密会



 俺の姿を見て、一瞬だけ目を見開いた「あいつ」……俺の宿敵にして今代の《勇者》、そしてゴルゴーク帝国第三皇子、ミルモランス・ゾラン・ゴルゴークは、すぐに落ち着きを取り戻して椅子へと腰を下ろした。

 「あいつ」……ミルモランスは、腰から剣を取り外すと傍らの机に立てかけた。どうやら敵意はなく、俺の話を聞くという意思表示のようだ。

「余人を交えずと君は言いますが……そちらの御仁はどなたですか?」

 ミルモランスは、その蒼玉のような双眸を俺の背後へと向ける。

 俺の背後、そこにはぼろぼろのローブを纏った一体の骸骨……つまり、ジョーカーがいた。

「まあまあ、皇子殿下。僕のことは気にしないでくれたまえ。僕はジョルっち……いや、《白き鬼神》をここまで送り届けるのに力を貸しただけだから」

 と、骨だけの手をひらひらとさせるジョーカー。

 確かにジョーカーの魔術……ダークエルフたちが使う〈姿隠し〉より強力な隠形の魔術がなければ、いくら俺でもここまですんなりと忍び込むことはできなかった。

 その点を感謝しているのは間違いない。間違いないのだが……ジョーカーの奴、こんな魔術も使えたんだな。だったら、もっと早くに使えることを教えてくれればいいものを。前世でも、こんな術が使えるなんて聞いてないぞ。

 これは後になってからジョーカーに聞いたのだが、この魔術は今の骸骨の身体になってから会得したらしい。帝都に潜伏しつつ例の巨大魔像を建造する傍ら、いろいろな魔術を研究していたのだとか。

「……相変わらず、力のある仲間に恵まれているようですね、君は」

 呆れたように肩を竦め、ミルモランスは自分の対面の空いている椅子を手で指し示した。どうやら、座ってもいいらしい。

 皇子殿下のお言葉に甘えさせてもらい、俺とジョーカーは椅子に腰を下ろす。罠? そんなものを警戒する必要はない。こいつはそんな奴じゃないからな。

「しかし、この辺りに来てからというもの、何となく君らしき気配は感じていましたが、まさかこうも堂々と乗り込んで来るとは思いもしませんでしたよ」

「前々から、おまえとは一度話がしてみたかったんだよ。まあ、それはともかく、だ。実はちょっとおまえに頼み事があってな」

「ほう、君が僕に頼み事ですか。それは何とも興味深いことですね。おっと、その前に……」

「ああ、既に〈遮音結界〉なら張ってあるからね。ここでの会話が外に漏れることはないから、安心していいよ皇子殿」

「さすがは《白き鬼神》殿の配下……ですよね?」

「ま、その認識で間違いないかな? それから、僕のことはジョーカーと呼んでくれたまえ」

「今の俺はリピィと名乗っている。そう呼んでくれ」

「では、僕のことはミーモス、と。親しい者たちは皆そう呼びますから」

 こうして、俺と「あいつ」……ミーモスとの会談は、帝国軍のど真ん中で密かに開始された。




「…………やれやれ」

 俺の話──クースに関する話を聞いたミーモスは、盛大に呆れの溜め息を吐き出した。

 ご丁寧に、肩を竦めて頭を左右に振る仕草までつけて、だ。

「そんな姿……ゴブリンになった今も、君は君のままのようですねぇ。単なる少女一人のために、わざわざこんな危険を冒してまで僕に会いに来るとは……」

「仕方ないだろ? 今世の俺は《勇者》どころか人間でさえないからな。今の俺が知っている人間の権力者はおまえだけなんだよ」

「だからといって、実際に僕の所まで来ますか? 僕たちはあくまで敵同士なんですよ?」

「そんなこと分かっているさ。でも、おまえなら俺の話を聞いてくれると思ったんだ」

 ふいっと奴から視線を逸らし、おもしろくなさそうに言う俺を、ミーモスは逆にとてもおもしろそうに見ている。

「まあ、いいでしょう。危険を顧みずにここまで来た君の勇気を称えて、この話には協力させてもらいましょう」

「おう、感謝するぜ、今代の《勇者》殿。このことは借りにしておいてくれていいぜ?」

「結構ですよ。君と僕は敵なのですから、そんな貸し借りなんていりません。そもそも、僕もそのモートンという司祭のような人間は大嫌いですからね」

「くくく、頼もしいねぇ《勇者》様」

 そうだ。こいつはこういう奴だ。これまでの過去、俺たちは何度も《勇者》と《魔物の王》として対決してきた。だからこそ、分かる。知っている。

 こいつがどんな人物なのか、をな。

「…………まさか一時的とはいえ、この二人がこんな形で……一人の少女のために手を組むとはねぇ。このことを知ったら、連中はどんな顔をするやら……」

「ん? 何か言ったか、ジョーカー?」

「いや、別にー? 何でもないから、君たちは話を続けなよ。クースくんのためにね」




 俺とミーモスが密談を行ったその翌日。

 夜明けと共に、帝国軍は進軍を開始した。

 帝国軍が野営していた場所から、ノエルイ村は目と鼻の先だ。帝国軍は既に布陣を終えていて、いつでも交戦できる用意は整っている。対して、反乱軍は姿を見せた帝国軍に対し、明らかに狼狽えていた。

 おいおい、まさか連中、斥候さえ放っていなかったのか? 帝国軍の接近にまるで気づいていなかったっぽいぞ。

「……どうやら、反乱を起こした貴族様方は、『典型的なお貴族様』のようだねぇ」

 俺の隣で両軍の様子を窺っていたジョーカーが呟く。

 ジョーカーが言う「典型的なお貴族様」ってのは、ただ貴族というだけで自分たちは偉い、自分たちは何でもできると考えている連中のことだ。

 確かに貴族という連中は、ある意味で選ばれた存在だ。生まれた時から特権階級で、庶民とは隔絶した生活を送る。

 だが、それだけの特権を有する以上、当然ながらそれ相応の義務も生じるものだ。例えば、自分の領地を富ませて領民を豊かにするとか。例えば、領内で何か問題が発生した時、先頭に立って迅速に解決に務めるとか。

 貴族だからといって、決して何もしなくていいわけじゃないし、何をしてもいいわけじゃない。

 もちろん、中には善良な貴族もいるだろう。だが、「典型的なお貴族様」が少なからずいることもまた事実なのだ。残念ながら。

「これ、どう見ても反乱軍に絶対勝ち目ないだろ? 連中、何か勝算があって決起したんじゃないのか?」

「だから、連中は『典型的』なんだろうねぇ?」

 何の根拠もなく、自分たちは今の皇家よりも優れている。そんな優れた自分たちこそ、帝国の舵を握るに相応しいと本気で考えている連中。特に戦いに勝つ根拠もなく、勢いと思い込みだけで反乱を起こすような貴族。まさに「典型的なお貴族様」だ。

 今、俺とジョーカー、そして他の仲間たちがいるのは、ノエルイ村近くの山の中腹だ。そこから陣を敷く両軍を見下ろしているわけだが、お貴族様たちの反乱軍は、明らかに混乱していた。

 そして始まる戦い。正面からぶつかり合う両軍。

 反乱軍の中には、近くにいる友軍を攻撃している奴らもいる。どうやら、あれらはモートン司祭が手引きした離反兵たちのようだ。

 しかし。

「……反乱軍の一部を離反させる意味、なさそうだな」

「うん、本当にねぇ……」

 俺たちが見下ろす中、明らかに反乱軍は浮き足立っていた。

 元々士気は高くはなく、そこへ突然帝国軍が襲いかかったのだ。当然、混乱しきった反乱軍に勝ち目はない。

 一応、離反した兵士たちの存在も、反乱軍の混乱に一役かっているようだが、初っぱなから混乱しまくった反乱軍には、それほど意味はなかったようだ。

 そして、完全に混乱した反乱軍が取った行動。それは──。

「……は、反乱軍が村に……ノエルイ村に……」

 力なく呟いたクースの言葉通り、明らかに統率の取れない反乱軍は、瞬く間に帝国軍に蹂躙され……開戦してそれほど時間が経つこともなく、反乱軍は潰走するに至った。

 そう。

 帝国軍に全く歯が立たない反乱軍が次に取った行動とは、我先にと背後にあるノエルイ村へと逃げ込むことだったのだ。




「やれやれ。指揮を執るべきお貴族様が、真っ先に逃げ出しちゃったよ。これからどうするつもりだろうねぇ、彼ら」

 眼球のない空ろな眼窩で、ノエルイ村へと逃げ込む反乱軍を見下ろすジョーカー。

 彼の言う通り、潰走する先頭にいるのは、一際煌びやかな鎧を纏った連中だ。間違いなく、今回の反乱の首謀者である貴族たちだろう。えっと……なんて名前だっけ? 忘れちまったな。

 もちろん、全ての反乱軍が逃げ出したわけじゃない。中にはその場に踏みとどまり、必死に戦線を支えようとしている連中もいる。

 だが、所詮は少数。瞬く間に帝国軍に飲み込まれ、踏み潰されていく。

 あー、勿体ない。この状況でも踏み止まろうとするような武勇を持った人間が、こんな無意味な戦いで消えていくなんて。こんなところで死ぬぐらいなら、俺の配下に欲しいぐらいだな。

 まあ、それが無理なのは理解している。普通の人間は、ゴブリンの手下になんぞならない。喜んで俺の配下になっている隊長や行商人の方がおかしいんだよな。

 それはともかく、このままだと次はノエルイ村が戦場になりそうだ。曲がりなりにもクースの故郷を、戦場にはしたくない。

 ちらりと隣にいるクースを見れば、心配そうな表情で眼下の生まれ故郷を見下ろしていた。

「よし……ノエルイ村を守るか。クースのために」

「え……?」

 びっくりした顔で、クースが俺を見る。

「どんなに辛い思い出のある場所でも、故郷は故郷だろう。こんな詰まらない争いで、踏み躙られるのは嫌なものだろう?」

「…………あ……」

 クースは、はっとした表情を浮かべた。どうやらここ最近何とも複雑そうな表情を浮かべることが多かった彼女は、自分自身の気持ちをよく理解していなかったようだ。

 どんなに辛くても故郷は故郷だ。故郷を失うということは、やっぱり悲しいものだからな。

「そうなると、まずは帝国軍の足を止めないとね。このまま崩壊した反乱軍を追いかけて、村に突入して行きそうだよ?」

「ジョーカーの言う通りだな。よし、あいつに軍を止めるように連絡してくれ」

「おっけー」

 いつものように、人差し指と親指で輪っかを作るジョーカー。

 あいつ……ミーモスの元には、ジョーカーの使い魔を一体預けてある。それを通して、俺とミーモスは連絡を取ることができるのだ。

 もちろん、あいつに使い魔を預けるのは一時的にだ。この件が終われば、俺たちはまた宿敵同士に戻る。そんな相手にいつまでも使い魔を預けておくわけにはいかないからな。

 さて、ミーモスに全てを任せっぱなしにしておくわけにもいかない。

 俺たちは俺たちで、行動を開始しようじゃないか。

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