対決



 その大柄なゴブリンの身長は、おそらくオーガーにも匹敵するだろう。

 当然人間よりも更に高く、その身長に見合うだけの筋肉もある。

 具体的には、身長は推定7フィート(約210センチ)、体重は255ポンド(約111キロ)といったところか。

 手足は太く逞しく、胸板も分厚い。たとえ武器を持っていなくても、人間ぐらいは簡単に殴殺できそうだ。

 ざんばらに伸びた黒く長い髪は無造作に背中に流され、腰を越えて尻の辺りにまで達している。

 そう。そこまでは納得できる。相手はゴブリン・キングなのだ。それぐらいの体格であっても不思議じゃない。

 問題はそこからだ。

 奴の胸元で揺れるのは、これまでに見たこともないほどの大きな果実。今世の俺が知る中で最も大きいのはパルゥ、それに僅差で次ぐのがクースだが、ヤツのソレは二人を遥かに上回っていた。

 ハライソ? あいつは考慮外だ。いろいろな意味でな。

 ざん、とヤツが大きく一歩を踏み出すと、それに合わせてその巨大な胸がふるふると揺れる。

 もちろん、両胸を剥き出しにしているわけではない。何らかの魔獣か動物の毛皮を胸と腰の周辺に巻き付けている。だが、それでもヤツの胸の動きはよく分かった。

 それぐらい、大きいんだ。

 俺もゴブリンではあるものの男だし、女の胸に対するある種の憧れや幻想のようなものは理解できる。だが、あの胸にはそういった類のものはまるで感じない。

 いくら巨大でも、ゴブリンの胸に欲情してたまるかってんだ。

 まあ、そういう俺も今はゴブリンなんだけどな。




「アナタ方……よくもやってくれましたわね……?」

 思ったよりも明瞭な言葉──妖魔語──で、ゴブリン・キングはそう言った。

「ワタクシの可愛い部下たちをよくも……ただで済むとは思っていらっしゃらないでしょうね?」

 う……ん? な、何か言葉遣いに違和感が……あれ?

「ワタクシ、オマエたちを絶対に許しませんわよっ!! 覚悟なさいましっ!!」

「お、おい、白いの……あのゴブリン・キング……」

「あ、ああ……ゴンゴ族長の言いたいことは俺にもよぉく分かるぞ……」

 一体、あのゴブリン・キングはどこであんな言葉遣いを覚えたんだ? はっきり言って、今世の俺にとって最大の謎かもしれないぞ。しかも、無駄に綺麗な声しているし。

 まあ、それはどうでも良いと言えばどうでもいいか。

「悪いな。こちらも黙って蹂躙されるわけにはいかないんだ。身を守るため、敵を倒すのは当然だろう?」

 牙を剥き、にやりと笑いながらゴブリン・キングにそう言い放つ。

「おやまあ、どのような殿方がワタクシの邪魔をしたのかと思えば……まさか、このような可愛らしいゴブリンだったとは、さすがに予想外でしたわ。ですが、ワタクシの前に敵として立った以上、容赦はしませんことよ? 覚悟なさいませ。おーほっほっほっほっ!!」

 うん、すっげえ違和感。ってか、違和感しかない。あの大柄な身体でこの言葉遣い、ある意味で最強の敵かもしれない。

 ゴブリン・キング、恐るべし。

「さあ、そろそろアナタ方を銀月におわす神々の元へ送って差し上げますわっ!!」

 ぶん、と奴は手にした棍棒を振り回した。奴の太腿ぐらいありそうなごっつい棍棒だ。

 あの巨躯が生み出す膂力はかなりのものだろう。その力であのぶっとい棍棒を振り回せば、その破壊力は相当なものに違いない。

「さて、そう簡単に行くかな? こっちにはまだまだ戦力が残っているぜ?」

「おーっほっほっほっほっほっ!! 雑魚がいくら集まっても雑魚でしかありませんことよ! それをこのワタクシが証明してみせましょうっ!! さあ、その場で〈止まりなさい〉っ!!」

 うおっ!?

 これは……ゲルーグルと同じ支配効果を持つ〈声〉かっ!? しかも、ゲルーグルよりも強力じゃないか、これ?

「う……ぐぅ……」

 〈声〉の影響を受けて、隣に立っているゴンゴ族長が頭を抱えて苦し気なうめき声を上げた。

 魔術に対して高い抵抗力を持つダークエルフにも、ここまで影響を及ぼすのか。

 まあ、ゲルーグルの〈歌〉もダークエルフに効果があったからな。ゲルーグルよりも強力なこいつの〈声〉なら、ダークエルフに影響を及ぼしても不思議じゃない。

 集団に対する影響力はゲルーグルの方が上のようだが、こうして少人数に対する〈声〉はこいつの方が上っぽい。集団と少人数では〈声〉の使い方に違いでもあるのか? もしそうなら、その使い分けを覚えればゲルーグルの〈声〉も今より更に強力になるかもしれないな。

「大丈夫か、ゴンゴ族長?」

「う、うむ……多少頭がふらつくが、この程度なら問題ない」

 数回頭を振ったゴンゴ族長が、力強く俺に頷いた。ふむ、本人が言うように問題なさそうだな。

「なにをこそこそ話していますの? そろそろ本気で行きますわよっ!! 覚悟なさいましっ!!」

 だん、と大きな足音と共に、奴が一歩踏み出した。




 ぶんぶんと振り回される巨大な棍棒は、まるで嵐のようだった。

 棍棒が触れた端から、木々が砕け散り大地が抉れる。

 なんて馬鹿力だ、こいつ。力だけでいえば、ムゥたちよりも上じゃないか?

 だが、ただ単に振り回しているだけの棍棒が、俺やゴンゴ族長に当たるわけがない。

 おそらくだが、こいつはこれまでその〈声〉で敵の動きを止めるか鈍らせるかして、あの怪力の一撃を食らわせてきたのだろう。

 そのためか、あいつには「技術」がない。一般的な普通種ゴブリンや人間の兵士相手ならともかく、ある程度実戦を経験した者であれば、この程度の攻撃を躱すのは難しくはない。

 どんなに強力であっても、単なる力任せの攻撃など恐れる必要はない。

「おい白いの、おまえは下がっていな」

 奴の攻撃を回避しながら、ゴンゴ族長がにやりと笑う。

「おまえは俺たちの総大将だ。何も総大将が最前線に立つこたぁねぇだろ?」

 なるほど、ゴンゴ族長の言う通りではあるな。

「任せるのはいいが、大丈夫だろうな?」

「誰に向かって言っていやがるんだ? まあ、黙って見ていろって」

 考えてみれば、俺はゴンゴ族長が直接戦うところを見たことがない。部下の戦力の把握は重要だしな。ここはゴンゴ族長の実力を把握するいい機会だ。

「よし、任せた。ただし、負けることは許さんぞ?」

「おう!」

 俺は後方に大きく跳び下がった。そして、ゴブリン・キングとゴンゴ族長の戦いを観察する態勢に入る。

 さあ、ゴンゴ族長の実力を拝ませてもらおうか。




 不敵な笑みを浮かべながら、ゴンゴ族長は数歩前へと進み出た。

「さぁて、我らがガリアラ氏族の底力、総大将である白いのに見せつけてやらねぇとな」

 ゴンゴ族長は何らかの魔獣の皮革製と思しき手甲を装備していた。ん? よく見れば、足にもよく似た防具を着けているな。

 どうやら、ゴンゴ族長は武器を用いない己の身体そのものを得物とする、格闘士のようだ。

 ダークエルフにしては珍しい……ってか、初めて見たぞ。この初めてってのは、もちろん、何度も繰り返している俺の人生の中ではって意味だ。

 格闘士そのものはごく稀に見かけるが、それは人間の話。ダークエルフを始めとした妖魔たちには、まず存在しないものだ。

 普通に考えれば、武器を使った方が手足を得物とするよりも、遥かにしかも簡単に強くなれるからな。そもそも、己の身体だけでは攻撃力にこと欠くため、それを補うべく考案されたのが武器なわけだし。

 まあ、妖魔の中には己の爪や牙を武器とする者たちもいるが、それは格闘士とはまた別物だ。

「あら、なかなか素敵な殿方ですこと。でも、容赦は致しませんことよ!」

 前に進み出たゴンゴ族長に、ゴブリン・キングは猛然と襲いかかった。

 ふうを引き連れた棍棒が、ゴンゴ族長の頭を狙う。あれが直撃すれば、間違いなく族長の頭は熟れた果実の如く簡単に潰れるに違いない。

 だが、そうはならない。

 棍棒がゴンゴ族長の頭部に触れる直前、彼の右手がふわりと棍棒に触れた。

 本当に、ふわりといった軽い感じで、だ。

 それだけで、ゴブリン・キングの棍棒は標的であったゴンゴ族長の頭部から逸れ、彼のすぐ横の地面を抉るに終わる。

「どうした、キング? 随分とヌルい攻撃だな?」

「す、少しはおできになられるようね! では、これでどうかしら?」

 ゴブリン・キングの攻撃速度が、更に速くなる。だが、それでもゴンゴ族長に彼女の攻撃は当たらない。

 恐るべき速度で襲い来る棍棒を、ゴンゴ族長は時に身を捻って躱し、時に棍棒に手を添えてその軌道を逸らす。

 ふむ……一見すると力に頼った戦闘をしそうなゴンゴ族長だが、どうやら彼の戦闘方法は真逆のようだ。

 敵の攻撃をするりと受け流し、僅かな動作で回避する。

 もともと、ゴブリン・キングの攻撃は単調だからな。ゴンゴ族長にしてみれば、防御しやすいのだろう。

 ゴブリン・キングの攻撃を「剛」とするなら、ゴンゴ族長は「柔」といったところか。

 ──木々の枝が、暴風を受け流すように。

 ゴブリン・キングが幾度となく繰り出す剛撃は、全くゴンゴ族長には当たらない。まさに暴風を受け流す木々の枝だ。

「きぃぃぃぃぃぃぃッ!! い、一体アナタのカラダはどうなっていますのっ!?」

「さぁてな? おまえがヘボいだけじゃねぇのか?」

「くっ!! そんな口、すぐに叩けなくして差し上げますわっ!!」

 不敵な笑みを消すことなく、ゴンゴ族長は舞うようにゴブリン・キングの攻撃を避け続ける。対して、いくら攻撃しても掠りもしないゴブリン・キングは、相当焦れてきたようだ。

 技術のない奴の攻撃はただでさえ単調なのに、それが更に顕著になってきた。

 もうこれ、決まったようなものだよな。

 俺がゴンゴ族長の勝利を確信した時、背後に小さな足音が響いた。

「り、リピくん! ど、どうなっているの……?」

 俺の背中に隠れるようにしながら、高台から降りてきたゲルーグルがゴブリン・キングとゴンゴ族長の戦闘を見つめる。

「心配は無用のようだぞ。ほら、ゴンゴ族長の動きが変わった」

 俺もまた、にやりと牙を剥きながらゲルーグルに説明する。

 それまで回避や受け流しに専念していたゴンゴ族長が、ぱしんと己の右の上腕を左手で叩いた。

「よっしゃ、様子見はここまでだ! そろそろこちらからも行くぜ、ゴブリン・キング!」

 そう言いながらゴブリン・キングへと踏み込んだゴンゴ族長は、右の肘をゴブリン・キングの下顎へと掬い上げるようにしてカチ上げた。

 ゴンゴ族長よりもゴブリン・キングの方が上背があるからな。どうしても、下からの攻撃になるのは仕方ない。

 どうやらゴンゴ族長は、ここから本格的な反撃に出るつもりのようだ。


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