ノエルイ村



 さて、夜の闇に紛れてノエルイ村への潜入に成功する。

 俺に同行しているのは案内役のクースのみ。あまり大人数で動いても発見される可能性が高くなるだけだし、村の様子を探る以外にもクースの父親の墓の様子を見るという目的もある。なので、クースだけを連れてこっそりと村の中へと忍び込んだわけだ。

 今、俺たちは《姿隠し》の魔術で透明になり、村の中をゆっくりと進んでいる。

 ちなみに、《姿隠し》を使ったのは俺である。ハイゴブリン・ウォーロックとなった今の俺なら、ダークエルフたちが得意とするこの魔術を使うことも可能なのである。

 もちろん、ダークエルフに教えてもらったから、使えるようになったわけだが。

 さて、そんなわけでノエルイ村である。

 辺境の寒村としては、どこにでもある感じの村だ。木製の家々が立ち並び……と言いたいところだが、実際はそれほど家屋の数は多くない。

 この村の人口は百人ほどらしいが、家屋の数は三十に満たないぐらいか。

 村の中心に大きな石造りの家があるが、これは村長の家だろう。それ以外に目立つ建物といえば、村長の家近くにあるキーリ教の神殿か。そう言えば、この村の住民は全員キーリ教徒だとクースが言っていたっけな。

 後は酒場らしき建物と、雑貨屋らしき建物。どちらも木製だが、他の家屋と比べるとしっかりとした作りの建物だ。宿屋らしき建物は見当たらないが、こんな所にわざわざくる旅人は少ないからだろう。時に行商人なども来るだろうが、その時は村長の家にでも泊まると思われる。

 そのノエルイ村の中は、日が落ちて随分経つというのに騒然としていた。その理由は村のあちこちで騒いでいる兵士たちだ。

 どこの貴族の兵士か知らないが、村の中で我が物顔で振る舞っているようだ。今も村のあちこちで焚火を囲みながら、好き勝手に酒を飲んだり飯を食ったりしている。

 村の外では一応反乱軍が布陣しているわけだが、まだ帝国軍はここまで到達していないので、兵士たちも気が緩んでいるのだろう。しかし、すぐそこまで帝国軍は来ているってのに、こんなに気が緩んでいて大丈夫か? まあ、俺が心配することでもないのだが。

 おそらく、反乱軍の兵士たちは外の陣から交代で、この村で休息を得ているのだろう。

 しかし……。

「村人たちは、兵士たちを歓迎していないようだな」

「そうみたいですね……」

 とある家屋の陰に隠れながら──元々姿隠しで姿は見えないが念のため──、俺とクースは村の様子を探っている。

 そんな俺たちの目の前で、兵士たちは傍若無人に振る舞っていた。

「おい! 酒が足りないぞ! もっと持って来ないか! あと、食い物も持って来い!」

「俺たちはアインアン男爵様の部下だ! その俺たちに逆らうってことは、男爵様に逆らうってことだからな!」

「おまえたちはアインアン男爵様のご意思に従い、俺たちの役に立てばいいんだよ!」

 なるほど。あいつらはここいら一帯の領主であるアインアン男爵の配下か。他にも違う装備をしている兵士たちもいるから、アインアン男爵以外の貴族の配下もいるようだ。

 この村の住民たちにしてみれば、兵士たちの言うことを聞かないわけにはいかないよな。今俺たちが見ているだけでも、数人の村人が兵士たちの世話をするために動き回っている。

 よく見れば、クースと同じぐらいの年頃の少女に、無理矢理酒を注がせている兵士もいた。

 しかし、ジョーカーの言葉じゃないが、アインアン男爵とやらはこの村を守るとかは全く考えていないようだ。さすがに帝国軍に対する「人質」にするつもりはないようだが、アインアン男爵や他の貴族たちの配下の様子を見れば、連中がこの村をどう扱っているか容易に察することができる。

 そもそも、村の安全を気にかけるのであれば、この村の郊外に布陣したりはしないよな。

 おそらくだがその男爵様にとって、ここは都合のいい休息所であり、補給所でもあるってわけか。この分だと、村の備蓄とかも兵士たちに供出させられていそうだな。

「もう少し、村の様子を見て回るぞ」

「…………はい」

 《姿隠し》でお互いの姿は見えないが、クースの返事には悲しみが混じっていることは理解できた。

 俺たちは互いの存在を見失わないために手を繋ぎつつ、そっとその場を離れるのだった。




 俺とクースは、村はずれの墓地にやって来た。

 さすがにここには兵士の姿はない。それを確認した俺は、《姿隠し》を解除する。

「ここがクースの親父さんの墓か?」

「はい……ここに……お父さんは眠っています」

 クースは父親の墓の前で跪くと、手を組んで祈り始めた。俺はそんな彼女の背後に立ちながら、周囲を警戒する。

 今日の昼間に、村の外の森にある母親の墓の様子も見て来た。特に荒らされたような様子もなかったものの、ゆっくりとだが自然の中に飲み込まれつつあった。

 クースは母親の墓の周囲の雑草を取り除き、できる限り綺麗にしていた。もちろん、俺もそれを手伝った。なぜか、兄弟たちやゲルーグル、サイラァまで手伝ってくれたな。

 クースの母親の墓ということで、兄弟たちにも何か思うところがあったのかもしれない。ゲルーグルとサイラァに関しては、俺がやっていたから真似しただけだろう。あ、兄弟たちもその可能性が高いかも。

 妖魔に墓を守るという概念は根本的にないからな。ダークエルフぐらいになると話は別だが、ゴブリンには墓を作るという発想さえない。ゴブリンが死ねばその辺に打ち捨てておくか、同胞の腹に収まるかだ。

「…………もういいのか?」

「はい。お父さんには、これまでのことを全部報告しておきました」

 立ち上がり、にっこりと微笑むクース。

「それに、お父さんとお母さんのお墓の様子も確認できました。本当にありがとうございます、リピィさん。私をここまで連れて来てくれて」

「なに、ついでだ。感謝されるようなことじゃない」

「それでも、『ありがとう』ですよ」

 彼女がそう言った時だ。

 俺はこの場へと近づいて来る気配を感じ取った。

 この村の住民か、それとも兵士か。まだ距離があるようなので、そこまでは分からない。だが、誰かがこっちへ近づいて来るのは間違いない。

「誰かが近づいて来ている。すぐにここから離れるぞ」

「は、はいっ!!」

 一瞬だけ驚いた様子を見せたクースだが、すぐ真剣な表情になるとしっかりと頷いた。

 俺はクースの手を握りながら、再び《姿隠し》を発動させる。そして、少し離れた木の陰へと移動して、しばらく様子を窺うことに。

 こんな時間に墓地へ来るなんて、一体どういう理由があるのか気になるからな。




 隠れて様子を窺うことしばし。

 村の方から、ランタンを手にした人間がゆっくりと近づいて来た。

 その身なりからして、キーリ教の聖職者のようだ。この村の聖職者と言えば、以前にクースに乱暴しようとした奴だよな? そんな奴がなぜ、こんな時間にこんな場所に来るんだ?

 ん? 他にも誰か近づいて来ている? こちらは村の外からこっちに来るようだが……一体誰だ?

「くくく、これでこんな寒村ともおさらばだ。このまま私は愚かな貴族どもを討伐に来る帝国軍と共に、華やかな帝都に舞い戻るのだ……」

 気術で聴覚を強化して、聖職者の呟きを拾う。どうやら、帝国軍の斥候とでもここで落ち合う予定なのかもしれない。

 反乱軍の情報を帝国軍に流し、その見返りとして帝都に連れて行ってもらおうって魂胆か。呟きから察するに、この聖職者はこの村の出身ではないっぽい。

「クース。あの男に見覚えは?」

「あ、あれは……この村の司祭様のモートン様です……」

 クースの声は明らかに震えていた。そりゃそうだ。かつて自分を乱暴しようとした男だものな。

 そのクースによると、やはりあの司祭はこの村の出身ではないらしい。彼女が幼い頃、この村の神殿に赴任してきたそうだ。

 クースの話を聞くに、布教のために自ら地方へと出向くような人間ではないだろう。そんな人間がこんな僻地の神殿に赴任するなど、どこかで何か問題を起こして飛ばされたと見るべきだろうな。

 そんなことを考えつつ様子を見ていれば、村の外から数人の人間が近づいて来た。

 暗視能力のある俺の目は、聖職者らしき人物を数人の騎士が取り囲んでいるのを、はっきりと見た。

 見たところ、あの聖職者を周囲の騎士たちが護衛しているようだ。騎士たちの鎧は帝国軍のものではなく、キーリ教団の神官戦士のもの。察するに、あの聖職者の個人的な護衛ってところか。

「これはこれはグルマス司教様。このような所までご足労いただき、感謝致します」

 ノエルイ村のモートン司祭が、グルマスという聖職者に向かって慇懃に礼をした。

「礼は不要だ、モートン司祭。私は従軍聖職者として、当然のことをしているだけだからな」

「では、早速ご依頼にあったことを、ご説明させていただきます」

 二人の聖職者の話は、やはり俺の睨んだ通りにこの村やその周囲に展開する、反乱軍の内部情報のやりとりだった。

 反乱軍の構成や人数などは、帝国軍も既に掴んでいるだろう。だが、兵士たち個々の士気までは、いくら帝国の密偵が凄腕でもなかなか掴めまい。

 そこであのモートンというこの村の司祭が、村で休息している兵士たちの様子を観察し、時には実際に接触してその様子を確かめる。そして、その内部情報を帝国軍の従軍聖職者に告げているというわけだ。

 どうしてキーリ教の聖職者が密偵じみたことをしているのか、俺には分からない。だが、帝国軍とキーリ教団は別組織だ。その辺りになんらかの理由がありそうだな。

 ちなみに従軍聖職者というのは、文字通り軍隊に随行する聖職者のことである。

 その役目は軍行中の兵士たちに対する信仰の場の提供、負傷者の治療、時には兵士たちの悩みを聞くようなこともする。

 これが意外と重要な役職で、今回のような大きな派兵には大抵従軍聖職者が付き従う。

 特に今回の派兵は、キーリ教団が《勇者》と認めた「あいつ」が指揮官だ。教団側としても、それ相応の身分の聖職者を派遣したらしい。普通であれば、司教のような位の高い聖職者は、危険な戦場へは足を運ばないものだからな。

「……では、敵兵の士気はそれほど高くはないということだな?」

「はい。私が感じた限り、兵士たちは今回の戦に乗り気ではありません。命令だから仕方なく従軍しているのでしょう」

 村の様子を見た限り、反乱軍の兵士たちはだらけきっていた。確かに、あのモートンという司祭の言う通り、士気はそれほど高くはなさそうだ。

「では、状況次第では敵兵の何割かは、素直に我が方へ下ることもありえるな」

「はい、司教様。そのように、私が密かに工作しております」

 なるほど、聖職者であれば兵士たちと接触してもそれほど不審には思われないか。

 兵士たちの中にも当然キーリ教徒はいるだろうし、そのキーリ教徒が同じ教団の司祭と話をしても、それはごく普通のことだしな。

 モートン司祭が反乱軍内のキーリ教徒に、こっそりと帝国軍に寝返るように説得しているといったところか。

 うん、上手い手だ。戦うことなく敵の戦力を削ぐというのは、実に有効で効率的だ。

 おそらく、これは「あいつ」の策略だろう。寝返った敵兵を罰することなく迎え入れれば、「あいつ」の《勇者》としての名声は更に高まる。実に「あいつ」らしいやり方だ。

 と、俺が宿敵の手腕を内心で褒め称えていると。

 グルマス司教の護衛騎士の一人が、じっと俺の方を見ていることに気づいた。

「お気をつけください、司教様。何者かが潜んでこちらを見ております」

 あ、やべ。気づかれたっぽい。


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