重傷者約一名



 夜が明けた。

 リュクドの森へと侵攻してきた帝国軍は、夜明けと同時に撤退の準備を始めたようだ。

 地竜の半数以上を失ったことによって、森を切り拓いて進軍することは事実上不可能になった。このまま強引にリーリラ氏族の集落まで進むことはできるだろうが、集落に到達する頃には戦力を大きく損なっていることだろう。

 それは、以前に攻めて来た連中と同じ末路を意味する。

 そもそも、リーリラの集落を占領するには、それ相応の兵数が必要だ。このまま進軍すれば、集落占領に必要な兵数さえ割り込む可能性がある。それではたとえ集落に到達したとしても、意味はないだろう。

 帝国軍の指揮官がどのような判断を下したか、俺には分からない。だが、帝国の第一皇子は決して愚かじゃなさそうだった。それに、向こうには「あいつ」がいる。

 帝国軍が撤退の時機を見誤ることはないだろう。

 それに、帝国軍にしても全く戦果がなかったわけではない。

 帝都の城壁を破壊し、どこへともなく姿を消していた巨大鋼鉄魔像。その魔像を見事に打倒しているのだ。この戦果だけでも帝国軍は十分帝都に「凱旋」できるだろう。

 帝国軍の当初の戦略目標はリーリラ氏族の集落の占領であり、それを達することはできなかった。だが、巨大魔像打倒こそが今回の帝国軍派兵の目的であり、そのためにリュクドの森に攻め入ったとでも公表すればいいだけのことだ。

 一般の臣民など今回の派兵の詳細を知らない者たちは、歓声で以って凱旋した帝国軍を迎え入れるに違いない。




 さて、俺たちの被害はと言うと。

 まず、数人のダークエルフが負傷した。これらの傷は、既にサイラァが治療済み。もちろん、はぁはぁ言いながら治療していた。相変わらずな奴である。

 それ以外には、屍人魔像フレッシュゴーレムを全て失った。帝国軍に紛れ込ませていた数体の屍人魔像は、とある理由で捨て駒にするしかなかった。どうしてもそうする必要があったのだ。

 そして、錆の山となって崩れ去った巨大鋼鉄魔像。それに合わせて、重傷者が一人。それがこちら側の被害の全てだ。

 もちろん、その重傷者とはグルス族長である。とは言っても、何も肉体的に怪我を負ったわけではない。

「──────」

 リーリラ氏族の集落中央の広場、その片隅でグルス族長は膝を抱えて虚ろな目をしている。その理由は今更説明するまでもないだろう。

 巨大鋼鉄魔像がラスト・ソードの魔力で錆と化した時、グルス族長は魔像の頭部にいた。

 当然錆となって崩れた際にそこから転落したのだが、そこは身軽なダークエルフである。無意識でもしっかりと受け身を取り、怪我らしい怪我はなかった。

 だが、無敵と信じていた巨大魔像を一瞬で失ったことは、族長の心に大きな傷を与えていた。今もまだその傷は全く癒えることはなく、廃人同様なのである。

 なお、呆然とするグルス族長を強引に集落まで引っ張って来たのは、地竜を始末した後も森の中に潜んでいたゴーガ戦士長である。どうやら彼は、部下が集落へと撤退した後も、父親であり族長でもあるグルスのことを心配してあの場に留まっていたそうなのだ。

 まあ、今回はそれが幸いしたな。

 巨大魔像を倒し、士気を高める帝国軍。その真っ只中にグルス族長は取り残されかけた。ゴーガ戦士長はグルス族長へと迫る帝国軍の前に飛び出し、決死の思いでグルス族長を助け出した。

 そうなんだ。その際、彼らを救うために帝国軍に潜り込ませておいた屍人魔像を使って、二人の撤退を支援したというわけだ。

 その結果、族長と戦士長は無事にリーリラの集落へと帰還することができた。まあ、屍人魔像は失ったが、族長と戦士長を救うための対価としてなら安いぐらいだろう。

 もっとも、族長は広場の片隅で呆然としたまま、今もまだ回復の兆しを見せていないのだが。




「帝国の連中、やっぱり撤退するみたいだね」

 鳥型の使い魔の目を通して帝国軍を監視していたジョーカーが、眼球のない眼窩をこちらに向けながらそう言った。

 ジョーカーが言うには、野営の後片付けをした帝国軍は、隊列を組みながら後退していったらしい。やはり、帝国軍の指揮官は撤退を選んだか。まあ、正しい判断と言えるだろう。

 そういや、ジョーカーの奴は平然としているよな。最高傑作とか言っていたクロガネノシロがあっさりと破壊されたっていうのに。

 そのことを訊ねてみれば、ジョーカーの奴はあっさりと断言しやがった。

「確かにクロガネノシロは僕の最高傑作だったよ。でも、無敵じゃない。実際、こうして倒されたわけだしね。まあ、あんな魔剣があったなんて、想像もしていなかったけど。いや、あの魔剣は反則でしょ?」

 奴の言う通りだ。あの魔剣……ラスト・ソードはある意味で反則だ。以前、俺が持っていた時も実に反則級の威力を発揮してくれたものだ。

 特に重武装の敵が一瞬で丸裸になった時、その敵の驚きようとマヌケ面って言ったら……今思い出しても笑えてくる。

 まあ、そのマヌケ面をたった今も、どこかの族長が晒し続けているわけだが。




「リピィ殿……何とかならないか?」

 俺にそう言ったのは、ゴーガ戦士長だ。彼の視線は広場の片隅で膝を抱えているグルス族長へと向けられていた。確かに、いつまでもああされていても鬱陶しいだけだしな。

「ジョーカー。あの巨大魔像、もう一度作ることはできるか?」

「もちろん、不可能じゃないよ? でも、あれをもう一度作るには、材料となる鋼鉄と制作時間……どちらも相当な量が必要だけどね」

 当然と言えば当然だ。ジョーカーが以前帝都に潜伏していたのも、材料となる鋼鉄が入手しやすかったからだそうだ。

 材料の入手だけを考えれば、どこかの鉱山町とかの方が好都合なのだが、それだと潜伏する場所が限られてしまう。俺などは廃坑となった鉱山などに潜伏すればいいじゃないかと思うのだが、そんな場所ではあれだけ巨大な魔像は作れないそうだ。まあ、そう言われてみればその通りだ。

 帝都は首都だけあって鋼鉄なども十分な流通があるし、帝都の地下には広大な地下水道施設などがあり、魔像を作るのに十分な空間も所々にあるそうなのだ。中には昔の遺跡のような場所まであると言う。

 だから潜伏場所と材料の入手、どちらの条件も満たす帝都に潜伏したというのがジョーカーの言である。

 その帝都でも、クロガネノシロを完成させるのに四十年以上かかったらしい。鋼鉄を入手する方法がほとんどないこのリュクドの森では、あの魔像をもう一度作るのにどれだけの時間が必要となるか。ジョーカーでも想像できないとのことだ。

「でもまあ、何か考えてみるよ。さすがにこの集落の族長を、いつまでもあんな姿にしておくわけにはいかないからね」

 虚ろな眼窩をグルス族長に向けながら、ジョーカーは骨しかない頭部をゆっくりと掻いた。




 何はともあれ、今日は休養だ。もちろん帝国軍の動向から目は離せないが、そこはジョーカーの使い魔や、ダークエルフたちが見張ってくれている。

 戦闘を行なった俺や兄弟たち、そして三馬鹿やトロルたちは、今日一日休むように言っておいた。

 休養を言い渡された連中は、早速クースに何か料理を作れと迫っていたが……俺の命令を無視した罰として、今日一日クースの料理は食わせないと宣言した。

 その際のオーガーやトロル、ユクポゥやパルゥたちの顔と言ったら、この世の終わりでも来たかのようだった。最早それほど重要になったのか。連中にとってクースの料理は。

「……本当にいいんですか?」

「いいんだよ。撤退命令を無視した当然の罰だ。これに懲りたら、二度と命令を無視しなくなるだろうしな」

 俺に与えられている家の中に入りながら、クースはしきりに家の外を気にしていた。

 現在、三馬鹿や兄弟たち、そしてトロルたちが、恨めしそうな顔で俺の家の前に陣取っている。優しいクースからしてみれば、何とかしてやりたいところなのだろう。

「ここで甘い対応をすると、今後も同じことをするからな。戒める時はきっちりと戒める。そして、何か手柄を立てた時はしっかりと報いる。それが他人を使うってことさ」

「……そういうものですか」

 首をかしげながら、俺の後ろをついて来るクース。俺は家の中にある寝台に、飛び乗るようにして横たわった。

 さすがに俺も疲れている。それに……帝国に「あいつ」がいると分かった以上、今後のことを考える必要もあるからな。

 銀髪の少女のごとき容貌をした、帝国の第三皇子。そして、当代の《勇者》としても認められつつあるという人物。それが今の「あいつ」だ。

 寝台の上に横たわり、両腕を頭の下で組む。そうしながら、俺は「あいつ」のことを考えた。

 今後、「あいつ」はどう動くだろうか。そして、俺はどう動けばいいのか。

 地位も名声もある「あいつ」に対して、ゴブリンでしかない俺はどうやって奴に挑めばいいのか。

 じっと天井を睨み付けながら、俺はそのことばかりを考える。

「…………何か……ありました?」

 そんな俺を、心配そうなクースが覗き込む。

 天井を見ていた俺の視界に、突然クースの顔が割り込んで来た形だ。

「……どうしてそう思う?」

「何となくですけど……夕べのリピィさんと今日のリピィさん……いえ、戦いに行く前のリピィさんと今のリピィさんは、まるで違った雰囲気を纏っているようで……」


 うーん、なかなか鋭いな、クースは。

 これは後から気づいたことなのだが、この時の俺はちょっと気弱になっていたのだと思う。

 遂に再会した「あいつ」。だが、今の「あいつ」と俺の間には、大きな溝が広がっている。そのことを実感させられた俺は、心のどこかで弱気になっていたのだろう。

 だから。

 だから、俺は思わずこんなことをクースに言ってしまった。

 いつも優しい彼女に、俺は心のどこかで甘えていたのかもしれない。




「なあ…………クース」

「何ですか、リピィさん?」

「もしも俺が……ただのゴブリンじゃないと言ったら……………………おまえは信じるか?」


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