閑話 帝国の皇子たち
「やはり、撤退するしかないな」
「そうですね。僕も兄上の意見に賛成です」
リュクドの森の中に設営された、組み立て式の天幕の中で。
二人の男性が沈痛な表情を浮かべていた。
一人はゴルゴーク帝国の第一皇子アーバレン・ゾラン・ゴルゴーク。そしてもう一人は、アーバレンの実弟にして帝国第三皇子であるミルモランス・ゾラン・ゴルゴーク。
二人は簡易式の机の上に置かれた書類を前に、その整った顔を顰めていた。
「……想像以上の被害ですね」
「失った兵の数だけ見れば全体の一割ほどだが、地竜の大半を失ったのはデカい。現状では、昨日までのような速度で森の中を進軍することは不可能だな」
進軍速度の低下は、二人の皇子の当初の予定の全てを覆す事態であった。
特に進軍速度の低下による食料の消費は、二人の皇子の頭を大いに悩ませる問題である。
「俺たちは妖魔じゃないからな。森の中で魔獣を狩って食うわけにもいかねぇ」
太い腕を組んで唸るアーバレン。このリュクドの森に棲息する動物や魔獣は、あまり人間の食料には適さない。きちんとした処理を施すことで食用となるものもあるが、魔獣のほとんどはその肉に大なり小なり毒素を含んでいるため、人間では食べることが難しいのだ。
中には美味や珍味と呼ばれるものも存在するが、その種類は多くはない。
それに、帝国軍が抱える兵力は数多い。その全員の腹を満たすだけの魔獣を狩るとなると、とてもではないが森を切り拓いて進軍することはできなくなるだろう。
「後方から食料を運びこむにも、カーバンの奴が行った先日の無謀な遠征のおかげで、今のレダーンの町にはそれほど多くの備蓄食料がないときた。一般市民から強引に食料を徴発することはできるだろうが、そんなことをすれば住民からの反発は目に見えている」
「それにこのまま無理に森の中を進軍しても、いたずらに兵力を損耗するだけでしょうし。これではたとえダークエルフの集落に到達したとしても、そこを占領するだけの兵力が足りなくなるおそれがあります」
「増援を要請しようにも、レダーンの町やその周辺にはろくに兵力は残っていやがらねえし、帝都から呼び寄せるには時間がかかりすぎる」
「つくづく、カーバン伯爵が恨めしい限りですね」
「ったく、あの無能伯爵め。どこまで俺たちの足を引っ張るつもりなんだか……」
揃って溜め息を吐く、二人の皇子たち。
「つまり、今の俺たちには撤退しか選択肢はねえってわけだ」
「救いは、戦果が全くないわけではないことですね」
「ああ。あのデカブツを倒したんだ。外向きには十分な戦果だろう。それに……おまえの話が本当なら、尚更これ以上この森にいるのは危険だ。連中が炎竜を配下に収めているのならな」
アーバレンは隠すことなく顔を顰める。
「間違いありません。暗かった上に一瞬しか見ることはできませんでしたが、あれは間違いなく炎竜でした。どうしてあの瞬間に炎竜が割り込んできたのかは、僕にも分かりませんが」
あの時。「彼」が──白いゴブリンに転生した「彼」がミルモランスに致命的な一撃を与えようとした時。
突然上空から急降下してきて、「彼」をかっさらって行ったのは、間違いなく炎竜だった。
おそらく、「彼」は何らかの方法で炎竜を支配下に置くことに成功したのだ、とミルモランスは考えていた。「彼」であればそれができても不思議ではないからだ。
まさかその炎竜が、本当はミルモランスを拉致しようとしていたなど、さすがの彼も思いもしない。
「オーガーの上位種にトロルたち。そしてダークエルフに炎竜か。一体、あの白いゴブリンの配下にはどんな化け物たちが集っているのやら」
「……まったくです」
二人の皇子は再び揃って溜め息を吐き、撤退の指示を出すために天幕を後にするのだった。
もっとも、ミルモランスは心の中で「彼」に対する戦意を漲らせていたが。
帝都。
リュクドの森の遠征より帰還した帝国軍は、住民からの歓声を浴びていた。
目抜き通りの両端には、数多くの住民が並んで行進する帝国軍を見物している。
いや、彼らの目的は凱旋した帝国軍ではない。その先頭をいく荷馬車に積まれたモノだろう。
錆び付きつつも何とか原型を留めている巨大な何か。それはもちろん、以前に帝都で暴れた巨大な魔像の頭部だ。
他にも腕や足らしき部分もある。その全てが錆び付き、荷馬車の振動でぼろぼろと崩れつつあるが、その赤茶色の物体が普通のものではないことは誰の目にも明らかだった。
「あの化け物、リュクドの森の中に潜んでいたらしいな」
「ああ、いつかの深夜に帝都で暴れた、あのでっかい怪物だろ? あの怪物の居所を掴んだ皇子様たちが、わざわざリュクドの森まで出向いて退治なさったって話だぜ」
「さすがはアーバレン殿下とミルモランス殿下だ。あんな化け物を退治するなんてよ」
「三人の皇子様たちは、極めて仲がいいらしい。こりゃ、帝国も安泰ってものだよな!」
「全くだ。皇家のお家騒動なんて、俺たちには全く関係ないのにあれこれと問題しか起きないものな。それがないだけでもありがたい限りだぜ」
「ゴルゴーク帝国万歳! アーバレン皇子様万歳!」
「ミルモランス殿下万歳!」
詰めかけた住民たちの熱気は、二人の皇子の勇姿を見ることで更に高まっていく。
今、その皇子たちは軍馬に跨って目抜き通りをゆっくりと歩を進めていた。
笑顔で民衆へ手を振りながら、第一皇子と第三皇子は魔像の残骸を載せた荷馬車の後に続いている。
「なぁ、ミーモス。あの白い変なゴブリン……やっぱり、あいつが《白き鬼神》なのか?」
「おそらくは兄上の言う通りでしょう」
笑顔を崩すことなく、二人の皇子たちは小声で会話する。
周囲に溢れる歓声が二人の会話を掻き消しており、その会話を聞く者は当事者である皇子たち以外には誰もいない。
「妙に戦い慣れたヤツだったな。たとえ進化した上位種とはいえ、とてもゴブリンとは思えないほど巧妙な戦い方をするヤツだ。それに……あの炸裂する魔術、あれは一体何だ?」
「さあ、そこまでは僕にも分かりません」
もちろん、ミルモランスはアーバレンの言う魔術……爆術について熟知している。だが、ここでそれを明かすわけにはいかない。
あの白いゴブリンが、かつては《勇者》と呼ばれた者が転生した姿であり、過去の経験や知識を全て受け継いでいるなどと。
もしもその事実が明らかになれば、少なくない混乱が生じるだろう。そして何より、どうしてそんなことを知っているのかと、自分自身に疑いの目が向けられるに違いない。それに、かつての《勇者》がゴブリンに生まれ変わったなど、誰も信じはしまい。
あの白いゴブリン……かつての《勇者》のことは、自分だけが知っていればいい。あの白いゴブリンは、天啓に告げられた災厄を呼ぶ《白き鬼神》。それだけだ。
そして。
「どちらにしろ、あの白いゴブリンは倒さねばならないでしょう。ですが、今は時期が悪い」
「そうだな。あの白い変なのがリュクドの森に引っ込んでいる以上、こちらからは手の打ちようがない。できることといえばせいぜい、冒険者を森に送り込んで牽制する程度か」
「そうですね。冒険者を統括する互助会の頭目として、そのように指示を出しておきますよ。その他としては、ガルディ兄上の部下たちにがんばってもらいましょうか」
おそらく、「彼」は目指すだろう。かつてのミルモランスがそうだったように。
《魔物の王》。「彼」は間違いなくそこに辿り着くに違いない。
ならば、自分は──ミルモランスは既に決意していた。
(「彼」が《魔物の王》へと至るのであれば、僕は……僕は《勇者》へと至りましょう。かつての「彼」がそうだったように。「彼」にできたことが僕にできないとは思えませんからね)
笑顔で民衆へ手を振りながら、ゴルゴーク帝国の第三皇子は密かに決意を固めた。
第一皇子と第三皇子がリュクドの森へ遠征し、そこに潜んでいた巨大鋼鉄魔像を打倒すという戦果を上げて凱旋したその日から、数日が経過した。
その日、ゴルゴーク帝国とキーリ教団は、共同で正式に一つの布告を出した。
その内容は、大いなる災厄を招く《白き鬼神》が現れたこと。そして、その《白き鬼神》はリュクドの森の中に潜んでいること。更には、その《白き鬼神》が《魔物の王》に至る可能性が高いこと。
そして最後に、帝国の第三皇子であるミルモランス・ゾラン・ゴルゴークを、帝国とキーリ教団は今代の《勇者》として認めたことを明らかにした。
民衆は《魔物の王》に至る可能性を秘めた魔物が現れたことに恐れおののくも、その魔物に対抗しうる《勇者》が現れたことに、大きな希望を見出した。
こうして、ミルモランス・ゾラン・ゴルゴークの名声は、更に高まって帝国中に広まっていくことになる。
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