夜襲



「敵襲ぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 野営地全体に響き渡る、敵襲を報らせる兵士の声。

 その声を聞いた瞬間、僕とバレン兄上は寝ていた簡易式の寝台から飛び起きました。

 ちょっと寝苦しいのですが、それを我慢して鎧を着込んだまま寝ていて正解でした。もしも鎧を脱いで寝ていれば、さすがに着込む時間はなかったでしょう。

 僕と兄上は、手に剣をひっさげて天幕から飛び出しました。

 リュクドの森に入って二日目の夜。昨夜に引き続き、今晩も襲撃が行なわれたようです。

「何が襲ってきた?」

 駆け寄ってきた兵士に、バレン兄上が問い質します。

「は、敵は巨大な魔獣に騎乗した数体の妖魔……オーガーのようです」

 魔獣に騎乗したオーガーですか。おそらく、オーガーの上位種であるオーガー・ライダーでしょう。

 どう見る? とばかりに僕を見るバレン兄上に、僕はそのことを告げました。

「オーガーの上位種か。そいつぁおもしろそうだ!」

 にやり、と好戦的な笑みを浮かべる兄上。まるで獲物を前にした野獣のようなその様子は、僕でも思わず戦慄を覚えるほどです。

 実際、報告に来た兵士などは、その気迫……いえ、鬼迫とも言うべき迫力を間近で浴びて顔面蒼白になっています。可哀想に。

「兄上。分かっているとは思いますが、この遠征軍の総大将は兄上ですからね? 先陣切って戦場に飛び込まないでくださいよ?」

「お、おう、分かっているって。でも、軍全体の指揮なら、別におまえが執ってもいいよな?」

「何を言っているんですか。駄目に決まっているでしょう」

 溜め息を吐きつつ、兄上の言葉に駄目出しをします。本当に、この人は自分が皇族であり、皇太子でもある自覚があるのでしょうか。

 まあ、怯えて陣の一番奥で震えているよりマシですけど。

 がっくりと両肩を落とし「仕方ねぇなぁ」と呟きながら、バレン兄上は夜襲に対する指揮を執り始めました。

 でも、油断するわけにはいきません。この人のことですから、ちょっと目を離すと最前線に飛び込んで行きかねません。

 とはいえ、相手が余程強い魔物でなければ……それこそ竜種でも現れない限り、兄上が負けるとは思えませんが。




 野営地の中央に即席で設営した本陣の中で、僕とバレン兄上は襲撃に対する指示を出していきます。

 オーガーの上位種の襲撃があったのは、野営地の西側でした。

 幸いなのは、敵の数がそれほど多くないことでしょう。報告によるとその数は、十体にも満たないとのこと。具体的には、三体の魔獣──突風コオロギと呼ばれる虫型魔獣──に騎乗したオーガーだけらしいです。

 ですが、その三体のオーガーたちはかなりの強敵らしく、既に数十人の兵士が倒されています。

「前線、押し込まれています! 至急援軍を、と前線指揮官からの要請です!」

「おう、すぐに手配する。援軍が到着するまで、あと少し戦線を支えるようにその指揮官に伝えろ!」

「はっ!!」

 兄上の言葉に短く返事をした伝令兵は、すぐに本陣から出ていきました。そして、その伝令兵と入れ替わるように、別の伝令兵が本陣へと駆け込んで来ます。

「で、伝令! 野営地東側にも敵が現れました!」

「なんだとっ!? 敵は何だ? 何が襲って来た?」

「どうやら、こちらはトロルの一団のようです。トロルの他に、ホブゴブリンの姿も確認されています!」

「挟撃かよ。妖魔のくせに、少しは頭が回るようだな!」

 オーガーにトロル、そしてホブゴブリンですか。報告にあったダークエルフの集落には、オーガーとトロルが共存していたようなので、そいつらが襲って来たのでしょう。

「敵の中にホブゴブリンがいたとのことですが、そのホブゴブリンは普通種でしたか?」

「は、そ、それがその……暗くてよく分かりませんが、盾と剣で武装した個体、そして槍で武装した個体を確認したとのことです。また、これらのホブゴブリンたちは、金属製の鎧を部分的に着用していたとの報告もあります」

「ホブゴブリンが金属鎧ねぇ? 一体、どこで手に入れたものやら」

 にぃ、と楽しげに口角を吊り上げたバレン兄上の姿が、僕には本格的に野獣に見えてきました。どうやら、僕が兄上の手綱を握っていられるのも時間の問題ですね、これは。

「敵は少数だ。このまま数を頼りに攻撃すれば、倒さずとも遠からず逃げ出すだろうな」

「はい、僕もそう思います。ですが、僕には気がかりなことがあるのですが」

「ほう? 何が気になるってんだ?」

「敵の中に、ダークエルフの姿が見えないことですよ」

 僕たちの戦略目標は、ダークエルフの集落を襲撃し、そこを占拠してリュクドの森の中に活動拠点を築くことです。

 当然ながら、当のダークエルフたちは、僕たちに気づいているはず。ダークエルフの集落にいたと思われるオーガーとトロルが、共謀して襲って来たことが何よりの証拠です。

 もちろん、襲撃してきたオーガーとトロルたちが、ダークエルフとは無関係の妖魔である可能性は残されていますが、オーガーとトロルが共闘している時点でその可能性は限りなく低いと言えるでしょう。

 であれば、ダークエルフたちは何をしているのでしょうか。オーガーやトロルだけに戦わせて、自分たちは後方で様子見を決め込んでいるのでしょうか。

 いえ、そんなことはないはずです。

「つまり、ミーモスはオーガーやトロルが釣り餌だと言いたいんだな?」

「はい。少なくとも、オーガーたちは単なる陽動でしょう。今が連中にとって有利な夜とはいえ、千人以上の軍にわずか十数体で襲撃をかけるのは自殺行為以外のなにものでもありませんから」

「じゃあ、ダークエルフの本当の狙いは何だ?」

「おそらく連中の目的は……となると、ダークエルフは既に野営地に入り込んでいるでしょうね」

 僕は自分の推測を兄上に説明し、既に忍び寄っているであろうダークエルフに対処するための指示を出しました。




「……やはりここでしたか」

 目の前に広がる光景を見て、僕は思わず眉を寄せました。

 力なく地に倒れ込む地竜たち。辛うじて全滅は免れることができたようですが、僕がこの場所──地竜たちを集めておいた地点に到着した時、既に地竜のほとんどは息絶えていました。

 地竜を倒したのは、〈姿隠し〉の魔術で自身の存在を消し、野営地の中に忍び込んだダークエルフたちでした。

 隠行に優れたダークエルフたちにとって、襲撃を受けて少なからず混乱している野営地に忍び込むのは、それほど難しくなかったでしょう。

 実際、過去に僕もダークエルフたちを使って様々な相手を暗殺した経験がありますから、いつの間にかひっそりと背後に忍び寄る彼らの恐ろしさはよく理解しています。

 そのダークエルフたちが地竜を狙うであろうと予測した僕は、軍の指揮を兄上に預けてこの場所に駆けつけました。もちろん、一人で来たのではなく五十人ほどの兵士と共にです。

 兵士を引き連れて本陣を飛び出した僕に、背後から兄上が何か言っていましたが、今はそれどころではありません。

 それに、ダークエルフを相手にするには、単なる一兵卒では分が悪すぎます。

 今すぐに行動できて、ダークエルフを相手にすることができる者……そう考えた時、僕の脳裏に浮かび上がったのは二人の人物でした。

 一人はバレン兄上。正面から戦えばまず負けることのない兄上ですが、ダークエルフとは相性が悪い。

 兄上は戦いに夢中になり過ぎると、周囲が見えなくなる傾向が少なからずあります。そんな兄上では、ひっそりと背後に忍び寄るダークエルフを相手にするのは少々危険と言えるでしょう。

 となると、この局面で動かすことができるのはもう一人の人物。つまり、この僕自身。

 前世の経験からダークエルフの手口を熟知する僕であれば、彼らを相手にして不覚を取ることはまずないと言えるでしょう。もちろん、過度の慢心は禁物ですが。

 兵士たちを引き連れ、地竜たちを集めておいた場所に到着した時、既に地竜たちはそのほとんどが倒された後でした。

 当然ながら、侵攻の要となる地竜を集めたこの場所には、少なくない警備の兵士を割り振っていました。ですが、彼らもまたダークエルフの凶刃に倒されてしまったようです。

 まだ数体ほど地竜は生き残ってはいるようですが、数体だけではリュクドの森を拓きながら進む速度は大きく減速することでしょう。

 そして、この場所に幽鬼のごとく音もなく佇むのは、地竜の体液に濡れた剣を手にした十人ほどのダークエルフたち。彼らは僕たちの接近に気づくと、すぐに〈姿隠し〉で再び消え失せました。どうやら、僕たちと戦うよりも撤退を選んだようです。

 なかなかに見事な引き際。向こうには優れた指揮官がいるのでしょうね。

 確かに僕であれば、〈姿隠し〉で消えたダークエルフの気配も捉えることはできます。ですが、僕一人では逃げる二、三人のダークエルフを倒すぐらいしかできません。その間に、他のダークエルフは逃げ去ってしまうはず。

 であれば、今は地竜の様子を確かめる方が重要です。

「至急、地竜たちの状態を確認し、命術の使い手を集めてください!」

 地竜という生物は生命力に優れた存在。剣で斬りつけられたとしても、多少のことでは致命傷とはなりません。つまり、早急に手当てをすれば、助かる地竜もいるはずです。

 ですが、僕のこの期待は裏切られることになります。

 倒された地竜は、剣で斬られただけではなく毒を用いられていたのです。

「……地竜をよく知る者が相手にもいるということですか……」

 生命力に優れた地竜ゆえ、何とか毒に抗い、駆けつけた命術の使い手による癒し──地竜に癒しを施す時、心底嫌そうな顔をしていた──で助かった個体も存在しましたが、結果的に半数以上の地竜を失ってしまいました。

 地竜の補充は難しくないし、〈魅了〉を用いればすぐに戦力化できます。ですが、捕獲後すぐに地竜を自在に操れば、僕が周囲から不審の目を向けられるでしょう。

 さすがにそれは避けたい。つまり、我々帝国軍のリュクドの森侵攻は、ここで大きく躓いたことになります。




 引き連れていた兵士たちにそのまま生き残った地竜の警備を命じ、本陣へと戻ろうとした僕の耳が、大きな音を捉えました。

 いえ、耳というよりは腹と言うべきでしょうか。腹に重々しく響く音が、闇に支配された森の向こうから響いてきます。

「この音は……」

 もちろん、この音の正体に心当たりはあります。帝都に現れた謎の巨大鋼鉄魔像。あの魔像がこの場にも現れたのでしょう。

 であれば…………嫌な予感がした僕は、すぐさま走り出しました。目的地は本陣。ですが本陣に僕が到着した時、嫌な予感は的中していました。

「兄上は……やはり飛び出して行きましたか……」

「申しわけありませんっ!! 我々も殿下を必死にお諌めしたのですが、最後は我らを振り切って飛び出していかれました……」

 僕の前で跪き、ことの顛末を報告する騎士たち。

 はぁ。巨大魔像が現れた時点で、こうなるのではないかと思ったのです。しかも、間の悪いことに魔像が現れたのは僕が本陣にいない時。

 兄上にとっては、これ以上にない好機だったに違いありません。

 喜々として飛び出していく兄上の姿が、容易に想像できてしまう自分がちょっと悲しいです。

「分かりました。僕が行って兄上を引っ張り戻しましょう。その間、ここを任せましたよ」

「はっ!!」

 今後の指揮を任せた僕は、再び本陣を飛び出しました。兄上の身に何かあってからでは遅いですし、正直言えば僕自身も前々から巨大魔像は見てみたいと思っていたのです。

 手近にいた兵士たちを呼び集め、僕は巨大な音がする方へと向かいました。



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