斬り結ぶ剣と剣



 僕がその場に到着した時、バレン兄上が一体の妖魔と戦っていました。

 兄上の戦士としての実力は、僕もよく知っています。今の帝国で兄上と互角以上の戦士となれば、父上を始めとして数人しかいないでしょう。

 つまり、バレン兄上は帝国で最強の一角なのです。

 そのバレン兄上が。

 一瞬の隙を突かれ、妖魔に懐に飛び込まれました。

 その光景を垣間見た時、僕の心の奥底で何かがぶるりと震えます。

 あ、あれは……今、バレン兄上の体勢を崩すために兄上の間近で炸裂したあれは……爆術に違いありません。

 爆術。それはこの世界でただ一人しか使い手のいない魔術。そして、僕は爆術の使い手をこの世界の誰よりもよく知っています。

 兄上の懐に飛び込んだ妖魔──白い肌をしたゴブリンらしきその妖魔。間違いなく、先程の爆術の使い手はあの白いゴブリンです。

 つまり。

 あの白いゴブリンの正体は────。

 無意識の内に、僕の足は速まりました。兄上の足元から、伸び上がるようにして剣を繰り出す白いゴブリン。

 僕は走りながら剣を抜き、ゴブリンが手にしている剣の切っ先が兄上の喉を貫く直前、手にした剣を何とか兄上の喉とゴブリンの剣の間に滑り込ませることに成功しました。

 がつん、という重い手ごたえを感じつつ、僕は至近距離で白いゴブリンと睨み合います。

 神託にあった《白き鬼神》。それは間違いなくこのゴブリンのことでしょう。なぜなら、僕はこのゴブリンが理解したのですから。




 俺の剣を受け止めたのは、銀の髪をした少女といってもいいような容貌の少年だった。

 そして、俺はその少年の正体をすぐに悟った。

 ゴルゴーク帝国の第三皇子にして、冒険者たちを統括する互助会の頭目。

 だが、それは所詮今の時代における身分に過ぎない。

 この少年の本質は、もっと別のものだ。

 ああ、そうだ。俺はそれを誰よりもよく知っている。

 俺は目の前の銀髪の少年が、誰よりもよく知っているのだ。

 知らず、俺の口元が笑みの形に歪み、牙を剥き出しにさせた。

「こんな所にいやがったのか」

 思わず零れ出る呟き。ああ、そうだ。俺は『こいつ』とこうして出会うことを待ち望んでいたんだ。

「今回は随分とご立派な立場じゃねえか?」

「そういう『君』は、随分と愉快そうな立場ですね?」

 対して、銀髪の少年もまた楽し気に口元を歪めていた。

 ぎりぎりと手にした剣に力を籠めつつ、俺はふとその力を抜いて一気に「あいつ」から距離を取った。

 一瞬だけ前につんのめるも、すぐに体勢を整える「あいつ」。当然だな。これぐらいで決定的な隙を作る奴じゃない。

 そんな「あいつ」の様子を見ながら、俺は心の奥底からふつふつと沸き立つものがあることを感じていた。

 さあ、待ちに待った再会だ。心ゆくまで楽しもうじゃないか。




 距離を取り、剣を構える白いゴブリン。

 ああ、ようやく会えました。「彼」とこうして再会するために、僕はこれまでいろいろと努力してきたのです。

 とはいえ、ここで「僕」として「彼」と戦うわけにはいきません。周囲にはバレン兄上を始めとした、帝国の兵士や傭兵たちがいるのですから。

 それに、どすんどすんという重々しい物音も。どうやら例の巨大魔像がかなり近づいてきたようです。

「ここは僕に任せて、兄上には近づいてくるモノのお相手をお願いしたいのですが」

 僕は振り返ることなく、背後にいる兄上にそう言いました。

「……任せても大丈夫なんだろうな?」

 兄上の訝し気な視線を背中に感じます。先程「彼」と交わした短い言葉のやり取りは、すぐ後ろにいた兄上にも聞こえていたでしょう。ですが、その内容までは理解できなかったはずです。

 僕と「彼」が先程交わした短い会話は、交易語ではなく古神語と呼ばれる言語を用いたもの。

 ガルディ兄上ならともかく、バレン兄上はこの古神語がかなり苦手ですから、僕たちの会話の内容までは理解できないはずです。

「大丈夫です。それから、兵士たちがいくらいてもその白いゴブリンには敵わないでしょう。彼らも連れて行ってください」

「そうはいかねえな。おまえにもしものことがあれば、親父やガルディに顔向けできねえ」

 どうやら、聞き入れてくれそうもありませんね。当然と言えば当然ですか。

「では、僕の命令があるまで兵士たちには手出しさせないでください。無駄に彼らの命を散らせることもないでしょう?」

「……分かった」

 思いのほか、兄上は簡単に折れてくれました。短い間とはいえ、「彼」と剣を交えた兄上は「彼」の実力を理解したのでしょう。

 並の兵士が「彼」に敵うはずもなく、兄上とて無駄に兵士を損耗させるつもりはないのですから。

「じゃあ、俺は近づいてくるデカブツを始末しに行ってくるぜ」

「はい、お願いします」

 もともと、巨大魔像に対する切り札を有しているのはバレン兄上です。その兄上が巨大魔像へと向かうのは、当初の予定通りと言えます。

 踵を返した兄上が、足早にこの場から去っていきました。

 さて、これで心置きなく「彼」との再会を楽しめるというものです。




「用事は済んだか?」

「はい、お待たせしました」

 再び古神語で会話をする俺と「あいつ」。

 別に他意があって古神語を用いているわけじゃない。俺たちが出会い戦いを繰り広げてきた過去には、現代で使われている交易語なんてなかったんだ。

 当時、日常的に使われていた言語こそが、現代では古神語と呼ばれているものであり、俺と「あいつ」との会話は、昔からこの言葉を使ってきたものだ。そのためか、俺たちの会話はこの古神語で行われるのが癖みたいになっているってわけだ。

「しかし、まさかおまえが人間に生まれ変わり、皇子なんて立場にいるとはな。道理でいくら探しても、魔物たちの中におまえの影が見えなかったはずだぜ」

「僕も同じ思いですよ。てっきり、今世でも君は人間に生まれ変わるものだとばかり思っていましたからね」

 奴の言葉が終わると同時に、俺たちは地を蹴った。

 ぎぃん、という耳障りな金属音と共に、俺とあいつの剣が打ち合される。

 剣と剣が絡み合い、俺と「あいつ」の顔が吐息を感じられるほどまで近づく。

 同時に、俺たちは笑い合う。楽しくて仕方がない、といった感じで。

 ああ、間違いない。このひりひりと首筋が焼けるような感覚。これまでに何度も味わってきたこの感じ。目の前にいる少年が「あいつ」であることを俺は改めて実感した。




 ああ、この感覚。これこそ、僕がずっと待ち望んでいたものです。

 首の後ろがぴりぴりと刺すような痛みを訴え続けていますが、この感覚こそが「彼」と対峙した時独特のもの。

 言ってみればこの感覚こそが、目の前の白いゴブリンが「彼」であることの動かしようのない証でもあります。

 おそらく、「彼」もまた僕が「僕」であることを実感していることでしょう。

 さあ、六十年振りの再会です。心ゆくまで楽しむとしましょうか。

 僕は手にしている愛剣に更に力を込め、「彼」を押し潰すかのように圧をかけていきます。

 今生の「彼」は、とても小柄です。僕とは頭一つ以上も身長差があるため、この体勢は極めて僕に有利。

 もちろん、「彼」とてこの体勢を続けようなんて思うはずもなく、何とか逃れようとするはずです。そして、その時に僅かとはいえ隙が生じるでしょう。

 その瞬間を油断なく待ち望みながら、僕はさらに腕に力を込めました。




 ちくしょう。

 今の俺は体格が良いとはどうしても言えない。そのため、こうして身体同士を密着させると、極めて不利になってしまう。

 もちろん、気術によって筋力は増しているのだが、それは向こうも同じこと。人間に転生した今生の「あいつ」は、どうやら気術を使いこなせるようだ。

 であれば、俺は今の俺としての力を発揮するまでだ。

 「あいつ」の足元、体重をかけている方の足の下の地面を、拳一つほど陥没させる。

 ハイゴブリン・ウォーロックである今の俺なら、その程度の地術を使うのは造作もない。

 突然足元の地面が陥没したことで、「あいつ」の体勢が僅かに崩れる。その隙をついて俺は奴から離れることに成功する。そして、追い打ちとばかりに十個ばかりの《炎弾》を作り出し、すぐさま奴へと叩き込む。

 降り注ぐ炎の雨を、奴はやや崩れた体勢ながらも全て凌いだ。

 手にした剣──気術で強化してあるらしい──で、迫る《炎弾》を斬り伏せ、身体を無理矢理捻って躱す。

 まあ、あんな小手調べのような魔術で「あいつ」を倒せるとは、俺も思っていない。

 だが、これならどうだ?

 俺は自分の周囲に無数の魔術の弾丸……それも炎、氷、水、石、風など、あらゆる属性の弾丸を生み出し、その全てを一気に奴へと解き放った。

 あらゆる属性の魔術を操るのは、これまでの俺にはなかった能力だ。なんせ、今までの俺は気術と爆術以外の魔術は苦手だったからな。

 だが、今生の俺は違う。ハイゴブリン・ウォーロックへと進化した俺は、様々な魔術を使いこなすことができるのだ。

 さあ、この様々な属性の一斉攻撃、いくら奴でもそう簡単には防げまい?




 「彼」の周囲に、様々な属性の魔力弾が浮かび上がります。

 どうやら今生の「彼」は、魔術を使うことに特化した種族のようですね。

 おそらく、今の彼はハイゴブリンの亜種……そして、そのハイゴブリンの更なる上位種、ハイゴブリン・ウォーロックなのでしょう。

 これまで何度も〈魔物の王〉として君臨してきた僕でさえ、知識として存在こそ知っていたものの、実際には初めて目にするほど稀有な妖魔です。

 そして何より、「彼」の周囲に浮かぶ無数の魔力弾は、様々な属性を帯びていると同時にその数こそが脅威です。

 属性魔術に抵抗するには、対となる属性の魔術で対抗するのが常道。

 〈炎〉には〈水〉を、〈水〉には〈炎〉を。〈土〉には〈風〉を、〈風〉には〈土〉をといった具合に、属性には対となるものがあるのです。

 ですが、今の「彼」が生み出した魔力弾は、ほぼ全ての属性と言っても過言ではないほど。つまり、属性の数が多岐に渡りすぎて、対となる属性で対抗することができません。

 もちろん魔術の操作を少しでも誤れば、各属性が反応しあって自壊してしまうのですが、今の「彼」がそんなミスをするとは思えません。

 となると、あれに対抗するのであればこちらも全属性の魔術を駆使する必要があるのですが、さすがの僕でもそれは不可能。

 であれば、全てを回避するか剣で斬り払うかするしかないわけですが、今度はその数がそれを難しくさせています。

 普通に考えれば、これは完全に「詰み」でしょう。

 ですが、今の僕はゴルゴーク帝国の第三皇子という立場です。魔術に対するそれ相応の対抗策は常に用意しています。

 立場上、いつ暗殺されるかもしれませんから。

 普段から身に着けている、対魔術用の防御札。使い捨ての魔封具ではあるものの、各属性の魔術をほぼ完全に封じるこの防御札を、僕は数枚ずつ所持しています。

 迫る魔術弾を、可能な限り回避し、打ち落とし、それでも回避しきれないものはこの防御札が防いでくれます。

 所持している防御札が一枚、また一枚と砕けるのを感じながら、僕は降り注ぐ魔術の雨を何とか凌ぎ切りました。




 なんてこった。

 あれだけの魔術弾を、奴は防ぎきりやがった。

 どうやら使い捨て型の防御魔封具を使ったようで、奴の足元には焼け焦げ、砕けた魔封具──防御札が無数に散らばっている。

 だが、それでも今の攻撃が全て無効だったわけではないようだ。

 奴の白銀の鎧は所々黒く焦げていたり、凍り付いていたりしている。

 露出している奴の頬に傷が走り、そこから血が滴ってもいるところから、俺はそう判断した。

 肩で息をする奴を見て、俺はにやりと笑みを浮かべる。そして剣で掌を浅く切り、自分の血を剣に付着させた。

 もう防御の魔封具はないはずだ。仮にあったとしても、俺にしか使えない爆術を防ぐような魔封具は存在しない。

 僅かとはいえ、動きの鈍った今こそ最大の好機である。

 俺は気術で強化した足で地面を蹴り、一気に奴へと近づいた。

 奴も俺を迎え撃つべく剣を構える。だが、遅い。僅かだが遅い。

 俺の剣が奴の剣を掻い潜り、その胸に装備している鎧へと触れる。同時に、剣に付着していた俺の血が鎧に着いたことをしっかりと確認した。

「爆!」

 俺の言葉に合わせて、血が爆発する。

 爆発は奴の鎧を破壊し、少なくない衝撃を奴自身へと与えていた。

 それでも、「あいつ」は何とか立っている。だが、胸元の鎧は破壊され、足元はふらつき今にも倒れそうだ。

 決定的な隙。これを逃すわけにはいかない。

 俺は再び奴へと迫る。

 だが。

 その時だった。

 上空より、巨大な何かが俺たちめがけて急降下してきたのは。



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