激突




 レダーンの町を守る城壁の上に立つ僕の眼下を、数百人の騎士や兵士、傭兵や冒険者たちが整然と並びつつ町の外へと進軍して行きます。

 その最後列には、この町の領主であるカーバン伯爵の姿が。

 煌びやかな鎧姿で馬に跨ったその姿は、確かに威風堂々としたものに見えます。

 ですが、青ざめた表情と微かに震える身体が、彼の内心を如実に物語っていました。

 そのカーバン伯爵の周囲には、彼と同じように武装した数人の貴族たち……カーバン伯爵に手を貸した貴族たちも続きます。彼らもまた、緊張を隠せない様子です。

「……貴公は出陣しないのですか?」

「はい、ミルモランス殿下。私は神に仕える身でもありますし……正直、争いごとは苦手でして」

 そう言いつつ微笑むのは、私の背後に控えるヒルパス男爵。彼は神官服を身に纏い、一人の護衛らしき戦士を連れています。

 ですが……その戦士の風体は少し異様ですね。外套を羽織り、頭までフードで完全に覆ったその戦士。神官戦士ではないようですが、単なる傭兵や冒険者とも思えません。

 一切声を出すこともなく、ただ、影のごとく静かに佇む戦士。果たして、彼は何者なのでしょう。

「《魔物の王》に挑む、勇敢なる者たちに、キーリの神の祝福を」

 額、胸、両肩へと指先を動かし──この動作を、キーリ教団では「十字を切る」と表現するそうです──、キーリ神へと祈りを捧げるヒルパス男爵。

 僕がヒルパス男爵や護衛の戦士たちに注意を向けている内に、カーバン伯爵が指揮する軍隊はレダーンの町の外に広がる草原に布陣しました。

 布陣の隊列は左右に大きく広がった横一列。両翼がやや前に出ていることから、魔物の軍を中央に呼び込み、包囲する作戦のようです。

 さて、「彼」を相手に、カーバン伯爵たちがどこまで戦えるのか……見せてもらいましょうか。

 視線をリュクドの森の方へ向けると、そこには無数の魔物たちの姿が見えます。

 その先頭に、「彼」はいるのでしょう。

 すぐそこにいる「彼」のことを考えながら、僕は少し前のことを思い返しました。




「それには及びませんよ、ミルモランス殿下。ここでわざわざ皇子である御身が危険を冒す必要はありません」

 そう告げたのは、ヒルパス男爵でした。

「ここはカーバン伯爵の領地内。であれば、当然ながらカーバン伯爵がことに当たるのが筋というもの。そうではございませんかな、ミルモランス殿下?」

 僕に向かって穏やかに微笑むヒルパス男爵。

 彼は顔面蒼白なカーバン伯爵へと視線を向けました。

「カーバン伯爵、考え方を変えればこれは好機です」

「こ、好機……だと?」

「ええ。これまで我らの兵が破れたのは、全てリュクドの森という天然の要害があればこそ。その要害より魔物たちが……《白き鬼神》が出てきたのです。これはかの魔物を討つ絶好の好機以外のなにものでもないでしょう」

 相変わらずにこやかに、ヒルパス男爵がカーバン伯爵に告げました。

「お? おお? た、確かに、あの森さえなければ、《白き鬼神》を倒すのも難しくはあるまい!」

「ヒルパス男爵の言う通りだ! 今なら、軍を投じて《白き鬼神》を討つこともできよう!」

 ヒルパス男爵の言葉に、バストン伯爵とウェストン子爵が気勢を上げ始めました。

 確かにリュクドの森という天然の要害は、カーバン伯爵たちが失敗した大きな原因の一つです。しかし、「彼」がそのリュクドの森から出て姿を見せた今、ヒルパス男爵の言うように大軍で以て一気に攻める好機には違いありません。

 もっとも、そんな簡単なことに気づかない「彼」ではないので、何か策があると思うのですが……それをカーバン伯爵たちに言うわけにはいきません。

「当然、この地の領主たるカーバン伯爵と、そのカーバン伯爵に協力している皆様方もまた、共に戦場に立たれるのでしょう?」

「………………は?」

「い、いや、我々は……」

「と、突然何を言い出すのだ、ヒルパス男爵は……?」

 味方であるはずのヒルパス男爵からの、予想外の提案。それを聞いたカーバン伯爵たちは、再び顔色を変えてヒルパス男爵と僕を何度も見比べます。

「なんせ、軍を率いて直接白き鬼神……いえ、《魔物の王》の首を討ち取ったとなれば、その武勲は比類なきものとなりましょう」

「い、いや、ヒルパス男爵……貴公はそう言うが、ここには今代の《勇者》たるミルモランス殿下がおられるのだ。ここは殿下に……」

「いえいえ、やはりここは領主であるカーバン伯爵こそが、先頭に立って《白き鬼神》を討つべきです。それに──」

 ヒルパス男爵がカーバン伯爵に歩みより、その耳元でなにやら囁いています。おそらくですが、僕が《白き鬼神》を討てば、彼らの本来の目的が果たせない、とでも言っているのでしょう。

 現に、囁かれたカーバン伯爵は、「う……そ、それは……それもそうだが……」などと呟いています。

 一方で、ヒルパス男爵はにっこりと微笑みながら、言葉巧みにカーバン伯爵たちを戦場へと誘っていきます。

 果たして、彼の目的は一体何なのか? 味方のはずのカーバン伯爵たちを戦場に立たせて、何がしたいのか?

 彼の狙いは分かりませんが、それでもここがカーバン伯爵の領地なのは間違いありません。そのカーバン伯爵が軍を率いて打って出ると言うのであれば、たとえ皇子であり今代の《勇者》である僕であろうとも、カーバン伯爵の進軍を止めることはできません。

 あのジョーカーという骸骨が整えてくれた、「彼」との決着をつける折角の舞台だというのに。とんだ邪魔が入ったものです。

 ですが、「彼」とその配下たちの実力を測るという当初の目的からすれば、これもまた好機と言えるのは間違いありません。

 それに、「彼」がこんなことで負けるとは思えませんし。ここは一時的に主役をカーバン伯爵に譲るとしましょうか。




「おお、遂に始まるようですよ」

 ヒルパス男爵の言葉にふと我に返ると、改めてカーバン伯爵が率いる軍勢を見ます。

 横陣形を敷いたカーバン軍。左翼をバストン伯爵、右翼をウェストン子爵の私軍が担い、中央をカーバン伯爵の私軍と傭兵や冒険者で構成しているようです。

 そして、その横陣の背後、少し離れた場所に騎兵の一団。これが本陣であり、カーバン伯爵たち三人の貴族がそこにいるようです。周囲にいる騎兵はカーバン伯爵子飼いの騎士たちであり、本陣の守りであると同時に、予備戦力でもあるわけですか。

 そうやって城壁の上から貴族軍を分析していると、魔物の集団の方から咆哮が聞こえてきました。

「おや、この咆哮は……」

 その咆哮を聞いた途端、身体から力が抜ける感覚がします。その感覚に、僕は意識の力を強め、纏わり付く不可視のソレへと抗いました。

 途端、それまで覚えていた脱力感が抜けていきます。どうやら、脱力感を招く咆哮に抵抗できたようです。

 今の咆哮は、おそらくゴブリン・キングのものでしょう。それも、脱力感を招き、戦意を下げる効果を持つ咆哮といったところでしょうか。

 このような魔物の特殊な能力や、自分に悪影響を与える魔法には抵抗を試みることができます。意思の力を強く持つことで、相手の魔力を打ち消すわけですね。もちろん、いつでも抵抗に成功するとは限りませんが。

 先程のゴブリン・キングの咆哮もまた、かなり強力なものでした。僕だからこそ抵抗できたものの、一般的な兵士や冒険者たちでは、ほとんど抵抗できなかったと思います。

 その証拠に、それまで整然としていたカーバン軍の陣形に、乱れが生じています。戦意を挫かれたことで、兵士たちに迷いが生じたのでしょう。

 それと同時に、魔物の群れが動き出しました。群れの先頭を走るのは、灰色の肌をした巨躯を持つ妖魔たち。あれはトロルですか。

 岩のような強靭な肌と驚異的な再生能力を持った恐るべき妖魔です。そのトロルの一団に向けて、カーバン軍から矢が放たれますが……あまり効果はないようです。

 高い防御力と再生能力を頼りに、トロルたちは勢いを止めることなくカーバン軍に迫ります。

 このトロルたちを、カーバン軍は重装歩兵が盾を構えて受け止めます。重装歩兵とトロルが激突し、僕のいる城壁までその激突音が響いてきました。

 巨躯と怪力を最大限に活かし、トロルが重装歩兵を薙ぎ払います。これに対してカーバン軍は、重装歩兵が構える盾の隙間から長槍を突き出して抵抗しますが、トロルの集団に交じった普通種のゴブリン程度ならともかく、魔物の主力であるトロルにはあまり効果がないようです。

 ただでさえ頑強な皮膚を有するトロルは、槍の突きを受けても左程効果はなく、たとえ穂先が皮膚を貫いても、その高い再生能力で瞬く間に回復してしまいます。

 そこへ後続の魔物たちが合流し、魔物の軍は更に勢いを増してカーバン軍を蹂躙し始めました。

 数でこそカーバン軍が勝っていますが、勢いは完全に魔物たちの方が優勢ですね。

 特にトロルを率いる上位種、そしてオーガーを率いる一際巨大な三体の上位種。これらが魔物たちの中核となっているようです。

 なるほど……あれが「彼」の配下たちの実力ですか。

 数こそそれほど多くはありませんが、極めて強力な個体の魔物が多いため、その総合的な力は決して侮れません。

 「彼」の配下たちの実力の一端は把握できました。とはいえ、あれが配下の全てとは限りませんが。

「カーバン伯爵が動きを見せましたよ」

 いつの間にか隣に来ていたヒルパス男爵の言う通り、魔物たちを受け止めた中央が徐々に後退していきます。同時に、カーバン軍の両翼もまた動き出しました。騎兵を中心に機動力の高い者たちで構成された両翼が、魔物たちを包囲するように動き出したのです。

「ほう……思ったよりいい動きを見せますね」

「カーバン伯爵たちには、例の通話の魔封具をそれなりの数渡してあります。それを用いて命令の迅速な通達を行っているのでしょう」

 なるほど。魔封具を用いて伝令兵よりも速く命令を伝えることができれば、当然軍の動きも良くなります。

 カーバン軍が予想よりもいい動きを見せる理由はそれでしたか。

 素早い用兵を見せたカーバン軍に対し、妖魔たちもまた迅速な動きで応じてきます。

 包囲するように動くカーバン軍の両翼を、一団から離脱したオーガーとトロルたちが迎え撃つようです。

 カーバン軍の騎兵に対抗するためか、オーガーたちも魔獣に騎乗しています。ふむ、あれはオーガー・ライダーですか。

 双方の騎兵同士が真正面からぶつかり合い……結果、カーバン軍が押され出します。

 魔物を包囲して殲滅するというカーバン伯爵たちの作戦を、どうやら「彼」は見抜いていたようです。いや、作戦を見抜いたのは、「彼」ではなくあの骸骨かもしれません。

 更には、魔物たちを包囲すべく動いたカーバン軍の両翼の背後に、突然滲み出るかのように妖魔の一団が姿を見せました。

「あれはダークエルフ……それもメセラ氏族ですか」

 ダークエルフお得意の〈姿隠し〉以上の隠行術を誇るメセラ氏族。彼らであれば、あれぐらいのことは簡単にやってのけるでしょう。

 姿を隠しながら、背後に回り込もうとしたカーバン軍の更に背後へと回り込み、オーガーの騎兵と挟み撃ちにするのが彼らの狙いだったようです。

 その狙いに、まんまとカーバン軍は誘い込まれたみたいです。

「……どうやら、この戦いはカーバン伯爵たちの敗けのようですね」

 見る間に蹂躙されていくカーバン軍を見つめながら、誰に聞かせるでもなく呟いた時。

 僕の隣で戦いの趨勢を見つめていたヒルパス男爵が、にやりと笑みを浮かべました。

「さて、それはどうでしょう? まだまだ、カーバン伯爵たちが巻き返す可能性はあると思いますよ?」

 そう言いながら。

 ヒルパス男爵は、彼の背後に控える戦士へと視線を向け、静かに告げました。




「さあ、自由に暴れて来なさい」


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