謎の戦士
「トロルには火だ! トロルは火による負傷は回復できない! 魔法が使える奴は、武器に炎術を付与しろ!」
カーバン軍に組み込まれたとある冒険者の叫びに応じて、他の冒険者や傭兵たちがそれぞれの得物に炎を付与し始めました。
この辺りの臨機応変さと機転の良さは、冒険者や傭兵ならではと言えるでしょう。
反対に、命令に従うことが重視される軍隊では、前線の兵士や騎士たちでは判断できないことも多々あり、どうしても対応が遅れがちになってしまいます。
その結果が、カーバン軍が一方的に蹂躙されている今の状況というわけです。
剣や槍に炎を付与した冒険者や傭兵が、必死に抵抗するも左程効果は現れていません。中にはトロルに油の入った容器を投げつけている者もいるようです。あれは自身や手近な仲間に、炎術を使える者がいない故の苦肉の策でしょうか。
一方、魔物たちを包囲しようと展開したバストン伯爵の兵とウェストン子爵の兵は、オーガー・ライダーたちとトロルの一団によってその勢いを完全に止められてしまいました。
身動きの取れない騎兵など、その威力は半減です。そこへオーガーとトロルだけではなくダークエルフまで襲いかかったのですから、今では完全に防戦一方といったところ。
ヒルパス男爵が貸与した魔封具のおかけで用兵の早さこそ目を見張るものがありましたが、打撃力という点では上位種を多く含むオーガーやトロル、そしてダークエルフには劣ってしまうようですね。
これはもう、この戦いの結末は見えたと言っていいでしょう。
僕がそのように思った時、戦場へと疾走する一つの影が視界に映り込みました。
それは、つい先程まで僕の……いえ、ヒルパス男爵のすぐ近くにいた彼の護衛の戦士です。
少し前にヒルパス男爵が彼に言葉をかけてから、まだそれほどの時間は経過していないというのに、もう戦場に到着したのですか?
あの戦士、馬以上の速度で走っているようですが……何か、魔法で身体能力を上げているのでしょうか?
目深にかぶったフードは、高速で走っている今も彼──体格からして、おそらく男性でしょう──の顔を隠したまま。もしかしてあれも魔封具の類でしょうか?
それはともかく、瞬く間に戦場に辿り着き、そのまま最前線に躍り出た件の戦士は、腰から剣を引き抜くと同時に手近にいたトロルへと斬りかかりました。
ずん、という重々しい音がここまで聞こえてきそうなほどの剛剣。鋭い太刀筋で振るわれた剣が、トロルの胴体を両断しました。いくらトロルといえども、胴体を二つに断たれては再生できません。
あの戦士、かなりの実力者ですね。一体何者でしょうか?
あれほどの実力を持った者であれば、当然名も知れているはず。ですが、僕にはあの戦士に心当たりがありません。
いくら顔を隠していても、名の知れた戦士ならばある程度は太刀筋や戦い方からその正体が知れるというもの。というより、名のある者であれば、顔を隠す必要などないでしょう。
僕が見つめる先で、あの戦士が次々に魔物を屠っていきます。
ん?
今何か……あの戦士が剣を振る姿を見ていたら、何かが僕の中で引っかかったような……?
あの太刀筋……あの太刀筋を僕は知っている……?
それも、過去に何度もあの太刀筋を、僕自身が受けたことがあるような……え?
あの太刀筋は……「彼」の太刀筋?
そ、そんな訳はありません。「彼」は今、《白き鬼神》として、《魔物の王》として魔物軍の後方にいるのですから。
ですが、これまでに何度も「彼」と刃を交えてきたこの僕が、「彼」の太刀筋を見間違うはずがありません。
「彼」ととても良く似ている……いえ、「彼」と全く同じ太刀筋で剣を振るう、あの戦士は一体……?
「お、おい……あれは一体何なんだ……?」
「うーん、僕にもちょっと分からないねぇ」
俺の見つめる先で、ばたばたと魔物たちを斬り倒していく一人の人間。
目深に被ったフードのため、その素顔は見えない。だが、一撃でトロルを倒すその実力は、決して侮れるものではなかった。
「……あの戦士、何者だ? 相当な腕利きのようだが……」
「…………」
俺の質問に答えることもなく、ジョーカーは件の戦士をその空ろな眼窩でじっと見つめている。
「……ねえ、ジョルっち。あの戦士の動きだけど、どこかで見覚えがない?」
「見覚えだと? そんなものあるはずが…………」
「あのニンゲン、リピィの動きにそっくりだゾ」
ばったばったと魔物たちを斬り倒している戦士の動きを見ていたユクポゥが、突然そんなことを言い出した。
「俺の動きにそっくりだと? あの戦士がか?」
「うんうん、僕もそう思ったところだよ」
「リピィとはしょっちゅう手合わせしているから、オレ、間違えない!」
ユクポゥとジョーカーが親指をおっ立て合っている。おまえら、絶対にそれに意味ないだろ?
兄弟の言う通り、俺は鍛錬の一環でユクポゥたちとはいつも手合わせしている。もちろん、ユクポゥだけではなくムゥたち三馬鹿やザックゥなどともしているけどな。
そのユクポゥが言うのであれば、あの戦士の動きは本当に俺そっくりなのだろう。そんなこと、自分ではよく分からないが。
でも、それってどういうことだ?
「何にせよ、あの戦士をこのまま放っておくわけにはいかないよね? どうする、ジョルっち?」
ジョーカーの言が正しいな。あの戦士がどうして俺そっくりな動きをするのか、その理由は不明だ。だが、あれが倒さねばならない敵なのは間違いない。
それに、あの戦士こそがあちらさんの切り札だろう。であれば、こちらも切り札を切るまでだ。
「ユクポゥ……やれるか?」
「がってん!」
俺の兄弟分は再び親指をにゅっと突き立てると、そのまま風のように駆け出した。
フードを目深に被ったまま、例の戦士は次々に魔物を屠っていきます。
普通種のゴブリンを一刀両断にしたかと思えば、次はトロルの首を刎ねる。そして、傍にいたトロルが仲間の仇とばかりに反撃に出ると、そのトロルが振り下ろした棍棒を何と片手で受け止めました。
一体、どのような強化魔法を使っているのやら。単なる気術による身体強化ではなさそうです。
い、いえ……改めてその戦士をよく見れば、魔力の動きが全く感じられません。
ということは、あの戦士は魔法を全く使っていない? それなのに、馬よりも速く走り、トロルが振り下ろす棍棒を片手で受け止めた?
あり得ません。そんなことができる人間なんて、いるわけがない。
いえ、人間に限らず妖魔や魔物でも、あそこまで高い身体能力を魔法も使わずに発揮できる種族は多くはないでしょう。
全くいない、と断言できないところが、魔物の恐ろしさですが。
ですが、あの戦士は魔物ではありません。フードで顔こそ隠していますが、体形や体格が人間のものです。魔物の中には人間とよく似た姿をした者もいますが、それでもどこか人間とは違う点があるものです。
過去、様々な魔物たちを間近で見てきた僕には、人間と魔物の違いがよく分かります。
トロルやオーガーに負けない膂力と、ダークエルフ以上の敏捷性を持つ人間……そんなもの、本来なら存在しないのです。
思わず、ヒルパス男爵の方へと視線を向けると、彼は相変わらず優雅に微笑んでいるだけ。
どうやら、あの戦士に関しては何も教えるつもりはないようですね。
後で、ガルディ兄上にもう一通手紙を送らねばなりません。あの戦士の素性を調べてもらうために。
そして再び戦場に視線を戻せば……どうやら、局面が変わったようです。
例の戦士の前に、大柄なゴブリンが現れました。あのゴブリン……いえ、あれはホブゴブリン、それもその上位種でしょう。
槍を持ち、頭に薄汚れた布を巻き付けた……いえ、布を被ったホブゴブリンは素早い動きで戦士に向かって槍を繰り出しました。
速い!
離れて見ているからこそ視認できていますが、至近距離であれば目で追うことも難しいほどの速度で繰り出される槍。
僕自身も槍を得意とするのでよく分かります。あのホブゴブリン……相当な槍の使い手ですね。
全く、トロルやオーガーの上位種だけではなく、あんな化け物中の化け物まで「彼」の配下にいるとは。
かつて、僕が《魔物の王》と呼ばれていた時でさえ、あれだけの槍捌きを見せる妖魔はいませんでしたよ。
一体、今の「彼」の下には、どれほどの怪物たちが集まっているのやら。
ですが、そのホブゴブリンが繰り出した神速の突きを、謎の戦士は手にした剣でこともなく弾き返しました。
そして、引き戻される槍の動きに合わせ、ホブゴブリンへと踏み込んで行きます。
懐に入られたら、槍は不利。その鉄則を守り、戦士はホブゴブリンへと接近を試みたのでしょう。
ですが、むざむざと接近を許すほど、あのホブゴブリンも甘くはありません。槍を引き戻す動きを途中で止め、そのままくるりと槍を回転させます。
槍の石突きが、接近する戦士の下方から稲妻のように襲いかかる。槍は何も穂先で突くだけの武器ではありません。石突きをいかに上手く使いこなすかこそが、槍の極意だと言う者もいるぐらいです。
迫る石突きを、戦士は身体を捻ってやり過ごします。その体捌きは見事の一言。あの体勢から石突きを躱すことなど、普通はできませんから。
ですが、石突きを躱した代償は大きい。ホブゴブリンへと踏み込んでいる最中に強引に身体を捻ったことで、戦士の体勢が完全に崩れました。
それを見逃すほど、あのホブゴブリンは甘くはない。
手の中で更に回転させた槍を素早く引き戻し、再び突き出す。その狙いは、戦士の足。体勢が崩れている今、下半身への攻撃は致命的と言えるでしょう。
しかし、戦士は再び予想外の行動でこの突きを躱します。彼はなんと、崩れた体勢から地を蹴り、宙に跳ぶことでホブゴブリンの攻撃を躱したのです。
そのまま宙で一回転し、危なげなく着地する戦士。
しかしその反動で、彼が被っていたフードがその頭から外れました。
フードの奥から現れたその素顔。それは──。
「お、おい、どういうことだっ!?」
俺はフードが外れて露になった戦士の顔をまじまじと見つめる。
どうしてだ?
どうしてこんなことが起きている?
俺はあまりの驚愕で思考が混乱していた。
なぜなら。
フードの奥から現れた、謎の戦士の素顔。その素顔に俺は見覚えがあったのだ。
「どうして……どうして、あそこに『俺』がいるんだ……?」
そう。
フードを被っていた謎の戦士の素顔。それは、かつての俺……《勇者》ジョルノーと呼ばれていた俺の顔に間違いなかったのだから。
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