第5章
動き出す
「…………ようやく状況が動くみたいね」
足元に広がる光景を見ながら、その女性は楽しそうに口元を吊り上げた。
その彼女の視線の先では、大勢の人間たちが夜の森の中で蠢いていた。よく見れば、その中には人間ではない者たちもいる。
その光景を楽しそうに見つめていた彼女だったが、一度は上がった唇の端はすぐに詰まらなさそうに下へと下げられてしまう。
「あら、もうお終い? 折角駒と駒が顔を合わせたのに……」
「仕方ないだろ? これはこういう
女性の隣に立ち、女性と同じように足元へと目を向けていた男性が、ひょいと肩を竦めた。
「ねえ、もっと直接的な指示を出すわけにはいかないの? このままだと、駒たちがまともにぶつかり合うのかなり先になりそうよ?」
「それは禁じ手だよ。過剰な干渉はしないというのが、僕たちが決めたルールだろ?」
「それはそうだけど……でも、このまま何年も何十年も経過されたら、退屈でたまらないわ。それに、私たちには時間的な制限があるのよ?」
「もちろん、それは理解している。僕たちがこうして活動していられるのは、下の時間でいうところの六十年前後だからね。それだけ活動したら、同じぐらいの時間を眠らなければならない。これまでそうしてきたように、ね。そうしないと、この身体が保たないから」
それまでのどこかおどけたようだった男性は、真面目な表情を浮かべて女性に答えた。
「…………所詮は、作り物の身体ということよね」
「ああ。僕たちの本来の身体は、もうとっくの昔に朽ちてしまった。今はこの作り物の身体で我慢するしかない。それとも、下から自分に合いそうな身体を探してみるかい?」
「嫌よ、そんなの。下の連中の身体を使うなんて、考えただけでもおぞましいわ。下の連中なんて、ただの下等な獣よ。たとえ、姿かたちが私たちに似ていようとも。でも……」
「『彼』はそう考えなかった。だから『彼』は、僕たちと別れて下に降りてしまった。何なら、君も『彼』を追って下に降りるかい? ただし、ここなら六十年は保つとしても、下でこの身体がいつまで保つかまるで分からないよ?」
くくく、と笑う男性に、女性はじっとりとした目を向ける。
「相変わらず、意地悪なのね」
「僕は愛する者には意地悪になる、精神異常者だからね」
そう言うと、男性は再び肩を竦めてみせた。
「この我に貴様のような子鬼の手下になれと申すか?」
と、実に不機嫌そうに俺に言うのは、一体の魔物。
体の大きさは、牛よりも三回りは大きいか。獅子の体に蠍の尻尾。そして、蝙蝠の翼。そこに老人の顔が加われば、かの有名なマンティコアという名の魔物のできあがりである。
ただし、俺の目の前にいるマンティコアは、数百年という齢を重ねた通常の個体よりも更に強力な個体……いわゆるエルダー・マンティコアという奴だ。
通常のマンティコアより、体力も知恵も遥かに高い個体である。
どうして俺がそんなマンティコアの前にいるのかと言えば、先程こいつが言ったようにこのマンティコアを配下に加えるためだ。
《魔物の王》を目指す俺にとって、このエルダーマンティコアを配下に加えることができれば、強力な戦力となるのは明白である。
リュクドの森の奥地にエルダーマンティコアが棲息していることを、ガリアラ氏族のゴンゴ族長から聞き出した俺は、こうしてここ──奴の塒まで会いに来たわけだ。
同行者はいつものようにユクポゥとパルゥとジョーカーに、回復役のサイラァ、そしてクースだ。
クースだけはリーリラ氏族の集落に置いてきても良かったのだが、本人の希望で同行させた。今の俺たちの実力であれば、クースを守りながらリュクドの森を進むことも難しくはないしな。
もっとも、この森の中にはどこぞの腐竜のような化け物がいないとも限らないから、決して油断はできないが。
ちなみに、ギーンはお留守番だ。ハライソがギーンを放さないから連れてくるわけにはいかなかったんだ。リーリラの集落を出る際、何とも恨めしそうに俺を見るギーンの目が印象的だったが、ここは涙を飲んで我慢してもらった。弱い俺を許してくれ、ギーン。
さて、今はそんなことよりも目の前のマンティコアを配下にすることだ。俺は改めて目の前の怪物に目を向ける。
通常のマンティコアよりも大きな体と、高い知能。更にはその知能を活かした魔術能力は、驚異の一言だ。そんなエルダーマンティコアを手下にするのは、そう簡単ではあるまい。
だが。
「貴様のような子鬼が、この我を配下にするだと? くくく、おもしろい。では、我が問いに正解すれば、貴様の手下にでも何でもなってやろう」
そう、これだ。エルダーに限らず、マンティコアという奴は謎かけを好む。ただし、「邪悪な知識の守護者」とも呼ばれるマンティコアが出す謎かけだ。そう簡単に答えられるわけがない。
最初から答えが存在しない謎かけや、どのような答えにでも変えることができる謎かけなど、まともに答えることができないような謎かけしか出さないのだ。
「では問うぞ、子鬼よ。我がかつて見知った──」
あ、悪いな、マンティコア。俺、最初っからおまえの謎かけに答える気なんてないから。
俺が視線を左右に振るより早く、俺の両隣を疾風が駆け抜けた。
鋭い槍の穂先を前へと突き出し、放たれた矢のごとく駆けるのは、もちろんユクポゥである。
矢と言うよりも既に稲妻と言った方が相応しい高速の突きを、マンティコアは翼をはためかせて空中へと逃げて何とか避ける。
だが、ここはマンティコアの塒……洞窟の中。確かに広い洞窟ではあるが、その空間は限られている。翼を使って宙に浮いているとはいえ、跳躍で届かない距離ではない。
特に、身体能力がとんでもなく突き抜けてしまった、今の兄弟たちにとっては。
宙に浮かんだマンティコア目がけて、パルゥが跳ぶ。それも洞窟の壁を蹴った、立体的な跳躍をしてのけて。いや、本当にいろいろと突き抜けているな、パルゥ。
空中で左手に持った盾を前へと翳し、そのままマンティコアの老人面へと体当たりを決める。
どごん、という派手な音が、洞窟の中に響いた。
「き、貴様……いきなり何をするっ!?」
「俺たち、おまえの流儀に付き合うつもりはないから」
しれっと答える俺に、マンティコアが驚いた顔をする。
「き、貴様……この我の問いに答える気がないだと……?」
「うん、そう」
そう答えて、俺も兄弟たちに負けじと走り出す。その俺の周囲に幾つもの炎が浮かび上がり、炎は螺旋を描き槍となって飛び出していく。
だが、炎の槍たちはマンティコアの正面に展開された障壁に遮られる。ほう、防御魔術か。さすがは魔術にも秀でた魔獣だ。だが、こいつはどうかな?
マンティコアの正面に炎術を叩きつけながら、奴の真下から地術を展開する。地面から槍のように尖った岩が飛び出し、マンティコアの腹を貫く。
「ぬおおっ!? 二つの魔術を同時に展開だとっ!?」
うはははは、驚いたか? 今の俺なら、こんな器用なこともできるのだよ!
内心で高笑いしながら、俺はマンティコアに肉薄する。その頃には、洞窟の壁を自在に跳び回るユクポゥとパルゥによって、マンティコアは地面に叩き落とされていた。
地面で苦しそうにのたうつマンティコアに迫った俺は、腰から剣を抜きざまに一閃させ、奴の羽を斬り飛ばした。これでもう、空を飛ぶことはできまい。
まあ、俺の部下にした後で、サイラァに治してもらうから今は我慢してくれ。
「どうだ? 俺の配下になる気になったか?」
「お、おのれ……我が問いに答えもせず、いきなり暴力に訴えるとは……貴様、そこまでして我を下したいのかっ!?」
「うん」
またもやしれっと答えた俺に、再びマンティコアが目を剥いた。
「どうする、まだ続けるか? それとも負けを認めて俺に下るか? 何なら、最後まで続けてもいいぞ?」
もちろん、最後というのは奴の命が尽きるまでだ。
「お……おのれっ!! おのれぇぇぇぇぇっ!!」
マンティコアはその老人面に怒りを浮かべ、俺に向けて雷術を飛ばす。
空を切り裂いて俺に雷が迫る。だが、俺だって魔術に秀でたハイゴブリン・ウォーロックだ。これぐらいのことはできるんだぜ?
迫る雷に対して、先程のマンティコアと同じように防御魔術を展開する。防御魔術に遮られた雷が、一際激しく輝いてそのまま消滅した。
「わ、我と同じ魔術を……っ!?」
「ついさっき、見せてもらったからな」
「見ただけで相手の魔術を真似るなんて、意外に器用だよね、ジョルっちって」
背後でジョーカーが呆れたような声を出していたが、ここは褒め言葉として受け取っておこう。
その後、あれこれと抗いを見せたマンティコアだが、最後は泣きながら降参した。
まあ、翼を斬り飛ばされ、前肢を両方とも失い、片目と尻尾も潰されたら、マンティコアじゃなくても泣いて降参するってものだよな。
「我が名はバルカンと申します、子鬼……いや、リピィ殿」
「おう、これからよろしくな!」
こうして、俺の配下に頼もしい奴が加わった。当分油断はできないが、ここまで心を折っておけばそうそう裏切ることもないだろう。
「はぁはぁ……いい感じに死にかけて……これ、本当に癒やさないと駄目ですか、リピィ様?」
「ああ。癒やしてやれ」
満身創痍のマンティコア……バルカンを潤んだ瞳で見つめながら、サイラァがいつものようにはぁはぁしている。
いくら配下に収めたって、これだけ傷ついていたら戦力にならないからな。サイラァ的には残念かもしれないが、ここは癒やしてもらわないと。
「リピィ様のご命令とあれば、致し方ありませんね」
渋々ながらも、命術を展開させて傷ついたバルカンを癒やしていく。見る見る失った器官が再生していくのを見ると、改めてサイラァの高い命術の実力を認識させられるな。
「おお、我が体が……も、もしや、御身は黒き聖女殿か……?」
無表情で──もちろん、怪我が癒やされていくのが詰まらないからだ──命術を行使するサイラァに、バルカンが嬉しそうな声を上げる。死にかけていたのに瞬く間に癒やされたのだから、当然と言えば当然だが。
しかし、サイラァが黒き聖女か。まあ、そう言えなくもないな、見た目と命術の実力だけに限れば。あ、奴の性癖もある意味で「黒い」か。
残念な巫女でも黒き聖女でも、どっちでもいいや。
それよりも、リーリラ氏族の集落に戻ろうか。そこでクースの料理を腹一杯食おう。そうだ、俺の配下になったんだから、バルカンにもたらふく食わせてやろう。部下になった以上はしっかりと面倒を見てやるさ。それが《王》になるってことだからな。
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