出発前夜



「うおおおおおおおおっ!? な、なんじゃこりゃああああああああっ!?」

 リーリラ氏族の集落に、ザックゥの大声が響き渡った。

 そのザックゥの片手には、先程クースが茹で上げた芋が握られている。

「こ、こんな美味い芋は初めて食ったぞ! いや、芋自体初めて食ったが……ま、まさか、芋がこんなに美味い食い物だったとは……っ!!」

 もちろん、ただ茹でただけではなく、クースが丹精込めて作り出した調味料により、実に味わい深くなった茹で芋だ。

 ほこほことした食感と、舌の上に広がる芋特有の甘み。それを、クース謹製の調味料が引き立てている。調味料の味は芋本来の旨味を決して損なうことなく、より上の階位へと引き立てていた。

 ちなみにこの芋、リーリラ氏族の集落近くでいくらでも採集できるし、集落でも栽培しているのでいくらでもあるそうだ。

 柔らかく温かく、それでいて甘い。確かに、極上と言ってもいい芋料理だ。

 だが、まさか肉食であるトロルまでもが、芋を絶賛するとは……クースの手掛ける料理、恐るべし。

「いやー、芋ってこんなに美味いモンだったんだな!」

 そう言いつつ、ばくばくと芋を食っていくザックゥ。奴は配下のトロルたちにも、自分と同じように芋を食うことを推奨する。

 そして、ザックゥと同じように芋を食って目を丸くして驚くトロルたち。彼らは我先にと争って、クースが茹でた芋を奪い合い始めた。

「それは俺のだっ!! 寄越せっ!!」

「馬鹿言えっ!! 早いもの勝ちだっ!!」

「畜生! 畜生! 芋がこんなに美味かったなんて……俺は今まで生きて来た時間を無駄にした……っ!!」

「お、俺はこの芋の中に神の存在を感じた……っ!!」

 とまあ、大騒ぎだ。

 トロルたちが騒ぐのを見て、ユクポゥとパルゥ、そしてオーガーたちも芋を食ってみたようだが、その反応は今ひとつだ。連中はすぐに芋を食うのを止め、クースの焼き肉を食い散らかし出した。

 どうやら、種族的な味覚の差だろうな、これは。

 そう思いつつ、俺は芋も肉も両方しっかりと堪能した。

 もちろん、それ以外のクースの料理もしっかりと食ったぞ。




 夜も更けて大騒ぎの食事会も終わり、今は宵闇と静寂がリーリラ氏族の集落を支配している。

 いや、正確には静寂じゃないな。集落のどこかでは、騒いでいるオーガーやトロルの声が聞こえている。基本夜行性である連中にしてみれば、今はまだまだ「夜明け」だ。あいつらが本調子になるのはこれからだからな。

 しかし、明日には炎竜に会うためにここを出立するって、奴ら分かっているのかね?

 まあ、オーガーやトロルを全員引き連れていくわけじゃないし、大丈夫か。

 俺は自分に与えられた家の前で、夜空を見上げていた。

 以前の俺──かつて《勇者》と呼ばれていた時代に見た夜空と、何も変わらない。

 時期によって星の位置が変わるのは……えっと、どんな理由だったっけか。確か、前の《勇者》だった時にジョーカーからその理由を聞いたはずだが、忘れちまったな。

 そうやって家の前で夜空を見上げていると、背後の家の中から一人の少女が出て来た。

 もちろん、クースである。クースの立場は俺の「所有物」扱いなので、同じ家で暮らすのは当然なのだ。

 うん、彼女には何も手を出していないよ? ほら、俺って紳士だし。

 正直言えば俺だって男なので、そういう衝動があるのは事実だ。だが、それは理性で抑え込めるものでもある。俺は紳士の称号にかけて、クースに手荒なことはしないのだ。

 心の中でそんなことを考えていると、家から出て来たクースは俺の横に立った。

「眠らないのですか?」

 俺の横で俺と同じように夜空を見上げながら、クースが静かに問いかけた。

「うん、ちょっと考え事をな」

 彼女の方を振り返ることなく、俺は簡潔に答えた。と、隣からくすくすと笑い声が。

「うふふ。考え事をするゴブリン……何か、変ですね」

「そうか? 俺のように哲学的なゴブリンがいてもいいだろ?」

 哲学。うわ、これほどゴブリンに似合わない言葉もないな。自分で言っておいてなんだが。

「あ、あの……リピィさん……?」

 クースは夜空を見上げたまま、俺の名前を呼んだ。

「どうして……どうしてリピィさんは……炎竜なんて恐ろしい相手にわざわざ会いに行こうとするんですか? いえ、そもそもリピィさんは……今更こんなことを言うのも変ですけど……」

 ──本当にゴブリンなんですか?

 小さな小さな声で囁かれた質問。彼女が今、どんな表情をしているのか、俺には分からない。俺もまた、夜空を見上げたままだったからだ。

 そうやって夜空を見上げながら、俺はクースのその質問に答えることなく、別の質問で応えた。

「残るか?」

「え?」

「今回……炎竜と戦うつもりはないが、それでも戦いになる可能性は捨てられない……つまり、危険だ。これまで以上にな。そんな危険な場所に無理してついて来る必要はないんだぞ?」

 この集落に来た当初とは違い、今のクースはこの集落にそれなりに溶け込んでいる。俺の「所有物」扱いってこともあるだろうが、それ以上にクース自身がダークエルフたちに受け入れられているのだ。

 つまり、俺がいなくてもここにいる限り、クースを傷つけようとする奴はいないだろう。ならば、無理に俺についてきて危険な目に合うこともない。

 ちなみに、隊長は絶対に連れていくつもりだ。炎竜の塒へいくまでの道中は、あいつの修行にもなるだろうしな。

 クースは俺の質問を受けても、無言で夜空を見上げたままだ。俺も彼女の方は見ていないが、それでもそれぐらいは分かる。

「…………行きます」

 どれぐらい無言で空を見上げていただろうか。ぽつり、とクースは小さな声でそう言った。

「どれだけ危険であろうとも、私はリピィさんと一緒に行きます」

「……そうか」

 それがクースの意思ならば、俺はそれを尊重するだけだ。なに、彼女に何か危険が及ぶというのなら、俺が守ってやればいい。

 その夜、俺とクースは肩を並べたまま、いつまでも夜空を見上げていた。




 翌日、俺たちはリーリラ氏族の集落を出立した。

 顔ぶれは俺、クース、ユクポゥ、パルゥ、ギーン、サイラァ、ムゥ、ノゥ、クゥ、ザックゥ、そしてジョーカーと隊長。

 それ以外に、数体の屍肉魔像と突風コオロギ。屍肉魔像と突風コオロギには、炎竜への手土産である酒樽を運ばせているので、俺たちは徒歩による移動だ。

 リーリラ氏族の集落から、かつてザックゥたちトロルが塒にしていた場所まで、徒歩で二十日以上はかかるそうだ。

 自分たちの修行も兼ねて、道中で魔獣や獣などを狩りながら進む予定なので、実際にはもっと日数がかかるだろう。

 一行の先頭を歩くのは、道案内を兼ねたザックゥ。そのすぐ後ろに、ユクポゥとパルゥが続く。

 続いて黒馬鹿たち、俺、クース、ジョーカー、ギーン、サイラァ、隊長と続き、最後尾から酒樽を背負った突風コオロギと屍肉魔像。

 当然ながら、障害物の多い森の中を行くので、綺麗に一列で進むわけではない。ある程度ばらけながらも、基本的な隊列を保持しつつ、俺たちは森の中を進んでいった。

 時には、襲撃を受けることもある。襲ってくるのは森に棲む獣や魔獣、時には他の妖魔なども、俺たちに襲いかかって来る。

 黒馬鹿やザックゥたちとは別の群れのオーガーやトロル、時にはそれらに率いられたゴブリンなど。とはいえ、襲って来るのは普通種ばかりだ。上位種ばかりである俺たちにとって、敵となるにはちょっと弱すぎる。

 だが。

「うわあああああああああああああっ!!」

 悲鳴を上げながら、隊長が敵のオーガーが振り回す巨大な棍棒を必死に掻い潜る。

「なあ、リピィ。あれ、放っておいてもいいのか?」

 ちょっと心配そうな顔で、ギーンが尋ねてくる。

「いいさ。丁度いい鍛錬相手だろ?」

「確かにそうかもな」

 以前は普通種のオーガーに敵わなかったギーンも、今では単独で撃破できるぐらいに魔術の腕を上げている。とはいえ相変わらず気術に対する適性はなく、戦士としての腕はそれほど上がっていないが。

 その姉であるサイラァは、必死の形相で逃げ回る隊長がツボだったらしく。陶然とした表情で逃げ回る奴を見つめていた。うん、こいつも相変わらずだ。

 残る仲間たち──ムゥたちや兄弟たち、そしてザックゥは、座り込んで完全に観戦状態だ。皆、これが隊長の鍛錬だと理解しているで、誰も手を貸そうとしない。

 悲鳴を上げつつ回避一辺倒の隊長だが、その視線は確かにオーガーが振り回す棍棒を捉えている。あの様子なら、隊長がオーガーの攻撃を食らうことはないだろう。

 後は隙を見出して攻撃に転じればいい。こうして見ると、隊長の技量も確かに上がっているな。

 そう考えていると、一際大ぶりな棍棒の一撃を屈み込んで回避した隊長が、そのまま伸び上がるようにして、オーガーの懐に飛び込んだ。

 そして手にしている剣をオーガーの腹に深々と突き刺す。剣は鍔元まで埋まり、飛び出した返り血が隊長の顔を赤く染め上げる。

 今の隊長の表情は、さっきまで喚き散らしていた時とはまるで別人のようだ。

 厳しい表情でオーガーの爛々とした目を見上げ、その口元をにぃと歪めた。

 ぐりっと手にした剣に捩じりを加え、オーガーの内蔵を掻き回す隊長。

 腹に埋まった剣を引き抜くのを諦めたのか、未練なく剣を手放した隊長は素早く腰から短剣を引き抜き、オーガーの顎へと下から刺突を繰り出した。

 顎下ってのは、人間でもそうだが身体の中で最も柔らかい箇所の一つだ。隊長の短剣は顎下を突き抜け、そのまま下からオーガーの頭蓋を破壊する。

 ぶふ、と下から縫い止められて開かない口から勢いよく血を吐き出しつつ、オーガーが前のめりに倒れ込む。

 巻き込まれないように素早く後退した隊長は、しばらく無手のままオーガーを睨み付けていた。

 やがて、オーガーが二度と動かないことを確認し、隊長はその場で力尽きるように座り込んだ。

「ふひぃぃぃぃぃ……し、死ぬかと思ったぜ……」

 冷や汗をだらだらと流しながら、ぽつりと呟く隊長。

 いや、今のは中々見事だったな。相手が単体とはいえ、単独でオーガーを倒せる人間なんて、そうはいないってものだ。

 いつの間にか、隊長はここまで強くなっていたのか。うん、これも全ては俺の指導の賜物ってやつだな。

「……ったく、ゴブリンの旦那は本当に容赦がないぜ」

 ぶつぶつと文句を言いつつ、隊長はオーガーの身体から剣や短剣を引き抜く。

 どうやらあいつ、自分がどれぐらい強くなったのか理解していないらしい。ま、それも無理はない。なんせ周囲にいるのが文字通り怪物ばかりだからな。

 隊長には悪いが、もう少し彼の実力のことは黙っておこう。下手に教えて調子に乗られても困るしな。

 こうして、俺たちは移動を続けた。そして、リーリラ氏族の集落を出発してから約三十日ほどした時。

 俺たちの目の前に一つの洞窟が現れた。

「あそこが、俺様たちが以前塒にしていた洞窟だ」

 そう言ったのはもちろんザックゥである。

 よし、まずはあの洞窟の中を調べてみるか。炎竜に関する何らかの手がかりがあるかもしれない。

 俺たちは周囲を警戒しつつ、ゆっくりと洞窟へと近づいて行った。



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