閑話 帝国の第二皇子



「おはよう、エリザベータ。今日も綺麗だね」

 彼は目の前にいる愛しき存在に、囁くように告げた。

「ああ、ランシールも元気そうだ。毛色もいいし、艶もあるね。」

 そして、先程エリザベータと呼んだ存在の隣に移動すると、そこでも愛の篭った言葉を囁く。

「ははは、そんなに慌てなくてもいいよ、マリアンヌ。でも、君のその美しい歌声をもっと聞かせて欲しいな」

 彼を目にしたからか、先程から美しい歌声を披露していたものに向けて、彼は優しい眼差しを注いだ。

「ブリアント、カトレース、アシモーヌ、アクタガレット、チューベルミント……みんな、相変わらず可愛いね……さあ、みんなで今日も私の心を慰めておくれ。その代わりというわけでもないが、私は君たちに心からの愛情を捧げよう」

 目の前に並んでいる愛しき存在たちに、彼はうっとりとした目を蕩けさせる。

 そんな彼に対し、「彼女」たちはちちちち、すぃーすぃーと様々な音色の歌声を捧げた。

「愛しい君たちと一時とはいえ別れるのはとても辛いが、私はこれから仕事がある。もしかすると、君たちにも一仕事してもらわなくてはならないかもしれない。その時は、必ずまた私の元に無事に帰ってきておくれ」

 そう言って彼──ゴルゴーク帝国第二皇子、ガルバルディ・ゾラン・ゴルゴークは、自室を後にした。

 彼が去って部屋の中に残された、彼が愛して止まない存在たちは、籠の中でどこか寂しそうな声を出し続ける。

 ゴルゴーク帝国の第二皇子にして、帝国を陰から支える密偵たちの支配者。帝国中に張り巡らされた情報網を牛耳る、ゴルゴーク帝国の頭脳とも言うべき人物が心から愛情を注ぐものたちは、小さな籠の中で好き好きに餌をついばんだり、水を飲んだり、毛づくろいをしたりし始めた。

 そう。

 ガルバルディ・ゾラン・ゴルゴークが心から愛して止まないもの。それは彼が飼っている……いや、彼が調教している連絡用の鳥たちであった。




 執務室に入ったガルバルディは、机の上に山積みされている書類を崩す作業に入る。

 これらの書類は、配下の密偵たちが集めて来た帝国中の様々な情報だ。

 とある地方で魔獣が暴れている、とある貴族が必要以上に税を徴収している、とある街道で盗賊が出没する、とある農家で赤子が生まれた……などなど。

 様々な情報が、中には国政に関係ないような情報も含まれるが、ガルバルディはそれらを注意深く目を通していく。

 一見重要そうでなくても、どこで必要な情報となるか分からない。

 目を通した書類は、彼の部下たちが情報の種類や日付によって分別して保管する。必要となった時、いつでも閲覧できるようにだ。

 そうやって書類の山を半分ほど切り崩した時。

 執務室の窓に、一羽の鳥が姿を見せた。

「む? ヒルデバレンではないか。君は兄上やミーモスたちに預けてあったはずだが……兄上たちに何かあったのか?」

 彼がその鳥の名前を呼ぶと、鳥は窓から離れてガルバルディの腕に止まった。そして、鳥の足に付けられた小さな器具の中から、緊急用の手紙を取り出す。

「……撤退だと? 兄上たちが撤退しなければならないような状況に追い込まれたというのか……やはり、リュクドの森は恐るべき魔境ということだな」

 兄であるアーバレンと弟のミルモランス。二人の実力を、ガルバルディはよく知っている。その二人が率いる軍隊が、森に入ってわずか数日で撤退に追い込まれたのだ。驚愕すると同時に、リュクドの森の恐ろしさを改めて実感させられた。

「すぐにこのことを父上にお知らせせねば。済まないが、少し席を外す。ああ、その前に……そこの君、大至急父上に……皇帝陛下にお目通りできるよう手筈を整えてくれ」

 その他にも、ガルバルディは執務室にいた部下たちに細々とした指示を与え、その後に執務室を後にした。

 実の息子であり帝国の密偵の頭領とはいえ、皇帝陛下に公式に謁見するにはそれなりの準備がいる。服装ひとつとっても、仕事用の服装と謁見用の正装では当然ながら違ってくる。

 公務を終えた後の「家族の時間」であればともかく、今は彼も皇帝も公人として活動する時間帯である。それ相応の手続きが必要なのだ。




 部屋の主であるガルバルディが退出した後、残された部下たちは与えられた指示を順調にこなしていく。

 だが、そこは人間。たとえこの場にいる者全てが極めて優秀な者たちであっても、上司の目が届かなくなったことで、僅かではあるが気持ちに緩みが生じてしまうのは仕方がないと言うものだろう。

「相変わらず、ガルバルディ殿下は凄いよな」

「ああ。よく、あれだけいる連絡用の鳥たちの見分けがつくな。俺、どの鳥がどんな名前なのか、全く分からないぞ」

「それに、殿下が調教した連絡鳥たちは、とても優秀だしな。一体、どうやってあそこまで調教できるんだ?

「調教の方法は殿下独自のものらしいぞ。以前、弟君のミルモランス殿下が調教方法を質問しているのを見かけたことがあるが、ガルバルディ殿下はミルモランス殿下にもその方法を教えなかったぐらいだ」

「へえ、あの弟君には優しい殿下がねぇ」

「まあ、いくら優秀な連絡鳥でも、ここに帰って来る途中で外敵に襲われたら、さすがに無事ではすまないけど」

「そこは仕方あるまい。連絡用の鳥は速度を重視するため、それほど大型の鳥ではないからな」

「なあ、知っているか? 連絡鳥が無事に戻って来なかった時、殿下がすごく不機嫌になること」

「ああ、知っている。普段なら軽い注意だけで済むような間違いを、こっぴどく叱られたことがあるし」

「ガルバルディ殿下はかなりの完璧主義者だからな。連絡鳥が戻らなかったことで、情報の集まりが悪くなることが許せないのさ」

「ああ、俺もそう思う。さて、その完璧主義者に怒られないよう、与えられた仕事に集中しますかね」

 気を引き締め直した部下たちは、仕事に意識を向けた。

 彼らは知らない。こうして上司がいない時に囁く話もまた、ひっそりと隠れている密偵たちによってガルバルディの耳に届けられていることを。

 自分の部下の中に、外部の密偵がいないという保証はない。情報の漏洩に対して、ガルバルディは誰よりも重要視しているからだ。




 ゴルゴーク帝国皇帝、アルデバルトス・ゾラン・ゴルゴークと謁見したガルバルディは、兄たちからの連絡を皇帝へと奏上した。

 ミルモランスが用意した地竜の大半をダークエルフによって失ったこと、それによって撤退を判断したこと、森の中に隠れ潜んでいた巨大鋼鉄魔像を、アーバレンが見事に打倒したこと。

 それらの報告を聞いたアルデバルトスは、すぐにガルバルディに指示を与えた。

「巨大魔像をアーバレンが倒したという話を、帝都に暮らす者たちの間に広めよ。『巨大魔像討伐』こそが、リュクドの森遠征の真なる目的であったことも合わせてな」

「御意」

 恭しく頭を下げるガルバルディは、内心で情報操作の方法をあれこれと画策する。

 このような情報操作もまた、密偵たちの仕事である。時には敵対勢力の悪い噂を流すことで、その勢力を刈り取る大義名分とすることさえあるのだ。

「だが、バレンとミーモスは無事のようだな。帝国の皇帝ではなく、一人の父親としてはそのことが一番喜ばしい」

「はい。私も兄上とミーモスが無事と聞いて安堵しております」

「しかし、おまえの連絡鳥は本当に優秀よな。情報をこうも早くやり取りできるのも、おまえが鍛える連絡鳥あってこそだ。ところで、その調教方法は儂にも教えてもらえぬのか?」

「何をおっしゃいますか。前々から私は申し上げているはず。鳥たちに愛情を込めて接するれば、鳥たちもまたそれに応えてくれるのです、と」

「そうやってまたはぐらかすつもりか……そう言えば以前、ミーモスにも同じようなことを言っていたな、おまえは」

「はぐらかすつもりはなく、真実を申し上げているだけです」

 至極真面目な表情のガルバルディに、アルデバルトスはふぅと溜め息を吐いた。

「まあ、よい。おまえのことは信頼している。これからも頼りにさせてもらうぞ」

「お任せください」

 再び頭を下げながら、ガルバルディは内心では首を傾げていた。

 父といい弟といい、どうして自分の言っていることを信じてくれないのか。

 自分はただ、持てる限りの愛情を鳥たちに注いでいるだけなのに。そして、その愛情に鳥たちも応えてくれているのだ。

──それがどうして父上たちには伝わらないのだろうか?

 その疑問を解くことは、優れた頭脳を持つガルバルディにも不可能なことだった。




 ゴルゴーク帝国の裏を統べる密偵たちの頭領、ガルバルディ・ゾラン・ゴルゴーク。

 その彼の鳥たちに対する異常なまでの愛情こそが、もしかすると帝国最大の秘密なのかもしれなかった。


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