キング対キング



 夜のリュクドの森の木々を切り裂くように、美しくも激しい歌声が響く。


──牙を剥け!

──爪を研げ!

──腕を振り上げ、足を踏み鳴らせ!

──立ち塞がるものは全部ぶち壊せ!

──力が全てだ。

──力がなければ意味がない。

──力がなければ奪われるだけ。

──それが嫌なら、おまえの力を見せつけろ!

──牙を突き立て喉を食い破れ。

──爪を振るって心臓を抉り出せ。

──泥に塗れて寝ている場合じゃない。

──限界? そんなものは蹴り飛ばせ!

──立ち上がって腕を振り上げろ! 足を踏み鳴らせ!

──さあ、今こそお前の力を見せてみろ!

──おまえには力があるはずだ!


 激しく、弾むような力強い旋律で、ゲルーグルの歌が戦場を支配していく。

 そして。

 そして、彼女の歌声に背中を押されるように、木々の影や茂みの影に潜んでいたダークエルフたちが、次々にゴブリンへと襲いかかっていった。

 ゲルーグルの〈声〉の支援を受けたダークエルフたち。彼らは雄々しく真っ正面からゴブリンたちへと躍りかかった。

 ……うん、まあ、何だ。ゲルーグルの歌声を聞いたダークエルフたちは、ダークエルフらしくもなくゴブリンと真っ向勝負を始めた。いやはや、本当にダークエルフらしくないな、おい。「うおおおおおお」って雄叫びなんて上げている奴もいるし。

 本来、ダークエルフという種族は力よりも速度を重視した戦い方をするものだ。それなのに、今のガリアラ氏族の戦士たちはと言えば……間違いなく、ゲルーグルの〈声〉の影響だな、うん。

 そのゲルーグルは、ガリアラ氏族の集落の外の見晴らしのいい高台に立っていた。

 この高台はバルカンの地術で急遽作り上げたものだ。確か、ジョーカーからもらった羊皮紙の束には、この高台のことを「すてーじ」とか書いてあったな。

 そう。今回の作戦において、ゲルーグルにはジョーカーからもらった彼女の運用案を元に動いてもらっている。

 その運用案に従い、高台に立つ彼女をさまざまな色の光が彩っている。もちろん、バルカンの魔術……光術によるものだ。

 そして彼女の歌声は、ダークエルフたちの風術でより遠くまで届かせている。さすがのバルカンも、光術でさまざまな色彩を生み出しながら風術までは操れないようだ。

 しかも、よりゲルーグルが目立つような色合いを考え、躍動する彼女の動きに合わせて光の色や強さを臨機応変に変えているのだ。その様子は一種の芸術と呼んでもいいぐらいだ。

 いや、バルカンに色彩に関するこんな才能があったとは。今後、ゲルーグルの〈歌〉を利用する時は、バルカンの光術を必ず組み合わせよう。

 ただ、残念なのはゲルーグルの歌には伴奏がないことだ。ガララ氏族のダークエルフは彼女の歌に合わせて見事な演奏をみせたが、ガリアラ氏族にはそこまで音楽に秀でた者がいなかった。

 これは、ゲルーグルの運用時には専用の演奏者も準備しないといけないかもしれない。

 そういや、ジョーカーの運用案にもそんなことが書いてあったな。




 それはともかくとして、だ。

 攻めてきたゴブリンたちに立ち向かうガリアラ氏族の戦士たち。彼らは一方的にゴブリンを蹂躙していく。

 本来ならば、ダークエルフはゴブリンよりもかなり格上だ。しかし、ゴブリン・キングの支援と指揮を受けたゴブリンたちは、そのダークエルフを上回る戦闘力を見せた。

 だが、今回はこちらにもゴブリン・キングがいる。ゲルーグルの〈歌〉がある。

 ゴブリンたちが受けた支援と同じものを、ダークエルフたちも受けているのだ。

 となれば、本来の実力が上であるダークエルフが、ゴブリンに負けるわけがない。

「前回の戦いで、あれほど手強かったゴブリンどもが……いやはや、これがゴブリン・キングの力か……。敵にすると恐ろしいが、味方にすると頼もしい限りだな」

 一方的な展開を見せる戦場を見つめながら、隣に立つゴンゴ族長が呟いた。

 実際、攻めてきた三十体のゴブリンどもは、みるみるその数を減らしていく。しかし、当然ながらこのままではいかないだろう。

 向こうにだって、ゴブリン・キングがいるのだから。

 俺がそう考えた時。戦場の向こう側──俺から見てリュクドの森の奥──から、雄々しい咆哮が響いてきた。

 咆哮はゲルーグルの歌声をかき消すかのように、リュクドの森の中に響き渡る。

 そして、その咆哮に鼓舞されるかのように、ゴブリンたちの動きが更によくなる。

 速く、そして力強く。それまで一方的に押していたダークエルフが、今度は逆に押され始めた。

「そうだろうな。こう来ると思っていたぜ」

 俺はにやりと笑みを浮かべると、右手を上げて合図を送る。もちろん、その相手はゲルーグルだ。

 彼女は額に汗を浮かべながらも、俺の合図ににっこりと微笑む。

 そして、彼女の歌と踊りが更に激しくなる。

 だんだんだだだだん、と激しい足さばきでゲルーグルは高台の上で弾むように踊る。

 合わせて、その歌声がより力強くなった。


──牙を剥け!

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」

──爪を研げ!

「がああああああああああああああああああっ!!」

──腕を振り上げ、足を踏み鳴らせ!

「しゃあああああああああああああああああっ!!」


 ゲルーグルの歌声に合わせ、ダークエルフの戦士たちが力強い声を出す。

 一旦は押されたダークエルフたちだが、ゲルーグルの歌声に乗って再びゴブリンを押し戻し始めた。

 攻めてきた敵の数は三十ほど。これまでの戦闘で既に半分を討たれているが、それでもゴブリンたちは逃げ出さない。

 残敵は十五体ほどか。だが、油断はできないな。向こうの背後にも、ゲルーグルと同じゴブリン・キングがいるのだから。

 対するガリアラ氏族のダークエルフも、戦いに投入されているのは二十五人ほど。前回の戦いで命を落としたり重傷を負ったりした戦士たちが数多くいるので、これが限界だ。

 もちろん、氏族の全員が戦えるというわけでもない。戦えない子供や女たちもいるしな。

 サイラァがここにいれば、重傷者も再び戦場に立てたのだろうが、生憎とあいつがここに到着するのはもう少し先だ。

 さて、あちらさんもこのままじゃいられないだろう。

 俺がそう思った時だ。

 再び、リュクドの森の奥からゴブリン・キングのものと思われる咆哮が響いてきた。

 こいつは本当にゴブリン・キング対ゴブリン・キング……〈声〉と〈声〉の戦いになってきたようだな。

 ゴブリン・キングの咆哮が、ゲルーグルの歌声を掻き消していく。

 咆哮を受けたゴブリンたちの勢いが増し、再び戦況が一転してダークエルフたちが押され始めた。

 〈声〉に背中を押された真っ正面からのぶつかり合い。ここまではあらかじめ予想していたことだ。

 だから、俺は次の手に移る。まあ、俺じゃなくて実際はジョーカーの書き付けに従っているだけだけどな。

 俺は炎術で小さな火球を夜空に打ち上げる。それを合図にして、それまで激しく弾むようだったゲルーグルの曲調が一変した。




──大丈夫だよ。

──私たちの《王》は強くて優しい。

──君たちを絶対に受け入れてくれる。

──自らに跪く者たちを《王》は決して裏切らない。

──《王》は見捨てない。

──《王》は傷つけない。

──だから、《王》の前に集いなさい。


 それまでとは真逆の、ゆったりと優しい曲調でゲルーグルは歌う。

 もちろん、激しく明滅していた彼女を彩る光も、淡く温かな色彩へと変化している。

 ホント、バルカンの奴はいい仕事をするよ。

 もう分かるとは思うが、この曲は味方の背中を押すものではなく、敵をこちら側に引き寄せるためのものだ。

 何も敵は倒せばいいってものじゃない。うまいこと寝返らせれば、こちらの戦力になるのだから。

 人間同士の戦いだとこれがなかなか難しいが、力が全ての妖魔なら人間ほど難しくはない。もちろん、人間にだって有効な場合もあるだろうがな。

 改めて戦場を見渡してみれば、それまで激しく戦っていたゴブリンたちの動きが明らかに鈍っていた。

 中には頭を抱えながら、周囲をきょろきょろと見回している奴もいる。お、あのゴブリン、ふらふらとこっちに歩いてくるぞ。どうやらゲルーグルの〈歌〉の影響を受けてこちらに寝返るつもりのようだ。

 だが、そんなゴブリンを叱り付けるように、再びゴブリン・キングの咆哮が響いた。

 その咆哮を聞いて、ふらふらとこちらに来ようとしていたゴブリンははっとした表情を浮かべ、慌てて手近にいたダークエルフへと襲いかかった。

 ち、この手は失敗か。なかなかどうして、向こうのゴブリン・キングの影響力も大したものじゃないか。

 だったら、このまま真っ正面から押し潰すのみ。

 俺は再び、小さな火弾を夜空に打ち上げた。




──捧げろ! 勝利を!

──かざせ! 拳を!

──勝利を我らが《王》へ!

──敵の骸を我らが《王》へ!

──我らは《白き鬼神》に従いし者!

──我らが主を《魔物の王》へ!

──我らが《白き鬼神》を《魔物の王》へ!

──砕け! 倒せ! 打ち払え!

──我らが《王》の覇道を邪魔する者を、我らが力で打ち倒せ!

──今こそ我らが勝利を!

──捧げるのだ《白き鬼神》へと!


 先程よりも更に激しく更に力強く、ゲルーグルの歌声が響き渡る。

 その歌声を聞いたダークエルフたちは、先程以上に激しくゴブリンたちを殲滅し始めた。

 なんか、ダークエルフというよりは人間の兵士が戦うところを見ている気分だな、おい。

 もちろん、彼女の歌声に対抗するため、敵のゴブリン・キングの咆哮が何度も響き渡る。だが、もう戦況を覆すことはできないようだ。

 ゴブリンたちも必死に戦うが、ダークエルフたちに瞬く間に倒されていく。

 どうやら、キングとしての能力はゲルーグルの方が優れていたようだ。

 向こうのキングの咆哮では、ゴブリンたちの戦闘力をこれ以上底上げできないみたいだが、ゲルーグルにはまだ余裕がありそうだ。

 ちらりと高台の上の彼女を見やれば、汗を浮かべて疲れているようではあるものの、笑顔を浮かべて小さく俺に手を振っている。

「どうやら、これで決まりだな」

「ああ。白いのの言う通りだ。しっかし恐ろしいもんだな、ゴブリン・キングって奴は」

 俺の言葉に、隣に立つゴンゴ族長が続けた。

「戦況は決まったようだが、まだ終わったわけじゃないぜ、白いの」

「そうだな。向こうには大元のゴブリン・キングが残っている。このまま奴を逃がすわけにはいかないだろう」

 さて、兵隊を失ったゴブリン・キングはどう出るか?

 のこのこと単独、もしくは少数の取り巻きを連れて戦場に姿を見せるのか。それとも、部下を見捨ててさっさと逃げ出すのか。

 当然ながら、ゴブリン・キングの近くにはダークエルフの斥候を潜ませている。ゴブリン・キングの直接的な戦闘力が未知数なので、決してちょっかいをかけるなとは言ってあるが、それでも逃げ出すようなら斥候たちが動くだろう。

 奴がどちらを選択するかと俺とゴンゴ族長が戦場を見つめていると。

 リュクドの森の奥……先程から何度も咆哮が聞こえてきた方角から、一体の巨大なゴブリンが姿を見せた。

「ほう、逃亡ではなく戦うことを選んだか」

「どうやら、あちらさんも《王》としての矜持ぐらいは持っているらしいな」

 俺とゴンゴ族長は、そう言ってにやりと笑った。やはり、このまま逃がしてしまうわけにはいかなかったし、一度ぐらいは向こうの大将の顔を見ておきたかったのだ。

 だが。

 だが、俺たちの顔には揃って驚愕の表情が浮かぶことになる。

「お、おい、白いの……あ、あれって……」

「あ、ああ……こ、こいつは驚いたな……」

 なぜならば。

 森の奥から姿を見せたその巨大なゴブリンには、その巨躯に相応しい二つのモノが揺れていたのだ。

 具体的には、大柄なゴブリンの胸の辺りに。

「お、おんな……だと……?」

「む、向こうのキングも女だったのか……?」




 そう。

 敵のゴブリン・キングもまた、ゲルーグルと同じく女だったのだ。


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