もう一人の《勇者》
俺の配下の魔物たちを一方的に倒していた、謎の戦士。
その戦士が目深に被っていたフードが外れた時、その奥から現れたのは、かつての俺──《勇者》ジョルノーと呼ばれていた時の俺自身だった。
「い、一体どういうことだ? どうしてあそこに『俺』がいるっ!?」
「うーん、これは………………そういうことか、なるほどね」
混乱する俺の隣で、ジョーカーは何かを悟ったようだ。
「ごめんよ、ジョルっち。僕はちょっと行かなくてはならなくなった」
そう言って、俺に背中を見せるジョーカー。
「行く……だと? それはあそこにいる『もう一人の俺』絡みか?」
「うん、そうだよ。どうやら、重大なルール違反をしたみたいだからね、彼は」
相変わらず、ジョーカーの言うことは理解できない。だが、あそこにいるもう一人の「俺」に関係する以上、止めることはできないだろう。
「分かった。だが、おまえの役目はまだまだ残っているからな。早々に戻って来いよ?」
「善処するよ」
そう言い残し、ジョーカーはゆっくりと立ち去った。
さて、ジョーカーにはジョーカーのやることがあるようだ。なら、俺は俺でやることをやるとしよう。
あの「もう一人の俺」は確かに厄介だが、ユクポゥに任せておけば少なくとも足止めぐらいはできる。
そのユクポゥ先生が「もう一人の俺」を相手にしている間に、この戦争を終わらせてしまおうか。
「全軍に通達しろ! あの戦士はユクポゥに任せ、人間の軍を一気に殲滅せよ!」
俺の命令を、傍らに控えたダークエルフが風術で戦場に届ける。
同時に、ゲルーグルとドゥムの〈声〉が勢いを増し、戦場で戦っている配下たちが更に勢いづく。
対して、包囲に失敗した人間たちは、じりじりと後退を余儀なくされている。気づけば、後方に位置していた連中の本陣との距離がかなり近くなっていた。
よしよし、このまま本陣まで一気に押し込んでしまえ。そして、連中の指揮官である貴族たちを討てば、それでこの小さな戦争は終わる。
その時こそ、俺と「あいつ」が改めて一騎打ちをする時だ。
「俺」が稲妻のような横一閃を繰り出すが、ユクポゥはそれを屈んで難なく避ける。
そして、低くなった姿勢のまま「俺」へと一歩踏み込み、下から伸び上がるようにして槍を繰り出す。
今度の狙いは「俺」の頭部。先程大きく横に剣を一閃した俺は、まだ剣を振り抜いた体勢から戻っていない。
ユクポゥの槍の穂先が「俺」の頭部を貫いた──と思ったが、「俺」は僅かに首を振ることでそれを紙一重で躱す。
「このギリギリまでのしぶとさ……ホントにリピィそっくりだナ!」
ユクポゥが思わずといった感じで呟いた。俺にはよく分からんが、あの「俺」の動きは本当に俺そっくりらしい。
「俺」は素早くユクポゥから距離を取る。だが、ただ離れただけじゃない。ユクポゥから距離を取りつつ、腰から抜いた短剣をユクポゥに投げ放つ。
もちろん、そんなものがユクポゥに通じるわけがない。だが、槍の柄で短剣を弾いたその隙に、「俺」は再びユクポゥへと肉薄した。
ユクポゥにぴたりと肉薄した「俺」は、その勢いを殺すことなく膝蹴りをユクポゥの腹へと叩き込む。
「グ、グゥ…………抜け目ないナ! ホントにリピィそっくりダ……!」
苦し気に息を吐き出したユクポゥ。まだ肉薄したままの「俺」の顔面に、今度はユクポゥが頭突きを放った。
ユクポゥの頭突きは、見事に「俺」の鼻っ面を潰す。うわぁ。頭突きを食らったのが「俺」だけに、思わず自分の鼻を押さえつつ呻き声を上げてしまう。それなのに、頭突きをくらった「俺」は、それほど苦痛を感じる様子もなく、鋭く剣を振り続ける。
もちろん、その剣閃は全てユクポゥに防御されているが。しかし、ユクポゥの奴、実に楽しそうだ。
その後も、一進一退の攻防を繰り返す「俺」とユクポゥ。どんどん激しくなっていくその戦いに、いつしか彼らの周囲には人間も魔物もいなくなった。
二人の戦いが激しすぎて、誰も近づけないようだ。
一方、両軍のぶつかり合いは、いよいよ俺たちの方に勢いが傾いてきた。
二体のゴブリン・キングによる味方への強化と敵への弱体化が、じわじわと効いているな。
今や、人間軍の陣形は崩壊寸前。包囲しようと移動していた人間軍の両翼も、ムゥやザックゥたちによってぼろぼろにされている。
さて、もうひと押ししてやるか。
俺が背後に控えていたグフールへと振り向けば、彼はにこりと微笑んだ。
「お任せを、リピィ様」
「おう、任せたぜ」
力強く頷いたグフールは、仲間のハーピーたちと共に飛び立った。ハーピーたちは両足で大き目の石を持ち、人間軍の頭上へと飛んでいく。
人間軍の弓兵隊が厄介だったので、今まで温存しておいたハーピーたちだが、既に大混戦になっている現状、弓兵隊が組織だってハーピーたちを迎撃することはできないだろう。
散発される程度の矢なら、ハーピーたちは余裕で躱してしまうからな。
混戦状態の戦場を飛び越え、ハーピーたちは敵の本陣上空へと容易く到達する。
そして、上空から抱えていた石を落とし、敵の本陣を直接攻撃していく。
単に石を落としていくだけなので、それほどの威力はない。だが、それでも当たり所が悪ければ骨が折れるぐらいはするし、最悪死ぬことだってありうる。何より後方の本陣が直接攻撃されることは、敵にとってこの上ない脅威と感じられるはずだ。
もちろん、敵も無抵抗ではない。地上から矢や魔法で迎撃するも、石を落とし終えて身軽になったハーピーたちは、さっさと退却してしまう。
これで、敵の前線だけではなく本陣も混乱したことだろう。あちらさんにとっては、いつ何時ハーピーたちが飛来するか分からないので、全く気が抜けないってものだ。
前線だけではなく、本陣まで混乱した人間軍。これでもう、まともな「戦争」はできないだろうな。
本陣が直接攻撃を受けたという事実は、本陣だけではなく前線までも動揺させたようだ。
それまで辛うじて保たれていた戦線が、更に乱れていく。
中には、敗けを悟ってさっさと逃げ出す連中もいる。逃げ出すのは傭兵や冒険者たちか。
傭兵や冒険者は、単に雇われているだけだからな。敗色濃厚となれば、逃げ出す奴が現れても不思議じゃない。
そして、敵前逃亡する者が出だしたことは、貴族お抱えの兵士たちにも影響を及ぼしていく。
さすがに貴族お抱えの兵士たちは、そうそう逃げ出したりはしない。それでも、それまで一緒に戦っていた戦友が逃げ出す姿を見ては、精神的にかなり追い詰められることだろう。
こうなっては、余程の名指揮官でもなければ態勢を立て直すことはできない。そして、敵の指揮官である貴族たちは、決して名指揮官ではなかったようだ。
遠目にも貴族たちがおろおろとしているのが分かる。おそらくは戦況を立て直そうとしているわけではなく、自分たちの身を守ることを第一に考えているからだろう。
俺が人間だった時──過去に何度も転生した際、そんな貴族たちを大勢見てきた。戦いの経験もそれほどないのに、なぜか指揮官として戦場に立つ貴族たちを。
当然、そんな連中がまともに指揮など執れるはずもない。大体はお抱えの騎士などが指揮を代行するわけだが、その代行指揮官である騎士に自分の身を優先して守れと命令すれば、代行指揮官もまともに指揮が執れなくなる。
もちろん、しっかりと経験を積み重ねた熟練の指揮官であれば、貴族たちを守りながら戦況を支えることもできるだろう。だけど、そんな熟練の指揮官はあちらにはいないらしい。
貴族自身が指揮を乱し、戦況が更に乱れていく。
その結果、魔物軍が人間軍を突破し始めた。こうなっては、もう勝敗は決まったようなものだ。
後は、魔物の群れという津波に、飲み込まれるしかない。
戦争の趨勢自体は決まったようなものだが、「もう一人の俺」とユクポゥの戦いはいまだに拮抗していた。
「俺」が振るう剣を。ユクポゥが繰り出す槍を。あの二人は互いにぎりぎりで防ぎ、そのまま反撃へと繋げる。
もちろん、双方とも無傷というわけにはいかない。互いに掠り傷を全身に負いながらも、それでも致命的な攻撃だけはしっかりと防いでいる。
「まるで、いつも手合わせをしているリピィ様とユクポゥ様のようですわね」
お? いたのか、サイラァ。
いや、こいつが俺の傍にいるのは分かっていたのだが、先程までは戦場に漂う血の匂いにはぁはぁしていたからな。あえて、いない者として扱っていただけだ。
そのサイラァが、息を荒げるわけでもなく、頬を上気させるわけでもなく、なぜか真剣な表情でじっと戦うユクポゥと「俺」を見つめていた。
うーむ、ひょっとして、何か良くないものでも食ったのか? あのサイラァが、こんな真面目な顔で戦いの様子を見つめるなんて。
「そんなに、あの戦士とユクポゥの戦いは、俺たちの手合わせに似ているか?」
「はい、リピィ様。そっくりでございますよ」
まあ、こいつは俺とユクポゥが手合わせをする際、いつも傍にいるからな。なんせ、俺たちの手合わせは無傷では済まないので、手合わせの際には怪我を治すためにサイラァに傍に控えてもらっているのだ。
つまり、サイラァは俺とユクポゥの手合わせを常に間近で見てきた。そのサイラァがそう言うのであれば、本当にあの戦士の動きは俺にそっくりなのだろう。
しかし、あの「もう一人の俺」は一体何者だろうか? あの戦士がかつての俺そっくりな顔をしていることは、俺とジョーカー、そして「あいつ」ぐらいしか知らないだろう。
だが、あの戦士の動きが俺にそっくりだということは、ユクポゥやサイラァだけではなく、ムゥたちやザックゥも気づいているかもしれない。
まあ、あいつらにあの戦士のことを聞かれても、俺にも答えようがないわけだがな。
その「もう一人の俺」とユクポゥの一騎討ちだが、それまで拮抗していた天秤が徐々に片方に傾いてきた。
傾いたのは、ユクポゥの方だ。
戦士が繰り出した稲妻のような一閃を、ユクポゥが僅かに身を沈めて頭上ぎりぎりで躱す。
振り抜かれた「俺」の剣。普通であれば、その剣を引き戻すのに数瞬の隙ができる。だが、「俺」はその場でくるりと一回転。振り抜いた剣は止められることなく、それどころか回転によってより威力を高められ、再びユクポゥに襲いかかった。
その不規則な攻撃を、ユクポゥはあっさりと槍の柄で受け止めた。
「……これも、リピィがよく使う手だナ!」
そう。
あの戦士が俺そっくりな動きをするのであれば、普段から俺と手合わせをしているユクポゥにとって、これ以上にない戦いやすい相手ということになる。
その反対に、「もう一人の俺」は当然、ユクポゥとは初見である。「俺」の動きを熟知しているユクポゥに対して、ユクポゥとは初見である「俺」が不利になっていくのは当然と言えた。
攻撃を受け止められて、思わず動きを止めてしまう「俺」。そして、ユクポゥがその隙を見逃すはずもない。
ユクポゥの手の中で槍が素早く回転し、その穂先が「俺」へと向けられる。
そして。
神速で繰り出されたその穂先は、見事に「俺」の胸を貫いた。
胸を貫かれた「俺」は、ゆっくりと視線を動かして己を貫いている槍を見た。
それでも、「俺」の表情は変わらなかった。思い返してみれば、ユクポゥと戦っている最中、「俺」の表情は全く動いていなかったように思える。
まるで、感情なんてないかのように。
その「俺」が、胸に突き刺さった槍を見た後に天を仰ぎ、そのまま仰向けに倒れる。
胸に空いた風穴から、「白い血のようなもの」を噴き出させつつ。
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