的な疲労も相当積み重なっている。

 体力だって無限ではないが、それ以上に集中力というものは長くは続かないものだ。

「……楽しい時というのは、どうしてこう、すぐに過ぎてしまうのでしょうね?」

「全くだな。俺もおまえもそろそろ限界か?」

「ええ、神ならぬこの身、いつまでも動けるわけではありませんから。それはあなたもでしょう?」

「じゃあ、ま……そろそろ決着を着けるとするか?」

「ええ、異論はありません」

 俺は剣を構え、あいつは槍を構える。

 そして、俺とあいつは同時に得物を繰り出す。お互いの心臓にしっかりと狙いを定めて。

 次の瞬間。

 ぐさり、と何かを貫く感触が剣から伝わってくると同時に。

 俺の胸を、大きな衝撃と激痛が突き抜けたのだった。



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