ゴブリン・アイドル



 地面にぺたりと座り込み、まるで幼子のように泣き続けるゲルーグル。

「うえええええええええええええええんっ!! わ、私の〈声〉が効かないよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!! ど、どうしようっ⁉ 〈声〉が効かないなんて初めてだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 なるほど。彼女──ゴブリン・キングのゲルーグルは、今日まで〈声〉の魔力で他のゴブリンたちを従えてきたってわけか。

 果たして、それがゴブリン・キングの種族的な能力なのか、それとも彼女独自の能力なのかは俺には分からない。おそらくだけど、ゲルーグルはゴブリン・キングの変種か異種じゃないだろうか? 俺がハイゴブリンの変種か異種であるように。

 本来のゴブリン・キングにはない能力を持ち、その代償として戦闘力とか闘争本能とかいったものが欠落しているのかも。

 まあ、ひょっとすると女性のゴブリン・キングは、全員ゲルーグルのような〈声〉の能力を持っているのかも知れないし、ゴブリン・キングという種族自体が配下の支援や統率に優れた種族という可能性もあるが。

「でも、なかなか有用な能力だよね、これ。彼女の〈声〉を聞くだけで、味方の能力を底上げすることができるわけだし」

 俺の背後から興味深そうに、泣き続けるゲルーグルを覗き込むジョーカー。なるほど、確かにジョーカーの言う通りだ。彼女の能力は、使い方次第では相当強力な武器になるだろう。

 見た感じ、彼女自体の戦闘力はそれほどでもなさそうだが、その支援能力は極めて高いだろう。

 こいつはますます彼女を仲間に加える必要ができたぞ。

「改めて聞くぞ、ゲルーグル。俺の配下に……いや、仲間になる気はないか? 先程も言ったが、仲間になるのなら厚遇するぜ?」

「…………」

 ぐしぐしと手で涙を拭ったゲルーグルは、座り込んだまま無言で俺を見上げた。

「………………わ、私のこと……た、食べない…………の?」

「食べる? どうして?」

「だ、だって…………」




 ゲルーグルいわく、彼女はこれまでずっと怯えていたのだそうだ。

 彼女の〈声〉を聞いたゴブリンたちは、確かに彼女の言うことに何でも従った。この能力を用いて、ゲルーグルはこれだけ大きな群れの「王」となったのだ。

 だが、彼女自体は決して強くはない。もしも配下のゴブリンたちが、自分が寝ている時にでも襲いかかってきたら? もしも配下のゴブリンの中に、自分の〈声〉が効かない者が存在したら?

 非力な彼女はあっという間に凌辱され、乱暴され、そして最後には殺されて食われてしまうだろう。

 たとえそれが、妖魔の中では最下級である普通種のゴブリンであったとしても。

 百体以上の群れの「王」として君臨しながら、群れの中で最弱でもあるゲルーグルは常に怯えていたのだ。

 そして、今日。

 その怖れが現実となった。

 俺……いや、俺たちという彼女の〈声〉が効かない存在が現れたのだから。

「安心しろ、ゲルーグル。俺たちはおまえを食うつもりもないし、危害を加えるつもりもない。言っただろ? 仲間になれって。仲間にしようって奴を、どうして傷つける必要がある?」

「………………ほん…………とう……?」

「ああ、本当だとも」

 ゲルーグルにそう言いながら、俺は背後を見た。そこにいた俺の仲間たちは、皆揃って頷いている。あ、いや、訂正。サイラァだけは興味なさそうにぼんやりと立っている。

 まあ、あいつは放っておこう。下手に関わらせるとややこしくなりそうだし。

「しかし、戦闘力がないに等しいのに、よくゴブリン・キングにまで進化できたね。どうやってそこまで至ったんだい?」

「彼女は……ゲルーグル様は進化など一度もしていない。生まれた時より、ゲルーグル様はゴブリン・キングなのだ」

 ジョーカーの疑問にそう答えたのは、ゲルーグルの背後に影のように控えていたジィムだ。

「へぇ、それは珍しいパターンだね。突然変異的に上位種……いや、最上位種として生まれたわけか。だからこそ、今まで生き延びることができたんだね」

「そういうおまえは、別にゲルーグルの〈声〉に従っているわけじゃなさそうだな?」

「……俺は生まれた時からゲルーグル様と一緒だった。そして、ゲルーグル様のそのお力に最初から気づいていたのだ」

 ほう、つまり、俺とユクポゥやパルゥの関係のようなものってわけだな。あいつらも、今では俺よりかなり強いってのに、なぜか俺に従ってくれるし。

 ゲルーグルとジィムの間には、単純な力関係だけじゃない何らかの絆のようなものがあるようだ。

 うん、そういう関係は嫌いじゃないぜ。よし、ゲルーグルだけじゃなく、ジィムも仲間に引き込もう。ま、ゲルーグルを仲間にすれば、なし崩し的にこいつも引きずり込めるだろうけどな。

「ゲルーグル。俺の仲間になれ」

 改めてそう言いながら差し出した俺の手。それと俺の顔を何度も見比べたゲルーグルは、おずおずと俺の手に自分の手を重ねたのだった。




「さて、こうしてめでたく仲間になったってことで、おまえの能力を詳しく教えてくれ」

 ゲルーグルの部屋だか謁見の間だかよく分からないこの部屋の中で、俺たちは今、床の上に直接輪になって座っている。

 俺の正面にはゲルーグル。その右隣にジィム、左にはジョーカーが陣取り、ゲルーグルの詳しい能力を聞き出している。

 大体のところは分かっているが、所詮は推測だしな。ここではっきりさせておかないと、今後ゲルーグルをどう運用すればいいのか分からないし。

「んー、とね? 私の能力ちからは、〈声〉に魔力を乗せて聞いた者を従わせたり、身体能力を上げたりできるよ?」

 やはり、俺とジョーカーの推測通りの能力のようだな。彼女の〈声〉を上手く使えば、有象無象の雑兵たちを、一糸乱れぬ動きを見せる精鋭とすることができる。こいつは相当強力な能力だな。

「あとはね? 歌ったり踊ったりしてみんなを熱狂させられるよ!」

 …………いや、それはゴブリン・キングとしての能力なのか?

「うーん……戦闘中に踊りに注目させるのはできないだろうけど、戦闘前に兵たちの士気を鼓舞するのに利用できるかもよ?」

 なるほど、そういう使い方もあるか。俺はジョーカーの説明を聞きながら、改めてものは使いようだと思ったね。

「じゃあさ、リピくん! 一度、私の歌と踊りを体験してみてよ!」

 うむ、それはいいかもしれないな。自分で体験してみれば、ゲルーグルの能力もよりはっきり理解できるだろう。

 ところで、「リピくん」ってやっぱり俺のことだよな? まあ、仲間になったのだから、親し気に呼ぶのは別に構わないか。

 それに、踊りはともかく歌って……まあ、〈声〉の力をより効果的に使うには、歌うことでより遠く広く〈声〉を届かせるのもありかもしれないが。

「じゃあ、ジィム。早速用意して!」

「ああ」

 ゲルーグルに促され、ジィムが立ち上がる。

 はてさて、一体何が始まるやら。




 一旦部屋から出て行ったジィムが、すぐに戻ってきた。手に何やら楽器っぽいものを持って。

「へえ……まだ残っていたとはね……」

 その楽器を見て、ジョーカーが呟く。どうやら、あの楽器をこいつは知っているみたいだが、少なくとも俺は見たことがない楽器だな。

 ゴブリンが楽器を作るとは思えないので、この神殿に残されていた過去の遺物だろう。

 胴体は木製らしい楕円形を二つくっつけて、その中央付近に穴が開いている。その胴体の一方から長い首のようなものが突き出した妙な形の楽器だ。楽器と言えば大小の竪琴やさまざまな打楽器が一般的──妖魔たちの間ではなく人間の社会では、だ──なのに、こんな形の楽器があったとはね。

 突き出した首には数本の弦。あれを弾いて音を出すのだろうな。それぐらいは見れば分かるが、一体どんな音がするのやら。

 戻ってきたジィムがどっかと座り、その膝の上で例の楽器を構える。同時に、ゲルーグルが立ち上がるとジィムの方へと移動した。

「じゃ、いくよ、ジィム」

 ゲルーグルの声に一つ頷いたジィムが、構えた楽器を爪弾き出す。

 ぽろんぽろんと耳に心地いい低音が、その楽器から緩やかに流れ出す。へえ、なかなか見事なものだ。誰に教わったわけでもないだろうに、独学でここまで演奏できるようになるとはな。人間にだって、これだけの奏者はそうはいないだろう。

 ところどころ音が飛んだり外れたりするのは、楽器の状態が悪いからか。いくらハイゴブリンとはいえ、楽器の調整や手入れはさすがに無理だろうからな。

 最初はゆっくりだったジィムの演奏は、徐々にその速度を増していく。低音ながらもじゃんじゃんと弾むような躍動的な音楽が、彼の手元から次々に溢れだしてくる。

「じゃあ、いっくよー!」

 その弾むような演奏に合わせて、ゲルーグルが軽やかにステップを踏み出した。

 躍動的な演奏に合わせた、何とも激しくそして楽し気な踊りだ。

 やがて、ゲルーグルの口から澄み渡った高音が飛び出した。低音の演奏と高音の歌声が、実によく合致して俺の心と身体を揺さぶった。

「へえ、この歌……身体能力向上の効果があるよ」

 ゲルーグルの歌に合わせて小刻みに身体を揺らしながら、ジョーカーが感心したように呟いた。

 見れば、ユクポゥとパルゥは既にゲルーグルと一緒に踊っている。いつもなら、こういうことに反応を示さないだろうサイラァまでもが、ジィムの演奏とゲルーグルの歌と踊りに魅入られていた。

 かくいう俺もまた、身体の中が熱くなり今にも身体が勝手に動き出しそうだ。気分の方もどんどん高揚し、兄弟たちと一緒になって今にも踊り始めそうだ。

 こいつは、予想以上だ。しかも、この効果はゲルーグルの歌を聞き、踊りを見た者全てに影響するわけだ。使い方によっては、普通の魔術よりもより効果的に運用できるぞ。

「こいつは予想以上だねぇ。しかし、ここまで来るともうゴブリン・キングじゃなくて、ゴブリン・アイドルと呼んだ方がいいかもしれないね。しかも彼女、なかなか愛らしい容姿をしているし」

 確かに、ゴブリンでありながらもゲルーグルの姿は、妖魔というよりも人間にかなり近い。あのやや尖った耳を隠すだけで、簡単に人間に成りすますことができるだろう。

 それにジョーカーの言うように、彼女の容姿は人間の中でもかなり美少女と言っていい。

「そういや、ゴブリンなどの妖魔は元を辿れば人間で、深淵より飛来した銀の月の影響を受けて変質したと神話では語られているんだっけか」

 だとしたら、ゲルーグルの人間に近い姿は、ある意味で先祖返りという奴なのかもしれない。

 何はともあれ、なかなか頼もしい仲間が加わったものだ。

 それに、ゲルーグルとジィムだけではなく、彼女配下の百体のゴブリンも丸ごと俺の部下に加わるわけだし。

 さぁて、これでまた一歩、俺は《魔物の王》へと近づいたぞ。




 なあ、ジョーカー。「あいどる」って何だ?

 相変わらず、変な言葉を知っている奴だよな、こいつも。まあ、いつものことと言えば、いつものことだが。



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