協力者



 それは、一目惚れというやつだったのだろう。

 年甲斐もなく、娘と言ってもいいほど歳の離れた女に、心を奪われてしまった。

 その女はこの村……私が赴任させられた辺境のノエルイ村の者ではなく、余所の町から嫁いで来た女だった。

 しかも、我らが父であるキーリジスクラスイエの信徒ではなく、金月に座す神の信徒……つまり、異教徒だったのだ。

 一目その女を見た時から私は、何とか彼女を手に入れたいと思うようになった。

 キーリ教に改宗させるという名目で、その女に何度も近づいた。親切な村の司祭という立場で、何度も、何度も。

 だが、その女の気持ちが私に傾くことはなかった。夫に対する気持ちも、金月の神に対する信仰も。

 この村に嫁いで来る前は、余所の町で踊り子をしていたというその女。踊り子の中には、一夜の恋を提供する者も多い。おそらくその女もそうなのだろうと思い、それとなく誘ってみたこともあったが、その女が私になびくことは決してなかった。

 薄汚い異教徒、それも踊り子を生業にするような娼婦紛いの毒婦のくせに、この私のことなどまるで目に入っていないようだった。

 そのことが腹立たしく、同時にその女に対する気持ちはどんどん大きくなっていった。




 だが、転機が訪れた。

 その女の夫が事故で命を落としたのだ。

 これぞ、天の父であるキーリジスクラスイエが、敬虔な信者である私のために手を差し伸べてくださった天祐であろう。

 夫を亡くした女に、私は笑顔を浮かべて近づいた。決して胸の裏に秘めた暗い想いを気づかせることなく。

 夫を亡くした女には、この村で縋るものがない。そんな女に親切にすれば、彼女の気持ちは自然と私へと傾くに違いない。

 そう考えて。私はあれこれと女のことを気にかけてやった。

「異教徒だというのに、司祭様はあの者にも親切にしなさることよな」

「夫を亡くして気落ちした彼女を、毎日のように気遣っておられる。ほんに優しいお方よな」

「まったく、徳の高い司祭様だ」

 偶然ながら村人たちの評判も高まり、私はとても晴れやかな気持ちになった。

 そう。そうなのだ。私は本来、優れた人間なのだ。

 それなのに帝都のキーリ教団の上層部は、この私をこのような僻地へと飛ばしたのだ!

 ちょっとばかり教団の金を懐に入れ、ちょっとばかり信者の夫人や娘たちとなっただけだというのに。

 このようなこと、誰でも行っていることであろうが! それなのに、どうしてこの私だけが罰せられねばならぬのだ!

 私は常に、そんな鬱憤を溜め込んで来た。こんな辺鄙な村に赴任させられたあの日から。

 もちろん、そんなことを表に出すことはしない。この村での私は、あくまでも人のいい司祭なのだ。そして、いつの日かあの華々しい帝都の中央神殿に返り咲くことを、日々天の父に願っていたのだ。




「夫を喪ったあなたにとって、この村での生活はとても苦しいものしょう。どうでしょうか? 私の妻になれば、そのような苦しい思いをすることもなくなります。もちろん、娘さんも……クースも私の子供として迎え入れます。どうか、私の妻になっていただけないでしょうか?」

 ある日、私はとうとう女に自分の気持ちを伝えた。

 だが。

「ありがとうございます、司祭様。ですが、私は司祭様のお気持ちに応えることはできません。私は今でも亡き夫を愛しております。それに私には娘が……クースがいますから」

 女は、きっぱりと私の求婚を断ったのだ。

 な、なんということだ! この私が、今日までどれだけ親切にしてきたと思っているのだ! 薄汚い異教徒を、この私の妻に迎えようとまで言ったのだぞ? それを断るなど……たとえ私が許そうとも、天の父が許すはずがない!

 それは、それまでの女に対する想いが、一転して怒りとなった瞬間だった。

 この日から、私はこっそりと女のよくない噂を村の中に流した。

 結婚する前は娼婦だった。

 彼女が信仰する金月の神、クースイダーナは娼婦が信仰する神であり、それこそが彼女が娼婦であった証である。

 村の男をこっそりと家に招き入れている。

 そうして身体を売って稼いだ金で、この村でのうのうと暮らしている、など。

 やがてあの女は……いや、あの母娘おやこは、村の中で孤立していった。

 村の中で孤立した異教徒の母娘。彼女たちの暮らしは当然楽なものではない。

 もとよりここは貧しい寒村である。そんな場所で周囲から孤立すれば、生きていくこと自体が難しくなる。

 そんな母娘は、やがて私を頼るだろう。この村での私は人格者で通っている。他に頼る者のない彼女たちが、縋る者は私だけなのだ。そうなるように、私は他の村人に気づかれることなく、ひっそりと手を回したのだから。

 その時……母娘が私に縋った時、私は晴れてあの女を……今では母となったあの女を手に入れることができるのだ!

 あの女が私の前に跪き、私に許しを請う姿を想像しただけで、私の中で暗い炎が盛大に燃え上がった。

 その日は決して遠くない。あの女を心行くまで抱ける日が、すぐそこまで来ている。

 そう考えて、私は村で孤立した母娘を静かに見守った。




 だが、あの女が私のものになることは、結局なかった。

 どんなに村の中で孤立しても、他者に縋ることなく懸命に生きたあの母娘。

 そうしている内に、あの女は働き過ぎで身体を壊し、あっという間に神の下へと召されてしまった。

 異教徒であるあの女を、この村の墓地に葬ることはできない。どうやらあの女の娘は、母の亡骸を村はずれの山の中に葬ったようだった。

 一人残された娘に同情した村人の何人かが、こっそりと母を葬るのを手伝ったらしい。私に気づかれぬようにしていたようだが、狭い村の中のこと、すぐに私に知れることになったが。

 私の意に反した村人たちには、いずれ罰を与える必要があるだろう。神の代理人たるこの私に背いたのだ。許されるはずがない。

 だが、今はそれよりも。

 私は、一人残されたあの女の娘に目を向けた。

 まだまだ幼いが、あの女によく似た娘だ。いずれ、母親のように美しい女へと成長するだろう。

 あの女を手に入れることはできなかったが、あの女の娘ならば……その時、私の胸の奥に再び暗い炎が燃え上がったのだ。




「……ってなようなことを、神殿の自室でぶつぶつと何回も呟いているんだよねぇ。いやー、正直言って、気持ち悪いったらありゃしないよ」

 頭蓋骨だけの顔に、器用にもうんざりとした雰囲気を張り付けながら、ジョーカーがそう言った。

 クースとその母親が故郷のノエルイ村で孤立した理由。それは彼女たちが金月教の信徒だからではなく、この村の司祭……モートン司祭が意図的にそう仕向けたかららしい。

 まったく、なんて聖職者だ。まあ、聖職者と言っても人間だ。自分の欲望を優先する者はあのモートンって奴だけじゃないのは、これまでの何度も繰り返した人生で理解している。

 理解してはいるのだが……何か腹が立ってきたな。

 あの生臭司祭、どうしてやろうか。このまま放っておくって選択だけはなしだな。

 それに、いけしゃあしゃあとクースのことを自分の娘も同然などとほざきやがって。

 抑えきれない怒りに、このまま村に乗り込んであの司祭をぶっ殺してやろうかと思った時。

 ふと、クースの姿が目に入った。

「……モートン司祭様が……モートン司祭様のせいで、お母さんが……」

 俯き震えながら、小さな声で呟いていた。

 その姿を見た途端、怒りが一気に収まっていった。怒りに任せてあのモートンって愚物をぶっ殺すのは簡単だが、それではクースとその母親が、このノエルイ村で受けた屈辱は晴らせない。

 ああいう自分勝手な奴は、ただ単にぶっ殺すのではなく、社会的にも抹殺するのが一番だ。

 かつての俺……《勇者》だった俺が、ああいった手合いを何度も社会的に抹殺してきたように。

 とはいえ、今の俺には人間社会に対して何の力もない。《勇者》だった頃は、それなりに方々に伝手があったし、何より俺自身に名声と少しは権力もあった。

 だけど、今は違う。今の俺は単なるゴブリンだ。過去のようなやり方ではあのくそったれ司祭を社会的に葬ることはできないだろう。

 さて、どうしよう? どうやってあの司祭に、クースたち以上の屈辱を味合わせよう?

 腕を組み、その方法を必死に考えた時。

 俺の脳裏に、一条の光が差し込んだ。

 そうだよ。俺にできないのであれば、できる奴に協力してもらえばいいじゃないか。

 そうと決まれば、急いだ方がいい。

 本来ならこのままこの場を立ち去る予定だったが、帰る前にもう一仕事しておこう。

 俺は夜の闇に紛れて、あのくそったれ司祭を社会的に葬るため、とある人物の元を訪れることにした。




 静まり返った夜……とは、とても言えない。

 ここは彼が十七年住み慣れた帝城の自室ではなく、行軍中の天幕の中だ。いつものような、快適な環境は求めるべくもない。

 今も歩哨の兵士たちが動き回っている気配があちこちでするし、天幕の外には数人の警護の騎士たちの気配もある。

 それでも、今回の反乱鎮圧のために派遣された帝国軍の総司令官である彼の天幕は、他の将校や騎士たちが寝泊まりする天幕より、よほど広くて快適なのだが。

 その天幕の中で彼は、夜遅くまで早ければ明日にも開戦するであろう反乱軍との戦闘に向けて、様々な準備と確認を行なっていた。

 天幕に持ち込まれた携帯用の机の上には、何枚もの羊皮紙が広げられ、そこに書き記された文字や数字を食い入るように見つめる彼。

 さらりと揺れる銀色の柔らかそうな髪が、ランタンの光に照らされて朱金に光る。

 と。

 それまでじっと机の上の羊皮紙を見つめていた彼──ゴルゴーク帝国第三皇子にして、今回の反乱軍鎮圧の総司令官、そして今代の《勇者》であるミルモランス・ゾラン・ゴルゴークは、その蒼玉のような美しい双眸を険にして天幕の一角へと向けた。

「何者ですか?」

 ミルモランスは静かに問う。今、天幕の中にいるのは彼だけだ。だが、彼が一声かければ、天幕の外に控える十人以上の騎士たちがすぐさま天幕の中に駆け込んで来るだろう。

 そのような状況の中、明らかに何者かがこの天幕の中に忍び込んでいる。

 忍び込んだ者の技量に感嘆しつつも、ミルモランスは腰に佩いた剣へと静かに手を伸ばす。

 その時。

「まあ、落ち着けよ。こうして久しぶりに顔を合わせたんだ。余人を交えずに話でもしようじゃないか、今代の《勇者》殿?」

 ミルモランスが視線を向ける天幕の一点から聞き覚えのない声──いや、リュクドの森への侵攻の際に、僅かに言葉を交わした覚えのある声が響き、何かが滲むようにその場に姿を現した。

「…………君でしたか。一体どうやってここに……いえ、愚問ですね。君なら、その気になればどこだろうとすんなり入り込むでしょう」

 剣の柄から手を離し、ミルモランスは呆れたように肩を竦めた。

「で、私に何の用ですか? 《白き鬼神》殿?」

 相変わらず鋭いミルモランスの視線の先。そこに白い肌をした一体のゴブリンがいた。


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