ゴブリン・キング……キング?



 がりがりがりがり。

 細長い枝の先が、地面をがりがりと削っていく。

 その枝を持つ赤茶色の手を器用に動かして、彼女は鼻歌交じりに地面に何かを刻み込んでいた。

 地面にぺたんと座り込み、剣や盾をその辺に放り出して。

「パルゥ、何を描いているんだ?」

「クース」

 え? クースなのか、それ? 俺はてっきり、邪神の一柱かと思ったぞ。

 だって、クースに腕は八本もないぞ? 足だってそんなスキュラみたいな触手じゃないし。

 八本もある腕には、それぞれ剣らしきものが握られている。俺、クースが剣を持っているところなんて見たことないのだが。

 それに、そのクースと主張する邪神の前には、捧げられた生贄みたいなものもあるし……。

「クースが料理するとこ、描いた」

 ああ、なるほど、それ、料理の場面だったのか。

 腕が八本もあるのは、せわしなく腕を動かしていることを表現しているってわけだな。持っている剣みたいな奴は包丁で、捧げられた生贄らしきものは、調理される魔獣か。

 でも、触手みたいな足は何を意味しているのだろうか。パルゥ画伯にはパルゥ画伯なりの、拘りのある表現方法なのかもしれない。

 しかし、こうして地面にクースの絵を描くほど、パルゥはクースを慕っていたのか。それを考えると、実に興味深い。ホブゴブリンが人間をここまで慕うなんて、聞いたことがないからな。

「こうしてクースを描いていれば、クースが現れるかもしれない」

 ……訂正。どうやらパルゥはクースを召喚しようとしていたらしい。もちろん、クースの料理が目当てで。

 え? どうしてそんな呑気なのかって?

 ゴブリン・キングの側近らしきハイゴブリンはどうしたのかって?

 ああ、そいつならユクポゥにあっという間にぼっこぼこにされて、地面でぴくぴくしているよ。

 自分でやらせておいて何だが、ちょっと可哀想になった。




 戦闘開始早々、ユクポゥの槍が稲妻のように翻った。流星の尾のように、銀色の閃光が宙に弧を描くと、かん、という甲高い音が響く。

 同時に、ハイゴブリンの手の中から剣が消えた。

 そう。ユクポゥは一瞬でハイゴブリンの剣を弾き飛ばしたのだ。

「…………は?」

 自分自身に起きたことに、ハイゴブリンの理解が追いつかない。まさか自分がこんなにも簡単に剣を弾き飛ばされるなんて、と奴の顔にはっきりと表れていた。

 そこからはもう、ユクポゥのなすがままだ。

「ま、待っ……」

 ハイゴブリンが何か言うよりも早く、ユクポゥの槍が再び翻る。

 俺に殺すなと言われたことを忘れてはいないようで、ユクポゥは槍の石突でハイゴブリンの身体を乱れ打つ。

 どかんぼすんと肉体を打つ音が周囲に響き渡り、ハイゴブリンの身体が下手な踊りを踊るかのごとく舞い続ける。

 あー、ユクポゥ先生。そろそろ許してあげて。それ以上やっちゃうと、本当にっちゃうから。

 だが、さすがはユクポゥ先生だ。俺が止めるよりもちょっとだけ早く、槍を振るう手を止めてくれた。

 いや、その満足そうな表情は何よ? それほど何か鬱憤が溜まっていたのか?

 嬉しそうにやってやったぜとばかりに親指をおっ立てたユクポゥに、俺も親指を立てて応えてやる。

「サイラァ」

「………………ぎょ、御意」

 なぜか地面に倒れてびっくんびっくんしているサイラァさん。どうして、君が倒れているのかね? どうして、そんなに嬉しそうなのかね? どうして、そんなに頬が紅潮しているのかね? どうして、そんなに息をはあはあさせているのかね? どうして、そんなに全身汗でびっしょりなのかね?

 いやー、ふしぎだね!

 俺の声に従ってふらふらと身体を起こしたサイラァが、心なし内股で倒れているハイゴブリンに近づき命術を使う……かと思いきや、倒れているハイゴブリンを間近で見て再び悶え始めた。

「…………」

 俺はなぜか痛み出した頭を振りつつ、立ったまま悶えるサイラァの尻を蹴り上げた。思いっ切り。




 今、俺たちは神殿跡らしき遺跡の地下にいる。

 俺たちを先導するのは、もちろんあのハイゴブリンだ。俺に蹴られた尻をに押さえながらサイラァが使った命術で回復したハイゴブリンは、その後は素直に俺たちを神殿地下へと招き入れた。

 どうやら、俺の実力を認めたらしい。まあ、俺は直接何もしていないが。

「ゴブリン・キングって、実物はどんな妖魔なんだろうね? いやー、目にするのが楽しみだねぇ」

 俺の背後でジョーカーが顎骨を鳴らしながら言う。

 実は俺もゴブリン・キングって見たことがないのだ。「ゴブリン・キング」という名前こそそれなりに有名ではあるが、実物はほとんど存在しないらしい。

 そのためか、これまで何度も転生を繰り返してきた俺であっても、実物のゴブリン・キングを目にするのは今回が初めてなのである。そしてそれは、ジョーカーも同じらしい。

「なあ、ここのゴブリン・キングって、どんな奴なんだ?」

「…………」

 先導するハイゴブリンの背中に問うが、どうやら俺の質問に答える気はないみたいだ。

 だけど、せめておまえの名前ぐらいは教えてくれてもいいんじゃないかな? じゃないと会話もしづらいし。

「……ジィムだ」

 改めて名前を聞けば、意外にも答えてくれた。なるほど、このハイゴブリンの名前はジィムというのか。覚えておこう。

 神殿の地下には、かなりの数のゴブリンたちがいた。前情報では百体ほどのゴブリンがいると見込まれていたが、その前情報に間違いはなさそうだ。

 地下には大きな部屋──おそらく地下の礼拝堂だろう──があり、そこからいくつかの通路が走り、いくつもの小部屋が存在した

 これらの小部屋は、かつてはこの神殿に暮らしていた神官たちの個室やら修行房やら倉庫やらだったのだろうが、今ではゴブリンどもの塒だ。

 そんな神殿地下を歩く俺たちを、ゴブリンどもが興味津々な様子で見ている。とはいえ、連中が最も注目しているのはサイラァのようだが。うん、ゴブリンだしな。仕方ないよな。

 あれ以来何も言わずに黙々と歩くジィムの後を、俺たちも黙って歩いていく。

 やがて、俺たちの前に一際大きな扉が姿を見せた。

 高さ7フィート(約2.1メートル)にも届こうかという、巨大な両開きの扉だ。

「……この扉の向こうに、我らが長であるゲルーグル様がおられる」

 扉の前で振り返り、ジィムが言う。なるほど、この先がいわゆる「謁見の間」というわけか。

 そして、ゲルーグルというのが件のゴブリン・キングの名前なんだな。

 俺がそんなことを考えている間に、ジィムは扉の向こうに声をかけていた。

「ゲルーグル様。ゲルーグル様を訪ねて来たという者たちを連れて参りました」

「あら、遅かったわね?」

 ん? 今の声って……扉の向こうから聞こえて来た声は、俺が想像していたような声ではなかった。

「いいから、さっさと案内して! さっきから私、ずっと待っているんだからね!」

 私を待たせるなんて、どういうつもりなの? と、扉の向こうから続けて聞こえてきた声。

 この声って、やっぱり……思わずジョーカーの方を振り向けば、奴もぽかーんと顎の骨を大きく開いていた。

 両開きの巨大な扉が内側から重い音と共にゆっくりと開いていく。その向こうには、予想外にも明るかった。どうやら、篝火のようなものを焚いているらしい。

 本来、暗闇の中でも問題なく目が見える俺たちゴブリンに、明かりは必要ない。それなのにあえてその明かりを焚いているのは、俺たちにその権力と影響力を見せつけるためか。

 そして、明らかになった扉の向こうに、ゴブリン・キングはいた。

 いや、もうね。「キング」と呼ぶのが正しいのか、すっげえ疑問だけど。

「ふぅん。思ったより可愛いじゃない?」

 そいつは……ゴブリン・キングのゲルーグルは、俺を見てそう言った。

 かつては礼拝堂に置いてあったのであろう長椅子の一つを運び込み、そこに寝そべるようにしてそいつはいた。

「あんたがここの長……ゴブリン・キングのゲルーグルか?」

「ええ、そう。私がここの長、ゲルーグルよ。そういうあなたが、《白き鬼神》とやらかしら? とてもそんな物騒な感じには見えないけど?」

 そう言いながら、ゆったりとした仕草でゲルーグルは立ち上がった。

 ふわりと揺れる長い黒髪と、妖しく光る金の瞳。背の高さは5フィート半(約165センチ)ほどか。くそ、こいつも俺より背が高いのか。

 肌はジィムと同じく黒っぽい。いや、ジィムよりはやや色が薄く、黒というよりは褐色といった感じだな。

 顔立ちはゴブリンというよりは、ほとんど人間だ。だが、ダークエルフほど長くはないが、細長くて先端が尖った耳は、明らかに人間のものではない。

 そして、その容貌はかなり整っている。ダークエルフに比べると、やや柔らかさを感じさせるが、十分に美人と呼べる容姿と言っていいだろう。

 そう。ここのゴブリン・キングは雌……いや、女性だったのだ。

 まあ、「ゴブリン・キング」というのはあくまでも種族名だからな。種族名である以上、男だろうが女だろうが「ゴブリン・キング」ってわけだ。

「どうしても女性ってことが気になるなら、あえて『ゴブリン・クイーン』とでも呼べばいいんじゃないかな?」

 だから、俺の心を読むんじゃない、ジョーカー。

 で、その女性のキングであるゲルーグルは、ゆっくりと俺へと歩み寄ってくる。奴……いや、彼女は俺の手前までくると、じろじろと無遠慮に俺を見下ろした。

「それで、私にあなたの部下になれって話らしいけど?」

「ああ、その通りだ。俺は《魔物の王》を目指している。そのためには、まだまだ戦力を集める必要があるんだ。どうだ? 俺の部下になるつもりはないか? もちろん、部下になってくれるなら、待遇は保障するぜ?」

「うふふ、おもしろいことを言うわね。でも、部下になるのは私じゃなくてあなたよ。〈ひれ伏しなさい〉。」

 彼女がそう言った途端、俺の身体を何かが包み込んだ。そして、俺の意思に反してその場に跪きそうになる。

 ん? これって……? 俺は意識して魔力を身体中に循環させる。途端、それまで俺を包んでいた何かはあっさりと霧散した。

 周囲を見れば、ユクポゥとパルゥの兄弟たちは全く問題にした様子もなかった。サイラァは何かを振り払うように頭を振り、ジョーカーは……まあ、骨魔像ボーンゴーレムだからな。特に変わった様子は見受けられない。

「え? ど、どうして……? どうして私の〈声〉に従わないのっ!?」

 なるほど。やっぱり先程の声に何らかの魔術的な効果があったんだな。

 どうやらこのゲルーグルというゴブリン・キングには、声に強制力を乗せて聞いた相手を従わせる能力があるようだ。

「〈ひれ伏せ〉っ!! 〈ひれ伏せ〉ってばっ!!」

 確かに彼女の〈声〉には強制力があるようだ。しかし、ある程度の実力を持った者にはその効果は薄いみたいだ。実際、俺にはほとんど効かなかったし、兄弟たちには全く効いていなかったっぽい。サイラァにはやや効果があったようだが、それでも意識を集中させることで無効化できる程度だ。

 とはいえ、普通種のゴブリン程度なら効果は抜群だろう。この〈声〉を用いることで、ゲルーグルはこの群れに君臨していたってわけだ。

「悪いが、仕掛けが割れた以上、おまえの〈声〉は効かないな」

 にやりと牙を剥いて、俺はゲルーグルの額にびしっと指を弾いた。いわゆる、デコピンって奴だ。

 もちろん、そんなに強くはデコピンしていない。相手は一応女性だし、あからさまな敵ってわけでもないしな。

 だが、額に衝撃を受けたゲルーグルは、大きく目を見開いて驚き、そのままふらふらと数歩後退した。

 そして。

「ふ、ふ…………」

「ふ?」

「ふぇぇぇぇぇぇぇんっ!! ど、どうして私の〈声〉が効かないのよぉぉぉぉぉぉぉぉっ!?」

 ぺたんと地面に座り込み、突然わんわんと泣き出した。




 なぜに?


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