決意、新たに



「もしも俺が……ただのゴブリンじゃないと言ったら……………………おまえは信じるか?」

 クースに対する問いかけ。いや、正確には単なる弱気になった心情の吐露だったのかもしれない。

 今回の「あいつ」が──これまで以上に強大な権力と盤石な立場を得ている「あいつ」が、恐ろしくなったのかもしれない。

 対して、単なるゴブリンでしかない俺。そんな俺が、どうやって今の「あいつ」に勝てばいいと言うのだろうか。

 正直言って、勝てる気が全くしない。

 そんな弱気に陥った俺は、クースに甘えてしまったのだろうな。

「リピィさんが……ただのゴブリンじゃ……ない……?」

 問われたクースは、きょとんとした顔でそう呟いた。

 まあ、信じられるわけないよな。今の俺はどこからどう見たって、単なるゴブリンだ。確かに進化して上位種になってはいても、ゴブリンであることには変わりない。

「そう……実は俺、かつては《勇者》なんて呼ばれた人間の生まれ変わりなんだぜ?」

 親指で自らを指差しながら、そんなことを言ってみる。

 相変わらず俺は寝台に仰向けに横たわっていて、クースは俺と同じ寝台に腰を下ろし、俺を覗き込むように前屈みになっている。

 傍から見ればちょっと危うい雰囲気かもしれないが、今の俺たちにそんな艶っぽい意識は全くない。

 いや、今の俺にはそんな余裕はないと言った方が正しいか。

 そして、クースは。

 俺を上から覗き込みながら、ふんわりと笑ったのだ。

「リピィさんがかつて本当に《勇者》だったかどうかは、私には分かりませんが……リピィさんがただのゴブリンじゃないことぐらい、私は……いえ、ユクポゥさんもパルゥさんも、オーガーの皆さんやトロルの皆さん、そしてダークエルフの皆さんだって……みんな知っていることですよ?」

「…………………え?」

 今度は俺がきょとんとする番だった。

 クースが何を言っているのか一瞬理解できなくて、まじまじと微笑むクースを見返してしまった。

「だってただのゴブリンが、これほどいろいろな妖魔たちを従えることなんて、できませんよ。それに……初めて出会った時、人間である私を助けてくれたじゃないですか。こんなに優しいゴブリンが……いえ、こんなに優しい『人』が、ただの『人』なわけがないじゃないですか」

 俺を見下ろし、クースは優しく微笑んでいた。




 俺は一体何を弱気になっていたんだ?

 ゴブリンに生まれたから、不利? ゴブリンに生まれたから、「あいつ」に勝つのが難しい?

 それがどうした? 蹴飛ばせ、そんな弱気は。

 今生の俺が不利だってことは、自分がゴブリンだって理解した時から分かっていたはずだ。

 それを今更、俺は何怖じ気づいているんだ?

 俺は俺を見下ろすクースを、改めて見つめ返した。

「クース、頼みがある」

「何ですか?」

 相変わらず優しげな微笑みで俺を見るクース。だが、彼女のその微笑みは俺の一言を聞いた途端、ひっくり返ることになる。

「俺を殴ってくれ」

「はい、それぐらい簡単で…………え、えええええええええええっ!?」

 弾かれるように俺から離れ、あたふたしつつ周囲を見回すクース。いや、何か可愛いな。小動物みたいで。

「言っておくが、どこかの真性とは違うからな? ただ、ちょっと気合いを入れ直したいだけだ」

「き、気合い……ですか?」

「ああ。実を言うと、ちょっとあれこれと悩んでいたんだ。だけど、クースの一言で全部吹っ切れた。詰まらないことで悩んでいた俺自身に、一発気合いを入れ直したくてな」

 俺は寝台から立ち上がると、クースに近づいていく。一方、クースは相変わらずあたふたとしながら俺から逃げていく。

 ちなみに、クースはまだ寝台の上にいるから、端から見ると今もちょっとアレな光景だと思う。

「え、えっと、その……本当に……いいんです……か?」

「おう、もちろんだ。全力でこい」

 どん、と自分の胸を叩く俺。

「じゃ、じゃあ……行きますよ? や、やー!」

 ぎゅっと拳を握り、その拳を俺に向かって繰り出すクース。

 いや、ちょっと待て、クース。拳って何だ、拳って? こういう時って、普通は平手じゃね?

 まあ、拳だろうが平手だろうが、非力なクースならそれほど差はないがな。

 クースが繰り出した拳は、ぺちんという小さな音を立てて俺の頬に当たった。

 うん、やっぱり全然痛くない。でも、気合いは確かに入ったぜ。

「ぅおっし! これで完全に気持ちは切り替えた! クース、悪いがムゥやザックゥたち、主だった連中を集めてくれ」

「は、はぁ……よく分かりませんけど、分かりました」

 首を傾げながらも、寝台から立ち上がるクース。

 立ち上がった彼女は家の出入り口の方へ向かおうとして、突然、びくりとその身体を竦ませた。

「ひ、ひぃやああああああああああああっ!?」

 悲鳴を上げて、俺の背後へと隠れるクース。一体何があったのかとそれまで彼女がいた方へと視線を向ければ、そこ──家の出入り口の所──に、一人のダークエルフがいた。

 なぜか、全裸で正座をしながら。




「一体、そこで何をしているだ? しかも、そんな格好で……?」

「はい、順番待ちをしておりました」

 真顔でそんな返事をしたのは、もちろんサイラァだ。

 まあ、全裸で正座待機なんておかしな行動をするのは、この集落の中でもこいつぐらいだし。

 背筋を伸ばした、ある意味で美しい正座姿のサイラァ。もちろん、何も身に着けていない全裸だから、彼女の小さめの胸は全部まる見えだ。

 しかし、こいつはいつからここにいたんだ? 全く気づかなかったぞ。

 いや、問題はそこじゃない。もちろん、全裸でこっそりと人の家の中に忍び込むのも問題だけどさ。

「順番って、一体何の順番だよっ!?」

「もちろん、リピィ様に抱かれる順番です」

 にっこりと微笑むサイラァ。その笑みはまるで女神の如く慈愛に溢れて、温かな視線を俺ではなくクースへと向けていた。

「戦の後、雄は昂ぶる気持ちを鎮めるために雌を求めると聞きます。リピィ様が自分の家にクースを連れ込んだのは、それが目的であろうと察しまして」

 いや待て。確かに戦いの後に気持ちが昂ぶることはあるが、今はそんなことが目的じゃないぞ。ほらほら、クースもこの真性の言うことを真に受けて、顔を真っ赤にするんじゃありません。

「もちろん、私はクースの後で結構です。でも、恥ずかしながら実は私、今まで男性とそういう経験をしたことがありませんので、参考までに見学させていただこうかと思いまして」

 サイラァも真顔でそんなことを言うな! クースが更に真っ赤になっただろ!

 クースもクースで、自分の身体とサイラァを何度も見比べるんじゃありません! ほら、服に手をかけて脱ごうかどうしようかと迷わない! そんなことしていると、本当に抱いちゃうからな?

「うふふふ……遂に……遂に、リピィ様が手荒に私を凌辱する日が……ああ、きっと鬼畜なリピィ様は、嫌がる私を無理矢理床に押さえつけて……その凶暴な雄の印で、私の純潔を……その後はきっと、私とクースの二人を一緒に────」

 勝手な脳内妄想劇場で、俺にあんなことやこんなことをされているっぽいサイラァは、頬を紅潮させてはぁはぁしている。自分はともかく、クースまで巻き込むのはどうかと思うぞ?

 ここしばらく、色々なことがあってあまりこの真性に構っていなかったから、こいつなりにいろいろと溜め込んでいたのかもしれない。

 でも、あまりこの真性を構いたくないしなぁ……。

 はぁ。さっきまでの真剣な空気はどこ行った? 折角注入した気合いが霧散しちゃったよ、まったく。

「……そして、散々私を凌辱したリピィ様は、私をオーガーやトロルたちに下げ渡し、連中に好きなように弄ばれた私は……うふふふふふふふふふふふふ」

 よし、見なかったことにしよう。そうしよう。




 一人で身悶えているサイラァを視界に入れないようにしながら、俺は家の外に出た。

 サイラァの奴を家の中に残しておくのはアレだから、外に蹴り出しても良かったんだけど……あの真性のことだから、たとえ裸のまま外に蹴り出されようがただ喜ぶだけだろうし。あいつは放置こそが正しい扱い方だと思う。

 先行して家を出たクースが、今頃この集落の主だった者たちを集めてくれているはずだ。

 そう思いながら集落の中心にある広場へと向かえば、やはり連中は集まっていた。

 黒馬鹿三兄弟に、トロルの頭目であるザックゥ。リーリラ氏族を代表して、ゴーガ戦士長。ギーンの姿がないのは、今頃あの腐竜と一緒だからだろうか。

 その他には、俺の兄弟たちであるユクポゥとパルゥ、そして、ジョーカーに隊長。もちろん、クースの姿もある。

 なお、グルス族長は相変わらず広場の片隅で膝を抱えていた。どうやら、まだ立ち直っていないようだ。

 グルス族長に生暖かい視線を向けてから、俺は改めて集まった一同を見る。

 彼らは、興味深そうに俺を見ている。若干、恨めしそうな印象を受けるのは、クースの料理を今日一日禁止したからだろう。

 自業自得だからな? 今回は諦めろ。

 さて。そんなことよりも、だ。

 俺は仲間たちに、今後の方針を伝えるつもりだ。

 俺が改めて目指すと決意した道。その道をゆくためには、足りないものがいくつもある。それらを揃えつつ、俺はとあるものを目指すことに決めたのだ。

 それを、今から仲間たちに伝えようと思う。

「みんな、よく聞いてくれ。改めて、俺はここに宣言する──」

 先程までとは一転し、とても真剣な表情で俺を見ている仲間たち。どうやら、俺の発言が重要だということを理解したのだろう。

 そんな彼らをもう一度見回してから、俺は堂々と告げた。

「──《魔物の王》。俺は、《魔物の王》を目指す」



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