開戦




「なあ、リピィ。こんなことで、人間の《勇者》は本当におまえの挑戦を受けるのか?」

 眉を寄せつつそんな質問をするのは、俺の隣に立っているギーンだ。

「ああ、確実に『あいつ』は……《勇者》はこの挑戦を受けるさ」

「人間には立場ってものがあるからねぇ。世間の目がある場所で、《勇者》が《魔物の王》から挑戦されたんだ。受けないって選択はできないよ」

「そんなものなのか……人間ってのはよく理解できないな」

 俺とジョーカーの答えを聞いたギーンは、腕を組んで首を傾げた。まあ、ダークエルフには……というか、妖魔には人間社会の複雑なアレコレは理解できないだろう。

 だが、ジョーカーの言う通り、人間には立場ってものがある。《勇者》が《魔物の王》に挑戦されて、それを受けないわけにはいかない。しかも、こんな衆人環視の真っ只中でとなれば尚更だ。

 人間たちの侵攻を利用して、逆にこんな舞台を整えてしまったジョーカー。本当にコイツは凄いと思う。

「ギーン、ユクポゥ……それに、ムゥやザックゥも分かっているな?」

「おう、大丈夫だぜ、アニキ。アニキが人間の《勇者》とやらと戦っている間、俺様たちも手下たちも一切手出しはしねえよ」

「その代わり、他の人間が出てきた時は好きにさせてもらうぜ?」

「ニンゲン! 倒す! 食う!」

 ユクポゥやムゥたちには、予め言い渡してある。もしも俺と「あいつ」が戦うことになれば、その時は一切手出し無用だと。仮に俺が負けそうになっても、だ。

 ただし、もしも「あいつ」が挑戦を受けずに他の人間……レダーンの領主の私軍あたりが出てきた場合は、逆にムゥたちに全てを任せる。それが俺と配下たちとの約束である。

「そうだねぇ……もしもムゥくんやザックゥくんたちに出番があるとすれば、それは……おや?」

 使い魔を使って上空からレダーンの町を監視していたジョーカーが、何かに気づいたようだ。

「どうやら、横槍が入ったパターンのようだね」

 肩を竦め、両手の掌を上にしたジョーカーが、呆れるようにぽそりと呟いた。




 気術で強化した俺の目に、レダーンの町から軍隊が進み出てくるのが映り込む。

 どうやら、ジョーカーが言った通り、レダーンの領主がしゃしゃり出て来たようだな。

「今代の《勇者》殿は皇子様だからね。皇子の身を危険に曝すわけにはいかないとか何とか理由をつけて、レダーンの領主が強引に横から出てくる可能性はあると思っていたよ」

「『あいつ』が皇子なんて立場でなければ、《勇者》が出ないわけにはいかなかっただろうがな。まあ、想定の範囲ではあるな」

 今回、レダーンの領主──名前は聞いたけど忘れた──が行ったリュクドの森への侵攻は事実上の……いや、完全に失敗だ。

 だが、領主の標的である俺が、こうして目の前に姿を見せたのだ。侵攻の失敗を取り戻すべく、領主が出てくることは当然考えられた。

 そのため、ムゥたち配下をこうして連れてきたわけだ。もちろん、連れてきた最大の理由は人間たちに対する威嚇だが。

 俺としては、たとえ《魔物の王》を名乗ろうが、配下に人間たちの領域を攻めさせるつもりはない。このリュクドの森を俺の「領地」とし、人間たちから不干渉を得られればそれでいいのだ。

 俺の目的は「あいつ」との決着であって、妖魔の領域を広げることじゃないからな。

 それに正直なことを言えば、これ以上配下が増えても困るのだ。現在、俺の下には一千体近い配下がいるが、これ以上増えるとさすがに支配するのが難しくなってくる。

 とはいえ、配下の半分以上はダークエルフなので、平時は俺があれこれ指示しなくても特に問題はない。問題なのは、オーガーやトロルといった連中である。

 オーガーやトロルは、基本的に知能が低く気性が荒い。そのため常に注意を配り、時に命令を与える必要がある。

 そうしなければ、オーガーやトロルたちの結束は自然と薄れていくだろう。基本的に、妖魔とはそういう生き物なのだ。

 それに、戦闘時に指揮できる数にも限界がある。過去の俺は《勇者》として少数精鋭で行動していたため、大規模な軍隊の指揮の経験はほとんどない。

 そこで、以前より優れた「指揮官」を探していたのだが、やはり妖魔に「指揮官」は向いていないようで、求めていたような「指揮官」はとうとう見つからなかった。

 そもそも、自由を基本とするのが妖魔である。そんな妖魔に優れた「指揮官」がいるはずもないのだ。

 今、俺が連れて来ている配下は、オーガーの部隊が約百体、トロルの部隊が同じく約百体。それぞれムゥやザックゥに任せているが、妖魔に細かな用兵など望めるはずもない。

 「前進」と「後退」の命令を聞けばいい方であり、戦闘の興奮で命令を一切聞かないなんてことも十分あり得る。

 今回、ジョーカーが用意した《勇者》と《魔物の王》の一騎討ち。それは大規模な戦闘がどうしても不利になる俺たちにとっては、その大規模戦闘を回避する狙いもあるのだ。

 だが、その狙いも外されたようだ。

「こうなった以上、おまえらに任せるぞ」

「おう、任せておけ、アニキ!」

「一人残らず人間どもをぶっ殺してやらぁ!」

「ニンゲン! 殺す! 食う!」

「俺も父さん……いや、ゴーガ戦士長の指揮下に入って戦うぞ!」

 ギーンを始めとした配下たちが、戦意を漲らせる。戦意を漲らせ過ぎて、暑苦しいまでに筋肉を強調させる奴らもいるが、まあ、気にしないでおこう。今更だ。

 じゃあ、まあ……始めるとするか。《勇者》と《魔物の王》の前哨戦って奴をな。




 今回の戦場となったのは、レダーンの町とリュクドの森の間に広がる草原である。

 起伏も少なく、背の低い木々がまばらに生える程度で、障害物となるようなものはほとんどない。

 つまり、それなりの規模の部隊を展開させるには、最適な場所と言えるだろう。

 その戦場に二つの音色が響いたのが、戦いの始まりを告げる合図だった。

 一つ目は人間たちの軍隊の、進軍を知らせる大銅鑼の音。

 腹に響く大きな大銅鑼の音が、戦場に響き渡る。

 そして、二つ目の音は……いや、音楽は、勇壮で曲調の速いいくつもの楽器の音色が合わさったもの。

 楽器を演奏するのは、ガララ氏族のダークエルフたち。彼らガララ氏族は、薬の扱いだけではなく優れた音楽の才能も有するようだ。

 そのガララ氏族のダークエルフたちが奏でる音楽に、美しくも力強く、そして澄み渡った歌声が重なる。


────雄叫びを上げろ!

    足を踏み鳴らせ!

    今こそ戦いの時は来た!

    我らが力を見せつける時がきた!

    進め! 進め! 進め!

    勝利を我らに! 勝利を我らの王に!

    捧げろ! 捧げろ!

    目の前の敵を打ち倒せ!

    腕を折り、足を砕き、頭を踏み潰せ!

    血を! はらわたを!

    大地を人間どもの屍で埋め尽くせ!


    雄叫びを上げろ!

    足を踏み鳴らせ!

    今こそ戦いの時は来た!


 言うまでもなく、ゲルーグルの〈歌〉である。

 戦意を高める〈歌〉に合わせて、配下たちが雄叫びを上げて怒涛のように走り出した。

 しかし、相変わらずゲルーグルの奇麗な歌声に全く似合っていない過激な歌詞だな。もちろん、この歌詞を考えたのはジョーカーだ。

 ちらりと背後を見れば、上空にバルカンの姿が見える。その背にはゲルーグルが跨り、戦意高揚の〈歌〉を歌い続ける。

 更に、ゴブリン・キングの〈声〉はゲルーグルだけじゃない。

 ゲルーグルの〈歌〉に負けないほどの、一際大きな〈咆哮〉が戦場に響き渡る。

 〈咆哮〉の主は、もう一人のゴブリン・キングであるドゥムだ。

 しかし、ドゥムの〈咆哮〉は味方の耳には届かない。

 風術に秀でたダークエルフたちの魔法によって、彼女の〈咆哮〉は敵の元へとだけ届けられる。

 そして、ドゥムの〈咆哮〉を聞いた人間たちは見るからに怯み、その進軍の勢いが削がれた。

 ゲルーグルの〈歌〉で味方の戦意を上げ、ドゥムの〈咆哮〉で敵の戦意を下げる。もちろん、ゲルーグルの〈歌〉はバルカンの風術によって、味方だけに聞こえるようにしてある。

 二つの〈声〉の相乗効果によって、戦力が傾く。

 だが、人間たちの騎士や兵士、そして傭兵や冒険者の総数は約五百。それに対し、この場にいる妖魔の総数は二百五十から三百ほど。

 単純な兵数差は向こうが倍近い。いくら二体のゴブリン・キングの〈声〉で戦力差をいくらか埋めたとはいえ、状況的にまだまだ安心はできない。

 そして。

 俺とジョーカーが見つめる先で、人間と妖魔、二つの軍隊が遂に接触する。




 両軍が接触したとは言っても、いきなり全軍がぶつかり合う乱戦になるわけではない。

 まずは人間側から放たれた弓矢の雨が、突き進む妖魔たちの足を止めんと降り注ぐ。

 これに対し、妖魔側はザックゥ率いるトロルたちが先頭に立ち、この危険な雨に真っ正面から挑んでいく。

 彼らは持ち前の再生能力を最大に活かし、弓矢による攻撃をほとんど気にすることもなく突き進む。

 高い再生能力と岩のような分厚い皮膚を持つトロルたちにとっては、降り注ぐ矢など掠り傷程度にしかならない。その掠り傷でさえ、瞬く間に回復してしまうのだ。

 結果、勢いを弱めることなく、トロルたちが人間の戦列へと突き刺さった。

 人間たちも前線の兵士たちが楯を構えて、トロルたちを受け止める。

 だが、トロルたちは止まらない。止められない。

 人間たちと接触したトロルたちは、棍棒や拳を振るって手当り次第に人間たちを蹂躙する。

 更に、そこに後続の妖魔たちも雪崩込み、前線は完全に乱戦状態へと移行していった。




 前線が乱戦状態へと突入した時、人間軍の戦列に変化が現れた。

 横一列の隊列を組んでいた人間軍の中央が緩やかに後退し、同時に左右が移動を開始したのだ。

「どうやら、あちらさんは左右を広げてこちらを包囲するつもりのようだね」

「数で勝っている以上、妥当な戦術だからな」

「それに……向こうはいくつかの貴族の私兵が集まっているようだねぇ」

「ああ。連中が掲げる旗が一種類じゃないからな。レダーンの領主に協力する貴族が何人かいるんだろう」

「そこに傭兵や冒険者が加わっているわけだ。その割には、意外と連携が取れているよね」

 ジョーカーの言う通り、人間軍の動きは統制が取れている。この辺りが、妖魔では絶対に真似できない人間の強みだ。

 連携が難しい傭兵や冒険者を最前列に配置。それは、ある意味で使い捨てとも言われる傭兵や冒険者の最も妥当な用兵でもある。

 そこに重武装で壁役の歩兵を加え、妖魔の突撃を受け止める。そして、その間に騎兵を中心とした機動力の高い部隊を左右に展開させ、妖魔軍を包囲しようってのがあちらさんの基本的な戦術らしい。

 確かに、悪い戦術じゃない。ごく一般的な妖魔の集まりであれば、これで包囲殲滅されていただろう。

 だが。

 だが、俺の配下たちは一般的とは言えない。

「前線をゴーガ戦士長が率いるメセラ氏族以外のダークエルフの連合軍、そしてジィム率いるゴブリンたちに任せて、ムゥとザックゥたちは左右へと向かわせろ」

「おっけー。すぐに彼らに伝えるよ」

 ジョーカーが風術を使用し、俺の命令を配下たちに伝える。

 その命令はすぐにムゥたちへと伝わり、妖魔軍に動きが現れる。

 妖魔軍からオーガーとトロルの部隊が左右へと動き出したのだ。

 確かに前線が手薄になるが、数で劣る以上は仕方ない。

 それに、ダークエルフたちはともかく、ジィムが率いるゴブリンたちは意外と強い。しばらくなら、前線を維持できるだろう。

「リピィ、リピィ! オレ、まだ戦いしちゃダメか?」

 得物である槍を振り回しながら、ユクポゥが尋ねてくる。

 悪いが、もうちょっと待ってくれ、兄弟。おまえは言わば、俺たちの切り札だからな。

 いつの間にか、個人戦力では俺たちの中でも最強の存在となった、ホブゴブリン・ランサーのユクポゥ。

 もう、ユクポゥの強さはホブゴブリンの……いや、妖魔の範疇から外れているっぽいからなぁ。一体、俺の兄弟はどこへ向かおうとしているのやら。

 本当に、いつかユクポゥ先生は神でさえ殺してしまいそうだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る