帰郷
ゴルゴーグ帝国西部辺境、アインアン男爵領内のノエルイ村。それがクースの生まれ故郷らしい。
聞くところによると、規模としてはかなり小さな村で、住民も百人に満たないぐらい。はっきり言って、辺境の寒村と呼ぶに相応しい村だそうだ。
だが、たとえ寒村であろうとも故郷は故郷。クースにとっては特別な存在なのだろう。
その故郷の村のすぐ傍で、反乱軍が布陣しているのだ。クースとしてはやはり何かと心配だろうな。
そのクースはと言えば、不安そうな様子で顔を伏せている。故郷の村が気になるみたいだ。
うーん。これは一度、その村の様子を見にいくべきか? 村がどうなっているか確認すれば、クースも安心できるだろう。
まあ、反乱軍の兵士がその村で悪さをしている可能性も捨てきれないが、その時は彼女に気づかれない内に対処しよう。
ダークエルフなら、それぐらいお手の物だろう。いや、いっそのことユクポゥとパルゥを投入すれば……あ、それは駄目だ。あいつらを投入しようものなら、二人だけで反乱軍──本当に村で良からぬことをしていれば、だが──を殲滅しかねない。今の兄弟たちは、本物の化け物だからな。
反乱軍は「あいつ」の獲物だ。横から俺たちが掻っ攫うわけにはいかないだろう。
「クース。故郷の村が気になるのか?」
「い、いえ、そういうわけでは……」
顔を上げることもなく、ただそれだけ口にするクース。やっぱり、相当気にしているっぽい。
「ジョーカー?」
「そうだねぇ。もしかすると、今後の僕たちの行動に何か影響を与えることになるかもしれないから、この反乱の動向はしっかりと見届ける必要があるんじゃないかな?」
よし、上手いぞ、ジョーカー。これで俺たちが反乱を気にする大義名分ができた。
クースには見えない位置で、ジョーカーに向かって親指を突き立てる。さすがだな、長い付き合いは伊達じゃない。
「ところで、そのノエルイ村ってのは、ここからどれぐらい離れているんだ?」
「うーん、西の辺境ってことしか分からないからねぇ。クースくんは何か知っているかい?」
「い、いえ、私も具体的なことまでは……ただ、故郷の村を出て、リピィさんと出会うまで10日ぐらいは経っていたと思います」
ふむ。そのノエルイ村まで少なくとも10日以上かかるわけか。こいつはまた、バルカンにがんばってもらうかな? いや、その前にガリアラ氏族の集落から戻ってくるユクポゥたちの到着を待つべきか。
俺とジョーカー、そしてクースだけでは、戦力的にちょっと心許ないしな。
よし、ユクポゥたちが帰って来るのを待つ間、ダークエルフの斥候を放って帝国軍の動きを探らせよう。反乱鎮圧の帝国軍であれば、当然目立つからすぐに見つかるはずだ。
後はその帝国軍に、ノエルイ村までの道案内をお願いするとしよう。
グルス族長に命じて、早速斥候を放ってもらうことにした。遠からず、移動中の帝国軍を発見したという報が届くだろう。
帝国軍を見つけた後は、そのまま付かず離れずで帝国軍を尾行し、ノエルイ村の近くまで行ったら帝国軍を一気に追い越して、ノエルイ村の様子を探る。
「……とまあ、そんな予定なんだが、それでいいか?」
リーリラ氏族の集落にある俺の家で。
俺の考えをクースに伝えところ、彼女はきょとんとした顔で俺を見た。
「え、えっと……リピィさん、ノエルイ村に行くつもりなんですか?」
「ああ。やっぱり、何だかんだ言っても生まれ故郷は気になるだろ?」
俺がそう言えば、彼女は目をぱちくりとさせた。
「……正直なことを言うと、私はあの村にあまりいい思い出がないんですけど……」
あ、あれ? あ、そう言えば、初めて出会った時に村には帰りたくないって言っていたっけ。すっかり忘れてた。
その後、俺は改めてクースからこれまでの生い立ちを聞いた。父親の死後、母親と二人で村人たちから冷たく扱われたこと。そしてその母親の死後に、彼女を引き取ったキーリ教の司祭に襲われかけたこと。
なるほど、確かにあまりいい思い出がないな。彼女でなくても、村に帰りたくないと思うのは当然だろう。
「でも……」
そんなことを考えていると、クースは静かに言葉を続けた。
「……でも、あの村には父と母のお墓があります。あそこに私の両親は眠っているんです。それだけは、やはり気になって……」
なるほど。生まれ故郷というわけではなく、両親が眠る場所だから気になる、か。正確には、父親は村の共同墓地に、余所者である母親は村外れの森の中に眠っているらしいが、まあ、些細な違いだ。うん。
「ですから、あの村のことを気にしてくれたリピィさんの心遣い……嬉しいです」
と、クースはにっこりと笑った。その頬を一筋の涙が滑り落ちて行ったが、果たしてそれはどんな意味の涙だったのか。それはクースにしか分からないことだろう。
「とにかく、一度行ってみようぜ、そのノエルイ村へな。まあ、村の中まで入ることはできないかもしれないが、村外れの母親の墓ぐらいなら近づくこともできるだろ」
「はい! それで構いません。私を……母のお墓まで連れて行ってください」
こうして、クースの両親の墓参りを兼ねつつ、反乱の動向を探ることになったのである。
数日後、ユクポゥたちがリーリラ氏族の集落へと戻ってきた。早速、俺は次の目的を彼らに伝える。
「今度の敵はニンゲン! ニンゲンを殺したら、食べてもいい?」
「今度の敵はキゾク! キゾクって初めて聞く生き物だけど、食べたら美味い?」
疲れた様子を見せることもなく、ユクポゥとパルゥは大はしゃぎである。ってか、食う気満々だ。まあ、妖魔にとって人間はご馳走だからな。仕方あるまい。
「ねえ、リピくん。私も一緒に行っていいかな? 私、クース以外のニンゲンって見たことないから、見てみたいんだ」
と、ゲルーグルが言い出した。まあ、いいだろう。あまり大人数になると目立ってしまうが、これぐらいなら問題あるまい。
俺と一緒に行くのは、クースにジョーカー、ユクポゥにパルゥ、そしてゲルーグルとサイラァだ。
まあ、サイラァはいざという時の保険だな。こいつの命術は貴重だし。
……残念なことに、サイラァを抜きにして行動するのは不安があるんだ。それだけ、あいつの命術は必要不可欠ってことだ。
しかし、これだけの人数になると、バルカンに乗って移動することもできないな。どうしたものか。
「大丈夫じゃないかな? 帝国軍はそれなりの数で移動しているでしょ? そうなると移動速度はかなり遅くなっていると思うよ」
確かに、軍隊って奴は数が増えるほど足が遅くなるからな。こればかりはいくら「あいつ」が指揮をしていても大して変わらないだろう。
「ちょっときついかもしれないけど休憩を少なめにして急げば、ノエルイ村に到着する前に帝国軍に追いつけるんじゃないかな? ダークエルフの斥候が、帝国軍の位置を把握していることだしね」
そうだな。そうするしかあるまい。
こうして、俺たちはリーリラ氏族の集落を後にした。
目指すは移動中の帝国軍。そして、ノエルイ村だ。
リーリラ氏族の集落を発ち、リュクドの森からも出て数日。森を出てからは、いつぞやリーエンの所へ行った時のように、主に夜間に移動して昼間は物陰で休むことに。周囲に人影がないようであれば、昼間でも移動を行う。
そうしている内に、前方に帝国軍の
ふむ。あそこに今、「あいつ」がいるわけか。ちょっとちょっかいをかけたいところだが、今回の目的はあいつと戦うことじゃないからな。
できれば、少し「あいつ」と話をしてみたいものだ。改めて思い返せば、「あいつ」とゆっくり話をしたことなんてないし。
向こうが俺のことをどう思っているのかは知らないが、話ぐらいは聞いてくれると思う。ま、それは機会があれば、だ。
現在の時間帯は夜。当然、帝国軍は野営中である。あちこちに篝火が焚かれ、野営地の周囲はかなり明るい。下手に近づけば、すぐに発見されるだろう。
このまま帝国軍とは距離を保ちながら、俺たちも移動しよう。ダークエルフの斥候が調べたところ、目的地のノエルイ村まであと少しらしい。
帝国軍は反乱軍と一戦交えるだろうから、それに巻き込まれないようにノエルイ村に近づこう。
ここまで来ればクースも土地勘があるそうだから、道に迷うこともないだろうし。
「……もうすぐ、ノエルイ村なんですね……」
「ああ。懐かしいか?」
「んー、正直言うと懐かしいって思いはあまりないです。でも、やっぱりどこかほっとした気持ちになっているのも、事実です」
どうやら、クースの心境は複雑らしい。まあ、故郷であるのは間違いないが、自分と母親に辛く当たった者たちがいる場所だ。複雑になるのも無理はないな。
「よし、ここで一気に帝国軍を追い抜く。これまで通り夜間の移動になるが、くれぐれも注意するようにな。間違いなく、帝国軍の斥候がうろついているはずだ」
「がってん!」
「がってん!」
得物を振り回しつつ、明らかにやる気満々の兄弟たち。だから、極力帝国軍とは戦わないからな? 分かっているか?
さあ、いよいよノエルイ村……クースの故郷だ。
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