ラストソード



 上空より急降下して来たのは、真紅の鱗を持つ巨大な竜だった。

 うん。つまり、ハライソだ。

 どうしてこの場に、突然この腐竜が現れたのかと言えば──

「うひょひょひょひょ! 美少年じゃ! 美少年じゃ! こんな所にとんでもない美少年がおったぞよ!」

 ……うん、まあ、なんだ。

 全部、理解したよ。………………………………はぁ。

 どうやらこの腐竜、美少年の気配を察知して文字通り飛んで来たらしい。こいつ、どれだけ優れた美少年感知能力を持っていやがるのやら。

 実際、「美少年感知」なんて能力はないのだろうが、こいつの場合本当に持っていそうだから恐い。

 それはともかく、今の俺の状況を説明すると……竜形態になったハライソの牙が俺の鎧の一部に引っかかり、ぷらぷらした状態で夜空の散歩中。

 急降下してきたハライソの奴は、俺を牙で引っかけた後、再び空高く舞い上がったのだ。そのため、「あいつ」との対決を強制的に止めさせられた俺は、ぷらぷらしながら空を飛んでいるのである。

 と、俺の頭の上にある、ハライソの巨大な眼がぎょろりと俺へと向けられた。

「む? むむむむむ? な、なぜじゃっ!? なぜ貴様が……小鬼がそこにおるのじゃっ!? わ、妾の……妾の美少年はどうしたのじゃっ!?」

 こいつ、「あいつ」をお持ち帰りするつもりで急降下してきやがったのか。本来なら「あいつ」がこうしてぷらぷらしていたはずが、ちょっとした手違いで俺の方を引っかけてしまった、と。

 どうでもいいが、俺を牙にひっかけた状態で口を動かすな。今にも牙が外れておっこちそうだから。

「リピィっ!! こっちまで来られるかっ!?」

 横合いから聞こえた声に振り向けば、ハライソの首の付け根辺りにギーンがいた。おそらく、強引に一緒に連れて来られたのだろう。

 気術で手足の力を強化し、上手いこと牙から鎧を外して、鱗や棘などを手がかり足がかりにしてなんとかハライソの体をよじ登る。

 その際、何度もおっこちそうになってひやりとしたのは俺だけの秘密だ。

 最後はギーンの腕に掴まり、ようやくギーンの傍まで到達する。ふう、ここまでくればもう大丈夫だろう。

「助かったぜ、ギーン」

「…………おまえの役に立てて良かったよ」

 俺から視線を逸らしながら、ぼそっとギーンが呟いた。相変わらず、ハライソの都合で連れ回されているんだな。ここに来たのも、俺たちの手助けのためってわけじゃないだろうし。

 まあ、結果的に助かったのだから、良しとしよう。

 気分を入れ替えた俺は、改めて上空から地上を見下ろす。どうやら、ザックゥとムゥたちは無事に撤退できたらしい。

 連中が戦っていた地点では、帝国の兵士たちが負傷者を手当てしたり、死亡者の遺体を回収したりしている。一部はムゥたちがお持ち帰りしたようだが、それでもかなりの数の遺体がその場に残されており、兵士たちはその後始末に忙しそうだ。

 そして、どんどんと近づいてくる重々しい足音。すでに帝国軍からもその巨大な姿が見えているのだろう。

「グルス族長が来たようだな」

「爺さん、最近はすっかり好戦的になって……」

 どこか嘆くようなギーンの一言。ある意味、グルス族長がああなったのは俺の責任みたいなところがあるからなぁ。

 済まん、ギーン。一応、心の中でだけ謝っておく。




 ハライソの奴は、「あいつ」を手に入れることができなくて今もぶちぶち文句を言っている。だが、再び「あいつ」を掻っ攫おうとはしなかった。

 っていうか、既に「あいつ」がどこに行ったのか分からなくなったのだ。

 「あいつ」もハライソの姿は見ただろう。こちらに腐……じゃなかった炎竜という究極の怪物がいると分かった以上、すぐさまリュクドの森から撤退するつもりではないだろうか。

 常に冷静な「あいつ」なら、そんな決断をしそうだ。いや、間違いなくそう決断するだろう。

 となると、帝国軍にとっての脅威は迫る足音……つまりは巨大魔像だ。

 かなり上空を飛んでいるハライソの姿は、夜目の利かない人間には視認しづらいだろう。確かにこの腐竜も帝国軍にとっては脅威だろうが、こいつが連中の目に触れたのはほんの一瞬。であれば、帝国軍にとっては現在接近中の巨大魔像の方が遥かに脅威だろう。

 実際、一部の兵士たちが隊列を組みつつある。どうやら、迫る巨大魔像を迎え撃つつもりのようだ。

 その先頭に立つのは、豪奢な装飾を施された鎧を纏った、大柄な男。俺にはそれが誰だかすぐに分かった。

 アーバレン・ゾラン・ゴルゴーク。ゴルゴーク帝国の第一皇子にして皇太子。

 そして、奴が腰に佩いている魔剣。あの魔剣は銘を「ラスト・ソード」といい、かつての俺が所持していた魔剣だ。

 つまり、俺はあの魔剣について詳しく知っている。

「ギーン! すぐにグルス族長に連絡して、クロガネノシロを撤退させろ!」

 このままでは、あの巨大魔像は間違いなく破壊される。その力があの魔剣にはあるのだ。

「どうしたんだ、リピィ? 爺さん……グルス族長ならあの魔像の傍にいると思うが……」

 そうだった。ついいつもの要領で言ってしまったが、今、傍にいるのはジョーカーではなくギーンなのだった。

 あいつなら……ジョーカーなら、何だかんだ言いつつも俺の要望に応えてくれるのだが、奴はここにいない。つまり、この場からグルス族長に連絡する手段はないのだ。

「おい、ハライソ! 大至急グルス族長の下に行ってくれ!」

「なぜ、妾が貴様のような小鬼の言葉に従わねばならぬ? 妾は先程見た美少年を探し続けるのじゃ!」

「あいつならもうどこかに逃げている! 探すだけ無駄だ!」

「嫌じゃ、嫌じゃ! 妾は美少年を探すのじゃ!」

 あー、駄目だ。やっぱりこの腐竜、俺の言葉なんて聞きやがらねえ。

 さすがの俺でも、この高さから飛び降りるのは無理だ。当然、ここからでは声も届かない。

 いや、声を届かせる方法ならあるじゃないか。俺はそのことを思い出し、どんどん近づいてくる巨大魔像へと視線を向けた。




 夜のリュクドの森の中、重々しい音が響き渡っている。

 その音の原因は、巨大な魔像。全身が鋼鉄でできた巨人が、その巨体を軋ませながら歩いているのだ。

 その巨大魔像──クロガネノシロの頭部には、一人のダークエルフ。

「ははは! リュクドの森を侵す人間どもを、一人残らず蹴散らしてくれよう!」

 そう高笑いするのは、もちろんグルス族長だ。

 気術で視力を強化した俺は、その姿を確かに確認した。族長の姿さえ確認できれば、今の俺……ハイゴブリン・ウォーロックである俺なら、ここからでも族長に声を届かせることができる。

 俺は風術を操り、自分の声を減衰させることなく遠く離れたグルス族長へ、正確にはグルス族長だけに届けさせた。

「グルス族長! すぐに下がれ! 帝国軍には、巨大魔像を倒す秘策がある!」

「その声はリピィ殿か? なにを言う。我がクロガネノシロを倒すだと? そんなことは不可能だよ!」

「俺の話を信じろ! 詳しいことを説明している暇はないんだ!」

 見れば、帝国の第一皇子が単身で巨大魔像へと歩み寄っている。もちろん、その手にあるのはラスト・ソード。巨大魔像にとって、天敵とも言うべき力を秘めた魔剣だ。

「いいから下がれ、族長っ!! 巨大魔像を失ってもいいのかっ!?」

「我がクロガネノシロは無敵だよ、リピィ殿! それを今、改めて証明してみせよう!」

 あーもー、どいつもこいつも俺の話を聞きやがらねえ! もう俺は知らないからな!

 内心でグルス族長を罵りつつ、俺は見た。

 ごく自然体で巨大魔像へと歩み寄る第一皇子の姿を。

 その姿に無駄な力みなどは一切ない。巨大魔像を恐れるわけでもなく、まるで森の中を散歩でもしているかのように、気軽な様子でクロガネノシロへと近づいていく。

 ようやくグルス族長も、魔像の足元に無造作に近づくアーバレンの存在に気づいたようだ。

「ふ、人間がたった一人で何をするつもりだ?」

 魔像の頭部より、族長のあざけりの言葉──ご丁寧にゴルゴーグ公用語だ──が降る。そして、それを聞いたアーバレンはにやりと不敵な笑みを浮かべた。

「当然、このデカブツを始末するのさ」

 手にした魔剣をグルス族長に見せつけるように、高々とかざすアーバレン。そしてかざした魔剣を両手で保持し、上段に構えた。

「そのような剣で我がクロガネノシロを始末するだと? 片腹痛い! 踏み潰せ、クロガネノシロ!」

 族長の命令に従い、巨大魔像が片足を持ち上げる。同時に土くれや土煙が舞い上がり、アーバレンの姿を覆い隠す。

 だが、強化された俺の視力は、土煙の中を一気に魔像へと近づく人影を捉えていた。

 その人影は振り下ろされた魔像の足を難なく回避し、軸足となっていた方の足へと近づいた。そして、手にしていたラスト・ソードで魔像のその軸足に軽く触れる。

 そう、軽く触れただけだ。

 裂帛の気合いと共に剣を振り下ろしたわけでもなければ、鋭い踏み込みと共に剣を振り抜いたわけでもない。

 本当にただ、かちんという軽い音と共に魔像の足に触れただけ。だが、その直後にクロガネノシロに変化が現れた。

 アーバレンの剣が触れた箇所から、魔像の色が見る見る変わっていったのだ。

 クロガネノシロという名前の通り、巨大魔像の色は光沢のある鉄色。その鉄色が、徐々に赤茶色に汚染されていく。

「な、何だっ!? 何が起きているっ!? どうして我がクロガネノシロが急に動かなく……っ!?」

 頭上にいるグルス族長は、魔像に起きた変化が理解できていない。当然だ。これは魔剣の力を知らない者には到底すぐ理解できないだろう。

 魔像の表面を侵していく赤茶色。その正体は錆だ。

 ラスト・ソードとは、すなわち「錆の魔剣」。

 どんな金属でも瞬く間に錆つかせる能力を持つ魔剣なのだ。

 その反面生物には一切効果がなく、毛ほどの傷もつけることはできない。

 だが、重武装の騎士や戦士にとって、この剣は死神にも等しいと言えるだろう。

 戦場のど真ん中で己を守る鎧や剣が、突然錆の山になって崩れ落ちたら? その恐怖は容易に想像できると思う。

 もちろん、一振りの魔剣に戦局を左右するような効果はない。だが、今回はその効果は重大と言える。なんせ目の前に迫った文字通りの大いなる脅威が、瞬く間に錆の山に変わり果てたのだから。

 帝国軍の兵士たちから大歓声が沸き上がったのは、巨大魔像の全身が錆に覆われ、ぼろぼろと崩れ始めた時だった。


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