邂逅




 いくつもの篝火が煌々と焚かれ、戦闘の喧噪に支配されている帝国軍の野営地。そこから少し離れた暗闇に沈んだ森の中から、小さな光が数度瞬いた。

 どうやら、忍び込んだダークエルフたち──ゴーガ戦士長率いるリーリラ氏族の精鋭たちが、地竜の始末に成功したらしい。

 さすがに地竜の全滅は期待できないだろうが、それでも半数は仕留めてくれたと思う。これで帝国軍が森を進む速度は大きく減じただろう。

「と、なれば、後はさっさと撤退だな」

「おっけー」

 俺と同じように森の中に潜んでいたジョーカーが、その骨だけの手を夜空へと向けた。

 そして、そこから放たれる一条の魔力光。放たれた魔力光は夜空へと駆け上がり、そこで一際大きく輝く。

 これは、事前に仲間たちに伝えておいた撤退の合図である。

 地竜を始末するという目的を果たした以上、今の俺たちに帝国軍を無理に攻撃する必要はない。まあ、帝国軍の数が減れば減るだけこちらが有利になるから、可能な限り向こうの兵士数を削っておいて損はないが。

 それでも、撤退の時機というものがある。それを見誤ると、自軍に多大な被害を生じさせかねないからな。

「しかし、戦いに夢中になったムゥくんたちやザックゥくんたちが、素直に撤退の指示に従ってくれるかなぁ?」

「……言うな。心配になってくるだろ」

 確かに、ジョーカーの言う通りだ。戦いに夢中になったオーガーやトロルたちが、素直に撤退してくれるか疑問ではある。それどころか、撤退の合図に気づかないぐらい戦いに集中しかねない。

「その時は、俺が前線まで出張って連中を引っ張り戻さなくちゃなるまいな」

「がんばれ、ジョルっち!」

 ジョーカーが、骨しかない親指を俺に向かっておっ立てた。




 結局、俺とジョーカーの懸念は的中することになる。

 黒馬鹿三兄弟とザックゥは、撤退の合図に気づくことなく戦い続けたのだ。

 もしかすると、合図には気づいていたかもしれない。だが、連中の闘志というか士気というか、戦う意思が撤退を拒否したのかもしれない。

 そういやここ最近、比較的弱い魔獣相手にしか戦っていなかったからな。あいつらもいろいろと溜まっていたのかもしれないな。

 まず、俺は東側の戦場へと向かう。俺が戦場へ到着した時、ザックゥ率いるトロルたちとユクポゥ、パルゥが帝国軍をまさに蹂躙していた。

 ザックゥが大剣を大きく振るうと、その軌跡上にいた帝国兵士たちが木の葉のように吹き飛んで行く。中には上半身と下半身が分断され、周囲に血と臓物を振り撒いている兵士もいる。

 ザックゥ率いるトロルたちは、その高い再生能力を活かして防御することもなくただただ攻撃を繰り返していた。

 普通の兵士が剣や槍を振るったところで、トロルに深手を負わせることはできない。多少の傷であれば、その再生能力が瞬く間に傷を塞いでしまう。

 確かに、これなら防御を考える必要なんてないな。

 そして、そんなトロルの傍らでは、俺の兄弟たちが凄まじい技量で帝国軍を圧倒していた。

 ユクポゥが繰り出した槍が、騎士の金属鎧を容易く貫く。そして素早く引き戻した槍の石突きで、背後に回り込もうとしていた兵士の一人の顎を打ち砕く。もちろん、背後を見てなどいない。気配を読むだけで背後にいた敵を倒したのだ。

 更には槍を大きく振り回して周囲の敵を威嚇しつつ、隙の生じた兵士へ槍の穂先が強引に捩じ込まれ、その命を刈り取った。

 一方のパルゥもまた、圧倒的だ。

 繰り出される敵の攻撃を、盾を使って巧みに受け止め、受け流し、そして敵が武器を引くのに合わせて自らの剣を繰り出す。

 繰り出された剣は的確に敵の急所を貫き、一瞬でその息の根を止めていく。

 側面から回り込んだ数人の敵に対し、盾を構えて高速で突進。パルゥに突っ込まれた敵兵たちは、まるで巨岩にでもぶつかったように吹き飛ばされた。

 …………なんか、俺の兄弟たちが更に強くなっている。もう、魔術を使わない戦いでは完全に俺以上だな、あれ。

 あの二人こそ鬼神と呼ぶべきじゃなかろうか。ほら、やっぱり紳士である俺には《白き鬼神》なんて物騒な二つ名は似合わないんだよ。

 ちなみに、俺がどれぐらい紳士であるかと言うと、エイコク紳士ケンテイニキュウぐらいの紳士だ。

 以前──前世で俺が《勇者》ジョルノーと呼ばれていた時、ジョーカーの奴がそう言っていたから間違いない。具体的にどれぐらい紳士なのか、俺にもよく分からないのがちょっとアレだが。

 ぶっちゃけ俺は、エイコクとかケンテイとかニキュウとやらが何なのかもよく知らない。ジョーカーに聞いたところによると、エイコクというのは国の名前で、奴の先祖が生まれた国らしい。

「もっとも、もう随分と前になくなっちゃった国だけどね」

 とも言っていたな。どこかで国が興り、そしてどこかで国が滅びる。うん、よくある話だ。

 尚、この話をしていた時の俺たちは、かなり酒を飲んで仲間全員がすっかり酔っ払っていたっけ。

 さて、今はそんな昔話よりも、ザックゥたちを撤退させないとな。この後、黒馬鹿たちも撤退させないといけないし。

 一応、ジョーカーには一足先に集落に戻り、撤退する連中の受け入れ態勢を整えておいてもらう。

 万が一、敵が逃げる俺たちを追いかけてきた場合、どこかで敵を足止めする必要もあるしな。

 あと、ちょっとだけ本音を言わせてもらうと、俺は可能な限り人間を殺したくはない。俺に敵対する以上情けをかけるつもりはないが、元人間……いや、かつては《勇者》と呼ばれた者としては、無差別に人間を殺す気にはどうしてもなれないんだ。

 食料や素材を得るために狩る魔獣と人間では、やっぱり違うってことだな。まあ、妖魔にとっては人間も魔獣も食料だが、さすがに俺は人間は食えない。

 そんなわけで、俺はまず爆術を使う。

 戦場へと一気に駆け込みながら手にした剣で掌を切り、血を滲ませる。その血に僅かな魔力を送り込み、ザックゥと戦っている兵士の一団へと振り撒いた。

 血に込めた威力は最小限。魔力を帯びた血が兵士たちに触れる前に、俺は魔術を発動させる。

「爆!」

 空中で血に溶け込んだ魔力が反応し、小さな爆発を起こす。小さいとは言ってもそこそこの威力はあり、近くにいた二、三人の兵士が爆風に煽られてすっ転ぶ。

 そして、戦場に空いた僅かな空間に飛び込んだ俺は、そのままザックゥの頭部に蹴りを叩き込んだ。

「あ……あれ? た、大将?」

「撤退の合図を出しただろ? 気づいていなかったのか?」

「あ、あー……悪ぃ。全く気づかなかったぜ」

 全然悪いと思っていない笑みを浮かべるザックゥ。ちらりとユクポゥとパルゥへと目を向ければ、奴らはさっと俺から視線を逸らした。

 おい、ユクポゥ。その惚けて口笛を吹く仕草、誰に教わった? しかも意外と口笛が上手いところが逆にムカつく。

 パルゥはといえば先程までそこにいたのに、いつの間にかいなくなっているし。あいつ、こういうところは本当に抜目ないよな。

「まあいい。まずは撤退だ」

「お、おう。おい!」

 ザックゥが手下のトロルに合図する。それに応じた手下たちが、倒れていた人間の死体を担ぎ上げる。もちろん、食べるために持ち帰るのだ。

 あ、どうせ持ち帰るなら、その見窄らしい一兵卒より、向こうの立派な鎧を着た騎士にしてくれ。その騎士の装備、後で使えそうだから。

 どっちにしろ、こいつらには命令違反の罰が必要だな。よし、明日一日、クースの料理を食わせない罰を与えてやろう。




 東側から撤退することに成功した俺たち。ザックゥにリーリラ氏族の集落に戻るように命令した後、俺は野営地の西側へと森を回り込んだ。

 そちらでも、黒馬鹿たちが好き放題に暴れ回っていた。

 どうやら、連中もザックゥと同じで撤退の合図に気づいていないっぽい。

 だが、遠くから聞こえる地響きには気づいているみたいだ。それまで突風コオロギの上から帝国軍を蹂躙していたその手を止めて、音のする方へと視線を向けている。

「ムゥ!」

「おう、アニキ!」

 名前を呼ばれたムゥが、突風コオロギの上でむきっと上腕の筋肉を強調した。

「この馬鹿! 撤退の合図を送っただろ! さっさと撤退しろ!」

「そう固いこと言うなって。折角楽しくなってきたところじゃねえか」

 がはははは、と胸の筋肉を左右交互にぴくぴくさせながら笑うムゥ。その向こうでは、同じようにノゥとクゥも突風コオロギの上で腕や胸の筋肉を強調していた。

「……あの音に気づいているだろ?」

「おう。ダークエルフの族長がデカブツを持ってきたな」

 俺たちの撤退の支援のため、グルス族長がクロガネノシロと共にこちらに向かっているのだ。

 クロガネノシロで帝国軍を足止めし、その隙に俺たちは撤退する手筈である。

「ち、仕方ねえな。ずらかるぞ、弟たちよ!」

 と言いながら、手近にいた兵士の頭をその大きな手で鷲掴みにする。そしてそのままべきりと首の骨をへし折ったムゥは、まだ手足がぴくぴくと蠢いている死体を騎獣の上に無造作に積み上げた。

 どうやら、こいつらも人間をお持ち帰りするつもりのようだ。見れば、ノゥとクゥも同じように獲物を捕えている。

「よし、じゃあ行くぜ」

 そう言ったムゥが騎獣の首を森の奥へと向けた時。

 一人の男がこの場に駆け込んで来た。

 見るからに上等そうな装飾が入った金属鎧を着込んだ、大柄な男である。

「ほう、あれがオーガーの上位種か……ん?」

 その男はおもしろそうだと言わんばかりの笑みを浮かべつつ、その視線をムゥたちへ、そして俺にも向けた。

「…………白い……ゴブリンだと? もしや、貴様がミーモスが言っていた奴か?」

 ミーモス? それって確か例の第三皇子の愛称だったよな?

 帝国の第三皇子を親しげに愛称で呼ぶ、豪華な鎧を着た大柄な男。となれば、こいつの正体はおのずと知れるというものだ。

「そういうあんたは、帝国の第一皇子殿下だな?」

「ほう、ゴブリンのくせに流暢な公用語を操るじゃねえか! いかにも! 俺がゴルゴーク帝国第一皇子、アーバレン・ゾラン・ゴルゴークだ!」

 やっぱり、こいつが第一皇子か。ってことは、こいつがこの軍の総大将だな。第一皇子ほどの大物ともなれば、たとえ名目だけでも普通は総大将に据えるだろう。

 つまり、こいつを倒せば帝国軍は引き上げる可能性が高い。ならば、ここでこいつを倒しておいた方が得策か。

「例の巨大魔像を倒すためにここまで来たが、まさか噂の白いゴブリンと出会うとはな。これだから、人生は何が起こるか分からないってもんだぜ」

 アーバレンは、そんなことを言いながら足元に落ちていた誰かの剣を無造作に拾い上げた。

 ん? こいつ、戦場に来るのに自分の得物を持って来なかったのか? そう思って奴の腰の辺りに視線を向ければ、しっかりと一振りの剣が腰にぶら下がっている。

 訝し気な俺の視線に気づいたのか、アーバレンはにやりと笑いながら腰の剣をぽんぽんと叩いた。

「こいつはちょっと特別でな。おまえを相手にするにはまるで役立たずなんだよ」

 アーバレンは拾い上げた剣を俺へと向ける。

 俺には役立たずだと? どういう意味だ?

 引っかかりを覚えた俺は、奴の腰の剣を改めて見て見た。

 お、おい、ちょっと待て! あ、あの剣は……あの剣はまさか……っ!?

 間違いない。あの剣はかつての俺──何代か前の俺が所持していた剣だ。確かにあの剣であれば、俺を相手にするにはまるで役に立たない。

 まさかあの剣が今の時代でも残っていたとは……ってことは、あの剣をアーバレンが持って来た理由は……そういうことか!

「おまえが本当に神託にあった《白き鬼神》かどうか……試させてもらうぜ!」

 驚く俺に、アーバレンは鋭い踏み込みで迫ってくる。くそ、今は剣のことを考えている暇はなさそうだ。

 その構えや体運びを見ただけで分かる。こいつは相当な達人だ。踏み込み、太刀筋、気迫……その全てが尋常じゃない。

 俺の首を狙って、地面と水平に繰り出される斬撃。それを後ろに下がりながら回避すれば、今度は頭上からアーバレンの剣が降ってきた。

 速い! こ、こいつ、下手するとユクポゥやパルゥと同格じゃないか? こりゃ、手加減がどうとか言っていられる状況じゃないな。下手をすると、こっちがあっさりと殺されそうだ。

 適当に怪我させて追い返そうと考えていたが、そんな甘いことを言っていられる相手ではないぞ、こりゃ。

 頭上から襲い来る剣を躱す暇はなく、俺は手にした剣で奴の一撃を受け止めた。

 速いだけではなく、こいつの剣はむちゃくちゃ重い! 速さと威力の双方を兼ね備えた、恐るべき剛剣だ。

 実際、受け止めた俺の両腕と両肩にじんじんとした鈍痛が広がっていく。

「ほう、俺の剣を見切り、受け止めさえする……か。どうやら、本当に貴様が神託の《白き鬼神》かも知れねぇな!」

 アーバレンの口元が、更に楽しげに釣り上がる。

 えー、こいつも系かよ。そっち系はもうお腹一杯なんだけどな。俺の周囲、そっち系は結構いるから。

「くくく、いくぜ、白いゴブリン! 防戦だけじゃなく、遠慮なく攻めてこい!」

 アーバレンの剣が、暴風のごとき勢いで振り回される。もちろんただ力任せに振り回すのではなく、その一撃一撃がしっかりとした鍛錬で練り上げられた技量による、鋭く重い一撃ばかりだ。

 何とかその剣の嵐を掻い潜り、奴が攻撃を繰り出す隙を突いて俺も反撃をしてみるが、俺の攻撃はアーバレンにあっさりといなされてしまう。

 どうやら、戦士としての格は奴の方が数段上のようだ。ならば、こちらは剣以外で反撃するまで。

 アーバレンが鋭い突きを俺の顔目がけて突き出す。それを、俺は首を捻って何とか回避する。その際、剣が僅かに俺の頬を掠め、空中に俺の血飛沫が舞う。

 よし! 今だ!

「爆!」

 ほとんど魔力を込める暇はなかったが、それでも牽制ぐらいにはなるだろう。

 至近距離から予想外の爆風を浴びて、アーバレンが反射的に数歩後ずさる。若干ながらも体勢が崩れた今こそ、最大の好機だ。

 俺は爆風を掻い潜るために姿勢を低くし、地面で一回転しつつアーバレンの足元へと飛び込む。

 そしてそこから伸び上がるようにして、アーバレンの喉元へと剣を繰り出した。

 この攻撃、いくらこいつが達人でも躱すことはできまい。

 知らず、自分の口元が笑みの形に釣り上がっていた。それぐらい、この攻撃は鋭さと好機を同時に孕み、アーバレンの喉元を貫いてその息の根を止める…………はずだった。

 だが、俺の剣先はアーバレンの喉を貫くその直前で止められた。

 横合いから差し込まれた、一振りの剣によって。

「…………っ!!」

 差し込まれた剣。その剣を持つ腕を視線が遡れば、そこに銀の髪をした一人の少年がいた。年齢は二十歳前……おそらく十七、八といったところか。

 少女だと言われてもすんなりと信じられそうな、恐ろしく整った美貌の少年である。

 そして。

 そして、その少年の顔を見た瞬間。

 俺の心臓が……いや、身体の最も奥底にある「何か」が、どくんと一際激しく鼓動した。


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