人間軍の侵攻



「これは一体どういう状況だ?」

 久しぶりに戻ってきたリーリラ氏族の集落。オーガーたちの襲撃による被害の復興もある程度終わっており、最近は結構落ち着いていたリーリラの集落が、再びざわざわとした喧騒に包まれていたのだ。

「おお、戻ったか、リピィ殿」

 そんな集落の奥から、なぜかご機嫌な様子のグルス族長が近づいてきた。

「何が起きた? この集落に何かあったんだろ?」

 周囲を見回しながら俺はグルス族長に尋ねた。

 この慌ただしさからして、何かあったのは間違いない。問題は何があったか、だ。

「うむ、実はだな、リピィ殿。この集落に、人間どもの襲撃があったのだ……いや、正確に言えば、襲撃があるところだった、だな」

 くくく、と喉の奥で笑うグルス族長。何だか、どんどん悪役っぽくなっていくな、こいつ。

 しかし、族長の言葉は聞き捨てならない。人間がリュクドの森の奥のここまで、足を踏み入れることは稀だ。それが軍事行動ともなれば尚更ってものだ。

「詳しいことを話してもらえるな?」

「無論だ。私の武勇譚と一緒に詳しく話そうじゃないか」




 グルス族長の話を纏めると、こういうことだった。

 ある日、人間の軍隊がリュクドの森の中へと入り込んだ。

 金属鎧に身を固めた騎士や兵士たち。装備の質は高く、訓練もよくゆき届いた士気の高い一軍。その数、実に三百近くに及んだという。

 更には、その三百人の兵士たちとほぼ同数の荷運び人足がいたそうだから、総勢で六百人近くってことになる。

 だが総勢六百人の部隊は、この集落まで辿り着くことはできなかった。

 理由は簡単。このリュクドの森はまさしく自然の要害だからだ。

 密生した樹々は視界を塞ぐと同時に、軍隊の足を阻む。重武装の騎士や兵士は、森の中を進むのには決して向いているとは言えない。ただでさえ歩みが遅くなる森の中だ。それが重武装の兵士たちともなれば……考えるまでもないだろう。

 更には、森の中には魔獣や野生動物がひしめいている。行軍中にこれらの魔獣や野生動物に襲われて、人間たちは徐々に兵力をすり減らされていく。

 しかも、三百人もの軍隊を維持するためには、膨大な物資が必要となる。兵士たちの食料に始まり、予備の武器や防具。負傷した者のための医薬品だって重要だ。

 普通の行軍であれば、それらの軍事物資は馬車で運ぶものだが、森の中へ馬車を乗り入れるわけにはいかない。となると、物資を運ぶためには人力が必要となる。

 そこで物資を運ぶために兵士と同数の人足を雇ったてわけだ。だが、当然ながらその人足たちは戦いに関しては素人だ。魔獣や野生動物に襲われ、負傷したり命を落としたりしたのは、やはり人足たちが最も多かった。

 そうなると、当然物資を運べなくなる。物資が運べなくなれば、どんなに優れた軍隊でもその能力を十全に発揮することはできない。

 人間たちは、ただ森の中を進むだけで徐々に疲弊していった。そこへ、ダークエルフたちは襲いかかったのだ。

 ダークエルフたちの戦法は、気配を断ちながら近づき一気に倒す……つまり、奇襲が主である。魔術も織り交ぜたダークエルフたちの襲撃を何度も受けた人間の兵士たちは、いつ襲われるかとびくびくしながら、森の中を進むことを強いられた。

 肉体的、精神的に疲弊しきったところに、今度はグルス族長の奥の手……つまり、巨大鋼鉄魔像が襲いかかった。いやもう、人間たちにとっては、悪夢以外のなにものでもなかっただろうな。

 その悪夢のごとき巨大な姿を見ただけで、士気の下がり切った人間たちは逃げ出したという。そこにグルス族長の命令によって、クロガネノシロが追い打ちをかけた。

 人間の軍隊にこれに抗う術は既になく、後はただ壊走するのみ。

 逃げ去る人間たちの姿を見届けるため、数人のダークエルフがこっそりとその後を追ったそうだが、無事に森から抜け出せた兵士や人足たちは百人ほどだったという。

 これは人間軍にとっては大敗北と言っていい。

 しかし、人間たちは何が目的でこんな森の奥まで軍を派遣したんだ? 森の奥へ大軍を送り込むのが、どれだけ難しいかちょっと考えれば分かることだろ?

 人間の目的として考えられるのは、何らかの理由で発見したこの集落を襲い、ダークエルフを奴隷として確保しようとしたってところだが。果たして、それだけが目的でこんな無謀な挑戦に及ぶだろうか。

 ここは、ジョーカーから行商人に連絡を取ってもらい、今回の軍事行動の裏を取ってもらう必要がありそうだ。




「……そこで私は……クロガネノシロの頭部に乗り込んでいた私は、クロガネノシロに命じたのだ! 豪翔拳で、人間どもを蹴散らせ、と!」

 身振り手振りを交えて、自らの武勇伝を語り続けるグルス族長。いやその場面、これで六回目だからな、聞くの。

 まだまだ熱く語り続けるグルス族長から目を逸らし、俺は背後に控えていたサイラァに小声で尋ねた。

 集落に帰り着いたムゥたちとザックゥは、帰路で狩った魔獣を食べている真っ最中だろう。当然ながら、クースはその調理にかかり切りだ。兄弟たちや隊長も、そっちにいるだろう。ジョーカーも何やら魔像の調整に忙しそうだ。

 ギーンはハライソに捕まったままだし、グルス族長の話を聞きに来たのは俺とサイラァだけだったのだ。

「……ハライソの奴はどうした?」

「ハライソ様なら、ギーンを抱えたまま集落の中を歩き回っておりますわ。実に楽しそうに」

 まあ、美少年大好きなハライソにとって、このダークエルフの集落は夢の国だろう。今頃はダークエルフの美少年たちを、ギーンを抱えながら思う存分眺めているに違いないな。

 ハライソは美少年を傷つけるようなことはないだろうし、放っておいても大丈夫だろう。後でしっかりと、グルス族長にあの腐竜のことは説明しないといけないだろうが。

「……そこで私はクロガネノシロに命じたのだ! 豪翔拳で、人間どもを蹴散らせ、と!」

 あー、うん。そこ、七回目な。




「おそらくだけど、リュクドの森に侵攻しなくてはならない、何らかの理由があったんじゃないかな?」

 腕を組み、首を傾げながらそう言うジョーカー。

 そうだよな。普通であれば、リュクドの森に軍を進めるようなことはしない。どう考えたって、被害の方が大きくなるから。それを敢えて侵攻させたということは、そうせざるを得なかった理由があるはずだ。

 ま、どうせ碌な理由じゃないだろうけどな。

「それで、人間の目的はやっぱりこの集落か?」

「おそらくね。この集落を攻め落として、それからどうするのかまでは分からないけど」

 ダークエルフを捕え、奴隷にでもするつもりだろうか? 確かに物珍しいダークエルフを大量に捕えることができれば、一財産築くこともできるだろう。だが、多くの兵士や騎士、そして膨大な物資を投入してまで、ダークエルフを捕えることに価値があるとは俺には思えないんだが。

 実際、現状で数人のダークエルフを捕えたところで、注ぎ込んだ騎士兵士、そして物資には及ぶまい。

「とにかく、行商人に連絡を取り、何が目的で人間たちが動いたのか調べさせてくれ」

「おっけー。すぐに行商人くんと連絡を取るよ」

 いつものように、ジョーカーは骨だけの指で輪っかを作る。相変わらずあの仕草の意味は分からないが、何となく真似してみたくなるな。今度やってみよう。

「後は、集落付近の警戒を厳重にすることだね。相当な痛手を受けたみたいだから、すぐ二回目の侵攻があるとは思えないけど、警戒するにこしたことはないからね」

「そうだな。その辺はグルス族長に言っておこうか」

 オーガーやトロルたちにも周辺を見回るように、ムゥやザックゥに伝えておくか。

 今のこの集落には俺たちや、腐……じゃなかった炎竜のハライソもいることだし、ちょっとやそっと攻められても問題はないだろう。

 美少年が多く住むこの集落を守るためなら、ハライソも動くことを嫌がらないと思う。

 とにかく、今は行商人からの情報待ちだな。




「……神託だと?」

「うん、行商人くんが言うには、そういうことらしいよ。最近、レダーンの町……いや、ゴルゴーク帝国のあちこちで、神託のことが大きな話題になっているそうだね」

 神託。それはキーリ教の神が、信徒に何らかの言葉を届けることだ。俺自身はキーリ教徒ではないので神の声を聞いたことはないが、過去の神託は世界の命運を左右するような内容だったこともあるらしい。

 そんな神託……「白き厄災の鬼神、黒き世界へと誘う」という内容のものが、最近キーリ教団の信徒に届けられたという。

 これまでの神託の中には、過去の俺に関することもあったらしい。俺は直接神託を受けていないから、当時どのような神託がキーリ教徒の元に届けられたのか、詳しいことは知らないけどな。

「それで、その《白き鬼神》という魔物がリュクドの森の中に潜んでいるらしい、って噂が帝国のあちこちで囁かれているらしいんだよね」

 そう言いながら、かたかたと顎を鳴らしたジョーカーが俺を見る。

 おい、ジョーカー。もしかして、《白き鬼神》ってのが俺のことだと思っていないか? おいおい、こんな紳士を捕まえて、鬼神はないだろ、鬼神は。

「で、その《白き鬼神》とやらと、ダークエルフの集落が襲われそうになったことに、何の関係があるんだ?」

「そうだねぇ……この集落にあるダークエルフたちが作った、細工物とか工芸品とかの財産になりそうな物を手に入れて、尚且つダークエルフの奴隷を確保することも目的だったんだろうけど……もしかすると、人間たちの一番の目的は、《白き鬼神》を探すためにダークエルフたちを利用するつもりだったんじゃないかな?」

 なるほど。当然ながらダークエルフはこの森の中に詳しい。この森に潜んでいると考えられているその鬼神とやらを見つけ出すために、ダークエルフを案内人代わりにするつもりだったってことか。

 更には、この集落を押さえることができたら、ここは森の橋頭堡となる。確かに、人間からすればここを襲撃することは、多少無理をしてでも行なう価値があったってわけだな。納得した。

「ん?……ちょっと待って」

 突然、ジョーカーが宙を睨んだまま動かなくなった。どうやら、どこかから使い魔を使った連絡が入ったようだ。

 しばらくすると、ジョーカーが再び動き出した。相変わらず虚ろな眼窩が、俺の方へと向けられた。

「今、レダーンの町にいる行商人くんから連絡があったんだけど……そのレダーンの町に、第一皇子及び第三皇子が率いる帝国軍が到着したそうだよ。その数……実に千人以上だってさ」


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