炎竜との対面



 かつてザックゥたちトロルが塒としていた洞窟を探索したが、当然というか何というか、炎竜の姿はこの場にはなかった。

 いくら大柄なトロルたちが棲み処としていた洞窟とはいえ、炎竜が潜むには狭すぎる。俺は実際に炎竜を見たわけではないが、それでも竜がトロルとは比べ物にならないくらい巨体であることは想像に難くない。

「大将の予想通り、炎竜が洞窟に入った様子はなかったぜ」

 以前の根城の様子を確かめて来たザックゥと、その手下のトロルたち。どうやら俺の推測が当たっていたらしい。

 そうなると、炎竜の奴が今はどこにいるのかが問題だな。

 炎竜の本来の巣の場所なんて、ザックゥたちだって知らないだろうし、もちろん俺たちも知らない。

 さて、どうしたものか。

「うーん、そうだねぇ。居場所が分からなければ、向こうから来てもらえばいいんじゃない?」

 どうやって炎竜の居所を探ろうかとジョーカーに相談したところ、そんな答えが返ってきた。

 どういうこと?




 リュクドの森の中、やや樹々がまばらになって比較的見通しのいい場所。

 この森の中には、所々こんな開けた空間がある。誰かが何らかの目的でこんな場所を作ったのか、それとも何らかの理由で自然にできあがったのか。

 どんな理由でこんな場所があるのか不明だが、今回は作戦にこの場所ほど向いている所もないだろう。

 今、俺たちは森の中の開けた空間からやや離れた場所で、樹々の陰に身を隠してじっと息を潜めていた。

「……なあ、ジョーカー。本当にこれで大丈夫なのか?」

 俺は開けた空間の中心に置かれたブツから目を離すことなく、隣で地面に伏せているジョーカーに尋ねた。

 ジョーカーは白くて目立つ頭蓋骨に泥を塗りたくり、頭に葉の繁った枝を括り付けた顔を俺へと向けた。

「うん、大丈夫さ。竜って奴らはこと酒に関しては凄く鼻が利くからね。こうして蓋を開けた酒樽を置いておけば、向こうからやって来るよ!」

 俺に向かってびしっと親指を突き立てるジョーカー。ご丁寧に、骨だけのその指にも泥が塗られている。もちろん、視覚も鋭い炎竜の目から少しでも逃れるためだ。

 かくいう俺もまた、白い肌に泥を塗っている。他にはクースは頭からすっぽりとフードのついた鼠色の外套を着込んでいるし、隊長も俺やジョーカーと同じように泥を塗っているクチだ。

 さすがに女の子、クースは顔に泥を塗るのは嫌だったみたいだ。

 他の面子は色が黒っぽい奴らばかりなので、特にそういう工作はしていない。

 それとは別にユクポゥ。あいつは進化してもずっと身に着けていた、いつぞやの女冒険者から手に入れた「アレ」を脱いでいた。

 そうなんだ。あいつ、あの女冒険者から強奪した下着を、ずーっと頭に被ったままだったんだ。

 最近ではすっかり薄汚れ、布地もかなり薄くなってしまっていたが、それでもユクポゥなりに思い入れや愛着があるらしく、ずっとあの下着を……いや、あいつにとっての「王冠」を愛用したままだったんだ。

 ま、あいつなりにあの「王冠」は大事なものなのだろう。どう大事なのかは、俺にもさっぱり分からないが。

 その大事な「王冠」を、ユクポゥの奴は今脱いでいる。あいつも今の状況をしっかりと理解しているってことだろう。

 俺の兄弟たちって、それほど頭が弱いってわけじゃないらしい。悪いな、兄弟。俺、今までずっとおまえたちの頭がちょっと弱いって思っていたよ。

 と、心の中で兄弟たちに謝罪しながらも、視線は酒樽からは離さない。

 俺の近くにいるのは、ジョーカーとクース、そして隊長だけだ。他の連中は少し離れた所で俺たちと同じように身を隠し、炎竜が現れるのをじっと待っている。

 ってか、待つことしかできないんだよな。




 そうやって待つ。ひたすら待つ。そして、どれぐらい待ったかよく分からなくなった頃。

 いい加減待ちくたびれた俺の耳に、僅かながらもばっさばっさという羽音らしきものが聞こえてきた。

 思わずジョーカーを見ると、奴は無言で空を指差した。

 奴の骨だけの指が指し示す空の一点。そこには点のようなものが見えた。

 点はどんどん大きくなり、その点が赤色をしていることが分かった。

 いや、もう「点」ではないな、ありゃ。

 徐々に大きくなった点は、今ではもう別の形をしている。

 鱗に覆われて長く伸びた体に、皮膜状の翼。四肢には鋭い爪がぎらりと光り、頭部には後ろに向かって長く伸びた一対二本の角がある。

 「それ」は上空で何度か旋回した後、地響きの音を立てながら森の空地へと着陸した。

 そして、周囲を見回す。何度も何度も見回した後、にぃ、と口を歪めた。その際、鋭い牙が何本も見えた。

 「それ」は長く伸びた鼻先を酒樽に突っ込み、中の酒を飲んでいく。

 俺たちにとっては大きな酒樽も、巨体の「それ」には小さなものらしい。あっと言う間に酒樽の中の酒を飲み干し、前肢の爪に酒樽をひっかけて器用に銜えて持ち上げ、中の酒を全て喉奥へと流し込んだ。

 そして、次の酒樽に取りかかる。この場には、俺たちが運んで来た全ての酒樽が置いてある。奴がいくら巨体であろうとも、これだけあれば量としては十分だろう。

 そうやって俺たちが見つめる中、「それ」──真っ赤な鱗を持った竜は、全ての酒を飲み干した。

 そして満足そうに口元を歪めると、金色に輝くその目を俺へとはっきりと向けた。

「そこに隠れておる者に告ぐ。美味い手土産に免じて殺さずにおいてやるゆえ、疾く顔を見せい」

 どうやら竜は俺たちの存在に気づいていたらしい。竜ってのは鼻が利くそうなので、俺たちの匂いにはとっくに気づいていたのだろう。

 俺は一度だけジョーカーと視線を向け合った後、腰から剣を抜くこともせずに隠れていた木陰から進み出た。その後に、ジョーカーも続く。

 なお、クースと隊長はそのまま隠れていてもらう。もしも俺たちが戦いになったら、隊長にはクースを連れてもっと後ろに下がるように命令しておいた。

 俺が空地へと進み出ると、他にもあちこちから仲間たちが姿を見せる。そんな俺たちを見て、竜はちょっとだけ首を傾げた。

「ほう? ゴブリンにオーガーにトロル……果てはダークエルフか。おもしろい組み合わせよな」

 竜は喉の奥をごろごろと鳴らせた。おそらく、あれは笑っているんだと思う。

 竜は改めて俺たちを見回すと、再びその口を開いた。ちなみに、竜が喋っているのは妖魔語だ。

「して、お主ら一党の頭目は誰じゃ? 察するに、そこの大きなオーガーかえ?」

 普通、ゴブリンやオーガー、そしてトロルやダークエルフが群れることはない。あるとすれば、誰かがそれらを率いている場合だけ。どうやら目の前の赤い竜はそう考えたようだ。

「俺だよ、俺がこいつらを率いているんだ、炎竜……あんた、炎竜だよな?」

「おやおや、まさか貴様のような小さな妖魔がこの一党の頭目とは……いや、おかし、おかし」

 俺がゴルゴーグ公用語で返事をすれば、それに合わせて炎竜も公用語で返してくる。さすがは竜、こっちの意図を的確に読み取ったか。

 ゴルゴーグ公用語でないと、隠れているクースや隊長が理解できないからな。ま、クースたちが隠れていることも、この竜にはバレているだろうけど。

 竜は再びごろごろと喉を鳴らすと、その長い首を俺へと向かって伸ばした。

「如何にも! 我は炎竜! 炎竜ハーライソンダーグール! 今代の《魔物の王》となるモノじゃ!」

 ごう、と何かが俺たちに向かって吹き寄せてきた。

 それは風圧とか、そういった類のものではない。言うならば、気迫とか迫力とかいった、目に見えず実際には何の影響も及ぼさないものだ。

 それを実際の暴風のように感じさせるとは、やはりこの炎竜は只者じゃない。

 だが、同時に分かったこともある。こうして直接会話してみて、はっきりと分かった。この炎竜は、「あいつ」じゃない。

「さあ、白い小鬼よ。我に何か話があるのじゃろ? 聞いてやるゆえ、言うが良い」

 まあ、この炎竜が「あいつ」じゃないことは分かったが、聞きたいことはあるんだ。折角向こうから聞いてやると言ってくれているんだ。ここはその言葉に甘えようじゃないか。




「では、率直に聞かせてもらおう。どうして、おまえは今代の《魔物の王》を名乗る? 竜って奴は己の矜持こそ大切にするが、顕示欲などとは無縁の存在だろう?」

「何じゃ、そのことか」

 炎竜は胸を張るように首を高々と上げ、ふんすと鼻から硫黄臭い息を吐き出した。

 そして、自ら《魔物の王》を名乗ったその理由を明かす。

「我が《魔物の王》を目指すその理由……それは、《勇者》と邂逅するためじゃ!」

「ゆ、《勇者》と会うため……だと?」

「いかにもじゃ!」

 実に嬉しそう──多分そうだと思う。トカゲ顔の表情はイマイチ理解しづらい──に言い切る炎竜。そうか、いかにもなのか。何がいかにもなのか全く不明だが。

 そんな俺の疑問を感じ取ったのか、炎竜の言葉は続いていた。

「遥か悠久の昔より、《勇者》とは年若い美貌のおのと相場が決まっておる。我はそんな年若く面立ちのいい人族の男子と間見えてみたいのじゃあ……っ!」

 ……おい、ジョーカー。そこでこっち見んな。これまで《勇者》と呼ばれた者の八割は何を隠そう過去の俺のことだが、若いのはともかく美形だったことなど数回しかなかったぞ。

 実際、前回はそれほど美形ってほどでもなかったしな。

 だが、過去の《勇者》たちの偉業は、吟遊詩人たちがこぞって題材にしているし、書物や演劇の題材ともなっている。

 そういった物語の中に登場する《勇者》は、決まって美形の青年として描かれている。まあ、演劇にしろ書物にしろ、主役の見た目を良くするってのは常套手段ってものだ。その方が断然客の受けがいいし。

 これがいわゆる、「演出」って奴だな。

 演出の重要性ぐらいは俺も理解しているし、演劇に登場する役者に文句を言うつもりもない。

 でも、まさか炎竜までもがそんな演出を信じているとは……しかも、美形の少年勇者を妄想してでもいるのか、今の炎竜は妙に鼻息が荒い。

 もしかしてこいつ、サイラァの同類か……? だったら嫌だなぁ。

 思わず、俺はげんなりとした表情でサイラァの方を見た。すると、そのサイラァの近くにいたギーンが妙な顔をしつつ、俺の方へと近づいてきた。

「お、おい、リピィ。何かこの竜、変じゃないか? な、何ていうか、その……この竜を見ていると姉さんを見ているような気になるんだが……」

 うん、ギーン。おまえのその感性、間違っていないと思うぞ。間違いなく、この炎竜はおまえの姉と同類だ。

 よし、話は聞けたし、もう帰ろうか。

 俺は仲間たちの方を見て、撤収の合図を出そうとした。

 だが。

 だが、その時俺は感じてしまった。殺気とは別の質の、だが、それ以上に恐ろしい何かを含めた鋭い視線に。

 俺が恐る恐る背後を振り返れば、そこには金色の双眸でじっと俺を見下ろす炎竜の姿が。

「お、おお……おお……」

 びくんびくんと巨体を打ち震わせる炎竜。い、いや、奴が見ているのは俺じゃない。俺の隣にいる……ギーンだ。

「こ、こんな所にダークエルフの見目麗しい少年が……! ひ、人族の美少年もいいが、ダークエルフの美少年もいいのぉ……し、しかも、厳つきオトコたちに囲まれて……はっ!! もしやこの雄どもは、この麗しき少年を狙っておるのでは……っ!?」

 何やら奴の脳内妄想劇場では、ギーンがとんでもないことになっているらしい。

 具体的にギーンがどうなっているのかは、おぞましくて考えたくない。

「しかも、そこな白い小鬼と一緒にいると、し、白と黒の肌が対照的で……うむ、いい! これは捗る!」

 何が捗るだ! よし、帰ろう! もう帰ろう! ここにいる意味は絶対にない!

「よーし、てっしゅ……」

 だが、俺が撤収の指示を飛ばすより早く、炎竜は首を高々と空へと向け、大きく咆哮した。

 途端、奴の周囲を濃厚な魔力が渦を巻くように流れ出す。ハイゴブリン・ウォーロックに進化した俺は、以前より敏感に魔力を察知できる。その俺の感覚が、炎竜が何らかの魔術を行使していると告げていた。

 奴の魔術は、人間や妖魔が使う魔術とは別のものだろう。おそらく、竜だけが使える〈竜術〉といったところか。

 渦巻く濃厚な魔力の中、奴の身体に変化が現れる。

 見上げるような巨体が、どんどん縮んでいき、サイラァと同じぐらいになった。

 そして、唐突に霧散する魔力。消え去った魔力の向こうにいたのは、ふりっふりのドレスを身に纏った一人の女性。

 見た目は人間そのものだが、問題はその体形だ。

 俺たちがここまで運んで来た酒樽そっくりなその体形。着ているドレスがぱっつんぱっつんで、今にもはち切れそうだ。

 おそらく、このドレスも竜の皮膚や鱗が魔力で変化したものだろうな。となると、実に細かな所まで再現されていることになる。

 弛んだ頬と、重たそうな瞼が半分閉じた両眼。鼻はでかでかと顔の真ん中で自己主張しているし、真紅の髪はくるくると丸められて簪のようなもので縫い止められている。

 うん、かつて《勇者》だった頃、結構こんな女を見たことあるぞ。特に裕福な貴族の女性、それも中年女性の中にこんな体形の女がいたよな。

「うむ、いい! 実にいい! 異形なる小鬼と美貌のダークエルフの少年! ど、どっちを『受け』にするがいいかのぉ? こ、これは悩むのぉ!」

 炎竜が変じたぱっつんぱっつんの女性は、やおらその場に座り込むと、どこからともなく取り出した羊皮紙を地面に置き、その上にペンを凄い勢いで走らせ始めた。

「おおおおお! 創作意欲が! 創作意欲が湧き出す泉の如くぅぅぅぅぅっ!!」

 さ、今の内に帰ろうか。

 俺が炎竜に背を向けると同時に、近くにいたジョーカーがぽつりと呟いていた。

「……腐っていやがるね、この炎竜」

 え? 別に腐っていないだろ? 別に死んでいるわけじゃないし。

 変なことを言うジョーカーを、俺は首を傾げて眺めた。



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