モートン司祭
グルマスという従軍聖職者の護衛と思われる神官戦士の一人が、《姿隠し》で潜む俺たちに気づいたようだ。
どうやら、あの神官戦士は察知能力に長けた奴のようだな。いくら魔術で姿を消していても、俺と一緒にいるクースには気配を完全に消すことはできない。そもそもただの村娘のクースに、斥候系技能の心得なんてないからな。ちょっと鋭い奴なら、簡単に気づくだろう。
かく言う俺だって、ダークエルフたちほどに身を隠す
まったく、あいつらは本当に怪物だよ。
っと、今はそれどころじゃないな。早々にここから離れなければ。
俺がクースの手を引いてこの場から逃げようとした時、先程俺たちに気づいた神官戦士が、ベルトから短剣を引き抜いて俺たちへと投擲した。
投げられた短剣自体は脅威ではない。問題なく回避できるものだし、実際にすんなりと回避できた。だが、短剣を回避したことで俺の集中が乱れ、《姿隠し》が解除されてしまった。
《姿隠し》は極めて有効な魔術だが、実はそれほど万能でもない。姿を消していられるのは意識を集中させている間だけで、それが乱れればその効果は解除されてしまう。
しかも間の悪いことに、今夜は金と銀の二つの月が出ている。二つの月の光に照らされて、俺たちの姿は墓地にいる連中にはっきりと見えていることだろう。
「む、魔物か……っ?」
「だが、あれは何だ? 見たところゴブリンのようだが……白いゴブリンなど見たことも聞いたこともないぞ」
「白い魔物だと……も、もしかして、あれが噂の《白き鬼神》では……?」
「だとすれば、ここで俺たちがあいつを倒せば……」
グルマス司教の護衛たちが、剣を抜きながら前に進み出る。しかも、《白き鬼神》の……俺の噂を聞いているようで、妙にやる気になっているみたいだ
だが。
「おい、あの魔物の後ろ……人間がいるぞ!」
「どうやら女性……それも少女のようだ! も、もしや、あの魔物が村から攫ったのかっ?」
ああ、そう考えるか。まあ、ゴブリンらしき魔物が人間の少女を連れていたら、普通はどこかから攫ったって考えるよな。
「何をしている、おまえたち! 早くあの妖魔を殺して、後ろの少女を救出しろ!」
グルマス司教が命令を下した。どうやらあの司教、案外まともな人間らしい。何よりもまず攫われた少女──実際は攫われたわけじゃないけど──の救出を優先したようだ。
その命令に従って、護衛の神官戦士たちが俺たちへと近づいて来る。
さて、どうしたものかな?
見たところ神官戦士たちの技量は、それほど高くはなさそうだ。
もちろん、そこらの一兵卒や並の騎士以上の実力はあるだろう。だが、俺や兄弟たちと比べれば、一段も二段も劣っているだろう。
あ、俺はともかく兄弟たちと比べるのは可哀想か。今のあいつら以上となると、それこそ腐竜ぐらいの実力が必要だからな。
四人いる神官戦士のうち、一人はグルマス司教の護衛のためにその場に留まり、残る三人が俺へと迫る。
さて、この三人を撃退するのは難しくはない。だが、クースを庇いながらとなると、少々状況は違ってくる。
まあ、連中はクースが俺に攫われたと思っているようだから、彼女を傷つけるような真似はしないだろうけど。
よって、ここはひとまずクースを連中に預け、俺だけが逃げ出すという手もある。俺だけであれば、神官戦士たちから逃げるのも簡単だ。
あのグルマスという聖職者の様子から、保護したクースを傷つけるようなことはしないだろう。それに、帝国軍の指揮官は「あいつ」だ。今代の《勇者》として認められた「あいつ」なら、魔物から保護した少女は手厚く遇することだろう。
そうして一旦はあいつらにクースを預けた後、改めて彼女を迎えにいけばいい。
だが、向こうにはモートン司祭がいる。彼は当然クースのことを覚えているだろう。なら、村からいなくなったクースが魔物と一緒にいることを、訝しく思わないわけがない。
あ、そう言えば、以前にクースは「あいつ」とも顔を合わせていたな、《辺境の勇者》と呼ばれた隊長と一緒に。そうすると、「あいつ」もクースがここにいることを疑問に思うか。
うん、やっぱりクースをあいつらに預けるのはなしだな。ここはクースと一緒に逃げるべきだ。
「クース! 走れ!」
「は、はい……っ!!」
小声でクースに指示を出す前に、俺は魔術を発動させておいた。
使った魔術は二つ。一つ目は《闇》。一定の範囲を闇で包む魔術で、連中の視界を奪う。
次に使ったのは地術だ。《闇》に覆われた場所に、地術で地面にいくつも穴を開けた。
その後、先行しているクースの後を追う。
「む、これは……っ!?」
「め、目が……突然闇が濃くなった……っ!?」
「あの魔物、魔術を使うぞ! 気をつけろ!」
闇の中に足を踏み入れた神官戦士たちが、戸惑いの声を上げる。だが、そっちに気を取られれば……ほら。
「う、うお……っ!?」
「うげっ!!」
「あ、足が……っ!! 地面に穴が……っ!?」
闇の中から何かが転ぶ音がした。地面に開けた穴に足を取られ、神官戦士たちがすっ転んだようだ。
よいよし、狙い通り。今の内に一気に逃げてしまおう。
「あ、あれは……あの少女はクース……? クースに間違いなかった……っ!!」
「む、何か言ったかね、モートン司祭?」
「は……は、い、いえ、何でもありません、グルマス司教様」
「しかし、なぜ魔物が……しかも、帝都でも噂になっている《白き鬼神》らしき魔物がこんな所に……? しかも、その《白き鬼神》が人間の少女を攫っただと? 魔物に攫われた以上あの少女は……い、いや、諦めるのはまだ早い。殿下にこのことをお知らせし、至急攫われた少女を救出する人員を出してもらうように進言しよう。ところでモートン司祭?」
「は、はい、何でしょうか司教様」
「君は先程の娘を知っているかね? あの少女がこの村の者であるなら、君が知らないはずがないだろう?」
「は、はい。あの少女はクースと言う名前で、間違いなくこの村の者です。不幸にも両親を亡くした後、私が引き取って面倒を見ております。私にとって、あの少女は実の娘も同然であり……く、私が目を離した隙に、まさか魔物に攫われるとは……」
「そうか、それは気の毒だな……おそらく、君がこんな時間に神殿にいないことに気づき、探しに来たのではないだろうか? 今回の任務、誰にも話してはいないのだろう?」
「は、はい、それはもちろん。そのように命じられていましたので……娘同然であるクースにも、このことは話しておりませんでした」
「やはりな。不在の君を探しに出たところで、運悪く村に入り込んでいた魔物と遭遇し、攫われてしまったのだろう。だが、安心したまえ。このことはすぐにミルモランス殿下にお知らせする。今代の《勇者》であらせられるミルモランス殿下ならば、すぐに君の娘を助け出してくださるだろう」
「は、ミルモランス殿下に最大限の感謝を。そして我らが父なる神よ、哀れなる我が娘を恐ろしい魔物からお守りください」
「……なんてことを言っているよ?」
と、ジョーカーが教えてくれた。
今、ジョーカーは使い魔の目と耳を通じて、村の墓地に残っている二人の聖職者の会話を盗み聞きしている。
あ、使い魔ってのは、クースが持っていたやつな。逃げる間際に、クースの使い魔を村の墓地に置いてきたのだ。連中はそのことに気づくこともなく、呑気に会話をしているってわけだ。
しかし、あのモートン司祭って奴、どうしてクースを娘同様なんて言ったんだ?
「それはやっぱり、あのモートンって奴は、いまだにクースくんに未練があるんだろうね」
あ、そういうことか。逃げ出したと思っていたクースと、思わぬ再会をしたんだ。彼女に対するよからぬ想いが再燃したってところか。
さて、どちらにしろ、早々にここから離れるべきか。「あいつ」のことだから、「魔物に攫われた村娘」を救出するため、帝国軍の一部を探索に割り振るだろう。それがたとえ軍事行動中であっても。「あいつ」ならきっとそうする。
幸い、こちらの主な目的はもう果たされた。今回俺たちがノエルイ村に入り込んだのは、反乱軍の様子を探ることもあるが、最大の目的はクースの両親の墓の様子を探ることだ。その目的はすでに果たされた以上、これ以上この場にいる必要はない。
「ん……? ちょっと待ってよ、ジョルっち」
突然、ジョーカーが待ったをかけた。どうやら、使い魔を使った盗み聞きにまた何か引っかかったようだ。
宙をぼんやりと見つめるジョーカー。眼球のない虚ろな眼窩は、正直不気味だ。
「どうした、ジョーカー。他に何か分かったか?」
「うーん。分かったと言えば分かったんだけど……」
宙を見ていたジョーカーの視線が、ちらりとクースに向けられた。その後、じっとクースを見つめているし。
どうやら、クースに関わることらしい。
「それがね……ちょっと言いづらいことだけど、クースくんとその母親が以前この村で迫害されていた理由……それ、あのモートンって司祭の仕業らしいんだよね」
なに? どういうことだ?
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