暗黒司祭──ダークプリースト──



 帝国軍とまともな戦いになることもなく、あっけなく壊走した反乱軍。

 その反乱軍を指揮するべき貴族たちは、我先にとノエルイ村へと逃げ込んだ。

 とはいえ、貴族たちだけでノエルイ村へと逃げ込んだわけじゃない。わずかとはいえ、護衛の騎士を引き連れて村へと駆け込んだのだ。

「は、早く柵を閉じろ!」

「帝国軍がそこまで来ているのが分からないのか!」

「このままでは帝国軍が……き、貴様ら、何としてでも帝国軍を食い止めろ!」

 貴族たちに命じられて、村人たちが慌てて村はずれに設置した柵を閉じようとする。

 柵と言っても、切り倒した木材を組んだだけの簡素なもの。帝国軍がその気になれば、あっという間に突破できてしまうようなものだ。

 それでも、柵を閉じれば僅かながらも時間は稼げる。その間に、この反乱の首謀者である貴族たちは、少しでも遠くへ逃げるつもりなのだろう。

 だが、帝国軍が村へと雪崩込めば、村人にも犠牲者は出てしまう。そうなったら、間違いなくクースは悲しむ。

 正直言えば、クースを蔑ろにしたノエルイ村の住民がどうなろうと、俺は知ったこっちゃない。だが、クースを悲しませることはしたくない。

 さあ、ノエルイ村を守りに行こうか。もちろん、クースのためにな。




 何をそんなに焦っているの?

 何をそんなに慌てているの?

 あなたが急ぐ必要はあるのですか?

 ほら、こっちへ来て少し休んでいきませんか?

 まだまだ今日は始まったばかりなんだから。


 どこからともなく聞こえて来る美しく優しい歌声に、反乱軍を追撃しようとしていた帝国軍の動きが目に見えて鈍る。

 もちろん、それはゲルーグルの〈歌〉だ。

 好戦的な気分を鎮める効果のある〈歌〉を、俺が風を操作して帝国軍の兵士にだけ聞こえるようにする。

 それによって、反乱軍の背後に食いつこうとしていた帝国軍の足が鈍り、反乱軍の大半がノエルイ村に逃げ込むことに成功した。

 さあ、今の内に俺たちもノエルイ村に侵入しよう。今度は姿を隠す必要はない。堂々と村へと入り込めばいい。

 俺たちが村に入った時、村の中は大混乱だった。

「どうするのですか、ゴルド伯爵。伯爵がおっしゃるには、帝国軍がここに到着するのは、もっと後だったはず!」

「そ、そうだ! ジルバン子爵の言う通りだ!」

「これから一体どうするのですかっ!?」

 一人の貴族に、他の貴族たちが食ってかかっている。どうやらあれが、反乱の首謀者のようだ。名前は……ゴルド伯爵か。そうそう、そんな貴族がいたはずだ。

 でっぷりとした腹と弛んだ頬。身に着けているものも、必要以上に華美な鎧。あの鎧、派手なだけで防御力はたいしたことなさそうだ。

 そもそも、防御力を重視した鎧だと、重すぎてあの伯爵様だと動けなくなるだろ?

 そんなゴルド伯爵は、自分に詰め寄る貴族たちをぐるりと見回しながら呟く。

「ど、どうしてこんなに早く帝国軍が……あいつらがここに来るのは、もっと後のはず……」

 確かに大軍は迅速に進軍できない。だが、絶対にできないわけじゃない。

 優れた用兵家は、どんな大軍でも迅速に移動させる。

 大軍を進軍させるに適した経路の選択、迅速で確実な補給、的確な休息など、様々な条件を揃えることで、大軍を素早く動かすことはできるのだ。

 ミーモスはそれら必要な条件を全て整え、ゴルド伯爵の予想よりも早くこの地に到着した。

 帝国軍の到着が予想よりもかなり早かったことで、ゴルド伯爵たちは混乱したってわけだ。まったく、斥候ぐらい出せよな。

 しばらく周囲を見回していたゴ……ゴルゴル伯爵? は、周りでおろおろとしている村人たちを見て嫌らしく笑った。

「あ、慌てる必要はないぞ、同志諸君。と、当初の予定通り、この村の住民どもを人質にして、帝国軍を退かせればいい。す、すぐに使者を送れ! そ、そうだ! 見せしめに数人の村人の首を刎ね、帝国軍に送り届けてやれ! そうすれば、連中は退かざるをえなくなる!」

「いやー、それはどうかなー?」

 聞こえてきたゴルド伯爵の言葉に、俺の隣を歩くジョーカーが首を傾げる。

 確かにジョーカーの言う通りだ。この村は反逆者である……えっと、確かアインアンとかいう男爵の領地にあるんだ。帝国軍にとっては、反逆者の領民など同罪に等しい。この村の住民の全てが殺される可能性は高い。

 だが、帝国軍が必要以上に村へと近づいて来ないのは、ゲルーグルの〈歌〉の影響もあるだろうが、司令官であるミーモスが村に手を出さないように兵士たちを抑えているからに他ならない。

 もちろん、それは俺たちの計画の一部として、だ。

 クース以外の仲間を引き連れ、俺はゆっくりと村の中心を目指す。もちろん、途中で村人が俺たちに気づいて悲鳴を上げるが、気にすることもなく歩を進める。

「な、なんだ? 村人どもは何を騒いでいる?」

「お、おい、あ、あれは……」

「ま、魔物だとっ!? ど、どうしてこんな所に魔物が……っ!?」

 貴族とその護衛たちが、俺たちに気づいて騒ぎ出す。

 それだけじゃない。貴族たちの後から何とか村に入ることができた反乱軍の兵士たちも、俺たちを見て騒然としている。

 反乱軍の貴族、兵士、そしてノエルイ村の村人たちが見つめる中、俺たちはでっぷりと太った貴族の前へと進み出る。

 あまりにも堂々と歩くからか、俺たちの行く手を阻もうとする者は誰もいない。

「よう、お貴族様……えっと、ゴラゴラ伯爵様だっけか? まあ、何でもいいか。どうせ、早々に死んでもらうわけだし」

「な、なに……? こ、この魔物は何を言っ……げふぅっ!!」

 太った貴族の言葉を聞き終わる前に、俺は奴の喉へと剣を突き刺した。

 それを合図にしたかのように、ユクポゥとパルゥが疾風はやてと化して他の貴族や兵士たちに襲いかかった。

 血風を巻き起こしつつ、瞬く間に反乱軍の兵士たちを片付けていく兄弟たち。うーん……あいつら、また一段と強くなっていないか? 一体、どこまで強くなるのやら。

 もちろん、反乱軍の貴族や兵士たちも黙って立っているわけじゃない。何とか襲い来る死神を撃退しようと奮戦するも、ユクポゥの槍とパルゥの剣に命を刈り取られていく。

 ノエルイ村の住民たちは、声を発することもできずにその光景をただただ見つめている。中には腰を抜かしてその場にしゃがみ込んだり、思わず失禁したりしている奴もいるようだ。

 そして、死神たちの舞踏は終わる。残されたのは、広がった血の海と、そこに浮かぶ反乱軍の死体とそこから零れ落ちた臓物や肉片のみ。

 思いっ切り暴れてすっきりしたのか、妙に満足そうな表情を浮かべた兄弟たちが、俺の元へと戻ってくる。

「ご苦労だったな」

「他愛ない、こいつら」

「後で食べてもいい?」

「おう、遠慮なく食っていいぞ。なんせ、こいつらは我らがご主人様に危害を及ぼそうとした連中だからな」

 にやり、と牙を剥き出しにして俺は言った。

 そして。

 そして、呆然と俺たちを見つめている村人の一人……神官服を着た中年の男性、この村の司祭であるモートン司祭の前へと進むと、その場で跪く。そして俺と同じように、仲間たちもまた、モートン司祭の前で跪いた。

「ご安心ください、我らがご主人様。ご主人様を傷つけようとした愚か者どもは、忠実なる下僕しもべである我らが片付けました」

「……は? な、何を言って……?」

 きょとんとした顔のモートン司祭。

 さあ、これからおまえは、社会的に抹殺されるんだ。




 暗黒司祭と呼ばれる者たちがいる。

 人間が信仰するのは、真円なるきんげつに座す数多の神々と、キーリ教団の神であるキーリ神である。だが少数ながら、人間の中にも歪なるぎんげつの神々を信仰する者もいる。

 人間にとって、銀月の神々は邪神として扱われる。その邪神を信仰する人間も、僅かながら存在するのだ。

 そして、そんな邪神に仕える神官や司祭を、一般に暗黒司祭ダークプリーストと呼ぶ。

 当然、人間社会において銀月の信仰は異端であり、多くの国では禁忌とされる。禁忌である以上、銀月を信仰していることが明るみに出れば、捕縛され処罰される。処罰の内容は国によって違うものの、大抵は極刑となるだろう。

 それぐらい、人間社会における銀月の信仰は異端であり、重罪なのである。

 そんな暗黒司祭は、妖魔や不死者を配下とすることが多い。つまり……もう分かるよな? 俺たちは、モートン司祭をその暗黒司祭にでっち上げようとしているわけだ。

「さあ、ご主人様! 次なるご命令を我らにお与えください」

「偉大なるモートン様の命、必ずや遂行してみせましょう」

 俺に続いて、ジョーカーもモートンが主人であるかのように振る舞う。

 他の仲間たちは、ただ黙って跪いている。当然、事前にそうするように言っておいたからだ。ユクポゥやパルゥに芝居を期待する方が間違いだからな。

「手始めに、この村の人間たちを我らが神への生け贄と致しましょうか?」

「この村の住民全てを我らが神、ジャクージャ様へと捧げれば、かの腐敗と殺戮を司る女神様も、きっとお喜びになられることでしょう。モートン様がジャクージャ様へと捧げるために聖別している、あの人間の少女と同様に」

 ジョーカーのその言葉を聞いた村人たちが、突然ざわめき始めた。

 邪神へ捧げられる人間の少女が、誰のことを指しているのか理解したのだろう。

 もちろん、実際に人間の少女……クースは邪神の生け贄になどされない。あくまでもそういう設定であり、そのためにクースはこの場にいないのだ。

「な、何を言っているのだ、この魔物どもは……っ!? わ、私はキーリ教の敬虔なる信徒だ! け、決して邪神の使徒などではないっ!!」

 モートンの最後の台詞は、俺たちではなく周囲の村人に対するものだ。今、村人たちがモートンを見る目は嫌疑と恐怖に満ちている。

 なんせ、村に逃げ込んだ反乱軍を、瞬く間に全滅させるような魔物が目の前にいて、その魔物がモートンを主人だと言っている。この状況、そう簡単に覆すことはできまい。

「も、モートン司祭様が邪神の信徒だったなんて……」

「そ、それでは、俺たちが信じていたモートン様は、全て演技だったのか……?」

「もしかして、この村の人間全てを邪神に捧げるために……?」

「げ、現に恐ろしい魔物がモートン様に従っているし……や、やはりモートン様は……」

 モートンの傍にいた村人たちが、ざざっと彼から距離を取る。中には逃げ出す村人もいるが、それも仕方ないだろう。

「も、モートン司祭……あ、あなたは本当に銀月の信徒なのか……?」

 村人の中で、一番身なりのいい中年男性がモートンへと近寄る。おそらく、この中年がこの村の村長なのだろう。

 俺は近づく村長へと、腰から引き抜いた剣を突きつける。

「生け贄の分際で、我らがご主人様に気安く近寄るな! その薄汚れた手で我らが至高の御方に触れてみろ。即刻我らが神への供物にしてやる」

「ひ、ひいい…………っ!!」

 剣を突きつけられ、そして俺に睨まれた村長は、情けない悲鳴を上げながら腰を抜かし、あたふたとその場から逃げようとする。

「おお、偉大なるモートン様。何なりとご命令を」

 そう言って、再びモートンの前で跪く。

 さあ、モートン。もう逃げられないからな。


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