事後処理、そして──
貴族軍の指揮官であるカーバン伯爵が討たれたことで、この戦争は終結したと言ってもいいでしょう。
もちろん、結果は我々の敗北。
生き残った騎士、兵士、傭兵に冒険者たちが、ばらばらとレダーンの町に向かって逃げてきます。
人間同士の戦争であれば、これから掃討戦や追撃戦、更にはレダーンの町への攻撃などが始まるのでしょうが、「彼」はそれを行うつもりはないようです。
戦場で暴れていた魔物たちは、それぞれ手近な人間の死体を引き摺りつつ、リュクドの森の方へと戻っていきます。
あれが彼らの「戦利品」というわけですね。確かに魔物たちにとっては、あれ以上の「戦利品」はありませんから。
何とか生き延びた兵士たちも、レダーンの町に逃げ込めたことで気が抜けたのか、城門を潜った先で力尽きたように座り込んだり倒れ込んだりしています。
「残念ながら、我々の敗北……それも惨敗ですね。死者たちの魂が、父なる神の元へ導かれんことを」
十字を切り、ヒルパス男爵が手を組み合わせて祈りを捧げます。
しかし、これから戦後処理をどうしましょうか。今回の騒動の首謀者であるカーバン伯爵が死んでしまった以上、責任を取る者もいなくなってしまいました。
一応、僕の傍には首謀者の生き残りとも言える人物がいますが……果たして、彼はどうするつもりでしょう?
「自分の立場は理解していますね?」
「ええ、もちろん。ですが、せめてカーバン伯爵に代わって此度の戦後処理をする時間をいただけますでしょうか? その後、帝国からの正式な沙汰を大人しく待つつもりでございます」
「いいでしょう。では僕の権限において、今後一切の処理を貴公に任せます」
「殿下のご慈悲、決して無駄には致しません」
深々と頭を下げるヒルパス男爵。
彼のことは、父上やバレン兄上の判断に任せましょうか。
僕も互助会の頭目として、戦死した冒険者に対してあれこれと処理や手続きがありますから。
そして。
そして、それらが全て終わった時……「彼」と決着を着けましょう。
「なんだ、これは……?」
ユクポゥが引き摺って来たのは例の戦士……なぜか、かつての俺と同じ顔をした戦士の死体だった。
いや、これを死体と言っていいのか疑問だが。
確かに、見た目は人間の死体だ。しかし、胸に穿たれた傷口からは、血ではない別の白い液体が流れ出ているし、そこから覗く体内もまた、俺がよく知る人間や妖魔のものではない。
これまで何度も転生し、幾度となく戦場に立った俺だ。人間の内側を目にする機会はいくらでもあった。
だが、こんな身体の中身をした人間を……いや、生き物を俺は知らない。
胸に穴が穿たれれば、そこからは筋肉や骨、そしてその内側の内臓が覗けるものだ。
だが、この戦士の傷口から見えているのは、本来なら赤っぽい筋肉ではなく、灰色の「筋肉っぽいもの」、白い骨ではなく「金属製の骨みたいなもの」、内臓ではなく「金属製の何か」だった。
もちろん、白い体液っぽいものだって、これが血液のはずがない。
「こいつは一体何なんだ?」
横たえた戦士の「死体」を前に、俺は腕を組んで考え込む。
その隣では、俺の真似でもしているのか、ユクポゥの奴も腕を組んでいた。こいつ、絶対何も考えてないな。
「俺もこんな人間は初めて見るな……」
死体の傷口を覗き込みながら、ギーンが呟く。
「ギーン。これは人間ではないわ。なんせ、生きていないのですから」
「どういう意味だ、姉さん? 生きていないってどういうことだ?」
「私にも詳しいことは分からないけど、それでも『これ』が生き物ではないことは分かります」
姉弟の会話を聞きながら、俺も考える。
他ならぬサイラァが言うのだから、この戦士が生き物ではないのは間違いないだろう。
だが、
たとえ死体を利用した
例外と言えばジョーカーが身体として使っている
そういや、そのジョーカーだが、どこへ行ったのやら。この謎の戦士絡みのことらしいが……あいつがここにいれば、もっと詳しいことが分かっただろうに。
「とりあえずこの死体はどうする、アニキ? これは食っても美味くなさそうだぜ?」
ムゥが顔を顰めながら言う。確かに、人を食うつもりはない俺でも、この戦士の死体が美味いとは思えないな。
「誰か、〈防腐〉の魔法が使える奴はいるか? この死体が腐るかどうか分からないが、念のために防腐処理をして、しばらく保存しておこう。で、ジョーカーの奴が帰ってきたら、改めて調べてもらうか」
バルカンが〈防腐〉を使えるということで、早速使ってもらった。そして、そのままバルカンの背に乗せて、この戦士の死体を運ぶ。
なお、バルカンが〈防腐〉を使うのを見ていた俺は、しっかりと〈防腐〉を習得した。魔法に秀でたハイゴブリン・ウォーロックは伊達ではないのだよ。
レダーンの町郊外で行われた戦争──後の世に「レダーンの戦い」と呼ばれることになる──から、十日ほどが経過しました。
「ヒルパス男爵が行方不明? それは本当ですか?」
「私は第二皇子殿下より、直々にそのお言葉を聞きました。殿下のお言葉に間違いはないかと」
僕の前で跪くのは、近衛騎士の一人。いまだレダーンに滞在している僕の下に、帝都からガルディ兄上の言葉を伝えるために来た騎士です。
もちろん僕とて兄上の言葉を伝える騎士を疑うつもりはありません。ですが、あのヒルパス男爵が行方不明とは……これはどういうことでしょう?
今回の騒動の責任を受け止め、帝国から沙汰を待つと言っていた彼ですが、今更帝国の決定に怯えて逃亡を図ったのでしょうか?
「詳細は第二皇子殿下よりお預かりした、こちらの書状にしたためられております」
近衛騎士は取り出した書状を、僕へと差し出しました。それを受け取った僕は、早速その書状に目を通していきます。この時点で、役目を終えた近衛騎士は僕のいる部屋から退出していきました。
「……ヒルパス男爵の領地にある彼の邸宅にて、ヒルパス男爵と思しき者の死体が発見された……? しかも、その死体は既に半ば以上白骨化していたとは……一体どういうことですか?」
僕以外に誰もいない部屋の中で、思わず呟いてしまいました。
兄上からの書状には、ヒルパス男爵領に存在する男爵の邸宅の地下室で、当主であるヒルパス男爵らしき人物の腐乱した遺体が発見されたと書かれていました。
半ば以上が白骨化したその死体は、身に着けたままだった装身具などから家令が男爵本人であると判断したようです。
もちろん、その死体を発見するに至ったのは、僕の意見を聞き入れたガルディ兄上が、ヒルパス男爵の身辺調査を行った結果です。
調査のために男爵邸に侵入した兄上配下の密偵が、地下室でその遺体を発見したようですね。
領地の邸宅の地下で発見されたヒルパス男爵の遺体。それが本物であるとしたら、僕がこのレダーンの町で会っていたヒルパス男爵は一体誰なのでしょう?
そして、その偽者らしきヒルパス男爵は、約束通りに戦後の処理を全て行った後、忽然と姿を消したのだとか。
僕が会ったヒルパス男爵の偽物は、何が目的で僕の前に姿を見せたのか。それとも、僕と出会ったのは単なる偶然で、他に目的があったのか。
確かに、彼はどこか得体の知れない人物でした。「彼」そっくりの戦士を連れていたこともまた、何らかの理由があるはずです。
あの偽者は誰かに紹介されて「彼」そっくりな戦士を雇ったと言っていましたが、キーリ教の聖職者でもある彼ならば、「彼」の顔を知っていても不思議ではないでしょう。
これは僕の勘ですが、おそらく偽のヒルパス男爵は、あの戦士が「彼」そっくりな顔をして、「彼」と同じ強さを有していた理由を知っているに違いありません。
しかし、今の僕にはあの偽者を追うことはできませんし、僕の領分でもありません。偽ヒルパス男爵のことは、ガルディ兄上に任せるしかないでしょう。
僕の互助会での事後処理もそろそろ終わります。
さあ、「彼」との決着を着けに行きましょう。きっと、「彼」も僕を待ってくれているでしょうからね。
レダーン郊外の草原。十日ほど前、ここは血の臭いに溢れていた。
だが、今はもう血の臭いはしない。草原に漂うのは、草の生い茂る青臭い独特な匂いだけ。
その草原に、俺は一人佇んでいた。
時刻は夜。頭上には無数の星々と真円なる金月と、歪なる銀月が輝いている。かつては人間であり、今はゴブリンである俺を導くのは、果たして金と銀のどちらの月だろうか。
手近にあった適当な岩に腰を下ろし、頭上に輝く星と月を眺める。
何となくだが、予感がした。
今日、「あいつ」がここに来るような予感が。
もちろん、単なる勘だ。だが、この勘は当たっているに違いない。
だって、ほら────。
レダーンの町の方から、一人の人間が俺の方へやって来るのが見えた。
その人間は槍を携え、華美さは欠片もない実用的な鎧を着込み、たった一人で俺の方へと歩み寄って来る。
「待たせてしまいましたか? 申し訳ありませんね」
「なに、気にするなよ。だが、第三皇子なんて立場にいる者が、供も連れずに一人きりで夜歩きをしてもいいのか?」
「ええ、構いませんよ。今の僕は帝国の皇子ではなく、単なる君の敵でしかありませんから」
「そりゃ嬉しいね。俺も敵であるおまえと会えて嬉しいぞ」
「ははは、僕もわくわくしていますよ。こうして、君と直接対決するのは何年振りでしょうね?」
「俺たちの体感では、精々数年……あ、おまえは十数年ってトコか? 世間では俺とおまえが以前に戦ったのは、六十年以上前ってことになっているらしいがな」
俺は立ち上がり、腰の剣を抜き放ちながら歩き出す。
もちろん、「あいつ」に向かってだ。
「今日は余計な邪魔は入らなさそうだな」
「ええ、同感です。観衆の見つめる中で君と決着をつけるのもいいですが、こうして二人きりで対峙するのも悪くないですね」
「全くだ。俺とおまえ……邪魔する者のいない中で、今度こそはっきりと決着をつけようじゃないか」
「ええ、僕もそのつもりです」
俺と「あいつ」は、互いに得物を構えた。二つの月明かりで、たとえ暗視がなくても困ることはない。俺も「あいつ」も小細工をするつもりなどないからな。
ただ、真正面からぶつかるのみ。
「行くぜ?」
「行きますよ?」
俺たちはそう言い置いて、互いに地を蹴った。
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